絵日記29 04.シンガポール計画のデザインについて
シンガポールにおける2つのプロジェクト。
左の写真は2013年現在進行中のもので、北海道パビリオンの提案。右の写真は2010年に提案した海水淡水化 プラント企業の本社社屋。双方ともに、バウハウス大学での展覧会で提示した''Man-Made Nature''の考えが入っている。次第にサイト上にもその詳細を公開していきたい。
東京の小割りされた住宅地に、都市のスケールに属する壁を持ち込もうとしたことが、この小集合住宅の設計当初に見出そうとした価値であった。
広く社会に耐えうる価値を呈示するのは一つの住宅に閉じていては困難だと感じたためである。加えて、この壁を作るための材料のほとんどを工業製品に拠らざるを得ない実際もある。
そこで、ここではいくつかの工業製品をハウスメーカー等による周辺の住宅と同様に購入し、組み合わせつつも、その組み方と施工の際の職人さんの手付きを工夫することによって、生産し易い形態の枠に納まりきらないなにがしかの手仕事の様相をこの壁に限って混ぜ込もうとした。
具体的には、工業製品の左官材料を吹付け、金コテ、ならし、あるいは骨材の大きさや混合する色粉の色むらによって壁に凹凸のある立体的な表情をもたせ、自然の土をそのまま叩いた地面から壁へと連続させた。
そして、唯一 ハンドメイドの外灯(玄関灯)をこの壁の中心に添えている。
そのシェードには自然の葉っぱが標本のように入れ込まれ、人間が作った木漏れ日のようなむらのある光と蔭を壁に落とすだろう。
シンガポールにおける2つのプロジェクト。
左の写真は2013年現在進行中のもので、北海道パビリオンの提案。右の写真は2010年に提案した海水淡水化 プラント企業の本社社屋。双方ともに、バウハウス大学での展覧会で提示した''Man-Made Nature''の考えが入っている。次第にサイト上にもその詳細を公開していきたい。
シンガポールに建設される北海道パビリオン(ショッピングモール)内の開放的な中庭スペースと、可動式屋根の構造モデル、そして頂部に立つ"Man-Made-Tree"の初歩的なデザインを検討している。
詳細については進捗次第、随時HP上で発表していきたい。
屋外鉄骨階段について 01
境界壁の外側に付く、屋外鉄骨階段のスタディである。
階段は軽量鉄骨を用いず、出来るだけ小さな既製品の部品を組み合わせて作ることを心がけた。そのため、階段そのものも以下の5つのバラバラな小階段の集まりとした。
①—既製品デッキプレートとスチールフラットバーの組合せ
②—温室用部品と建築足場用階段部品の組合せ
③—既製品デッキプレートとスチールアングルの組合せ
④—枕木階段
⑤—土盛り
工務店との協同について 01
伊藤アパートメントは決して大きな建築ではないが、都市型の共同住宅のある種のモデルとしたいと考えている。
いわゆるデザインだけに重きを置くのではなく、設計施工体制の組み方やその賃貸形態を含めた、都市における住宅生産・供給の体系においてである。
そのため、当初は何社かのハウスメーカーとの協同を試行したが、これはうまくいかなかった。案の定メーカーの価値観と私たちの価値観がかけ離れていて、それが住宅の価格に反映されてしまったためである。小規模共同住宅において工業製品を用いるための工夫が、むしろ価格を高騰させるという矛盾まで起きていた。
そこで、地元を手広く手がけるサンユー建設さんと協同することになった。この工務店は、自社開発のホーム用小型エレベーターを製作する工場を持ち、既存住宅への普及に努めている。一品生産の住宅のためだけの論理としないところが他の工務店との協同との違いである。
ベトナム・ダナン五行山精神文化公園、日越文化交流センター第一期計画の日本寺開山、鐘楼計画を見ていただいた。
鐘楼の梵鐘に金子兜太さんの句を鋳込みたいと考えたから。
今秋には句をいただけることになった。
すでに何がしかの御寄進が内外より集まり始めている。
力を尽くしたい。
6月17日 石山修武
We showed Mr. Kaneko our plan of the Japanese Temple and the bell tower as the first plan of Japan Vietnam Cultural Center located in Five Elements Mountains Spiritual and Cultural Park, Da Nang, Vietnam.
Mr. Kaneko’s haiku (Japanese poem) will be engraved on the bell. The haiku will be accepted in this autumn.
Mr. Tota Kaneko is one of the most active post-war authors.
He also made a great contribution in respect to the internationalization of haiku poetry, by visiting China and some western countries to promote haiku and by establishing an international department within the Modern Haiku Association. Mr. Kaneko remains a vigorous front runner in the world of haiku.
We already have received some contribution for the construction of the bell and the bell tower.
We will do our best.
June 17th , 2013
Osamu Ishiyama
偉そうに言って、我ながらイヤだが、でも日本人、特に東京の人間は世界でも殊更な忘れやすい人間達だ。たかだか二年前の東日本大震災の事など忘れ始めている。恥ずかしながら自分もそうだから、思い上がって、上から目線で言うのではない。東京人には備忘録が必要なのだ。
で、気仙沼・唐桑の唐桑七福神タオルセット・大唐桑茶の更なる大セット販売の件ですが、何と、これはどうした事でしょうか。併行して進めている、ベトナム・ダナンの日越交流センター(仮)の中心、ダナン五行山日本寺開山の為の鐘楼、その梵鐘作りの勧進願いの知らせよりも、被災地復幸祈念タオルの、つまりはその勧進に応じても良いの応信よりも少ないというのは何とした事でしょうか。前を向く未来のプロジェクトの方が、すでに過去になってしまった東日本大震災復幸祈念のホンの小さな、ケシの実のような試みよりも反応が大きい。
コレはいけません。キチンと過去も直視しようではありませんか。もう少し、タオルと唐桑茶のセットに注目してもらいたい。
ひとまずは、これ位にして。なにしろ、タオルと唐桑茶を買って下さい。買ってくれる迄ブツブツ、言い続けますぜ、これワ。
6月15日 石山修武
ようやく唐桑小鯖湾の鈴木商店発売のタオルデザインが煮つまってきた。繰り返し言うが小鯖湾の鈴木さんの店は津波で流された。本人は老母の手を引いて逃げギリギリ命をとりとめた。集落の復興はままならぬままだ。唐桑半島の人達には本当に色んな事を教えられた。日本常民の我慢強さ、他人へのいたわり、我欲を決して露出せぬつつしみ深さ。そして堅苦しい言葉だけど共同体への声にならぬ、しかし求めて止まぬ希求。東京では決して求めても得られぬモノばかりである。
でも東京暮しも実ワ貧しくなりつつある。そんな中で、余計なお世話は重々承知なのだが、どうしても古い友人の苦難を少しでも分けてもらおうと考えた。せめてもの東京の今は昔の消費生活どっぷり人間の気持の痛みからだ。
つくづく思うが、もう人々は津波による危難を忘れ始めている。わたしだってそうだ。でも、これを忘れたら本当は人間としてお仕舞なんだろうとは知る。古い友人の辛さは、本当のところ計り知ることも出来ぬ。わたしだって、それなりの辛さは実ワある。それはそれとしてですが、たった一人の人間の助けになって何になると言うはたやすい。何もしないずるさよりはマシなのだ。それで始めた事だが、キチンとしたい。中途半端はイケない。
で、唐桑七福神のタオルのデザインを何度かやり直している。恐らく、これが最終案になるであろう。四辺の色のフチ取りはタオル作りの現場からの声である。そして色使いにもようやくアイデアらしきも出て思い切って黄色をフチに取り入れてみた。明るい感じとなり、少しは希望が視えようかの思いも入っている。ブルーは、やっぱり海から近くで生きたい、生きねばならぬ気仙沼・唐桑の人々の願いを代弁させてもらってもいる。
そろそろ本格的な販売活動に入るつもりだ。是非、1セットでも5セットでも買って下さい。お中元の季節です。手頃だと思います。
6月15日 石山修武
鐘楼の丘を中心に7つの丘が直線上に連なる日本寺の初歩的な全体計画の一部である。7つの丘は段階的に造成していく予定の人工の丘である。先ず本計画の中心的な拠点として鐘楼が建つ丘を造成した後に、計画規模の拡大に併せて丘を連鎖的に造成していくことが想定される。
それぞれの丘の上には何らかの施設あるいは場所が設けられる予定であるが、今回作成したイメージにはまだその姿はない。丘の上には巨大な菩提樹が一本ずつ生い茂る姿のみを描いている。
丘群の背後にそびえるのが五行山の一つ金山である。金山の裾元には池があり、湧き水も出ていると言う。西側に見える運河の水もあわせて、五行山とともに本計画において重要な周辺環境の要素であるだろう。
2013年6月11日 佐藤研吾
ベトナム五行山の2.1m高の梵鐘に鋳込む金子兜太さんの句。
その案配には意を尽くしたい。絵日記19、20の写真には芭蕉の古池や蛙飛びこむ水の音を想定した工夫が示されているが、金子兜太の句としてはいまのところ「五百羅漢の、苔むす沢の鳴りわたる」を想定している。絵日記19、20に示された句では勿論ない。ただ、金子兜太は芭蕉のこの句によって、俳句は和歌を超えたとする歌謡、俳句の歴史に対する認識を示している。
(1183 世田谷村日記より)
ベトナム・ダナン市に計画中の日本寺鐘楼に奉納する鐘のデザインを進めている。鐘には金子兜太さんの句を鋳込む予定であり、鐘楼のデザインが進むに合せて、特に句を見上げる際の仰角の検討が重要となってきた。さらに兜太さんの句の大きさと位置とも併せて鐘の特に表面装飾のデザインを変更中である。
この鐘は日本側の喜捨によって製作・奉納され、その喜捨の一部もすでにいただいている。
2013年6月9日 渡邊大志
ベトナム・ダナンの五行山の麓に計画する日本寺鐘楼のプロポーションおよびその高さを検討するべくボリューム模型を作成した。内部が中空となるストゥーパより上から、屋根の頂部(屋根飾り下)まで18mである。これに、鐘を撞く場所にまで人が登るためのスロープがつく。
このモデルを基準としながら、今後早急に内部の検討、構造検討そしてプロポーションその他の洗練を進める。
2013年6月8日 佐藤研吾
鐘楼の頂部の屋根飾りのアイデアである。
五行山は大理石、他、玉(ぎょく)の産地である。
12種の玉を螺旋状に舞い上らせるアイデアだが詳細は佐藤くんにつめてもらう。
2013年6月7日 石山修武
鐘楼の大方の骨格に寸法を与えて、佐藤くんにソリッドモデル(ボリュームの)の作成を依頼する。
基盤の中空ストゥーパ(室内はギャラリー)のプロポーションがまだ不確かであるが、これを初段階のモデルとしたい。
2013年6月7日 石山修武
制作を予定している照明器具の構成部材は、アパートメント建設の際に出る破材を使いたいと考えている。あるいは既にある形状をもった既製品や中古品自体もしくはその一部を照明器具として転用し組み入れる手法のアイデアも併せて検討している。それはある特定の部屋の一室のためのオリジナル照明である一方で、器具の作り方についてはある汎用的側面を持たせたいと考えているからでもある。工場での大量生産とはならずに、ある共通する手法と部材の簡易な組み合わせ方を採用することによって、同アパートメント内でもしかるべき場所へ設置するべくいくつかのヴァリエーションが生まれてくるだろう。更には今回には限らないシリーズとしても展開可能となる。
建築工事の際の破材を照明器具に使うのはもちろん材料費の削減につながるシンプルなアイデアではあるが、そればかりではなく、メンテナンスも考えて木造の躯体を露出させることが困難な賃貸アパートメントにおいて、わずかながらにでもその木の趣をその小さな照明の中で表現できないかという、多少の情緒的なアイデアも含んでいる。掲載した模型写真は北側内壁に据え付けた照明器具を正面から見たときのものである(二種類)。仕上げ材に覆われた木造躯体の一部が室内に露出するかのようなささやかなデザインとなることがここでは肝要である。
2013年6月7日 佐藤研吾
EBARA荘の計画上重要な壁のエッジのアイデアである。端部を少し太く表現したいと考える。木造でこの壁を作るからには木の構造壁である事を表したい。
そして端部をより強い状態に表現することにした。
この部分をそうしようと決めると壁の他の部分のデザインも多少変わるだろう。
2013年6月7日 石山修武
壁の素材の検討を進めつつ、その手前に設けた土盛り及びそこから伸びる植栽に囲われた屋外階段のデザインを始めている。
ここで重要と思う考えは以下の2点である。
1.植物の生態と、ここでは建築に代表しているモノの存在を等価に考える。
2.階段室は鉄骨造であるが、フラットバーとアングルのみで構造を成立させる(角パイプ、丸パイプ等の通常の柱材は用いない)。
1.は、階段室が足下の土盛りから生えるツタ類によって隠されているところにわかり易く表現している。 境界壁の仕上げに用いられる各マテリアル、あるいは新建材も含めて、植栽もその仕上げの一部とみなすことで、地球上のあらゆる資源の循環をわずかでも意識したいと考えた。
植物の選定は、賃貸のためメンテナンスが必要の無いものに限られる。さらに北側のあまり強くない光でも育つ必要がある。
2.のデザインにおいては、屋外階段を立体的な境界壁の一部とみなしてスタディを始めている。つまり境界壁の表面に仕上げとして貼られる各マテリアルがその自身が持つ厚みの分だけ異なって飛び出るのと同様に、階段室自身を捉えようとしている。そのため、通常の柱材やささら桁などによって境界壁から独立してみえる構造形式を避け、フラットバーとアングルのみの構造としている。
また、模型写真の中程に植栽の間から垣間見えるコーナーの踊り場の唯一の支柱は、100ミリ角のコンクリート柱としたいと考えている。鉄筋の定着とかぶり厚がとれる最細の柱を基礎工事の際に同時に打設したい。
同じ柱をもう1本、写真左奥に立てている。この柱を軸に隣地境界際に目隠し壁などの検討をしていく。
これら2つのコンクリート柱の色は普通コンクリートの持つ薄い灰色よりも少しでも濃いグレーが良い。施工者にセメントに墨汁か松煙などを混ぜてもらうようにしたい。
2013.06.06. 渡邊大志記
DANANGスケッチ02は計画地中央に建てる日本寺の鐘楼の、鐘を先ずベトナムで鋳造するべく準備を進めているのだが。その鐘が出来た時のセレモニー用の仮の鐘楼のスケッチである。
組み立て式である。
しかし、日越合同のセレモニー後には本建築用の部材として、そのまま使えるように考えたい。
2013年6月5日 石山修武
ベトナム中部ダナンの五行山に関してはおいおい述べることにする。
このエリアは実に独特な風景を持ち、仙人思想や観音信仰の発祥の地とも言われる。少し昔は海であった。
ベトナム人民委員会を介して日越友好のセンター用地を与えられ、その土地に諸複合施設を計画するわけだが、先ず最初に日本寺を開山することになった。
広いサイト全体は精神文化公園として計画されている。
ほぼ東西に1km程の土地に、7つの人工の山を築き、その山と諸施設を融合させてゆこうと考えている。
日本寺はその7つの山の中央に位置する直径100mほどの円形平面を持つ丘を中心に建設される。
これ迄断片として色々なサイトコーナーに示しては来たが、少しまとまった作業も必要となってきたので、絵日記のコーナーに断続的にスケッチ等をストックしてゆくことにする。
ダナンスケッチ01は計画の中央に位置させる人工の山と僧堂、及び鐘楼のSTUDYである。スケッチは膨大なモノになるだろうが、絵日記のコーナーにはランダムに整理しないで記録集積する。
時々少しまとめてDIARY TO THE WEST他に示したい。
2013年6月5日 石山修武
こんなスタディをしばらくは進めたら良い。しかし誰のために、そして何に向けてデザインするのかを少しばかり絞り込みたい。アパートの貸部屋の照明デザインスタディについていささかの考えを述べた。(絵日記9)小建築の外観スタディだって実は照明器具のデザインと何変わろうか?
壁のデザインの戯れも又、その為にやって見せている振舞いの一つだが、要するにこの建築に例え一時の仮住まいであったとしても、やはりくつろいで、ホッとして欲しいじゃありませんか。少なくともそんなポイント、場所は作ってあげたい。
このスタディで一番面白いつまり価値がありそうなのは、おそらく共用階段下にひっそりとデザインした小さな土盛りの丘である。
この小さな丘はどう仕上げるのか。
土まんじゅうだけではアドルフ・ロースの意味のうすい高踏、つまりひとり芝居になりかねない。
墓をイメージしてもらったりしたら薮蛇である。
この土まんじゅうには北の壁、北の階段の一部にからまりつく、ツル状の植物をセレクトして植えたら良い。メンテナンスをしなくとも育つ強いツル状の種類が良いだろう。その植物を選定されたし。
そうすると、建築自体の無意味な高踏性の遊戯的デザインの意味自体が変わってくるだろう。
植物はいささか制御されて建築にからまり始める。その繁茂の状態は住む人を時に和ませるやも知れない。
寄生植物をいささか勉強されたし。
うち(世田谷村)は一昨年クズの葉に南側を占拠されて夏は実に涼しく快適であったけれど、その分虫が多くて大変だった。寄生植物は又、他の樹種にも危害を与えかねぬから用心しなくてはならないが、この土まんじゅうの大地の接点を無(0)にするならば、驚く程の繁殖、生命力を持つだろうと思われる。
それに植物には雨水=天水は必須である。
土まんじゅうに落ちる雨水をデザインした方が良い。
人工の構成物と植物ができるだけ共生するようにしたい。
2013年6月4日 石山修武
照明器具のデザインのド真中は、当然光源つまりランプ自体のデザインとなるのは自明の理である。
我々がこうしてジタバタデザインしているのは、すでに他から与えられ、マーケットで選択するしかない光源をどう見せるのかの域に限定されている。
つまり、光源のマスクのデザインをしているのである。その事は先ず自覚せねばならない。
そう自覚すると光源自体の大まかな選定の枠を考える必要がある。
特にLED照明が省エネの観点から主になってゆくのだろうが、LEDの諸光源に何か根本的な欠点らしきが無いのかの視点だ。
宇宙の星々の光にだって実は色感がある。オリオン座のリゲルは明るい白色、発光体が高温だからだ。べテルギウスは赤色超巨星で終末に向けて膨張に膨張を重ねている星の光をしている。夜空の星々まで飛ばなくっても、例えば昔、まだバリ島にデザインサーヴェイで通っていた頃、遠くの集落の暗いシルエットの中に恐らく裸電球の白熱灯の明りがポツンと、ともされているのに感じ入った事がある。ランプの光らしきに近い温もりがあったからだ。深いノスタルジィ、ローソクの灯や、焚き火の明りへの記憶に通じる。
このアパートの小さな一室に特別にともしたい灯りは、先ずそんな風なひどく懐かしい灯りらしきも目指したいと思う。
疲れてアパートにひとり帰って、特別な灯りに接してくれてホッとため息をつくような、そんな灯りも考えたい。
都会のひとり暮らしは決して快適な時ばかりではない。
コンビニの白いフラットな光に眼の奥まで疲れ切っている人も多かろう。
だからこの照明のテーマはノスタルジィの宿りの如くを目指したい。
つまり、光源のスタディーを少し計り進めたら良い。
光源球を2 種類併置して切り変えられるのも良いかも知れない。
2013年6月4日 石山修武
内装のデザインとともに検討を進めている二つの照明に使用する光源は電球を考えている。 今回と同規模のアパートの居室であれば、おそらくは部屋の中心位置に一つ蛍光灯を配するのが一般的であろう。蛍光灯の線状あるいは円環状の光源に比べると、表面積の少ない電球は部屋に均質な光量を与えずに、部屋にはいくらかの明暗の偏差が生まれる。
電球といっても、白熱電球だけではなく今では蛍光灯やLED光源も電球の形状をとる種類があるが、それらも含めてここで想定しているのは点光源である。点光源が生み出す明暗の偏差とその光源を居室に複数配するデザインの可能性を考えている。
二ヶ所から発せられるそれぞれの光が同時に居室を照らし、あるいは一ヶ所ずつ使い分けられて居室が照らされることで居室はいくらか異なる表情を持つだろう。居室の表情とは、つまりは照らされる壁面の質感、素材感が大部分で、それに住む人間が集めた家具とその影が加わる。立体感のある荒い印象の外装材を室内で使用するのは照明の光の効果をより際立たせるためでもある。そして、ランプシェードとして電球の周りに付したいくつかの造形も、光源に接近しているがゆえに居室にぼんやりと明暗の別の偏差をつくりだす。さらには光源が複数有れば、一方の電球を覆うシェードをもう一方の電球が照らしまた新たな影が生まれる。
現段階では、光源が複数あることに対応して、光源を覆う造形もまた複数の木片(90mm角と120角の角材を想定)と木枠、あるいは何らかの既製品の組み合わせで構成されるデザインを検討中である。図では3つの案を載せたが、電球から発する実際の光による実験に未だ及んでいない段階である。とはいえ、それぞれの組み合わせを念頭に置きながらまずは幾つかのアイデアを並走させていく。
2013年6月3日 佐藤研吾
小さな都市型共同住宅である伊藤アパートメントの中に一枚の壁を立てた。写真はそのうち外から見える北側部分のスタディである。
この壁は、私どもの意図が多く入る部分と、工務店に任せる部分を歴然と隔てる「境界壁」である。費用もこれを境に按分し、そのマネージメントに加えて賃貸形態を含めた総合を私どもが企画・監修する。その社会的立場については追々お話しするが、その通底において具体的な設計はこの壁のデザインに集中してスタディしている。
この壁の仕上げには今のところ以下の材料を想定している。
1. 吹付けパーライトモルタル(墨汁入り)
2. 真鍮板250mm×4000mm×5mm(目地部分)
3. 黒色アルミスパンドレル
4. 墨汁入り黒モルタル金ゴテ仕上げ
5. ベトナム産タイル(もしくは淡路瓦)の破砕タイル埋込
6. 淡路敷瓦300mm×300mm×25mm(笠木部分)
加えて、壁と連続する手前の床部分は4.、5.と同様の材料を想定する。駐車場と一部はアプローチとなる。また、玄関周りの基礎の一部は布基礎とし、その中を土盛りとして草を生やしたいと考えている。
全体としてはモノトーンのグラデーションの中で、異なる材料の中に見られる表情と質量感だけで壁全体を御していきたいと考えており、そのために一般に目地と呼ばれる材料と材料の切り替え部分に、通常用いるよりも幅広の真鍮やブロック状のコンクリートなどの素材を極力無加工でマテリアルそのままに用いることを意図している。
壁の手前に土盛りを置いたのも、大地の土もまた単に自然とみなすだけではなく、地球上の資源、すなわち鉱石などと同様のマテリアルとして扱う意思の現れでもある。
未定のところもあり、素材の選定にはまだ工夫が必要だが、来週中には建物全体をまとめなければならない。
2013.06.03. 渡邊大志記
掲示され、自分も共に考え始めているアパートの一室の室内デザインがどうにも物足らない。担当者はキチンとやっているが、どうもそれ以上のモノではない。こんな小さなモノに必要以上のエネルギーを費やすと、工費は当然上がってしまうのもすでに知り尽くしている。でもモノ足りない。たかだか小ギレイなデザインのレベルであるの不安がよぎる。
小アパートの設計主題が社会の適正であるやもしれぬ凡庸さと、それでも特殊を目指さざるを得ぬ我々表現者との併存である。だからこそ、特殊を目指すべきところに露出する凡庸さは少し痛い。耐えられぬ処もある。
担当者は今、その室内にオリジナル照明をデザイン中である。その二つの照明の一つに口ばしをはさむ事にした。壁につく、シェードランプをこんなモノを考えたらどうか。大工が作れる家具のアイデアはワイマールのバウハウス・ギャラリーでの石山展の要の一つであった。今、佐藤研吾が進めているのはそのアイデアを踏襲したものではある。うまくまとめているが、それ以上ではない。壁面につける方のシェードを、このスケッチの如くに代えてみたらどうか。シェードを一気にレディメイドのふるいを使った、ふるいで切れなかった荒目の砂をネットに残して、それをシェードとするものを登場させたらどうか。
形状も正方形と長方形の二つの形のコンポジションから円形と長方形として、それよりも、何よりも自然の在る状態を円形の枠内に静止させ、光の影とするアイデアはもしかしたら面白いモノになるやも知れない。
6月2日
石山修武
東京の良好な住宅街の中に建つ、単身者向け賃貸アパートの一部屋のデザインに現在取り組んでいる。部屋の間取りはワンルームか、あるいは1Kになるかの規模であり、極端に大きな空間をつくることはできない。そこで先ず、一つの居室に対していかなるデザインを付与すれば、その空間に広がりを持たせることができるかを試行した。
居室と玄関との間で、それぞれの場での移動体験と視覚・触覚体験に共通性を含ませ、異なる二つの場が互いに関連しあい、連続的な空間体験を得ることができるように考えている。今回試みようとしている、外装材の室内への貫入もまた居室の限られた領域を拡張しようとするものである。
そして、居室内の壁面に添加しようと現在考えている二つの異なる照明器具についても、両者の配置関係とそれぞれが発する光の重ね合わせによって居室にどのような広がりを持たせることが出来るかを意識して、デザインを検討していきたいと思う。
2013年5月31日 佐藤研吾
来年2014年1月に竣工する小建築の設計過程をサイトに公表することにした。若いスタッフを教えながらの設計である。それは読者の何がしかには少しの刺激を与えるものであって欲しいと願ってそうする。あながちケチな自己露出欲ばかりの所業ではない。
このプロジェクトの施工は地元品川区の工務店である。当初はハウスメーカー(商品化住宅メーカー)M社と共同の作業にしようと試みた。自分達だけですべて設計し尽くすのにそれ程の社会性があるとは思えなかったからだ。でも主にお金の事でうまくゆかなかった。ハウスメーカーと自分達の価値観にはやはり妥協する事のできぬクレヴァスがあったからだ。
地元の工務店とも、当初通り共同の設計にしようと考えた。
それで小さな共同住宅の中に歴然とした壁を立てた。妙に設計が交じり合うよりも、この壁のアッチは工務店の採算に合うように、工務店らしくやれば良い。しかし、この壁のこちら側は自分達の意匠で仕切るという算段を立てた。
まだ最終的にうまくゆくかどうかは分からぬ部分もあるが、わたくしには妙案かと想われる。全体の与えられた予算の中でドライな予算配分の案配にいささかの間が発生するからだ。
それで最初の我々の制作過程のスケッチならぬイメージモデルは全体の中の一つの貸部屋ユニットのデザイン過程を公表する。この部分の担当は新人佐藤研吾である。優秀な人材ではあるが物質には驚く程にまだ弱い。物質そのものの成立させ方は経験がものを言う世界だ。現場では熟達した職人に彼は必ず言い負かされる。わたくしだって若い頃はそうだった。知らぬ事を知った顔をして必死に学んだ。職人達は恐らくそんなわたくしをお見通しであったにちがいない。更に工務店の経営者と職人達の考え方はちがう。ようやくにして、わたくしも数々の経験を積む事ができてそれ位の事は分かる。よい経験も悪い経験だって随分積み重ねたから。
だから、何もかもではなくっても、ある程度の予測はできる。それ故の設計過程の公表である。
まだ重要な肝心の2つの価値観そのもの、つまり施工者の価値観と設計者、すなわち我々の価値観を仕切る壁のデザイン、主に材料、仕上げなのだがそれは決め切れていない。こちらは少しは現場経験のある、がしかしまだ青臭い青年である。この二人の作業プロセスの相違も興味深いものになるだろう。が、しかし全体の意匠の責任はわたくしに在る。それでなければ、まだまだクライアントには申し訳が立たぬ。
それぞれのパートに附す、コメントも担当者自身に書かせる。恐らくこれはどうにも公表するには余りにもな非社会的言葉だなという部分は、これにはわたくしが赤で手を入れたい。何故なら、ここに公表される言葉は我々にとってコンピューターを介して接している筈の社会そのものである。又、読んで下さる皆さんにとっても、我々の社会的メッセージであると受け取められるからだ。
それでは第一便を送る。
絵日記コーナーに連載するのは、毎日の作業の連続になるからだし、絵日記に表われている筈の日常性から乖離せぬようにとの自戒からでもある。
5月31日
石山修武
『年を歴た鰐の話』という、作者はレオポール・ショヴォ、フランス語の名訳本があって、山本夏彦の作品である。
年を経た老婆の後ろ姿はワニのような、つまりウーンと年をとった爬虫類の趣があり、実に表情豊かである。
顔の裏には目鼻が無い。
それ故に表情が無いというのは違う。
能の所作を含めた面よりも余程多様な表情を持つ。
2013年5月30日
石山修武
疲れて車内で眠りこけている人の顔は実に良い。
外に対した仮面が外れている。
樹木や花に似た姿にも近付く。
能舞台を遠くから眺めるに似るなあ。
でも、この顔も又マスクであったら、恐いねえ。
2013年5月29日
石山修武
1.京王線車内の人間
電車内の向いのシートに座る人間をスケッチするのはとても困難だ。大判の画用紙を拡げて筆を走らせる勇気が先ず必要である。勇気というか、図々しさと言っても良いモノではある。
対象が何であれ、描くこと、それを表現するのにはやっぱりそれなりの気力が必要なのだが、この気力のようなモノの核はアニミズムと呼んでも良かろう。
だから描く対象は多愛も無く酔いつぶれている人間であるか、疲れて眠っている人間に今のところはならざるを得ない。
眠っている人間は、思考停止の状態でもあろうから、仮死状態とも呼べよう。生きてギラギラした人間よりはズーッと描きやすいのだ。
2013年5月28日
石山修武
「金子兜太さんと亀と山車」についてはまたいづれ書き継ぐが、今はとりあえず脇へ置く。ダナン精神文化公園に計画中の五つの山作り計画にスライドさせたい。
五行山は昔、海に浮く五つの島であった。計画地は海底であった。その由縁を大事にしたいと考えた。
浦島太郎伝説の故郷でもあったようだ。
不老長寿の神仙思想のセンターでもあった。金子兜太さんに山車の中に収蔵して贈った亀はやはりそれなりの糸で結ばれている。
2013年4月24日
石山修武
4月13日日蓮宗大本山池上本門寺にて、金子兜太さんにお目にかかりました。用意していた手紙と「ベトナム五行山・日本縁起」の手作りの巻物風小帖。それに五行山の石彫りの亀の小像。その亀を収蔵する山車。総計四点を贈らせていただきました。
ベトナム・ダナン五行山にベトナム人民委員会、共産党共々、「五行山精神文化公園」を計画中です。その手始めの日本ベトナム友好文化センター(仮)内に、日本寺を作りたいとベトナムが望み、それを受けて先ず第一歩は日本寺の鐘楼をという事になりました。更には鐘楼よりも、先ずは鐘だ、となりゴーンと鳴る日本風の鐘を鋳造する事になりました。日本の意匠で、ベトナムで鋳込む方針です。
鐘には金子兜太さんの俳句を是非共鋳込みたいと考えました。我孫子真栄寺の馬場昭道住職に仲立ちしていただき、それで13日の金子兜太さんとの面会となりました。その委細は1031番の世田谷村日記を参照して下さい。
おいおい、その計画案自体もこのウェブサイトで公開します。なにしろ鐘鋳造の費用は日本側が負担しなければなりません。ならないと言うよりも金を用意して当然な事でありましょう。広大な土地も基盤整備もベトナムの負担なのですから。
それはとも角、大きな鐘を鋳造する金が必要となりました。それで事実上、4月13日の金子兜太さん面会を期して、その五行山の鐘の勧進を開始する事となりました。
良く知られるように金子兜太さんは現代俳句の第一人者です。小林一茶の研究者としても有名です。それよりも何よりも太平洋戦争でトラック諸島で米軍と闘い、多くの戦友を亡くした事が俳句作りの原点の一つやも知れません。南洋の海や島には奥深い縁があるのは間違いありません。
五行山にはすでに聖観世音大寺が在ります。そのビン住職は東日本大震災の日本の被災を共に悲しまれ世界で何処よりも早く多額の金を日本の被災地に送って下さいました。
観音は音を観るの意があります。
言葉を観るに同じです。
又、音に言葉を観るの世界だとも考えられます。それで大鐘に金子兜太さんの俳句を鋳込みたいと願ったのでした。
この文章は何を隠そう願文なのです。
五行山にて鐘の鋳造を始めます。その経過は順次報告するとして、何よりも何がしかの喜捨をお願いいたします。
2013年4月14日
石山修武
古いスケッチブックをめくっていたら、恐らく昨年だろうか我孫子・真栄寺での金子兜太講演会の際にスケッチした似顔絵が3点あった。
今、金子兜太さんは94歳である。93歳とただし書きが書き込まれているので昨年のものなのを知る。
下手な絵、下手な字なので公表するのにはばかるが、これがわたくしの現実だから記録としたら良いかも知れぬと思い付いた。
93歳のお顔である。
今、サイトのトップページの終いにONしている山口勝弘先生は確か84歳であった。兜太さんが10歳年上という事になる。磯崎新は81歳だったか。若いとしか言い様が無い。しかし、80歳をこえると人間はそれぞれの形が明々白々に表れてくるものだなと考えてしまう。若い時々の言説や思考はうたかたの夢の如くである。80歳をこえる迄生きている人間は、その人間自体がその在り方と言うべきが作品なんだと痛感してしまう。わたくしも長く生きたいものだが、こればかりは運、不運もあるから何ともしがたい。天に任せるしかない。
同じスケッチブックの初めのページの幾枚かに2012年8月の日付を入れた台北・故宮博物院でのスケッチがある。酒器や楽器の姿形にひかれて描いた。
これ等の青銅器は何と紀元前16世紀から紀元前14世紀のものらしいから、何と今から36世紀、つまり3600年程も昔のモノである。台北の故宮博物院そして上海の上海博物館でも、これの親族にお目にかかる事ができるが、言葉を失う程の感動が在る。モノそのモノの力に在る。
人間が万物にアニミズム(精霊)を感応する事ができた頃の造形物である。同じスケッチブックに電車の中で描いた見知らぬ人間達の群もある。時にハッとする程に人間の姿に感じ入る事があって、気付かれぬように素早く描いた。
金子兜太さんは俳人として有名な人である。だから描いた事もあるのだろうが、そればかりではない。アンディ・ウォーホルのマリリン・モンローやエルヴィス・プレスリーの人物像は複製されて、これも有名である。有名すなわちメディアである。我々はその有名さがより身近であるという得体の知れぬ不思議さの中に在る。でもウォーホルの絵(版画)は、確かに美しいけれど皆死んでいるような気もする。アニミズムを感じようが無い。アメリカ文化、文明の特質かなと思ったりもするが思い付きに過ぎぬ。
金子兜太さんの顔、電車の中の人々の顔、3600年程も昔の中国青銅器の姿形を一冊のスケッチブックの中に発見して、実は驚いている。安手の解釈をせぬように自分をいましめて、だけれど、考えてはみたいなあと思った。
それでサイトに並べて記録しておきたいと考えた。
2013年4月9日
石山修武