絶版書房便り
「アニミズム周辺紀行1」
私が想定していたよりもズーッと高値 35000 円をつけて下さった方がおられた。一万円を上限にしようと考えていたが、昨夜は丹羽君が不在でそれも出来ず、考えた末、三冊共に 7500 円にさせていただく事に決めた。要するに、昨夕十八時以前のオークションの状態に戻させていただく事にした。三冊のオークションに参加していただいた方には御理解を願う。
石山修武
二月十九日オークション終了しました。ありがとうございました。
201 「キルティプール計画・エネルギーの諸相」「小さい吹き上げ」「梅の花の力」「走り出る気持」
202 「キルティプール計画・惑星内都市、あるいは世界のはてに吹く風」「闇の中の形」「森に眠る」「走る吐息」
203 「キルティプール計画・光風都市」「闇に光る」「ツトムとニコライ」「未知の力」
「アニミズム紀行1」感想文
岩澤錠児
多摩美の芸術学科で東野芳明先生からマルセル・デュシャンの「アンフラマンス」についての講義を受けていた頃、東野先生が毎回特別講師を招く「20世紀文化論」に石山修武先生が登場しました。この時が石山先生、そして「建築」との初遭遇でありました。 それが巡って現在、なぜか己は建築の側におり、早稲田に身を置かせていただきながらこうして石山先生のデュシャン論の「極度に薄いフィルムの様な膜」というテキストを読んでいます。個人的かつ一方的ではありますが、メビウスの輪のように反転した己のささやかな奇縁に人生の滋養を感じる今日この頃です。
世界の構造的な設計図としてのデュシャンの作品は確かに予言的で、そして20世紀的でした。そして、例えば、あからさまにゲイッシュなフレイバーを纏って登場したヘルツォーク&ド・ムーロンの建築やドラァグ・クイーンが闊歩する現代の風景は確かにデュシャンを反転していると感じます。 数年前に大規模なデュシャン展が横浜で開かれた際、まとめてデュシャンの作品を実体験する機会に恵まれ、そこで興味深い経験を得ました。 展覧会はデュシャンと彼に影響を受けた国内外の美術家の展示が同時に行われていました。 デュシャンの「レディメイド」は文字通り既製品であるがゆえ、他の美術家の作品との物理的な差異は無いはずでした。 ところがデュシャンのレディメイドの後に見る、同様にブツであるはずの他の芸術家(ジョン・ケージを除く)の作品はすべて「ゴミ」にしか見えなかった、、、のです。 すなわち、デュシャンのレディメイドの「ブツ」だけが明らかにただならぬ気配を帯びていたのでした。「レディメイド」に関する言説は多々ありますが、そのレディメイドの「物性」の圧倒的なリアリティーが個人的なデュシャンとの邂逅でありました。そして、20世紀を代表する大芸術家デュシャンの晩年の作品(「遺作」は別として)は日本の石神を髣髴させる小さな真鍮の塊であること。それは朴訥とさえ呼べるプリミティヴな佇まいをさせてそこに鎮座していたのでした。 デュシャンの「車輪」やそして最後の「小さな塊」に、極薄の不可視な「境界」を越えて到来し、そこに宿るモノ。デュシャンはそれを当然最初から分かっていたのでしょう、、、か。 「アニミズム周辺紀行1」の冒頭から、そのような連想へと導かれました。
米国やカリブ海の黒いディアスポラによる文化(ジャズもしかり)の肝はその移動性、漂流性の中に漂っているのではないか、と考えております。 その肝を遠く離れた日本の地で共有共鳴している私たちは、同じくグローバライゼイションによって何かを消失した精神的なディアスポラであるからだ、とすると話のつじつまが合う気がしています。ブラック・プレジデントの誕生は現在の「起こり得ないことが起こる」世紀の前触れで、それは全く私たち日本の地に暮らす者々にとっても同じことである気がしてなりません。 そのディアスポラ音楽の一流派であるジャズにおいて、一ノ関のベイシーについては以前から頻繁に耳にしていました。 しかし、「再生音楽は博物館の展示品でしかない。音楽は生に限る!」という"いま、ここ"で現象していることの再現不可能性の現場絶対主義を唱えていた私は、再生音楽の側へは近寄らなかったのでした。その主義は「マイルス・デイビスの生音を目の前50センチで聴く」という究極の現場体験によって最強に裏づけされていました。 ところが、昨年末浄土寺浄土堂に行った際、「場」や「ブツ」を媒介として時空を越えたヴァイブレーションを受容する「歴史の現場体験」とも言える現象によって世界が広がったのでした。 私ごときの凡庸な感受性でも浄土堂の内部空間から発する強烈な日本の中世のヴァイブレーションにプルプルと震えたのでした。 すると、一ノ関ベイシーの物神が途端に気になり始めるのです。 晩年のディジー・ガレスピーの生演奏を聴いていた際、現代日本のステージ上の空間に10秒間だけジャズ巨人達が闊歩する1940年代のNYの空気が立ち現れてきました。 そのとき「おお!1940年代ニューヨークのビ・バップの喧騒とはこういう事だったのかっ!」 と時空を超えた歴史空間をハッキリと実体験したのでした。 人、物、空間、それらは時として歴史を記憶し再現する媒介器になるのかもしれません。 そして一ノ関のベイシーにはどれ程のモノが宿っているのか、、、知りたい、、、と欲したのでした。
現代とは全ての「解像度」が低下している時代ではないでしょうか。 デジタル音源やデジタル印刷は、アナログ・レコードや紙焼写真の芳醇さから程遠く、コンビニ食は食に宿る地霊を一切排除した抜け殻の如きです。 そしてネットやTVゲームやアニメーションの世界は液晶モニターの解像度に同じでありましょう。 このように現代の人間から、この解像度の低い世界の外側に潜む「見えざるもの」を感知する重要な(と思われる)能力が損なわれている危機を感じています。 そんな21世紀初頭、世の中に「サイン本」はあれど、「アニミズム紀行1」の見開き2ページの肉筆スケッチに宿る「人間本来の情報量」の芳醇さに驚愕いたしました。それはまるで「恐怖新聞」のように、出版物を越えた超強力インタラクティヴ・コミュニケーションを読者に差し迫って来たのでした。
その意味で、先日の修論「アアルトの絵画に見る有機性」における、肉筆絵の具のうねりに宿る圧倒的情報量とその感知能力の方法論には何かがある、と思いたいのでありました。
「アニミズム周辺紀行1」を読んで、このようなことを思いました。
岩澤錠児様
長文の感想文をいただきました。あなたが東野芳明さんの学生であったとは、驚いています。うーんと若い頃東野芳明先生には何かと声を掛けていただいた事を今でも忘れてはいません。
人は当然の事ですが、一人では生きてゆけない。自分を生かしたいと強く思う人間程、孤立しかねないので、本物の理解者を必要とするのです。人生はもしも、もしもの連続ですが、もしも東野芳明さんが健康に長生きしてくれていたら、今の美術も建築も少しはマシな状況になっていたかも知れないとか、もしもウィリアム・モリス主義者であった小野二郎が生きていてくれれば、とか、もしも、もしもの連続です。
皆が忘れる者を私は忘れない。「アニミズム紀行」の旅はその為にもしている事ですから。
絶版書房交信のオークション・ページをのぞいてみて下さい。ドローイングと文字(言葉)とが、「極度に薄いフィルムの様な膜」によって、しみ出し合っているのを見ていただけると信じます。私自身この様な状態を予想していたわけではありませんが、もしかしたら、これは大変な事を始めているのかも知れないとは、私本当はバカですから思い始めているのです。
興味があれば、ベイシーの菅原正二は交信に時々顔をのぞかせます。彼のつぶやきにも耳を傾けてください。ネット上の文字(言葉)フォルム、色は全て電子発光体です。その発光体とペーパーメディアと手描きの、しかも筆の生命体とを、自分の脳内では組み合わせているつもりです。
二月十三日 石山修武
石山さん
ベイシー 菅原正二
順調の様子ですね。こちら「本日定休日」。ですが「建国記念日」なそうで、うっかり入って来た客は入れています。いま「ステレオサウンド」の校正ゲラが入ったので目を通していたところでした。
次に今週土曜日ケイサイの「朝日」の校正に入ります。耳は「音」を油断なくチェックしているという意地汚さです。
正月の二日からはじめたことが思わぬ深みにはまり未だ決着つかんのであります。
で「ハドソン川」に不時着したい、と。「優秀な音」は簡単なんですが「天才的な音」となると、これは「まぐれ」を待つしかないのであります。まことにストイックな日常の連続が、あるときふとそれを可能にするのです。「まぐれ」は忍び寄るもので、狙って当たるほど甘くはありません。ナミアムダブツ・・・。
石山さん
2/11 ベイシー 菅原正二
「ハドソン河」は「河」のほうが「川」よりいいですかネ。「河」のほうが雰囲気出ますが、そもそも「川」と「河」の定義の違いってなんでしょうか・・・。「マシュー湖」は「湖」じゃないんですってネ。「ビワ湖」は川の流れにつながってるから正しい「湖」で、噴欠湖はただの「水たまり(池?)」と聞き及びましたけど。
ムズカシイ問題です。もう!!「河口」っていいますから、やっぱり「ハドソン河」が正しいですかね。二年前に、あそこでマンハッタンの夜景を見物する「クルージング・ディナー」ってのJBLの社長におごられました。デッキでフランク・シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」が流れておりましたが、左右スピーカーの結線がプラス、マイナス逆になっておりましたデス。誰も気がつかないこと判ったって、どうってことないんですけど。
「絶版書房」というのは面白いです。世田谷村日記を拝読していると、絶版になったらお祝い申し上げたくなります。
ところで先達ては「アニミズム周辺紀行1」をお送りいただきまして、誠にありがとうございました。 スケッチ右下に描かれているアンモナイトのようなターボエンジンのようなものが地中に埋まっている様に見え、地球の上っ面ばかりを眺めてるばかりでなく地中や海中の奥底のもの、果てや宇宙の果てまでにも気を配ってみようと思いました。 だから、ベーシーでのアースにつながったスピーカーのくだりは大変興味深いものでした。
愚生もアニミズムらしきものは感じたことはあります。というより、感じた気になったことはあります。 それだけのことなので、実のところどうすればアニミズムというものと交信できるのかわからないですし、ましてやそれがものづくり(カタチ)にどのようにつながるのか想像もできません。 わからないことばかりなので、引き続き「アニミズム周辺紀行2」を申し込みさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
もしかしたら、アニミズムというものは知らないうちにこっそりとつながるものかもしれません。
山田祐介様
交信ありがとうございます。
「スケッチ右下に描かれているアンモナイトのようなターボエンジンのようなものが地中に埋まって・・・」のくだりに痛く刺激されました。
そうか自分はエネルギーのようなモノを描いているのかと思ったのです。それで特別バージョンの冊子にはエネルギーらしきモノを意識して描いたものがあります。山田さんの言葉に触発されたのです。チリの砂漠の飛行場で砂に埋もれたターボエンジンを実際に視て、心ひかれ写真に撮った事迄思い出しました。
他人の言葉で自分を発見したりは、交信のだいご味です。
それぞれのドローイングのフォルムもきっと何かの記憶を掘り起こす道具なのかも知れません。
二月十二日 石山修武
P.S 本日、手にしていただいた冊子は絶版いたしました。世界に二〇〇冊しかありません。可愛がってやって下さい。
「アニミズム周辺紀行1」読了させて頂きました. 「絶版」の言葉のためか,或いはドローイングからくる力のためか,石山様の私性が随所にちりばめられており,相手が本なのか石山修武本人なのか,或いは石山修武の過去なのかを考えながら頁をめくる格好となりました.
読み終えて私なりに感じたこと,それは言葉とドローイングが自立しつつ,石山さんの頭の中の未来への指向なのだということです. 私性の向かうところは省みることではなく昇華することだろうと.そのように感じております.
ただ読了して頭の中が整理されず,かといって時間が経てば分かるものなのかも分からず率直に感じたことをお送りさせていただきました.
また,「アニミズム周辺紀行2」の予約をさせて頂きます. これからも石山号の航路の先にある光が何なのか,期待しながら読み進めていきたいと考えております.
宗政由桐様
おっしゃる通りです。ドローイングも文字も全て私の変身したモノなのです。
昨日、特別仕様の三冊に絵の具のカラードローイングをしていたら、ポタリと絵の具が左頁の文字にかぶさってしまいました。
それで、その部分の文字を筆で補修したりの、実に変だけれど、我ながら面白い作業が発生しました。これが方法化出来ると凄いナァ等と、又も馬鹿な事を考えたりもしています。
二月十二日 石山修武
石山さん
2/8 ベイシー 菅原正二
「絶版書房」拝読。ワタクシのことはともかくとして、石山さんが「母」の話をするくだりにシンミリといたしました。
で、ベイシー二階の物置部屋へ久しぶりに上ってみたんです。僕が子供の頃に「母」が愛用していた「シンガー」の足ぶみがホコリをかぶってそこにありました。このミシンで遊んでいて左手人差し指をブッスリと貫通した時のことを思い出しました。いづれピカピカにしてどっかに飾っておこうと思いました。ついでながら、ベイシーの丸テーブル側からカウンター部分、及び外の通路の上が総二階になっており、これまで「物置」になっておりました。それに、その裏手にあるけっこう広い倉庫も総二階で放置されております。急に思い立ちましたね。「よし、この空間を内装だけ自力で何んかにしよう」と。狭いベイシーに”遊び”のふところ追加しようというわけデス。
ベーシー菅原正二様
今、外出から戻りまして、FAX拝受いたしました。ありがとう御座います。外出といっても今日は晩飯が喰えぬので、新宿まで出てヴェトナム料理を食べてきました。寒い新宿で南の国の料理もネェなと思いながらモリモリと喰べました。
そのシンガーミシンにはお母上の気持が乗り移ってますよ。キット、大事にしてやって下さい。恐らく、貴兄の周辺には凄物がゴロゴロしている筈だとにらんでいます。絶版書房では第四号か第五号で菅原さんのオブジェ趣味総特集をやります。とても「音」に関しては太刀打ち出来ないのでブツでやりますので、御用心願います。私はベーシーの丸テーブル、貴兄の定位置の、そのテーブル上の風景はいつも絶版ならぬ、絶品であると考えておりました。
ベーシーの暗闇の中にある物体は四〇年の音の洗礼で、あるいはシャワーをあびて、やっぱり何かが宿っているのでしょうね。
お体くれぐれもお気をつけて下さい。
二月八日
二〇時前 石山修武
石山さん
こちらはベトナム料理ならぬ韓国料理の「トロント」でスパゲッティを喰って、いま戻ったところです。ステレオサウンドの連載原稿をこれから一発片づけます。〆切りは守りませんが約束は守ります。「月曜日に会社に行くとちゃんとFAX入ってるから安心したまえ」と編集長を油断させといて、昨日までひたすら「音」と禅問答やってました。一月二日から始めて丸一ヶ月と一週間でようやくひとまずの決着つけました。いま一人でベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第三番ハ短調、作品 37 」を聴いております。ヴィルヘルム・バックハウスのピアノとウィーン・フィルの演奏です。心が洗われます。
爺さんの代には”宝物”いっぱいありましたが今は何んもないですよ。前にも言ったような気がしますが、僕が本物の”鉄”のぬくもりを知ったのは鉄道のレールのほかに、いつもぶっ放していたベルギー製とフランス製の水平二連銃のせいではなかったか?と今は思います。それはそれは素晴しいモノでした。あと、米国製レミントンのライフルね。これで高三の時岩手県のチャンピオンになりましたが、熊本国体出場は断って出ませんでした。スナイパーはお祭りに出てはいかんでしょうが。
今は「音」に的しぼって 40 年になりますが、根っこは変わってないんだと気が付いてます。
一点に的を絞ってこれを狙い撃ちする。ほかに野望のかけらもございません。
外はカチカチに冷え込んでおります。
2/8 ベイシー 菅原正二
『アニミズム周辺紀行1』にはたいへん刺激されました。
雑誌でも書籍でもなく、ただ、文字と図の塊として存在していることに、心を打たれました。
特に、本書の内部に描き込まれた絵のありようは、飾られる絵として自立することを自ら拒絶し、それでいて本の内部でじっと開かれるときを待っているようにも見え、読む者への、何か挑戦状のようなものにさえ、思えました。
一般に自費出版と言われる試みには枚挙に暇がありませんが、絶版書房は「読者に売り切ること」を前提としていることで、既存の出版のあり方に対する痛烈な批評となっているように感じます。
いわゆる出版社とはまったく異なるシステムで、こういった本が出されることが一体どういうことなのか、よく考え続けたいと思います。
私は個人的に、建築のフリーペーパーを出す活動に関わっているのですが、その最新号を出すイベントから戻ってきた日に本書を手にすることができ、また、なにか良からぬ決意のようなものが、ふつふつと湧いてきたように、自覚されました。
第二回配本が届きますことを心待ちにしております。
ありがとうございました。
山崎泰寛
京都市 山崎泰寛さま
「アニミズム周辺紀行1」お手にしていただきありがとうございます。又、メディアの形そのものに対して反応して下さって感謝しています。
御自身のメディアで色々と苦労されて、考えているのだろうなと解りました。
何とか一冊目の在庫が予想していたよりも早く無くなりそうで、昨日印刷屋さんに支払うお金がようやく確保できました。
自転車操業ならぬ竹馬操業が現実なのです。自転者みたいに速くは走れませんが、竹馬ですから歩みを止めた途端に倒れますので、気力と体力だけが頼りです。
12 冊までを第一段階として考えております。極小なネット事業でもありますから、日々、ネットと交信しているようなもので、本のスタイルをとってはいますが、私としてはネットの一部に入り込んでいるという意識があります。三冊目のアニミズム紀行3「ひろしまハウス」までは大体内容もフィックスしていますが、日々のネットを眺め、皆さんと交信しながら、四冊目からの予定は微修正しなければと考えています。
色々とアドヴァイスをいただければ幸いです。
今のところは、御指摘いただいた手描きドローイングと印刷活字の組み合わせ、そして、発行部数の想定、さらにはネットとのコンビネーションのアイディアを切りひらくのを目標としたいと考えています。
二月八日 石山修武
ベイシイ 菅原正二さま
何ともうすら寒い、冬の日曜日ですが、一つクェッションがあります。
レコードジャケットの名作というのは、貴兄の如き音の深みにはまっている人間にはあるものなのでしょうか。ライカのデザインの視覚にうったえるのは良くわかるような気もするのですが、いわゆる平面、グラフィクなデザインにもそれらしきは在りますか。お尋ねしたい。
二月八日 石山修武
石山さん
レコードはそもそも「ジャケット・デザイン」で買うものです。デザインに内容が表われるからです。今は全滅ですが、昔のレコード・ジャケットはそのま「アート」であります。いいのが沢山あります。並べて飾るとちょっとした「美術館」になりますよ。ボク、いっぱい持ってるから最期は「レコード・ジャケット美術館」というものを造って後世に遺しましょうかね。こうなりますと「音」は出すまでもありません。「写真」「レタリング」「グラフィック」・・・全てがこの 30 センチ四方の中にあります。僕のセンスは多分にジャケット・デザインから影響を(知らズ知らズ)受けたものといって過言になりません。
有名カメラマンもかなりかかわってます。エルスケン、アーノルド・ニューマン、過日死去したウィリアム・クラクストン・・・いっぱいおります。
「写真」としてはオーネット・コールマンの「アット・ザ・ゴールデンサークル/ストックホルム」がカンペキ(!)ですネ。「グラフィック」としてはジャッキー・マクリーンの「イッツ・タイム!」なんてのが、いいですよ。
且つて「ジャズ」はあらゆるものに先行しておりましたからね、センスいいんです。
この話、長くなりますよ。
2/8 ベイシー 菅原正二
石山修武さま
一月はあっという間で、「立春とは名ばかりで・・・」の立春を迎えました。
さて、本日研究室の渡辺さんのパソコンへ鬼子母神像の作りかけの写真データを送信させていただきました。
「顔の表情」「衣の感じ」を特に御覧頂きたいと思います。
衣は組み立てるとき、4枚のパーツの重なり方がほんの少し変化すると思いますが、だいたい今の感じで進めていっても良いでしょうか。
顔の方はこれから膨らみを持った頭部と平板な顔を溶接してゆきます。後戻りできなくなりますので、御意見、ご指示がありましたらお早めに伝えて下さい。他に実際に製作していて最初にスケッチで確認し合っていたものより変わってきたところがあります(3ヶ所)。大きな異なりではないのですがお伝えしておきたいと思います。
2009. 02. 04.
木本一之
最も重要な顔の表情ですが、送っていただいた写真を見て、これでベストだと思いました。これでお願いいたします。色について、のイメージをお知らせ下さい。
石山修武
こんにちわ。
「アニミズム周辺紀行2」について申込みさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
「アニミズム周辺紀行1」については,1/28に届きました。
ありがとうございました。
ドローイングに描いていただいた「キルティプール計画」とは何かなあ, と思って調べるとネパールなんですね。
石山さんの世田谷美術館の展覧会カタログに載っているかなあ, と思って調べたらありました。風車は絵にはなかったようですけど。
この展覧会のカタログは,ざっと眺めただけで, 買ったまま良く読んでいなかったのですが, 絶版書房のエキスがすごくつまっていそうですね。
こちらももう一度読んでみたいと思います。
仙台市 A・T氏へ
展覧会のカタログの私の文章は全て書き下しのものです。お買いになって下さったのであれば是非御一読下さい。キルデプールはカトマンドゥ盆地を望む丘の一大集落です。丘には二つの中心があり、一つはヒンドゥー教のシヴァ神殿、もう一つは仏教徒のストゥーパで、異なる宗教を持つ民族が共存している珍しい場所です。
遠くにヒマラヤの白い峰々を望み、とても好い風が吹きます。この丘全体を風エネルギーで電気を自給させる計画を持っています。
石山修武
嬉しい計算間違いがありました。想定していた二月十五日前に、第一回配本「アニミズム周辺紀行1」は絶版できそうです。お約束していた残部二〇部より値上げするという資本主義的あざとさは、今回は御礼の意も込めて止めます。
二〇〇部全部、固定価格で頒布いたします。ただし二〇〇部を超えて、二〇一、二〇二、二〇三の三冊だけはオークションにいたします。その日取りはおってお知らせいたします。
追)残部はメールをいただいた順序通りに頒布します。
石山修武
私の研究室の一期生柳本氏から通信をいただいた。身内の通信なので公開するのは、とはばかられたが、何となく皆さんの元気の為にもなろうかと思われ、公開させていただく事にした。
柳本氏は平塚で工務店経営をするかたわら、タイガースショップなるモノを全国展開している事業家である。
謹啓 ご無沙汰しております。一期生の柳本でございます。毎度、世田谷村日記を読み、毎日の生きる糧としております。
さてこの度は、貴重な限定本「アニミズム周辺紀行1」をお送り頂きまして誠にありがとうございました。私のような者が貴重な一冊を頂いてしまって良いものかどうか随分と悩みましたが、厚かましくも思い切って注文させて頂きました。
私が石山研究室を巣立って早 20 年が経ちます。お送り頂きました本のページをめくるたび、お世話になった2年間の出来事をハッキリと思い出します。特に天童、烏山、大内宿、幻庵、松崎、気仙沼、高山、そして大阪。カトマンズ、バンコク、インド、バリ島。まさに「ガキ」から「大人」への強烈な一歩を刻み込んだ人生の最も濃厚な2年間でございました。
今、巷では 100 年に一度の大不況だと騒がしいですが、弱小企業だからこそ、舞の海のように小股をくぐって生きぬいてやろうと思ってはおりますが、現実は途方に暮れるくらい本当に厳しいです。あの2年間がなかったら、この波に簡単に飲み込まれていただろうと思います。石山先生から学んだうちの一つ「耐える」精神をもって、なんとかオンボロ舟で航海を続けていくつもりです。
どうか石山先生もお元気でお過ごし下さいませ。
絶版書房第二回配本も楽しみにしております。
敬具
平成 20 年 2 月 2 日
柳本康城
ウェブを拝見して、毛色が随分違うと思いながらも、メールを送ります。もし、本名のほうがよければ、本名でもかまいませんし、趣旨とあわなければ破棄してくださってかまいません。以下ご都合の良いようにお使いください。
『アニミズム周辺紀行1』(絶版書房)
石山修武の文章が大好きだ。ミシンから高度経済成長を読み解いたり、ジャズ喫茶からT型フォードにニューテクノロジー、飛行機からミサイルに話が飛んだりするのは、ちょっと普通じゃない。大体、本というものには目次があって、何が書いてあるのかがわかる仕組みになっているのだけれども、『アニミズム周辺紀行1』の目次を読んでも何が書いてあるのか、当然のようにわからない。まさか韓国紀行を読んでいてデカン高原にでくわすとは思わない。
白石かずこは深沢七郎のエッセイを評して、「目次とか題とかいうんじゃなくて、一ページ読むでしょ、広げるでしょ、次になにが出てくるかわからない」といい、「ほかの人のは、印刷した文字みたいに、なんかみんなおなじに感じる」と切り捨てた。石山修武の文章は、石山修武にしか書けない。当たり前だが、石山修武の文章を読もうと思ったら、石山修武の本を買うしかない。一行一行が生きている。次のページで何がおこるかわからない。思わぬところから阿佐田哲也がひょっこり顔を出したり、マルセル・デュシャンを三行で切り取ってみせたりするから、目が離せない。法然から菅原正二に、菅原正二からアジャンタの窟院と一見なんの関係ももたない人と物が、音を通じてアニミズムの世界へとつながっていくその展開には、頁をたぐる手が止まらない。
あっという間に読み終わり、しばし茫然としていたら、ラジオを消し忘れていたことに気がついた。
三砂慶明 26歳
三砂慶明さんの交信の要は「ウェブを拝見して、毛色が随分違うと思いながらも・・・」という冒頭の一言である。
こういう一言に私は緊張する。三砂さんは、恐らく交信のページを読んで下さって、何かしら異和感を感じたのだろう。
しかし三砂さん、私がメールの交信を始めるなんて事は私、私とうるさいでしょうが、清水の舞台から飛び降りるも同然で、実に大革命なのです。チェと舌打ちしないゲバラなのです。栃木のA・A氏からも交信が入り「・・・それに懲りて萎縮しすぎると、こういったメールを書く事もためらわれてしまいますので、どうか・・・」というようなていねいな内容で、こちらの方が恐縮して油汗をかいてしまうのです。深沢七郎には残念ながら、お目にかかる事は出来ませんでしたが、友人の佐藤健が彼のラブミー牧場で、七郎氏の用心棒をしていたので、健さんから良く話を聞きました。深沢七郎が筆禍を犯し、中央公論だったかの社長夫人が右翼に殺され、当人も狙われたそれで用心棒が必要になりました。用心棒といっても佐藤健は毎日新聞記者でした。そんな事もあって、深沢七郎、私も深い関心を寄せている人物、作家でした。彼の愛用のギターがあって、カタミ分けで佐藤健がゆずり受け、部屋に大事に飾ってありました。それがうらやましくて、「健さん、コレくれよ」と言ったら、「ダメ」と言われてビックリした記憶もあります。彼は、クレと言ったら、何でもクレた人間でしたから、佐藤健は居なくなりましたが、時に思い出すと、必ずアノ、深沢七郎のギターもついてきて思い出すのが不思議です。
三砂さんは白石かずこを読んでいるんだなあ、と知りました。それに興味を持ちました。
しかし、やり始めた事ですから、投げ出しませんが、ネットでの交信はまことにエネルギーを要するものですね。
栃木のA・Aさんには少し間をおいて、書いて下さった事に応えたいと思います。
お互いに交信のポイントというか、ルールの如きを段々に作ってゆく必要もあるでしょう。交信は例えサイト上の対話であろうとも、深めれば、深める程に必ず傷つくものですし、それは余り嬉しくはない。でも馴れ合いはイヤだし。気楽に、しかも時にザラザラと速力をもたせてやりたいと思います。
石山修武
丹羽編集長、英文TOPページ、和文TOPページ少し改良されて良くなりました。基本的にはTOPページのヴィジュアルも「アニミズム紀行」に関連させたものをしばらくは続けたい。「ツリーハウス」は私の考えているアニミズムへのゲートとしては入門編になると思いますので、異なるショットを今週中は連続させましょう。世界各国からのヒット数を見ていると、私の英語力の問題に難ありの中で、日本国内のヒット数と比較すれば驚くべき拡がりを持つのは歴然としています。英文TOPページのヒット数に留意したいと思います。二月はここのバージョンアップに注力して下さい。海外からの読者はこのページを通っているのだろうか。
「アニミズム周辺紀行1」本日只今届きました。ありがとうございます。何んたって「絶版書房」はいいです!
本日、外はベタ雪で荒れ模様。読書には好都合であります。
のちほどまたFAX通信させて頂きます。
坂田明が宮城県・塩釜に来ておりますが、今夕のコンサートに交通の乱れが心配されます。
1/31 ベイシー 菅原正二
ベイシイ菅原正二さま
FAXありがとうございました。朝日新聞連載のライカの話は面白かった。僕はずい分前、ニコンのF4というカメラを愛用した事がありました。デッカクて重い奴です。オートドライブでシャッター音は仲々いかしてた。
ヒマラヤの高地に行った時、廻りはそれはそれは、それこそ神々がざわめいている様な風景でしたが、酸素が薄くて体力を消耗してしまった僕は、ヒマラヤの峰々を撮るどころか、ニコンのF4の重さがイヤで、と言うよりも持ってられずにそれを捨てようと思いました。
どうやら、それ以来カメラにはほとんど関心が無くなりました。写真は好きなんですけどね。
しかし、貴兄のライカへの偏愛振りは前から好ましいものだと考えておりました。
ベイシーの扉に不都合がおきたら、お知らせ下さい。ドア・ノブを一つプレゼントしたいと思います。
これも又、何年も前にドイツの学生達にドア・ノブをデザインせよと問題を課したら、日本のドアは皆自動ドアなのに、そんなデザインは日本の現実から外れていると、批判され、ビックリしました。驚きながらも、
「君、ゲーテのファウスト読んだ事あるの。ゲーテのドイツの若者がそんなバカな事言っちゃあいけないよ」
と何とか切り返しました。
ゲーテのファウストはアニミズムの極みの一つですが(チョッと古過ぎますが)、ライカのデザインにもそういうところを貴兄は感じ取っているのであろうと推測しております。
二月一日 石山修武
石山さん
マルセル・デュシャン(ローズ・セラヴィ)をマン・レイが撮った肖像写真、覚えがあります。マン・レイという名前は響きがいいです。この出だしの話、とてもとても面白い!ゆうべは隣りの「仁屋」の閉店見舞パーティーで「本」は最初のほうしかまだ読んでませんが「絶版書房」は絶版まで続くと確信します。ファンが増えると思いますね。
いま仙台駅の坂田から電話あり。ゆうべ(塩釜で)午前三時までトコトン飲んだので今日は「ベイシー」に立ち寄らずこのまま東京へ帰るといって帰りました。そんなこったと思いましたけど。
その「ドア・ノブ」はベイシーの「スウェーディッシュ・マッチドア」に取り付けられますかネ。こっちのはシリンダーとドア・ノブが別々になってます。シリンダー・キーは自宅の「ツアイス・イコン」製とよく似てます。一方、ドア・ノブのほうのデザインはいたって平凡なので何かギョッとするようなものでしたら付け代えたい気分であります。「 40 周年」だし。
ニコン「F」と「F4」は重いです。
ライカはですネー「ズッシリと軽い」のであります。この「ズッシリ軽い」というのはカウント・ベイシー楽団のノリもそうなんです。つまり、この状態がすべからく僕の理想とする状態を指します。軽すぎるのは問題外として、ズッシリ重すぎるのも、ちょっと・・・。適度な“軽ろみ”がないとネ。
それで、そういう「音」を出したいのであります。出してますけど。
2/1 ベイシー 菅原正二
栃木県のA・A氏からの交信1、そして2は「アニミズム紀行1」が到着したという連絡であり2は初読後の印象である。
A・A氏は難波先生よりも視覚的な人らしく、ドローイングにも反応して下さったようだが、第2信は仲々に私にとっては厳しいものである。
「アニミズム紀行」という題はいささかどころか、かなり危ない、誤解されやすいものなのは自覚していた。
石山さま 研究室の皆さま
昨日無事に2冊届きました。
まだドローイングをチラ見させて頂いただけで、本文を読んでおりませんが、手抜き無く且つスピード感ある絵を見ただけで、嬉しくなってきます。
本当にご苦労さまですという言葉しか思い浮かびません。
もっと冊数多く購入したいという思いもありますが、勝手な考えですが、先生の思いはより多くの人達との繋がりというか縁というかを望まれているような気がしますので、2冊に留める事に致しました。
今後も相当なペースで発刊されるようですので、期待して居ります。
A・A氏はUFO遭遇体験がある人のようで,実は私は昔、雑誌「室内」(現在休刊)の取材でアイヌの聖地・北海道二風谷の近くのUFO観察者たちが建設した、巨大な観測基地の廃墟を視た事もある。
故、毛綱モン太はUFOを信じていた。しかし、彼の名作「反住器」は極度にコンセプチュアルな思考自体が、ユングとは異なる径路で神秘主義に接近してゆく宿命の、ギリギリのエッジにとどまっていた。それ故に歴史的名作である。今でも。
昨日のメールでは、これから送って頂いた第1刊を読み始める旨を記しましたが、思いの外早く本日読み終わる事が出来ました。
読み終わったといっても、内容を咀嚼出来たかと問われれば、?と答えるしか有りませんが‥
まだ未消化の感想を述べさせて頂ければ、先生のブログの文章より読み易かったなという事、挿入されているスケッチも普通に上手いな(失礼極まりない言い様をお許し下さい)という単純至極なもので、アニミズムというものにも近づけていないようで‥
UFOに関しては存在を確信する出来事があったので、100%信じていますが、霊的なことは確信出来るような実体験無く判断が難しいところです。
ただ一つの事を長期間真剣に取り組んでいると、大袈裟に言えば第6感が働くようになる事は大いに有り得る事だと思います。
現代の風潮では科学で証明出来ない事、証拠が無い事は起こりえない事、非科学的なこととして否定されていますが、実際は科学で証明されない事、だけで否定するのは必要十分条件では無い事は自明の理です。
そういった意味では精霊的な事、霊的な事柄を否定出来ないと思います。
私自身どちらかといえば熱心に宗教を信じる方ではないと自覚していますが、一定の尊敬を持って接するべきではないかと思っています。
私の若い時の作品である「幻庵」はこれから、特に「アニミズム紀行2」で述べ始めたいと考えている、工業化時代のアニミズムを初歩的に顕現したものでありました。A・Aさん、勿論、私の文のいたらぬところではあるのですが、できれば「幻庵」の小さな写真を眺めながら、アニミズム紀行1&2をお読み下さると解りやすいかも知れません。UFOのコト教えて下さい。失礼ですがおいくつでしょうか。
舞台の下手より、広島のK氏登場する。この人もイニシャルでなくとも良いと言うので実名である。
どうもこの実名登場が多いのも、やらせではないかの疑いを持たれる感もあり、問題である。問題ではないか。そう、問題ではない。
木本一之氏は時に私の協同者である。いつか、アントニオ・ガウディを越えちまう、鉄のかたまりを作ろうと念じてやまぬ鉄人である。協同者であるが、一切の上下関係はない。議論はするが、おたがいに命じたり、ただ従ったりもしない。まだ理想的とは言えぬが、人間関係も理想に近いモノにしようと鍛え合っている。木本さんは鉄を相手のブラックスミスでもあるから、どうやら鍛えるのは彼の方に一日の長がある。
何にしろこの人物は単独者である。広島の山中に独人工房を構えて、ビクともしない。
というのは余りにも俗な見方に過ぎない。私は時に木本一之さんの孤独を想像し、凍りつくような気持になる事さえある。チョッとこれは急ぎ足過ぎるな。余り急ぎ足になる事もあるまい。この人物も又、度々、舞台には登場していただく事になるだろうから。ゆっくり御紹介してゆく事にしたい。
「アニミズム周辺紀行1」を読んで
昨年秋に石山さんとのスケッチのやり取りで、プランだけは完成していた鬼子母神像の製作に独り試行錯誤しながら年を越し、今も作業を続けています。
紙の上での鉛筆の線は一筋ずつの曲線の重なりだったのですが、これをスケッチの印象どおりに鉄の板や塊で、実際の空間の中にかたちとして現そうとすると時間と根気が必要になりました。
毎日製作を続けていたそんな折、「アニミズム周辺紀行1」が郵便で届きました。
さっそく拝読すると、現実と非現実の世界を縦横無尽に巡るこの書物はまた、私にとってのみ理解できるであろう、もうひとつ別の風景をも密やかに薄っすらと、文脈の隙間に垣間見せてくれました。
韓国への旅で訪ねられた仮面ミュージアムのくだりでは、まだ幾枚かのスケッチの他は手がかりのない鬼子母神像の顔の表情のおぼろげが潜んでいるかのようにも感じられ、いやもしかして、昨年秋のスケッチの交信はこの地でご覧になった仮面の何かが石山さんの脳内にひっそりと宿り、原型となっていたのではと感じさせられもしました。
そして、更に読み進めてゆくと、以前石山さんとの協同で手がけた、河原の石を集めて積み上げ、鉄のフレームで固めて空中に浮かせた「石灯ろう」をふと思い起こしました。
完全ではないにしても石と鉄で構成されたかたちが、ある種の建築の予言と言えなくもないあのオブジェの姿が、一ノ関ベイシーに始まり、いにしえのデカン高原遺跡群を巡る音の神殿や、古建築や海外の街並みを巡る旅の風景の背後に感じ取れる、石山さんの中にある脳内神殿の気配と重なってみえたからです。
これまで石山さんと協同で手がけてきたいくつかのかたちの断片的な起源が、私にはこの本が向かった風景の所々に散りばめられている思いでした。
次号へも続く、旅の風景を記した文脈の背後に、またこれから始まる協同制作の道しるべがさりげなく語られていることと期待しています。
そして、まだまだ格闘の続く鬼子母神像は、「母の部屋」の守護神のごときに完成させたいと思っています。
木本一之
木本一之さんから頂いた通信文で一番嬉しかったのは、この一言でした。
「私にとってのみ理解できるであろう、もうひとつの・・・風景をも・・・垣間見せてくれました。」
二〇〇人の人を始まりにして、私が始めようとしている交信空間の、細部に宿る神 - すなわち - 私にとってのみ理解できるであろう、という読者の事。その可能性を考えようと思います。
私が書いた物に対して、そう考えている事の大事さこそ、まさに誰もが願っている事であると、気付かせてもくれるものでした。
木本一之さんとの交信は、実物にも変身する事が多くある。しかし、言葉のやり取りが、やがてスケッチのやり取りに進み、次に鉄の実物へと変化してゆくプロセスを公開できたら、まさにアニミズムの正体を開示する事にもなるでしょう。うまくいけば、アニミズムという古い苔むした言葉に代わる言葉を発見できるやも知れない。
今、何人かの「アニミズム紀行1」の読者にいただいた読後感他を、イニシャル表示でネットに登場していただけるかの確認作業をしてるので、それが終了する迄は登場人物は私にとってはどうも変わり映えせずに面白くもないが、読者にはいかがだろうか。イニシャルじゃなくても構わないよと言っていただいた、東京の難波和彦先生が先ず自然に登場してしまう。舞台上手から何の変哲も無い黒いスーツと黒い帽子の姿だ。
この人物は視覚人間ではないから、送った本にドローイングを一生懸命描き込んでも、全く甲斐も無かったが、案の定三層構造ならぬ、三層分離の仕分けから、その印象を述べ始めている。全く「僧院(尼寺)へ行け」のシェイクスピアの科白を投げかけてみたい人物であるのに変わりはない。しかしそのタイトさにみがきがかかってきたのも事実なのである。人物はコルビュジェに倣い自転車を愛用していたが、その自転車は黒々とした昔の郵便局のガッシリした標準型、これこそまさに無印良品で、ハンドル自体にも全く逃げが無く、三〇度左に切れば、キチンと三〇度、右へ十五度切ればキチンと+ー無しの十五度曲がるのを常としました。十五度+α、あるいは三〇度−βの世界は決して出現しないのです。
ウィトゲンシュタインの狂気程の事は無いと、いささか昔は考えていたのが、もしや、これは、箱の中の温度を計りまくる人間は狂気に近い物、すなわちアニミズムの枠に辿り着きつつあるのではないかと考えるに至っております。温度の高低で人間の想いは変わるまいと考える、〒印愛好家の私がおるのです。その精度の逃げの無さへの、視覚に非ず、知覚から傾きに、新種のアニミズムそのモノが宿っているのを本人はまだ知ろうともしないのです。ピューリストとはそういう者なのかも知れない。
「土地との結びつきを失った典型的な都会人である鈴木博之さんが土地の精霊(ゲニウス・ロキ)を追い求め、典型的な農民出身である僕が近代化に憧れて、あらゆる精霊から逃れようとしているのだとすれば、都市と農村を往還する石山さんは、土地から遊離して世界を漂う精霊を追い続けているのではないか。煎じ詰めれば、誰もが自分の欠落部分を埋める何モノかを探し求めているわけである。 」(青本往来記)
この三層ならぬ三枠分離は、おいおい考えつめてゆきたいと思っているが、アニミズムもゲニウス・ロキも近代だって、こんなに簡単に整理ダンスにしまわれてしまうものなのだろうか。今は、次回のアニミズム2の「空跳ぶ三輪車とアポロ十三号」に於いてはモノ作る事の悲しみに似た快楽、難波先生の用語ではライフ・スタイルと少し古いがオープン・システムとクローズド・システムについての思考の入口を示そうと考えているとだけ申し述べておきます。
こちらの能力不足で、スパリスパリと舞台の書割りの如くには整理できぬのは、忸怩たる思いもあるのですが、少し長い目で何号かはお附合い願いたいとだけ申し上げておきます。
しかし、難波先生、大兄の初期の名作、手許に資料が無いので固有名詞を特定できませんが、彼の故郷近くであったかの黒色の切妻屋根が形として残り、妻側に滑車の如きオブジェがゴオンと突き出ていたのが、確かありましたよ。私、ハッキリ記憶してます。アレは凄かったナァ。誰もあれを深く注目しなかったが、、私は実はコレワ面白い、何かあるぞと思っていました。凄いモノは心の内に収蔵しておくものですし、皆がイイネ、イイネなんてもてはやすモノは大体十年も経たぬ内に消えていってしまうのではありませんか。あの、オブジェというか、得体の知れぬ記号の如きは何だったのでしょうか。
あの、小さく、さり気なかったが異常な存在感のあった、街の中の電信柱のような位置を占めるモノの抽出の手つき、難波さんあれは、アニミズムの最奥に近い処まで辿り着く可能性を持っていたのではありますまいか。
街をデザインとして、取り込んでいたと、今になって思えば理解できるのではありますまいか。
あの住宅を見たのは、いつの事だったかハッキリ記憶にありません。僕も若い頃、あんなやり方で工業製品をブッキラ棒に建築に附加したり、デフォルメしたりのWORKをした事がありましたが、難波さんのアレはもう少し記号的になっていたところが、今想えば凄かったナァと思います。若い頃はこんな正直な事は決して言わなかった。そう言うのは死ぬのと同じだったから。
アレは何だったか。それ以降あの記号的な物、アニミズムそのもの、近代のアニミズム、都市のインフラストラクチャーのカケラを、家と共存させるWORKは大兄の作品から消えたまんまです。アノ、得体の知れぬ記号的な物体があるだけで、あの作品は見事に街と共存していたと、今にして想います。
アレは良かった。ロバート・べンチューリの老人の家の、TVアンテナの装飾の馬鹿臭いアイロニーもなく、グニョリと異物を街に突き出していた。アレを集合させると、現実を越える荘厳になり得ると思うのですが。
アレが大兄に対して最も欠落している部分と思われる装飾の荘厳に最も接近し得た記号の断片であった。映画に対する趣向が横溢している作家としての大兄の素顔がハッキリ出たものであったのではありませんか。
アレが箱の内外に体系的に統合できたら、箱の家は、その時初めて、オープン・システムの今のところの至高の表現、イームズのケーススタディー・ハウスをボキリと飛び越えるのではありませんか。
プロトタイプの概念規定に対しても、一度ゆっくり議論したいものです。