新 制作ノート 01
石山修武研究室
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人待ち時間を持て余して、食堂内の酔客をスケッチしてみる。人間の生きる形ってのも、スケッチしてみると、実に他愛のないものだけれど、実に複雑で面白いものであることよ。 一瞬の眼の動き、強度、その他で、この人物のこの小集団の中での力の行使欲の如きが見てとれるのだ。変な生物だな人間は。


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昨日(四月六日)、真栄寺近くのいまい川の桜並木で、土手と呼んだら良いのか、用水の流れの土手に寝ころんで、草の匂いを嗅ぎながらチョッと眠ったのは良い体験だった。観念としては場所とか、大地とか、土とか考えるのだけれど、それが仲々身体にしみ込んで来ないのは重々自覚している。 無知であった(今も大して変りはないが)若い頃の方がむしろ直接に自然に触れていた様な気がする。感性はやはり鈍磨するのかな。

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しかし、自然ともっと身近にあっただろう子供の頃には、それがモノを考えるエネルギー源である事等考えられなかったのだから、まったく実にあの蓄積らしきは無駄と言えば、無駄の代表みたいなものでもあるな。 子供の頃からスケッチする習慣を身につけていたらと、やたらに後悔するが、時すでに遅しである。でも、遅きに失した感はあるが、なるべくスケッチはしておきたいものだ。

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ここ二日間畑作りに没入していたら、世田谷村の西の壁の不愛想さが気になってきた。金属の折板と黒モルタル左官工事の組み合わせなのだが、左官工事の入念な生命力が生きていないのだ。

これではK2菜園の風景に負けてしまう、と言うよりも余りに別世界だと気付いた。

眼にこびりついて離れない、アントニオ・ガウディのコロニアル・グエル地下礼拝堂の小窓の、太い鉄筋をたたき曲げたディテールを一ヶ所やってみようかと思い立ったが、それはイカンと思い直した。ガウディが世田谷にあるのは、やっぱりどうもいただけない。それに私はキリスト教徒ではないし。(ガウディはカトリック教徒であった。)

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4月6日世田谷村西側壁スケッチ


で、西の壁の本来の機能について考え直してみた。西の金属壁には一時、宮崎の藤野忠利から勝手に送られてくるメールアートの展示壁にした事がある。何人かの人達にも喜んでもらったのだが、運送屋のお兄さんから

「お宅の壁にブラ下ってる荷札なんですけどね」

と言われて、ガックリ気力を失なって取り外した。

そんないきさつがある。

しかし、人通りは少いけれど、歩く人はいるので、やっぱり町角展示壁にはしてみたい。

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その為のデザインを少し計り始めてみた。K2菜園のデザインは図面無しでやっているけれど、ここは相手が金属だから、そうはいかない。土と比べて金属は実に扱い難いものだと痛感する。

この壁のデザインは昨年も手をつけた事があるが、良いアイデアが出現しなかった。何となく、今回はうまい考えがやってくるような予感がある。K2菜園づくりのお陰様である。

先日、広島の木本君が世田谷村に寄った時に、いい機会だと考えて開口部二ヶ所の寸法取りもついでにして貰った。木本君に製作してもらう西側の内扉と合わせたデザインにしたい。

でも、何かにすでにつかまっていて自由な考えが出ない状態が、ここについては続いているのだ。恐らくこの壁をまだ本格的に使っていないので、愛着が湧かぬのだろうと思われる。

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4月6日世田谷村一階書庫増設案スケッチ

面白いもので、今こうして言葉、つまり考えをノートに書きつけている。ノートを記してからスケッチに入ろうと意識しているからだ。

どうしたって、スケッチする速力の方がノートする速力よりもはるかに速い。スケッチをしてから、そのエスキス・スケッチに関する説明をするのは、どうも、もう面白くない。だから、ノートを記して、何がしかを考えて、それからそれを図化、つまりエスキースするのを試みてみる。

「建築の自己表示」すなわち、西の壁のアニミズムそのものをエスキスに残したい。機能は、通りの展示壁、松崎町のプロジェクトで試みたストリートミュージアムの断片を考えよう。

松崎ストリートミュージアム 展示壁


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水の神殿スケッチ

四月二十八日の起工が決定して、決めなければならぬ事がギリギリになってきた。エントランスの土盛り洞穴ドームのスケッチを三点。これで良いだろうと思われる案にまとまり始めた。向風学校の連中と苔遊びしていたのが生きた。北海道で、どんな苔類が生育するのか知らぬが、キースラーのエンドレスハウス状の洞穴ドーム内にはやっぱり苔の小さな土盛りが必要である。その中に水の音源、ゴボゴボを埋める。鋭角の変形四角の平面の内は玉砂利とする。これも人が歩くと音がする。その外はワラ、カンナクズ、ヌカ等の歩いても音がしない材料でしきつめる。足音のプランが出現する。

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2008年、世田谷美術館での展覧会準備中に制作した苔おむすび


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水の神殿の入口、掩体壕のプラン及びセクション


入口は三角のクレバスとして、三角の図形を出現させる為に、壁の角度を作る。

入口の上には、自噴水を噴き上げる内宮で使用する、グラスファイバーポールを高く、高く、一本だけ立てる。つまり、全体として二本のトーテムポールを出現させる。グラスファイバーの色に要注意のコト。このポールには穴を明けて、強い風の吹く時は音が出るようにしたい。

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エントランス部エレベーション


洞穴ドームの水音のツボの真上は小さな穴を明けたい。下の洞穴内のコケのために。

洞穴出口側は水平一直線開口の高さ、2100 - 1800 とする。今日、モデルで確認したい。

出口側の垂れ壁には、既製品のカラーのついたビンを図形的に埋め込んで採光とする。色は、グリーン系、ブルー系とする。

配置の図形は、スケッチに示した2種しかないと思われるが少し考えてから決めたい。

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「水の神殿」

北海道十勝・音更町に作る、自噴水を荘厳するための建築である。この地は昔多くのアイヌ(ネイティブ・ジャパニーズ)が暮らしていた。地名にも多くのアイヌ語の命名が残る。間近に大雪山を望む。

大雪山系の雪どけ水が地下伏流となり三〇〇年を経て自噴する地点があり、それを地元の井戸屋さんが掘り当てた。地下二百五十メーターの井戸を堀り三〇〇年の湧水を得る事が出来た。K社がそれを買取り、その清冽な水をもとにして飲料水を産業として考えることになった。K社長とは変な縁で若い頃からの附合いがあった。昨年の世田谷美術館でアメリカのJBL社に向けた「音の神殿」プロジェクトを観て直感を得られ、「石山、水の神殿設計してくれ」となった。

十勝地方には北海点字図書館の「ヘレンケラー記念塔」も作品としてあり、もう少し作品群を展開したかったので喜んで引受けた。


古くから、何度も試みようとしたアイデアがある。掩体壕である。土で人工の丘を作り、それを型枠にして洞穴状の倉庫シェルターを作り、その後、土を取り除くという建設方法である。掩体壕は第二次世界大戦末期に東京周辺、北海道にも数多く作られた。多くの中学生達も建設に動員されたと言う。私と中里和人の「セルフビルド」中にも紹介した。一読されたい。

要するに、これは人力建築であり、人の力によって地形を作り、その地形を同時に建築にする、という、大ゲサに言えば大地の、地球の建築の典型なのである。大戦末期にはそのシェルターにゼロ式戦闘機等が隠された。空中からは丘としか視えぬから、良いシェルターにもなった。中が空洞の丘ができて、その丘には気が茂り草が生えて、風にゆれた。

この形式を何度か試みようとしたのだが、実現しなかった。それを今度実現する機会を得たのである。我ながら執念である。

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水の神殿の入口、掩体壕断面模型


猪苗代鬼沼の「時の谷」計画で実現しようとしている巨大なヒシ型パターンの庭園を、ここでも繰り返そうとしている。大きなヒシ型の土手で囲んだ水の自噴装置があり、それは小さな杜の囲いによって荘厳されている。

土手の一部がさらに盛り上がっていて、そこに掩体壕型式の洞穴ドームを作る。ここがエントランスホールである。中には自噴する水の音、すなわち三〇〇年の水の声をこだまさせようとしている。

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水の神殿、囲いのドローイング


洞穴ドームの出入口のデザインがとても大事だ。フレデリック・キースラーのエンドレスハウスを地中に埋め込んだものでもあるから、そのエンドレスチューブの切断面に全てが露出するからである。シンプルなモノなのでアッという間に実現するだろうが、最後のデザインのつめを順次、紹介してゆきたい。

順次紹介してゆく事によって、こちらの考え、デザインも当然、その事によって前進してゆくだろう。仕事には、何がしかの観客、つまり読者が不可欠なのだ。特に、私のタイプはそのようである。

ちなみに、この計画の初期段階のモノは「GA JAPAN」95 号に発表しているので、参照願いたい。水については、多くを考えているので、おいおい考えを聞いていただくつもりである。

水は人間にとってアニミズムの原基とでも呼べるモノである。私達の身体の内実の大半は水であり、母船である地球の表面も 2/3 は水だ。

内部はマグマだけれど。

それぞれのヴィジョン、パヴィリオン計画 スタディーモデル
五本御のチューブ状ギャラリー

1.訪問者のスタンド・ポイント、世田谷美術館のエントランス・ロビーに木本君制作の眼鏡を置いたのを想起したい。もっと、シンプルな羅針儀のようなもの。

2.建築と正北軸の接点に、何かのコン跡を。

3.風抜きの筒をブチ抜く形で。正北へのオリエンテーションを建築の意志として。

4.2に同じ。走り抜ける、軸線の表示。

5.北極星。

太陽を中心に公転する地球は北極星への軸(地軸)を中心に自転している。

つまり、誰もこのような画を実際に目にする事はできないが、不動の何かを中心に常に私たちは動いている。

時の谷では、それを出来るだけ意識化することを試みている。


「北向き倉庫」内部の煙道室(仮称)第一案、仮設足場のメッシュ・ユニットを下地に使って、黒モルタルみがきの、オベリスク状の煙突をブチ抜く。全て同一の足場ユニットを現場溶接でパッチワーク状に縫合して形を作り、溶接してしまう。

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モルタル厚は50mmとする。ユニットの厚み(メッシュの)を30mmとして、10mm10mm仕上げとする。


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フスマ部分は黒銀の紙ブスマとし、全体としたら黒い、重いのか軽いのか解らぬような物体が居座っている風とする。


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外はみがき仕上げで光を反射する様に、内はザラ目で仕上げて、囲炉裏のすすで次第に黒ずむように。


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「時の谷」のネーミングを良しとするならば、その中心の建築のネーミングは「時の倉庫」としたいところだが、チョッと照れるなコレワ。しかし、時間を巡る命名になるのはハッキリしてきた。研究室諸君は二年前だったかな、命名に関しての数回のミーティングを想い起こされたい。

とり敢えずは「北向き倉庫」とでもしておきましょうか。北極星に向けた軸を内在させている倉庫ですからね。北向きの北がはるか宇宙の宙ブラリンのところに位置する北極星に迄届きたいというところが、この建築の要です。世田谷美術館の展示とスタディの為に作った大きなモデルの中を覗き込んでいた時の体験を思い出したいものです。

惑星や彗星を除きあらゆる星々は動かない。動いているのは自転する惑星上につかの間の生をうけている我々なんですね。星々との距離に想いをはせる事はそのまま時間について考える事につながる。辿り着けない距離の実在はつまりグルグルと廻転し続ける時間についての人間の想像力そのものなんだろうね。時計の針が回転するように時計の形を考えた人間達は実に直覚的であった。

砂時計には永遠に回転するという直覚が無い。あるのは人間の短命さへの嘆きだけだ。デューラーのメランコリアに登場する砂時計、身近なところでは実験工房の山口勝弘さんの砂時計への感性は、意外にも日本的な無常感に近いモノなのかも知れない。

命名する、名付けようとする意志は実のところアニミズムの本性そのものではなかろうか。「時間の倉庫」という建築の名前を気恥ずかしいと思う僕はただのひ弱なインテリではない。もっと広い世界、多くの人間に共有できるかも知れぬ名前を欲しがっている。音を観る、それを観音、観世音と名付けた人間達の知恵に思いを届かせたいものだ。

ところで今は時間を計る、つまり知るのもケイタイを介してデジタルに知る世の中になった。その事は認めなければならぬ。ケイタイで知る時間と形ある時計の針で知る時間に相違はあるのか、無いか。数字を介して計る想像力と形を介して知ろうとする想像力の違いだ、コレワ。

我々の、とり敢えずは「北向き倉庫」はそのアナロジーを仲介すれば明らかにアナログな、つまり針の回転する古い時計の形に属する物体である事が解る。一年を 12 に分割して十二ヶ月と命名する。そして一日という時間の単位を刻み出し命名し、一日を二十四に分割し、十二の名を附する。皆、人間のなせる術だ。

立体を強く意識したい。

モノとはすなわち立体であり、建築はそれ以外の何者でもあり得ぬ。

「時の谷」の「北向き倉庫」を介した二軸の断面図を描いてみたい。N - S軸とE - W軸から少しズラした、建築に直交する軸で切った断面図である。昨日話した谷の巨大な凹部がそのまま建築的世界の内部として意識できる、その意識を誘引し得る装置として、つまり巨大な時間の如きモノ、宇宙時計として設計したいものだ。

「北向き倉庫」の屋上に直立する空気筒のようなモノ、これはル・コルビュジェのラトゥーレット修道院のキャノン砲と名付けられた光の筒をキチンと意識の対象としたい。しかし、アレは静的に過ぎる。

そして、ここにいずれ訪れるであろう、インドの人間達には、オヤこれはシヴァ神かな、リンガかなと想わせるくらいのモノであって良い。キリスト教のイコンが十字架であるように、そして魚がその原始信仰にあったらしい事に想いをはせよう。

シヴァ神は創造と破壊のイコンです。「アニミズム紀行」1、そして2でそれは通奏低音の如くに響かせてきました。思わせ振りではない程度に。シヴァ神は中国経由で日本に渡来して不動明王の形になった。本来の動きのエネルギー、生命力が失くなって観念的な静かな形になった。日本の不動明王の形に生命力を感じる事はあまり無い。

この空気筒と、それに連結している昨夕話した暖炉室、あるいは囲炉裏の部屋、ここは火の空間として命名すなわちデザインするべきでしょう。火も煙も動くからね。具体的に動く。それ故、この垂直方向の十数メーター、あるいは二十メーター程の物体の造形はとても重要なものになります。遠くに、少し角度を持つ水平方向には北極星への軸、垂直方向には動めく生命力の軸が想定されるわけです。

鈴木博之さんとの俳句の会を妙見会と命名しました。命名したのも彼だったが、何故妙見様なのかは深く尋ねなかった。確か滝沢馬琴の南総里見八犬伝の話しから北極星すなわち妙見様の話しになった記憶がある。 デザインには直接役に立たぬだろうが、そしてその方がむしろ良いのだけど、「妙見信仰」について誰か調べてくれたまえ。うろ憶えではあるけれど京都に北極星、あるいは北斗七星を信仰の対象とした神社、仏閣もある筈だ。形をそこから持ってきてはダメだけれど、形を産み出す力の素にはなるかも知れない。

昨日、猪苗代の現場で時の谷の中心になる建築のスケールと、どれ程地中に潜り、地上に顔をのぞかせるかを、ほぼ把握できた。絶版書房「アニミズム紀行1」の表紙に、その感じだけでも表現しておこうと、表わしてあるので、手にされた方は記憶にとどめておくと面白いだろう。「アニミズム紀行1」は私のこれからの建築への指標でもある。

時の谷のネーミング、そして幾何学で律した庭と、周辺の自然の全体を、いか程建築内部に取り込めるかが問題ではない。それはルドゥーが壮大なニュートン記念館で描いてしまった。仮称「時の谷の倉庫」は、時の谷の庭園空間と近くの猪苗代湖、遠くの嶺々との連関をどれ程意識的にデザインできるか。そして「時の谷」と命名した根拠でもある、計画自体の強い軸線である猪苗代湖に向けた軸線に、ほぼ直交する不動の北斗七星への外の形の軸線の双方の関係をいかにデザインによって人間の意識下におけるだろうかの、その意識そのものの表現の目的が問題なのである。

近代の精神、意識はルドゥーのニュートン記念館の壮大な無機能振り、すなわち無意味な芸術の記念性を許さない。今はどんな権力者であろうと、かくの如きをリアルに想い描く精神を持たぬ。しかし、建築者は秘かにそれを望む、望みたい。この不可能をいかに実現し得るか。自然の力を使えば良いのだ。

時の谷の谷そのものの地形、それはニュートン記念館の内部のおぞましさも無く、充分にすでに空間として成立している。人間がそれを、そう意識できぬだけだ。「時の谷の倉庫」は、外に時の谷、そして猪苗代湖の大きな凹みまでも意識できるが如き指標になりたいのだ。時の谷の谷の凹みそのものを建築として出現させるにはささやかな指標群が必要となる。それが設計図のオリエンテーションマークと同等の、立体のオリエンテーションマークとしての北極星、すなわち絶対の不動点へのマークであり、空に浮かせる巨大な石の群なのである。

こんな風にメモすると新手の神秘主義と見る向きもあろう。それは違うし、しかしそうでもあるのだ。しかし、私は「物質」によって、それ等を表現するから、強い実在性による意識(世界)の構築を立体化し得る。 それがこの「時の谷の倉庫」の意味である。

四月十二日の「時の谷の倉庫」地鎮祭は、昼間すなわち星の光の無い午前中にとり行なわれるが、この地鎮祭に参加する人間達の配置、フォーメーションはデザインされなければならない。

我々にはすでに曼荼羅の意識下世界は無い。バリ島のコスモロジーの中心である Mt. アグンも無い。しかし、北極星と私達の関係は、前歴史から未来に至る迄変わりはないだろう事も確かな事なのだ。その事実だけを、ささやかに表現しよう。人知れず、作り、ネットに記録しておく。

制作ノート 3 三月二十八日
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厚生館愛児園グループの新計画は新世紀の子供達の家であろうか。これ迄の建築の歴史で子供達の家の名作はやはりアルド・ヴァン・アイクのアムステルダムの孤児院である。

これに挑戦してみたい。

「それぞれのヴィジョン・パヴィリオン計画」の肝要は、矢張りそれぞれの、といった内実にあろう。そのそれぞれの主体に子供、しかもこの建築を生まれ故郷とする子供達の家をつくるのである。この子供達は現代社会の財産になるだろう。

街のデザインとして、K理事長が様々な田野山岳から持ち寄った種々雑多な植物、生垣、愛児園内の親子の道の植栽他の実践は延長させてゆきたい。理事長にお願いして建築計画の前に人工の自然作りのプログラムを組んでおきたい。これには地域の協力も得る必要がある。

制作ノート 2 三月二十七日

ノートのページは写真2。1「それぞれのヴィジョン・パヴィリオン計画」2「立ち上る伽藍」の内部に入り込んだもの、渡辺のカメラに収蔵のモノ。3「鬼子母神像」スケッチ。3は全体を示したものが望ましい。

全体のレイアウトは「絶版書房」アニミズム周辺紀行1、2の表紙デザイン状に、エレガントで動きのある感じにまとめる努力をしてみて。

写真・絵・言葉のレイアウトは言葉原稿をズルズルのばさないで、スタッカートさせてリズミカルに。

レイアウトに現状日記に使用している色のラインを内容とは無関係に、言葉を横切っても構わぬから入れ込むように。もう少し線を細くできないか。そして出来ればカラー・ラインは二種の太さが欲しい。

今、九時前だけど十時に木本君が世田谷村に来るので、その時に鬼子母神像の完成したモノの写真を撮るので、それは来週の月曜日に ON しましょう。来週の月曜日のレイアウトも今日中に決めておくこと。それも又、三点セットで考えるように。

「それぞれのヴィジョン・パヴィリオン計画」のモデルは真上方向からの余りニュアンスが出ていないモノの方が良い。

又、今日、これから稲田堤の新しい計画のサイトの最新写真を撮ってくるので、それも来週オンしたい。

制作ノートのページは明るくにぎやかな回とシックでモノトーンな今のページの感じを、互いちがいに入れ替えたい。丹羽君の感じを急に変えろと言っても無理だろうから、制作ノートの初回の編集は渡辺、李でやってみたらどうか。僕のアニミズム紀行2で描いたドローイングで明るく活力のある奴を使ってみても面白いだろう。

M1に実験工房の小史をまとめさせて下さい。又、具体美術の小史も。実験工房に関しては丹羽君のパートナーが簡単に修論でまとめたものがある。

具体は宮崎の藤野忠利氏のところに全資料があるが、先ずは自分達の手足眼頭で集収するように。

S君に連絡して、西宮ヨットハーバーの海からの写真のデータを送ってもらうように。彼が撮っていますから。

制作ノート2は明日ONしたい。今日午前中にレイアウト他趣向の大枠を決めましょう。

失敗したら、又、すぐ直せば良いから、何しろすぐやってみましょう。

制作ノート 1 三月二十七日

思い切った事は区切りの良い時に始めたら良いと言うのは俗論である。IT時代、すなわちグローバリゼーション下の時代、社会では思い立った時にすぐ始めるのが正論である。正しく言えば、IT社会には正論らしきは存在しないから、むしろ各論として強いモノになり得るのである。解りやすく言えば、IT社会での表現・運動は切れ目の無い時間の流れの中にあり、一切の途切れが許されぬ。許されぬという言い方が強迫的であり過ぎるなら、今や表現・運動は時代に垂れ流し続ければ良いのである。そして、それしか無い。徹底した排泄としての表現・運動で良い。IT世界では。それでも残るモノは残るであろう。残そうとするのも人間達だから、それを信じるしか無い。

で、今日のこの早朝から「制作ノート」を本格的に垂れ流す事にする。ネットに流れ出すノートはすぐに「絶版書房」の4号、5号、6号に再編集して紙上に再録する。どう再録するかは、編集の腕と才の見せ処であろうが、当面の私は何しろ垂れ流すのである。こんなクソ社会クソ時代にはそれしか無い。

昨夜来考え、今朝の私の手持ちのカードは幾つもない。

一、 それぞれのヴィジョン・パヴィリオン・モデル。これは昨夏の世田谷美術館展覧会で制作して、中途で放り投げたまんまのモノである。

二、 今、世田谷村の一階エントランスに置いてある、「立ち上がる伽藍」の鉄製のモデル。

三、 「鬼子母神像」、これも、今、世田谷村に停車中の広島の木本一之君の車の中に毛布にくるまれたまんまに転がっている。こいつは今朝十一時に京王稲田堤の厚生館に届けなければならぬので十時に木本君が来村したらすぐに記録写真を撮る必要がある。厚生館に「鬼子母神像」は去ってしまうからね。

この三点でスタートする。この三点の素材から京王稲田堤のプロジェクトの制作を始めたい。

それ故に本日のサイトには先ず「それぞれのヴィジョン・パヴィリオン計画」のモデル写真をこのメモと共にオンしてくれ給え。

NOTE NOTE NOTE

そして思い返す事。

「それぞれのヴィジョン・パヴィリオン計画」が実験工房と具体派の作品群を想定したパヴィリオン計画であった事を。

モデルの形はまだいまいちであるけれど、このモデルで表わそうとしたヴィジョンは、明らかに今のところ僕の最良のモノであるのは確かだから自信を持って、こいつらから出発する事にしよう。

実験工房と具体。抽象と具象。バッキー・フラーとアントニオ・ガウディ。マルセル・デュシャンの泉と阿弥陀仏像(イコン)あるいは寝仏。ほとんど無限に近い程のサンプルがあるに違いないけれど、私の持札は三点に絞る事から始める。

ITと同様な、笑ちゃう位の物凄い速力での編集能力が必要とされるでしょう。すぐに、取りかかって下さい。

石山修武研究室
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