区民農園で私の本を読む理由
石山修武

06

昨日の農文協のK氏との打合わせに発奮して、朝、少し計りのスケッチ。

72 区画のおじいさんの、前進基地とも言うべき、作業小屋とも呼ぶべきを描く。雰囲気に流れぬように、そして無味乾燥にならぬようにと心がける。

打合わせで提案されたように、サポート、ポールの結び目、及び結び方を丹念に見ようとする。

先ずその前にポールの数をチェック。72 区画は総計、大中小 30 本程の支柱の持主である事を知る。私よりも余程多い。ポールは市販の軽金属にコーティングされた普通のモノである。

結びに使用しているのが、不思議な布で、あでやかな、畳のフチのような細帯である。今度、これは何なのかを尋ねてみる。それが二〇本程、ストックしてある。それに、四、五本の多分これはクツヒモのお古。そして、古いタイプの細い麻ヒモ。

つまり、老人の野菜づくりベースキャンプの要は、恐らくは自宅での、古い物をほとんど皆再使用しているようだ。

キャンプ作りに使用している木片、他も全て小さな木片やベニヤの端切れである。

いきなり、22連続講義の初講であった、伴野一六邸のありし日の姿を思い起した。

そう言えば、この老人は伴野一六さんの面影がある。

伴野さんは海流が運んでくる世界のゴミを集めて、稀代の名作を作り上げた。マルセル・デュシャンなんてクソくらえ位のコンセプトに溢れていた。まさに言葉のまんま、世界の家であった。海流に運ばれたモノで作ったのだから。

72 区画の老人の野菜作りベースキャンプを改めて見直す。ここにも、凄い世界が表現されている。

こりゃ、ブリコラージュだな、レヴィ=ストロースの世界だ。ここで得た、スケッチの何葉かは22講の何処かに入れたい。

そういう眼で区民農園 125 区画全体を眺め渡してみると、こういう小さな前進基地を小屋の如くに作っている人と、全く作っていない人の二種族に分かれているのを知る。

今、やっている、チリのバルパライソの計画にも、都市内農園とも言うべきを組み込んでいる。

こういうささいな発見も、自分の仕事にある種の糸のような脈絡がありそうなのを知り、それは仲々嬉しいものである。

05

昨日、十月十八日に区民農園の 80 区画Aさんとおしゃべりしているうちに、いずれここで酒でも飲みましょうかと、あいなった。

農園の野菜のある風景の中で、日本酒でも、ワインでも、グビリ、グビリと飲めるのは、これは仲々のものじゃないかと思う。でも今はもう秋、誰もいない海って言う程センチメンタルじゃないが、少し寒い。長そでの季節である。

しかも、朝から二人で農園で日本酒飲んだりしたら、これは完全にただのアルコール依存症、つまりアル中である。それ位の事はわかる。だから、時間は夕方になる。そうしないと、こういう話は地域にパアッと拡がる。

私の今、準備している本の話はパアッと拡がらないで、

「農園で朝からお酒ですって、しかも一升ビンかかえて」

「イヤネェ。無残ね。ああはなってもらいたくない」

とこういう噂はパアッと、凄い速力で拡まるのだ。

で、そういう事には良く気がつく私はすぐにAさんに尋ねた。

「酒は何が好みですか」

「何でも。でも和食が好きなんで、やっぱり日本酒になりますね」

と最悪の状況になった。

もう夕方といっても薄暗い、そしてやはり無常感がはりつめる。

何しろ秋だから。季節には逆らえない。

でいきなり、ウィスキーにしよう、しかも洋モノのガツーンとハードな奴。ワインはこの無常感には合わない。アレはやっぱり、何といっても女性の飲みモノだ。間違っていてもそうだ。男が二人で飲むモノではない。

「私の彫刻家の友人、先生なんですけど、それがですね、作品が一つ出来ると電話してきて、五時に来い。酒でも飲んで、その作品の良し悪しを評せよって言うんですよ」

とおっしゃる。「それじゃ、会えなくても、会えても五時にしましょう」

という事で別れた。一歩前進である。何が前進なのかわからんけど。

早速、夕方五時にウィスキー、ピュアーモルトを持って農園に行ったが、Aさんは居なかった。いつの事になるやら。

僕の方の、本の準備は急速に進行中である。

校正しながら、本の題名と、厚さが問題だなあと痛感している。世田谷美術館で真夏の夜の連続講義だったのだけれど、21 回の講義は大学院の講義よりは、水準は上である。かつ、読みやすい。

タイトルは工夫が必要だ。

シェイクスピア風に「真夏の夜の夢」と、実際の講義はしたのだけれど、発売が今冬だから、しっくりこない。

真冬の夜の夢は寒くて、こごえそうでしぼみ気味になりそうだ。

NTT出版としては二分冊の様子見出版計画にしたいようだが、私としては厚くても、高くても構わない。一冊で部厚くいきたい。

そうするとやはり売れないのは歴然としている。四千円近くになる。

だからこそ、自分なりの宣伝をしなくてはならない。で「区民農園で私の本を読む計画」と一気に突っ走る羽目になったのだ。

04

昨日に続いて、今早朝の区民農園に出かけた。今朝で、すでに 7 区画の畑の平面図をとった。建築図面で飾りで描く樹木、草花と全くちがって、畑の平面は野菜が主役で、仲々、描くにむづかしいが、面白くもある。

九月十一日は六時前だというのに、二名の方がすでに畑仕事に精を出していた。

52 区画の男性に声を掛けた。

「畑の平面とらしていただいて、いいですか」

やはりどうしたってギョッとするであろう、声のかけ方だ。

しかし、老人、少しも騒がず、

「どうぞ」

すかさず、

「失礼ですけど、おいくつでしょうか」

「八十四です。畑は好きだから、もう二〇年くらいやってます。」

そうか、今の私の年令くらいからの畑作りキャリアなのだ。それなら私にだって、チャンスあるな。

老人は黒い短長グツに、黒の短パン、帽子をかぶっている。蚊にやられない体質なのであろうか。60cm くらいのうねを六本作り込んでいる。そこに、それぞれ春菊、小松菜、ほうれん草、サニーレタス、大根、ブロッコリ、ニラ等をこまめに作り分けている。

今朝はサニーレタスと春菊の種をまいていた。手でうねに溝を入れている。軍手もしていない。

「下手なんですけど、好きでね、健康にもいいし」とつぶやく。

初対面だし、まだ名前は尋ねない。ゆっくりやるのだ。

この老人の畑は、珍しく、今のところ一切ネットらしきを使用していない。私が小学生の頃の畑の風景を想わせる。

「あちらの畑にも 84 才の方おられますよ」

「ホーッ、そうですか」

72 区画の老人とは知り合いではないようだ。そう言えば、昨日、80 区画の同業者、はからずも私と同い年であったが、彼がここでは皆でやる集会とか集まりの類は一切ありませんと言ったっけ。老人ホームではないんだからなあ。でも皆さん、本当にお元気だ。

15 区画の女性に勇をこして声をかける。

「畑の略図とらしていただいてよろしいでしょうか」

「畑関係の方でしょうか。何か記録でもとるんですか?」

「イエ、近くに住んでる者で、面白くてスケッチしてるだけです」

「どうぞ、どうぞ」

「失礼ですけど、おいくつでしょうか」

「・・・・・・。年寄りです。七〇超えてます」

「七十二、三でしょうか」

「ウフフ、もっと上、でもそんなもんです」

この方の畑は実に多種多様である。

菊の花を四隅に植え込み、ネギ、大根、ほうれん草、オクラなどをキチンと区画して、しかも散在させている。

「随分、丹念に色々とやってますね。」

「今年でこの畑終わりなんです。だから、余った種みんなまいちゃったの」

そうか、そういう事情であったか。色んな事情は畑の姿にも現れるものなんだ。

今年の四月十一日以来久し振りにSさんに再会する。Sさんは、人なつっこく、社交的な人柄で、今朝はチョッと様子を見に来ただけのようだ。111 区画の近くの別の区画に水をやっていた。

「仲間が病気になっちゃって、それで水だけはやっておくんだ」

この人物の畑は実に建築的な畑で、四角く、ポールがきちんと建て込まれ、一部に斜材まで入れられている。ネットでグルリと囲い、入口が片開きである。

恐らく、全区画で一番の、道具や仕立てにこっている。20 年間点々と畑を動いたと言っていたから、市民、区民農園のセミプロなのだろう。したがって仲間も多いようだ。

「ここは十年になる。何しろ、今年は陽が照らなくって、ホラ、5mもはなれていない別の畑とウチの畑は全くちがうでしょう。南隣りに大木があるから、日照時間がまるでちがうんだ。サトイモの菜っぱの大きさ、全然ちがうでしょう。本当に畑は微妙なの」

「これ唐辛子ですね、姿いいですね」

「コレはね、京都のまんがん寺唐辛子っていうの」

「どんな字ですか、まんがん寺は」

「うん、片カナしか知らないよ、持ってく」

「ありがとうございます」

という訳で、マンガンジ唐辛子をきちんと立派なハサミで切って下さった。

「本当、今年は雨が多くてね、きゅうりなんか、途中でやめちゃった」

そうか、どうりで私の畑のキュウリを全滅だったな。ウチだけではなかったんだ。

72 区画、80 区画、111 区画の方々はインタビューしやすいな。

でも、今日で 10 名程の人間と顔見知りにはなれた。

03

開始早々、タイトルを変えてみた。こういう事がネットの強みだ。九月九日早朝、二階から区民農園の方角を眺めていたら、人影が見えるような気がする。気は乗らなかったが、他にする事もないので、ママチャリで寄ってみた。何しろ今年末迄に、私の本を手にしてもらう計画を立ててしまったのだから仕方ない。中途半端はいけない。記録用の部厚いノートも持つ。カメラはまだ良くない。何しろ、ほとんどが初対面の人だから用心しなくてはいけない。何がおきるか解らない。

前に遠くからスケッチした事がある 27 区画の女性が、あのスケッチの感じをハッキリと思い起す位の見事な姿、動作で仕事していた。「おいくつですか」「幾つに見える」「ウーン」「もう 70 超えてるわよ」「そうですか、72、3 かな」「マアそうしときましょ」

やっぱり、幾つになろうとも、女性に年を尋ねるのは用心しなくてはと思い知る。

「もうゴーヤは終りですか」

「ゴーヤはおわり」

この人のゴーヤ棚は見事なのだ。それに畑の北と南に菊の花を植えているのが特色だ。背丈程に育ったトマトから、小さな実を十個程採取している。この方は、他の区画の世話もしているようで、区民農園でも出色の働き者のように見受ける。

入口道路ワキに停めてあった赤い自転車は彼女のモノかな。

すぐ近くの 54 区画の女性の菜園はブルーベリー主体で洋風の趣向である。丹念に草取りをしておられた。蚊取り線香を地面においている。

52 区画の男性は 75 才くらいかな、なんとなく、まだ年など聞いてはならぬと気持が言う。

「おはようございます」

「おはよう」

と、堂々たる、おおような朝のあいさつである。あいさつの響きから長く人の上に立っていた人のようにお見受けする。でも決してイヤ味ではない。この人物にもいずれインタビューしなくては。

51 区画の女性には初めてお目にかかった。ブロッコリの苗を植え込んでいる。とても丹念な人のように見える。畑も野菜が多種で、見た目にもバランスがとれている。

「おはようございます」

「ハイ」

他には 16 区画の男性。もう一人壮年の男性が足早に農園を去っていく後姿だけを見た。

六時半の区民農園には女性3名、男性3名の姿があった。ひと廻りして菜園の姿だけから判断し、幾つかのインタビュー候補をピックアップする。

96 区画の畑だけがネギ一本槍である。他は皆何種類かの野菜を育成しているので非常に際立っている。是非インタビューしたい。43 区画の南側の朝顔の花がとても美しい。

81 区画のひまわりの花の大きい事。65 区画の赤い巨大なケイトの花木の意味は?このまだ見ぬ人の菜園を「紅はこべ」と勝手に名付けた。子供の頃確か紙芝居で黄金バットと同じ位にヒーローであったな「紅はこべ」は。どんな人物が育てたのか、人間に会うのが非常に楽しみである。

しかし、先ずは、72 区画、80 区画、そして今朝会った 27 区画の人々から始める事にする。

早春に彼等は印象深かったので、すでに人物スケッチはしてあるので。

02

九月八日、早速「現代農業」農文協の甲斐氏に連絡。「区民農園の人々」「区民農園の四季」の連載やりたいのでと、売り込む。不況一色の出版界で異例の好成績を積み上げている農業ジャーナリズムのメジャーである。

これこれこうで、こうなんだけど、と話した。

「面白そうじゃないの。絵や写真も入るんでしょ」

「勿論、もう沢山スケッチしてるもん」

「やってみようか。僕の担当が年4回だから、先ずそんな感じで次号から、やってみよう」

となった。持つべきは知り合いである。甲斐編集長は結城登美雄さん、高野孟氏(インサイダー編集長)等と始めた農村研究会を、何度か共にしたので気心も知れている。

早速、構想を固めて農文協に送る事になった。

これで、区民農園ブラリ散歩は、区民農園の人々の取材となり、写真、見取り図、スケッチ作成、そしてインタビューの仕事になる。

それよりも、125 区画の人々に現代農業というメジャーな活字メディアの取材という目的で会う機会が得られるのが嬉しい。私のウェブサイトの取材です、では、何やらうさん臭いし、お年をめした方が区民農園には多いようだから、この方法は我ながらよろしいと思う。

ただし、125 区画の中には恐らく取材はいやだという人もいるに違いない。あんまり無理しないで、とり敢えずは3名X4=12人位の人々の取材から始めてみたい。150 歩で辿り着ける場所がフィールドだから、ほとんど毎日のように取材できるのが強みである。

早速、72 区画の大好きなおじいさんから、そして 80 区画の同業者から始めてみよう。あるいは、一番難しそうな人からやってみるのが正道かな。しかし、いずれ私の菜園も自己取材しなければならぬのは眼に視えているので、やっぱり、そりゃ見栄もあるし、少しはマシな状態にしておかねばならないだろう。

連載のはじまりは先ず自己紹介から入らなくてはならない。「現代農業」の読者は私を全く知らない筈だから。

01

トップページで表明しているように、あらゆる場所、あらゆるモノに命名するって事は、デザインの始まりの重要な一つです。で、九月八日付の世田谷村日記「ある種族へ」の種族へのメッセージとして、小さな連載を始める事にしました。

世田谷村から歩いて、一分半、歩数にして、正確に 150 歩のところに広い区民農園があります。

一区画 3m X 5m の畑が 125 区画あるのです。最近、自分の畑で秋まきの野菜をやろうと思い立ち、雑草だらけの廃園になり下がった畑を再生しようと四苦八苦してますが、本格的に野菜づくりを学ぼうとも思い立ち、毎日早朝に区民農園を訪ねる日々になりました。

いつか徹底的に、箱モノと市民たちから毛嫌いされている風がある悪名代官みたいな建築と、農・食とを結びつけたいと考えてます。

それは、「水の神殿」「時の倉庫」の建設をページで見ていただければ、まだ変にしか視えないところもあるけれど、成程ねと思わぬでもなかろうと、いささか自負していますが、それはやっぱり建設畑からの視界でしかない。市民、農、食の側からの視界、視点を自分でも持ちたいと考えます。

で、いきなりですが、この区民農園の方々に、私の、年末位に発売予定の、手抜き一切無し、ガツーンとハードな建築本と、私にとっては未知との遭遇としか言いようのない菜園家の方々に読んでいただく、工夫、まあ作戦といった方が良ろしいかな、それを実行する事にしました。

その、恐らくはドンキホーテみたいになりかねぬ、まあなるでしょう、日々を皆さんに公開したいと思います。

125 区画の人々は私にとって、ほとんどたまたま同じ電車、同じバスに乗り合わせた見ず知らずの人達と全く同じです。この人達が私の建築本を読んで下さる工作をいたします。これが出来れば、本当に面白いです。出来ないでしょうが。

早速、区民農園に出掛けたらただ一人男性のお年寄り、93 区画の方がしゃがんで、草取り他をしていた。「今日は」とあいさつをしたが、ニカッと笑ってくれただけ、この人に建築本はとても駄目そうで、気が遠くなるようだ。

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