制作ノート 1
石山修武
 開放系技術デザインノート002
 Oさんの家の大型ストーブのスケッチをする。レディーメイドの部品と手作り部分を組み合わせてみる。薄板の鉄パイプをOさんに探してもらいたい。無ければ 1.55 mm のコルゲートパイプ、径 1m のものがあった筈。それに昔の蒸気機関車に塗っていた塗料あるいはマリンペイントのブラック。潜水艦のブラックが良い、を塗装する。それで本来はOK。あとは両側を閉じ、片面のフタに強化ガラス、多分料理用の大皿がベストであろう、を組み込む。
 火の視えないストーブは味気ない。世田谷村にもつくってみるか。二八日記。
 開放系技術デザインノート001
 3Fのテラスを全く使っていない。今は屋上菜園にはびこったススキを掘り返したのを投げ降ろした。その二株がしぶとく、死なずに生きようとしている。テラスをススキに占拠されるのも辛いなと思い、ここに小プラントを作ろうと思い立った。幸い、世田谷村には沢山のゴミがある。そのゴミの類でプラントを作る事にして、昨夜考え、今日早速製作した。三〇分程の作業であった。
 ついでに、欲しかった筆立てと、その余りもので変テコリンなオブジェも作った。水草生育には役立つかもしれない。その三点が、3Fテラスと、仕事机に今、ある。ゴミで作れたのだけが取得である。九月二十七日記
 005
 北京モルガンセンタープロジェクト
 二〇〇八年北京オリンピックサイトをスタートに、上海、重慶、混明他の主要都市を巡回するモバイル複合建築の計画である。
 建築は電脳機器を中心に持ち、大地に固定される事から自由になるだろう。仮設建築であるが、固定されぬ事の現代でのより積極的意味を主題の一つとする。
 淵瀬より002 丹羽太一
 コンピューターエイジにおける最も現在的な建築の問題は、建築がリアルとヴァーチャルのどちらにも存在してそのどちらも同じように重要であり、なおかつそれが別のものとしてあるということから生じる。
 建築は常に強固なリアルとして存在する。しかしこれをヴァーチャルに捉えることはすでに「現実」に起きている。それは存在するものをさまざまな様相で捉える方法が、それを視る者の数だけ無数にあるということだ。
 それをいかに提示していくかが課題となっている。
ミーティング 001
 ひろしまハウス
 鬼沼計画
Kai Beck
The "endless house" by friedrich kiesler is understood as an theoretical project and interpretated in a non-formal aesthetic way. It implies biological, psychological and social-political communication as an coexistence of life.
Each project can be seen through this abstract model.



 004
 ひろしまハウス屋根は仏足の折れ曲りとシンクロさせたい。平面形はひし型の変形。はしごの手すりは、らせん状にグルグルうねって空に昇るようにする。何処かに魚の形らしきがあっても良い。仏足の裏には描けないから、屋根裏、または手すりのサークル平面をそれらしき幾何学形にしても良いな。アトでスケッチ持ってゆきます。
渡辺大志 制作ノート003
ひろしまハウスひろしまハウス
近代能楽劇場in制作ノート3

 石山からのひろしまハウス屋上計画に関する最初の指示は船がひっくり返って、船底が上になっているイメージであった。今回の指示はナーガの様な螺旋状の手すりであった。つまりは、水をテーマにしろと言っているのだと受け取った。カンボジアの屋根に乗っかっているナーガは水の神様であり、すなわちかたちを持たない構造の象徴である。
 この案は、現地のオレンジ色の瓦で覆われた屋根の下にすだれでもう一層を作り、それが仏足とシンクロしているものである。仏足の上では浮遊感があり、その先にメコン川を臨むことができる。その浮遊感はメコンからの風によって体感されるものである。風が吹けば、与えたかたちも自然に揺らぎ、変化するであろう。

 003
 福島県鬼沼計画ひろしまハウス屋上階、B島計画の3計画を同時進行させる事を決めた。ひろしまハウス屋上は初期スケッチを渡す。どう進めるかは皆に任せよう。
 「カサミラの屋上みたいに」「メコン河の水の神話と」「カサミラの屋上は全て風の造形だよ」「ひろしまハウスはメコンに浮かぶ船とナーガからスタートさせよう」我ながらイイ加減なオペレイションである。どう反応するかなスタッフは。「鬼沼の場所は博多湾のミニアチュールだね」「水上集落、森の集落、山の集落の組み合わせになるのかな」「森の樹の循環、輪廻の有様をそのまま表せないかな」と、これも又、随分な、ないモノねだりである。このクセは抜けないね。
 これで形が出るようだったら奇跡に近いのだが、何かが出てくるのを待とう。
 淵瀬より001 丹羽太一
 ひろしまハウスに屋根を載せることはちょっとした問題だったようだが、「屋上にメコンを望むテラス、空飛ぶ仏足テラスを設け」ることでも一つの建築的意味をつくりだしたのではないか。そこに悠久の川の合流を眺めるという行為、つまりある身体が出現して、その土地の歴史や自然や社会の環境をあれこれ想像しうることにその意味が生じるのだ。
 今度の「N計画」はそこから建築的に展開することになるという。水を眺める行為がひとつの建築的意味を生むとすれば、そこから繋がっているのかも知れない。真意は徐々にここで明らかにされるだろう。
 いくつかの核はすでに想定されていて、全体としてはスクールになることになっている。「機能そのものをデザインする事から開始」する。機能といっても新しいスクールの機能がなければならない。ここで考えられるのは普遍としての、つまり近代的な意味での機能ではない。様々な社会的意味を考えた上で、そこで考えられるべき個別の問題に対して、建築として回答すべき個別の機能を考えなくてはならない。先ずは個々が取り組む課題における社会的意味を述べられることを期待している。建築的意味はそれを深めたところで生じてくるものになろう。
渡辺大志 制作ノート002
ひろしまハウス ひろしまハウス
近代能楽劇場 in 制作ノート 2 ・9月16日、Kさんとのやりとり

 ひろしまのTさん、Kさんが来室された。
 開口一番「トイレを水洗にして下さい。」Tさんは言った。つまり、細かい仕様を巡る要望がひろしまサイドでは多発しているという。
 「まずは、誰がどうやってひろしまハウスを運営していくのか、誰がここに住み込むのか、それを明確にしてからでないと。日本の公共建築ではないですから。」と返答する。
 日本人が現地へ行くのであれば郷に入れば郷に従えである。もしカンボジア人であれば、当然トイレはカンボジア式で良い。お尻は手で拭けば良い。
 Kさんが続ける。「このひろしまハウスには市民交流会を始め、平岡さんその他、多くの方の想いが詰まっているのです。この一つ、一つ積み上げられたレンガにも、わざわざここへ来て積んでいかれた方の想いが。その想いが、この十年以上の間ひろしまハウスの建設を続けていく力になっているのです。」と眼にはうっすらと涙が見える。
 ひろしまハウスはこうしたやりとりが大変多い建築である。その蓄積がひろしまハウスの空間であるといっても過言ではない。こうしてトイレの問題が起きたりして、広島からわざわざ人がやってきて、顔を合わせるのである。
 打合わせに使われる図面は手描きのものだ。図面に現れた線は、設計理念に従って発生する空間を手で体験した軌跡である。手でなぞった線が建ち上がって空間が発生する。ひろしまハウスのトイレも図面上に手で描いた線から発生した。いわば設計理念の上に成立しているトイレだ。
 Kさんは上棟式でカンボジアのトイレを体験されている。その経験の上から、水洗式の必要性を訴えられている。もちろん、私達もカンボジア式のトイレを体験した上で図面を描いているが、設計理念の線が優先していることはいなめない。つまり、私達のトイレは頭の中にあり、Kさんのトイレは足下にあるのである。 どちらが良いというのではなく、そういう明確な違いがある。これがKさんの言葉の根深い構造になっている。  結局、トイレはカンボジア式と水洗式を半々にしましょうということで決着した。Kさんの身体性が勝ち取った水洗トイレである。

渡辺大志 制作ノート001
近代能楽劇場 in 制作ノート
 ある日、石山に「渡邊君、ちょっと。」と打合わせテーブルに呼ばれた。どうも何かを決意した様な面持ちをしている。言われるがままに席に着く。
 「実は、、、ひろしまハウスに屋根を載せることになった。大僧正がそう言っているらしい。そういうことだから、屋根の載った模型を作ってください。」
 「はあ、わかりました。」
 そうか、と困惑した表情を浮かべる。ひろしまハウスの上には以前より「仏足」と呼んでいる屋根らしきものが既に浮かんでいる。大僧正も仏足を気に入っていると聞いていたが、気持ちが変わったらしい。なにより、仏足はひろしまハウスのシンボルでありコンセプトそのものであって、設計者にとっては命の次に大切なもののはずだ。
 「冗談ですよね、、、」と心の中で思いながら、もう一度石山の顔を覗いてみる。
 「ま、しょうがないじゃない」と、飄々とした顔だ。
 そう言われると、「ま、しょうがないですね。」と答えてしまう。
 そういうことで、屋根の載ったひろしまハウスを作ってみた。あまりにも個人的な事情の上に乗っけられた屋根である。ウナロム寺院の大僧正の意見は寺院の境内では絶対だ。こういう個人的なドキュメントの上に建築が建てられるのもカンボジアでは悪くない、と思った瞬間だった。
 屋根の模型を作るとき、塊から切り出す方法を選んだ。なんとなくの直感で、紙の板を使って作るのは違うのではないかと思った。何もないところ、つまり無から構築していく方法はひろしまハウスにはふさわしくないと思ったからだ。塊からヤスリで屋根らしきかたちを削りだしていく。手の力の入れ加減で、かたちが微妙に違ってくる。出来上がった屋根はシンメトリーを崩し、部分的に曲面が入ったものになった。これもまた極めて個人的な操作によって与えられたかたちである。
 002
 つい先日制作した銅版画の下絵である。アンモナイトと魚とヒマラヤの巨峰が化石になった姿らしきが描かれている。山のシルエットが建築の屋根状に変容している。その屋根にはどうやら棟飾りの如きものが生まれている。
 ひろしまハウスの仏足の上に屋根を架けねばならなくなった。ウナロム寺院の要望である。寺院内の建築であるから寺院らしくせよとの事らしい。プノンペンの渋井さんも仕方ないでしょうと言う。私達も、それが自然だろうと自然に考えるようになった。それで屋根を二つ乗せる案を作った。今では魚や鳥やナーガ(竜)の装飾が天と地の境界に設えられる聖なる建築には必然なのだ、という考えも了解している。プレモダーンのアナクロなコスモロジーだ、近代化とは何かと東京の現実主義から考え批判してもそれ程の意味はない。ひろしまハウスは近代の価値観をベースに考え、建設された歴史を持っているが、それを超える意味を持つまでになっている。その意味(価値)は十年の月日が作り出した。その意味らしきをどうやらこの下絵が極く極く自然に表現している。
 ひろしまハウス in プノンペンは前近代の方法で作られたものではない。脱近代でも、ポストモダーンでもない。近代と併走し、それを批評的に眺めながらの、別の近代の方法への希求そのものだ。近代はひろしまの悲劇を生み、カンボジアではポルポト政権のジェノサイドも生み出した。その双方の都市の市民的関係がこのひろしまハウスを建設させた事は重要だ。この建築はひろしまへの原爆投下で亡くなった人々、そしてポルポト政権によって亡くなってしまった人々の備忘録、つまり記念碑なのだ。備忘録の形式がまだ歴史の浅い近代的装いを持つのは明らかにおかしい。近代以前の歴史と現代的大矛盾を一気に結びつける形式があるだろう。大まかに言えば、それがひろしまハウスのデザインの根幹である。
 001
 世田谷村日記を記録して六年程になる。生活の一部になって仕舞った。メモを附す為に何かを企てる様な演技をする迄には到っていないが、少しはそうなる事を深いところで望んでいるような気持もあるやも知れぬ。何故なら多くの人が読んでいる事を歴然と意識しているからだ。記録する、しかも他人の眼を意識してのそれは、すでにデザインらしきが混入している。無意識のメモとは異る。私のメモはモノローグ形式を借りたささやかなダイアローグでもある。原則的にメモに対する見ず知らずの人からのメール他には答えない事にしている。しかし、それでも他人の眼は意識されている。記録中の行間にそれを読んでもらっても良い。
 今度、ときの忘れもの綿貫さん他のスタッフ、塩野君の力を借りて二册目のネット出版を試みる事になった。垂れ流しに終りかねぬメモの総体の一部を旧来の書物の形式につなぎ留めようとする試みである。チベット・ラサ・北京紀行をそのような形式に凍結しようと今、努力している。
 それで、フト思い付いた。
 日々の制作的思考を、スケッチブックへのランダムな記録を、もう少し、別の形には出来ぬかと。マ、思い付き程度のアイデアである。でも、チョット試みてみよう。これは日常の生活とは異る、それでも明らかな制作的生活の記録になり得るかも知れない。以前、制作的スケッチを垂れ流し状にネットに出した事もあった。アレをもう少し他人の眼の鑑賞に耐えるように組み変えてみようと思う。
 上手く行くかどうかは知らぬ。でも、制作とは常に意識上の出来事でもあるから。ページが演技的振舞いを帯びざるを得ないだろう。そこが面白いかも知れぬ。マ、考え込まずにやってみよう。
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