「飾りのついた家」組合

HOUSE DECORATING GUILD
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「飾りのついた家」組合日誌

2013.09

「飾りのついた家」組合 日誌 04

[2013/09/28]

途中を全部省きますが、以下の通りの通信が入っています。

組合としては菅原正二は要ですのでよろしくお願いいたします。

10月24日に世田谷区烏山地区でフォークドリーマーズによるライブが決定しました。「飾りのついた家」組合が主催します。

坂田明のライブを次に企画しています。又、盲目の歌手長谷川キヨシのライブも続けます。

ライブの会員も募集しています。

半年6回の会員が500円です。

お知らせ、チケット割引の特典があります。

申し込んで下さい。「まちづくり支援センター」まで。又、余計なことかも知れませんが、10月14日に、石山修武と長崎屋のジジイ、三浦留次との高尾山ツアーを行います。

三浦留次についてはおってお知らせいたしますが、良いオヤジです。高尾山の旅を組合にて主催いたします。

老若男女問わずご参加下さいますようお願い申し上げます。

2013年9月27日 石山修武

「飾りのついた家」組合 日誌 03

[2013/09/24]

一関ジャズ喫茶ベイシー店主菅原正二にFAXした。

「飾りのついた四輪馬車」の飾りについてである。

以下に全文を掲載する。菅原さんのFAX文面はいつも見事なコレワ芸である。

何故飾りのついた四輪馬車について尋ねたか?

第1にモダーンジャズで解らない事はベイシーの菅原正二に尋ねる。これはわたくしにとって常識である。

第2に「飾りのついた四輪馬車」はわたくしの1975年作品幻庵に関係がある。

わたくしは出来たばかりの幻庵で、マイルス・デイビスのこの曲を聴いて、ぞっこんほれ込んだ。

第3にどうやらその記憶があって「飾りのついた四輪馬車」のいわれを知りたかった。つまり「飾りのついた家」の組合の名の語源かなと考えたりもした。

第4にマイルス・デイビスの飾りのついた四輪馬車はバラードでありいささかのメランコリーが吹き込まれていて、もしや組合の門出にふさわしくない黒人の葬式あるいは葬列と関係しているのではないかと、少し不安だったから。

第5、これが結論だが、この曲は「オクラホマ」の主題歌であったそうで、菅原さんも言うように、明るく楽しい曲であったモノが源であるので、縁起の悪いものではないようで、組合の名前としては問題が無さそうである。

2013年9月24日 石山修武

「飾りのついた家」組合 日誌 02

[2013/09/24]

10月のはじめに予定しているヘイ・ギャラリーにはすでに「烏絵馬」2点、「大烏」1点が展示されている。ソバ屋宗柳の前の石森邸のヘイと竹ヤブに吊るされている。

昨日、9月21日の夕方に眺めてしばし考えた。これにグラスファイバー製のオブジェクトが4点追加されての正式オープンは、いささか寂しいかなと。あんまり始まりを頑張っては息が切れて長続きはしない。それはもう知っている。大体、わたくしの作品の出展が「烏絵馬」だけというのは、やはりどうしても良ろしくない。熟考して世田谷村に隠し持っている波板ブリキ製の自信作の椅子を出展することにした。名前はまだ無い。これから命名する。そう決めたら、もう一つの世田谷村保管品「遠眼鏡」を想い起こした。これはいづれ、いはれを重々しく記すことにするけれど、2008年の世田谷村美術館のわたくしの展覧会に際して、広島の金属造形家木本一之さんに依頼して製作していただいたものだ。わたくしが大方のディレクションをした。共同制作物である。手放したくなかったので売ることもしなかった。それが今、世田谷村で洗濯物掛けとして使用されている。ここ「ヘイ・ギャラリー」でもう一度、本来の「遠眼鏡」の名の通りの働きをしてもらおうと考えた。

出展を決めたら、どうだろう、石山ブラザーズ、石山篤、石山修兄弟の作品も一日だけでも出展してもらおうかと考えが自然に進んだ。でも今、世田谷区民ギャラリーで展覧会中だなと気付いた。調べたら、昨日9月22日で展覧会は修了している。あの立派な作品の売先を考えて、うまくいったら売れる直前に展示していただこうと考えついた。

だから、先ず納め先を考えようと思案の最中である。しかし、あの石山兄弟の作品に値をつけるとなると、もう一人の石山、すなわちわたくしのモノにも値を付けねばおかしい事になる。組合を作る意味もない。となるとわたくしのブリキの椅子や、木本一之さんとの共作である「遠眼鏡」にも値を付けねばならない。しかし、わたくしのだけがガクリと低価格であるのはしゃくにさわるのであろう。あろうなんて高見の見物は許されない。で、世田谷村の下のガレージに置いてあるブリキの椅子を見にゆく、と言っても階段を降りてみる事にする。このブリキの椅子は何年か前世田谷村の前に転がしておいたら、道ゆく人が気に入ってくれて「おいくらならゆずっていただけますか」と有難い申し出も受けた事がある。あの時は「売りモンじゃないので……」とお断りした。今ならすぐ売るね。あの人又ヘイ・ギャラリーを通りかかってくれないかなあ。

2013年9月23日 石山修武

「飾りのついた家」組合 日誌 01

[2013/09/21]

一度の会合も開かず、以心伝心というか、それに近い連絡だけで以下のメンバーで組合は発足する事にした。

   

山口勝弘(実験工房)

堀尾貞治(具体派)

松谷武判(具体派)

藤野忠利(具体派)

石山篤 (造形作家)

石山修 (染色家)

石山修武(建築家)

鈴木博之(建築史家)

菅原正二(ベイシー・店主)

坂田明 (ミュージシャン)

山田脩二(淡路瓦師)

木本一之(金属造形・A3ワークショップ卒)

市根井立志(大工・A3ワークショップ一期生)

島倉二千六(雲描き)

佐藤研吾(建築家)

 

佐藤研吾を除き、皆十二分に年令を積み重ねた、マア達人である。マアを取り除いてもいいかも知れぬ。肩書を付けぬと世を渡るのにいささかの不便がある。近代日本のイヤらしさである。しかし、肩書に達人・名人を名乗る愚の論理らしきも我々には染み付いている。だから一応皆の肩書きらしきを付けてある。

このメンバーは第一次メンバーであり、若輩者は入っていない。このまま進めば老人倶楽部死への行進なりかねぬ。それで、佐藤研吾を中心に若輩者の参集を次にすぐ始める。で、はじまりの「飾りのついた家」組合日誌はその第二次の会員に呼びかける内容としたい。わたくしはそれにはもう口をあんまりはさみこむことはしない。でも、耳は澄ませていたい。自由に町の出来事としての「飾りのついた家」表現をやっと下されば良い。

すでに佐藤研吾のもとには第二次会員として中村未歩さんが名乗りを挙げて下さっている。わたくしが地元で始めたソバを食べながらの会、第一回の参加者でもある。アーティストのようだ。人柄はとても良い。ソバを食べながらの会はソバ屋玄関先、すなわち路上で行った。陽光が指し風も吹いて気持が良かった。そば屋の向かいが石森邸である。この人物に関しては世田谷村日記を参照して欲しい。猫と暮らしているカラオケ好きのジイさんである。その石森さんの家に小さな竹ヤブがあって、金属のヘイがある。その竹ヤブの竹とヘイに今、わたし達、石山、佐藤他のアイデア、そして製作になる「烏絵馬」2点と「大ガラス」一点展示されている。(※画像参照)これが何ということはない「飾りのついた家」の作品第一号である。こんな程度の作品でいいよと言ったら、中村未歩さんがじゃあ出来るわと言って、わたしもやると手を挙げてくれた。それで十月のはじめには第二の「飾りのある家」展の作品が製作されている。ここに展示される中村未歩さんの作品は野ざらしに耐えるように、と条件が付いている。近い将来、この野外展示物を建築物の装飾としても使用できるようにとの考えもある。この事は随時お知らせしたい。このような事から始めます。だから多くの人間の参加を求めます。

2013年9月21日 石山修武