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石山修武 Pieces of Story | |||||||
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Nikki 2007/05/21 A piece of Story in Setagaya Village | |||||||
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世田谷村に落ちていたカケラである。開放系技術論にすでに書いたが、この土地には、有史以前も人が暮した可能性は薄い。家内の両親がこの土地を入手したのが六〇年程昔。当時はこの辺りは全て農地であった。 今の家を建てて、しばらくして、下に残してあった平家の築五十数年の家を取り壊した。その際に屋根瓦は再利用しようと考えて、大事に保管した。だからこのカケラは、その際にこの土地に残された一部であろう。 最近、小さな家庭用菜園を作り始めた。それで土地を随分掘り返した。石や、色んなカケラが出た。その一部は道端に捨てた。
そのカケラの一部をスケッチしたものだ。
最近は、良くスケッチをする。メモも日常的に書こうとしている。日記スタイル、友人との交信スタイル、エッセイスタイル、絵だけのモノ、とバラバラに多様である。我ながら垂れ流し状態だなコレワと気付いてはいる。
日記だけ読んでればイイヤの読者には、ウェブサイト上の記述や、画像がバラバラである事、そんな事はどうでも良い事であろう。しかし、開放系技術論を読んでヤローの読者には、物足りないものが残るだろう。
このスケッチは、バラバラに散逸し続ける私のウェブサイトに、一つの物語りの基準枠を設ける為の編集方法の物差しである。
開放系技術論、あるいは開放技術的実践とは、この一片のカケラから、本来存在していた全体像を復元するに酷似した世界観そのものなのであり、その全体世界をつくる方法たろうとする振舞いでもある。 |
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Setagayamura Nikki | |||||||
Nikki 2007/05/22 B piece of story in Dun Huang, the Gobi desert | |||||||
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敦煌千仏洞への砂漠中にある、二世紀に作られた豪族の墓近くに、転がっていた石片である。興味深いモノであったので持ち帰った。 敦煌の壁画よりも何よりも、それが目的で行ったのではなかった豪族の墓には仰天した。三、四階建くらいの塔状の直方体が完全に地中、砂漠の地下に埋まっている。その埋められた塔は実に見事な建築の姿をしていた。力強く、構築的で、建築物本来の記念碑的性格を見事に体現していた。ただし地表には、ほんの小さな土マンジュウしか姿を現していない。建築は地中に完全に埋設されていた。死者の永遠の眠りつまりその記憶を祈念しようとしたのだろう。 この石片は、その墓の建設と関係あるものかどうかは知らない。しかし、地上に現われていた小さな土マンジュウ状の丘の表面で見つけた。ただの石ではなさそうだ。表面に朱色の模様状の装飾がある。石に耐久性のある塗料が塗られて、それが千八百年程の時を経て、表面に固着したものなのか、どうか。それとも石本来が持っていた装飾紋様なのか、解らない。考古学者であればきっと調べようがあるのだろうが、そこまで調べる情熱が一向に湧かない。
要するに、この石の有様は、開放系技術世界のものではないのだ。A piece は明らかに、開放系技術世界への入口を示すものだ。しかし、この B piece は違う。 |
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Setagayamura Nikki | |||||||
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