「飾りのついた家」組合

HOUSE DECORATING GUILD
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「飾りのついた家」組合日誌

2013.12

「飾りのついた家」組合日誌 42

[2013/12/27]

昨日の組合日誌41に補足して書き足します。

昨日の41にはラベルに刷り込むロゴマーク、字体、色調に関して記していなかった。

山田ブドウ園よりはFrom YAMADA Firm、あるいはfrom YAMADA Wine Firm、from YAMADA Vintage等のわかり易い英文も良い。和文(和字)と共に作成して下さい。

Since 19○○年は山田社長のヴィンテージ社の設立時からが良いでしょう。ラベル全体の色調はブドウの葉の色とぶどう畑の土の色の、これも2色。濃色よりも少し淡色の方が良い。

ただし、41に記したように遠くの南アルプスの山の色合いはリアルに、繰り返しますが写真での大きさはわずかに大き目にデフォルメすること。

農場のみなさんの笑顔が主役です。

小屋の映像の大きさは2、3通り工夫してみて下さい。

本日、午後迄に作成願います。

2013年12月27日 石山修武

「飾りのついた家」組合日誌 41

[2013/12/26]

ブドウ畑のブドウの樹、およびワインの販売について考えた事があるので、これは特にスタッフへの依頼としての文を書きます。

ブドウ酒のボトルラベルに幾つかの考えを盛り込みましょう。

1.

送られてきたブドウ畑の前にブドウ農園の皆さんが並んで笑っている良い写真がありました。アレを「山田ブドウ酒」「山田ブドウ畑のワイン」という名(仮説)の商品名のシンボルマークにしましょう。 その映像を明日迄にサッと作成して下さい。

2.

遠くに南アルプスが見えていましたが、あの南アルプスをもう少し大きくデフォルメして

3.

ブドウ畑の手前に小さな木造の小屋をアレンジしたい。その小屋は中里和人の『小屋の肖像』から選んで、少し工夫して下さい。すだれ発電もサラリと在ると良ろしい。

重要なのはブランド名「山田ブドウ農園のワイン」ですが、これは提案として社長及び社員の同意が必要です。

しかし、日本の小屋の方が「シャトー○○○」よりも良いとの考えに辿り着いたのです。

先ず明日、向山一夫さんに見せられるようなモノ、ラベルの案を以上の要領で作成して下さい。

買っていただいた人の、固有のあるいは法人名がラベルの中に入らねばなりません。

そのスペースにはとり敢えず「向山一夫のワイン」でどうか?

そうすると大きなブランド名、山田ブドウ農園のブドウ酒とあるいはワインとダブりますので、

1.に記した製品名は「山田ブドウ農園手づくり」あるいは「山田ブドウ畑より」が望ましいと思います。チョッと考えて工夫して下さい。

明日12月27日の午後には第1案、2点程完成して下さい。

2013年12月26日 石山修武

「飾りのついた家」組合日誌 40

[2013/12/26]

今手にしているのは木製の滑車のようなもの。

何処で入手したモノなのかは忘れた。昔、東北の海辺に木造船を求めて走り回ったことがあったから、その際に入手したものであるやも知れぬ。

木製のサヤ状である。内に恐らく鍛冶屋が打ち込んで作ったものであろう鉄製の円板が2つ、これも又鉄製の軸受けに貫かれて大きなサヤエンドウ状に納められている。船のマストか、何かの巻き上げのために作られたモノであろう。長さ250mm程、巾が75mm程、厚さが40mm弱である。

汚れて決して今風に美しいとは言えぬモノであるけれど、何故か手放せないでいる。

手放せないどころか、コレは実ワ以前に銅版画を作っていた時には彫る題材としてモデルになってもらったりもした。

手放せないで、無意識のうちに愛着のあるモノからは何かしらが送信されてきているような気持がする。そんな気持の動きがある。

木本一之さんから送信されてきたFAXを眺めているうちに、この木製の滑車を思い出して、いつの間にか手にしていた。

送られてきたスケッチの中に彼に昨日話したポール・ルドルフのまゆの家のテンション部が早速描かれていた。そしてその恐らくは鉄製品を想定したであろうディテールにザラリと妙な違和感を覚えたからである。

世田谷村にはヨットに使われている部品が幾つか流用されている。

この家を作った頃にはそのステンレスの部品が格好いいなあと想っていたからだ。

でも、今朝送られてきた市根井さんのスケッチの中にテンションワイヤらしきと受け金物が描かれているのを見て、オヤ??と思った。

R.B.フラーの張力理論を具体化したような金属部品に、初めて、気持の中に???が生じたのである。

恐らくこれはわたくしのフラー離れの始まりではないかの予感さえある。

とんだことを記しているが、こういう事である。

今度、取り組む小屋づくりのようなモノ、(まだ命名することが出来ぬ)は全てを木だけで作ってみようかと考え始めている。

算術的には矛楯をふくむだろうけれど、張力部分にも金属を、より端的に言えば工業製品を使わずにやってみようかと考え始めている。

勿論、ネジや蝶番、そして釘も一切使用しない。

それがどういうモノを目指そうとしているのか、少し考えてみたい。

市根井立志さんには、バーナー焼きの根本を持つ掘立て柱のアイデアはモビリティーを持たせるという意味で受け入れられぬと金属製品の使用を極度にひかえてくれと電話で話してみることにする。

どんな反応があるか?

2013年12月26日 石山修武

「飾りのついた家」組合日誌 39

[2013/12/25]

11時前橋の木工大工・市根井立志さん来る。

大きな箱に試作品をギッシリつめ込んで。打合わせもみっちりとなる。

直径の異なる木球がいくつも、200mm径の木球がパクリと半分に割れて、市根井さん特有の割り込み、クサビずらしの造形の数々を見る。

力があるなあと実感する。

日本の木工大工の能力の高さをまざまざと見る思いである。

研究室の若いスタッフも恐らくたじたじであったろう。

実利的なアイデアが経験に裏打ちされて展開されている。

ねこのニャンコロ去りぬの記念の球にいささかのアイデアを付け加える。

200mm球の手応え充分のボリューム木球に100mm径の円筒の穴をブチ抜き、ずらして得た球の切断片に手を加え、三脚ならぬ、四脚+尾っぽらしきにする。

気取ったモダーンなキレイさではなくって、もっと愛すべき「可愛い」形になった。可愛いなんてまことに面目ないが、コレが実に良いのである。

手触りも抜群である。

コレワ、発泡スチロールの市根井作のモデル(模型)での印象だ。

実物の木になれば、これに重みが加わり丁度手頃な重みを伴った感触になるに違いない。

愛すべき猫の記念物としてはよろしいのではなかろうか。

思わずニヤリではなくって、ニャンコ口と笑える形、手触りになるであろう。

実物の生きた猫より愛すべきモノになるやも知れない。

他に、三球四脚二つの作り直しを実寸で検討する。

3時間弱、昼食のサンドイッチをほおばりながらの打合わせで頭をフル回転させたので、疲れました。

頭の良い職人さんとの逃げも、一切の抽象論もない打合わせは実にホトホト疲れるものである。

2013年12月25日 石山修武

「飾りのついた家」組合日誌 38

[2013/12/24]

飾りのついた四輪馬車はマイルス・デイビスの名曲、レコード版は名演奏だ。バラードである。

昔、わたくしがクライアントの榎本基純さんから依頼されて作った三河山中の幻庵で初めて聴いた曲である。

あるや無しやも知れぬ、わたくしの感性の底まで揺り動かせた。

梅の香がほんのり漂う幻庵の内、高い太鼓橋のある拡がりにそれはすみずみまで沁み渡った。

平安で、何のわだかまりも無く、たゆとうて沁みた。

それは幻庵に実に良く合っていた。

漆黒の宇宙を我々の地球は自ら廻転し、そして恒星太陽の凄惨な核融合エネルギーの周囲をも公転している。

すべて闇の中のできごとである。

マイルス・デイビスの「飾りのついた四輪馬車」はその漆黒の宇宙を巡行する、つまりはあてどない旅を続ける地球のゆっくりした動きを表わしていた。

幻庵の内にも、光の色光がそれはそれはゆっくりと自転していたから、それでわたくしはその事を知った。

マイルスの飾りのついた四輪馬車も、恐らく何て言うことも無いほこりっぽい町をゆっくり、ゆっくり車輪を回転させながら動いていたのだろう。

馬車には小さなリボンの飾りがついていた。

風に吹かれて小さく揺れた。

何処へ行くのか、あるいは堂々巡りなのかは知らぬ。

そんな平凡な日々の中の、一瞬を良くマイルスはトランペットで吹いてみせた。

トランペットの金属が生み出す音は乾いている。

だからこそ、その平安が良く吹き出されている。

ゆるやかにそれでもうごめく光だまりのような、音の連続であった。

その曲を恐らくは好んでいたのであろう榎本基純さんが望んでいる平安を、その実体を良く知ることが出来た。

独りを好む人であった。

マイルスの「飾りのついた四輪馬車」は幻庵ではやがて聴くことが出来なくなった。

スピーカーが鳴らなくなったからだ。

でも榎本さんはその小さな修理もしようとはしなかった。

音が消えたのも良いんだと言っていた。

榎本基純さんが亡くなって、しばらくして、この曲に再び出会ったのは東北一関のジャズ喫茶ベイシーであった。

店主菅原正二は、わたくしがベイシーに立ち寄ると、時に思い出したようにこの曲を鳴らす。

わたくしは40年程の幻庵の歴史、主人の居なくなった鉄の洞穴の、それでも自転を続ける光を想う。

2013年12月24日 石山修武

「飾りのついた家」組合日誌 37

[2013/12/21]

木本一之さんは広島山中に去った。何とも妙なとらえどころの無い人間ではあるが、やはりそんじょそこらの院生やら、サラリーマンには全く無い特質を持つ人間である。

俗でないという。

俗でないからこそ、山の中にたった一人の鉄の鍛造工房を構えて貧乏なれど決して動じぬのである。そこが凄い。

今時のガキ共は大方ひもじさに弱い。喰えなくなったらどうしよう。早く安定した職につきたい位の者である。喰えなくなったら、野垂れ死ねばいいのであって、別に殺されて苦しいわけでもない。

でも、道端で野垂れ死んでいる人間をわたくしは見たことがない、出会っていない。だからそんな事はあり得ないのである。世界資本主義は大都市において餓死する人間を生み出し得ない。アフリカの農村やらに出現させるのである。飢え死ぬヒマなぞありはせぬ程に食料は都市に流通し、実に余剰を産み出している。

銀座の乞食には糖尿病が多いのである。高品質、高カロリーの余剰物を食べ過ぎているからだ。

つまり現実には身体と気持さえ正常に保っていれば自殺の他に死は身近ではない。病死は避けられぬ。生老病死は万人の理なのである。

だから喰べられぬことはあり得ない。増々あり得ぬ状況に突き進んでいる。

だから、人間は本当に好きな事を好きなようにやっておれば良い状態になりつつある。

それ故、木本一之さんは広島の山の中の鍛冶屋であり続ければ良い。

それを本人が望んでいるのだから。


しかし、木本さんは美術学校なぞという積まらぬところを出てしまった。

だから本人が嫌いな中途半端さの持主でもある。○○工芸協会とか、何やらに属して、年に一度の展覧会につまらぬ限りのモノを出品してそれで何の評価も与えられず、もし与えられたとしても小さな小さな数十人程の工芸屋の村芝居みたいな評価でしかないだろうに、それで満足してしまっているところがある。

つまり、そこに属している人間の大半がただの愚者でしかない。職人になり切れず、芸術家でもない。

何者であるのか工芸家らしきとは?


木本一之はわたくしの展覧会での山口勝弘先生のスピーチを聞いて「泣きそうになりました」という程の実は気位を持つ人間である。

その時の山口勝弘のスピーチは

「下らぬ俗人共にバズーカ砲をぶっ放してヤルゾ」

というようなスピーチであった。

磯崎新のスピーチもあったから、わたくしはそれに対してのバズーカ砲なのかと俗に勘ぐった者なのではあるが、そうではなかったようだ。

ともあれ、アーティストの中のアーティストの雄叫びを聞いて涙ぐむ、そういうスピリッツは木本さんは持つのである。

それを心中に定めて置きさえすれば実は他に何モノも必要ではない。

つまり、木本一之の気持の中には、わたくしには無くはないけれど、それを恥じる気持もある非俗な古いとも言える純粋さが確固として在る。

わたくし等の俗人にはそれは実にまぶしい位のものではある。

だから、木本一之はその気持だけを炉にくべて燃やし、今のマンマの工芸家風情の作品群だったら、それこそ全て融かしてごちゃ混ぜにして木本一之の墓として鉄のモニュメント――。これ迄の作品のゴミの記念碑としてドロドロなものを作り捨てた方が良いのである。


が、これより作っていただく「亡きポチの棲まい」はそれでは困るのである。

2013年12月21日 石山修武

「飾りのついた家」組合日誌 36

[2013/12/20]

組合日誌35の続きであるような、そうではない様な事を書くことにする。今朝小一時間程をかけて、自分の描いた漫画まがいの60コマにキャプションをつけた。お足のエルビスっていう、マ、我ながら馬鹿気たお足の物語である。お足にはおアシ、つまりお金が掛詞として裏にはりついている。駄洒落である。この漫画は2014年に発売する絶版書房刊、『アニミズム周辺紀行8』にまとめて発表するから読んでくれたらうれしい。足が足の裏をのぞきたくって、それが高じて遠い旅に出てしまうというナンセンスの極みのバカ話しである。

建築家がこんなナンセンスギャグの、しかもC級、D級の質のモノを冗談ではなくって描き出版するのは、実は危険な振舞いなのである。

いささか良識に反する。通俗的な良識の固まり、ラード状物体の存在である社会的存在であるべき建築家は、こんなことは実にしてはならない。

何故なら設計料を支払うに足る人間とはとても考えられぬからである。

色々と小ムズカシイ事を言う建築家という存在は、その正体は社会的商人に過ぎぬところがあるのだ。

もう我ながら頭の壊れたのを露呈している作業、つまりナンセンスギャグ漫画に小文を附していると、実ワ何ともそれが実に楽しいのであった。身も心も軽くなって空に浮くような気分にもなるのであった。

この小一時間の極楽が、「飾りのついた家」組合の日誌に我等が組合の身近な友でもある大工・市根井立志、鍛冶屋・木本一之について、もう無茶苦茶な物語を繰り広げてやろうかと思いつかせたのである。

壊れちまった脳の有体すなわち断面をぶちまけてやるかのふてくされに通じたのであった。

考えつめてみるならば、この日誌らしきをまだまだ書こうとしている目的は何であるか?マ、これも又充分に率直とは言い切れぬところもあるのは認めた上で、それはそれぞれの組合員をより有名にしたいからである。作品が売れる為にはそれが何よりも先決なのである。更に簡潔に言えば、とり敢えず組合員のメンバーの中では先ず市根井立志と木本一之をグイと有名にせねばならぬと考えたのである。

両人共に有名になりたいなんてことは露程にも考えてはいない人間である。だからこそわたくしは無駄、徒労の固まり状の力を尽くして、彼等両名を何しろかつぎあげる事にしたい。

無名なお前が、何をエラそうな事言うなと思われるやも知れぬ。しかしどんな人間にも一分の魂は在るのだ。ヘソは一度曲がり始めたら、トコトン曲がった方が良ろしい。中途半端な有名が何の役にも立たぬ如くに、中途半端なヘソ曲がりや斜視くらいつまらぬモノは無い。

で、しばらくは実に、コレ馬鹿馬鹿しくこの両人を持ち上げ続け、あわよくば少し計り世に知らしめたいと思うのだ。

組合は今、市根井立志に亡きニャンコロのすまい、そして木本一之には亡きポチのすまいの製作を依頼している。

先ずはその詳細と経過を事細かにつづることにしたい。

2013年12月20日 石山修武

「飾りのついた家」組合日誌 35

[2013/12/11]

広島山中の木本一之さんからの送信はいろんな事を考えさせてくれた。

先ず第1にこのフットボールの球みたいな作り方をしていている球の幾何学、六角形の集合状を消せないか

第2に球に中国や日本の伝統的な台子につけられている足状が必要かな

第3に色彩の必要

第4に木本一之+市根井立志の可能性

である。

第1の問題については溶接の際の溶接ムラを生かせば良い。

細いみみずがはっているような多角形の集合の溶接ムラにグラインダーをかけてツルツルにせずに、少しばかり有機性をもたせたい。

そうすると球体の表面にシワが生れて、生体のニュアンスに近付くであろう。

この線状の溶接ラインの質感だが溶接ラインの凸凹が色めくこと、つまり目地自体に色彩が生まれるような事は不可能であろうか。

なにしろ溶接の手の振れを利用して多角形の集合の幾何学を消したい。

第2に球の足である。

日本の寺院の坊さんがたたく木魚や銅錫椀らしきは分厚い布団状の上に乗せられるのが普通だ。

小さな布団状を用意しなくてはならない。

その為の職方が増えることになる。

この小さな座布団状は買った人が自分で用意するという方法がある。

次に丸い径30mmくらいの球を幾つか、ボール状に付けて短い足の代わりにするやり方がある。形は洒落ていて、遊びもある。

それに対して、生物の足のような脚をいくつかつけ加えるやり方もある。

足を分散して3本以上つけると、よくある仏具らしくに近づく。キッチュになりかねぬ。

ただし足を数本中央に束ねて、束ねた足の床に、あるいは、棚板に接する部分を少し開いて安定させる形もあるだろう。

少し高い位置に球状を浮かせると面白いモノになるだろう。

第3の色彩の問題だが、これは幾つかのスタディが必要だろう。

丸い小さな球を足代りにする場合はこの径30mmの鉄球に色が欲しい。

しかし、球を溶接してから色を施すのはとても養生の手間がかかりそうである。

中心に複数の棒をねじって、からませて足、あるいは柱状にする場合には植物の幹のような、南の国のガジュマルの樹のような感じに出来るだろう。ザクロの街燈の足許の如くに、もっと繊細にからませたら面白いが、色彩には工夫が必要である。

最後に第4の木本一之、市根井立志の協同の可能性についてだが、この小さな仏壇状の形での協同はあまり合理的ではなさそうだ。

もう少し大きなモノにとりかかる際に協同の機会が得られるだろう。

ただし、金属製のモノは木本さんが一人でやり抜いて、同様な形のモノを市根井立志に作ってもらうのは面白い。

三球四脚他を作った時にロクロで球を容易に作れることが解った。

その木製の球の大きさは市根井さん所有のロクロで30cmくらいまで可能だそうだ。

木製の球をくり抜いて仏壇にするのは容易であろうし、日本人には馴染み易いかも知れない。

金属と木製共に動物の仏壇、あるいは記念物として用意したら良い。

2013年12月11日 石山修武

「森の家」計画、佐藤研吾のドローイングについて 雑感3

[2013/12/10]

佐藤研吾のドローイングについて「森の家」計画とタイトルに附した2片の小エッセイを書いた。

どうも肝心要の、つまりは梅干しの種がないような書き方をしてしまった嫌いが我ながらあって、いかなコンピューターサイトへの記録とは言え、これでは恥をかきかねぬと反省した。それでもう1片を書き加える。

「森の家」計画のドローイングと題して佐藤研吾が始めているWORKは大事である。実作も無い若過ぎる建築的作家を、しかもほぼ身内とも呼べる仕事仲間を持ち上げるのには、実は大きな勇気を要する。

老人が親戚の若者自慢をグデグデと日向でつぶやくの風があるからだ。

風というのは、そのように受け止められるであろう恥をしのんで、それ位の事は覚悟して記さねばならぬ位は知るからでもある。

何故、恥を覚悟で身内の若者を持ち上げるのか?

それには聞いてもらわねばならぬ理由があるからだ。

第一にこれは自分(石山)がこの先やろうとしている事と密接な関係を持つからである。

第二にそれは今の世にも大事なことだと信ずるからである。

エッセイ1、2ですでに述べたことではあるが短く繰り返す。

「森の家」計画はわたくしが弱年の頃より手掛けてきた仕事を通底する考えを再び再生浮上させようとする気持の中での計画である。

それはウォールデン森の生活のヘンリー・デービット・ソローのマサチューセッツの森の小屋作りに強い親近感を持って始められた。

しかし、わたくしの気持の中をのぞき込んでみるならば、それが始まりとは言えぬ。わたくしの始まりらしきの一つは明らかに川合健二の鉄の家との遭遇でもあり、今遠く振り返ればそれは鉄という物質に対する畏敬のようなもの。

すなわちメタル系のアニミズムへの自己発見の旅でもあった。少し飛んでしまった書き方をしているが、今はゆっくり説く時ではないので、このまま飛ばす。

鉄、あるいは錆びた鉄への畏敬がヘンリー・デービット・ソローの森の小屋へ飛んだのである。そして今、再びそのメタルの近代性をくぐって再び木、そして森へと関心がゆり戻されている。それは自覚されつつある。新しい自覚である。これがなければ生きていてもしようが無い位のものだ。

ところで手許に今、Rabindranath Tagore(1861~1941)の絵の幾葉かの写真複製がある。

インド・デリーのナショナル・ギャラリー・オブ・モダン・アートで買い求めたものである。

このタゴールの絵がとても佐藤研吾のドローイングに似ている。

タゴールはいささか年を取ってから絵を描き始めた人物である。

ある意味では専門の画家ではなくヨーロッパ絵画史に於けるアンリ・ルソー等の謂わゆる素朴画家に類する種族であると言うことも出来よう。良く知られるようにタゴールはタゴールファミリーの一員、つまりはインドの名門に属する階層の人間である。ベンガルスクールの考えの中の人、ガンジー、ネールといったインドの近代化そのものに苦闘した人間に類する一族に属する。インドの近代化はイギリスの植民地政策との涯しない闘いでもあった。

その歴史の中でタゴールはH.B.HABELL、岡倉天心らの近代的民族主義者の影響を深く受けた。大アジア主義者とも呼ばれる岡倉覚三天心の思想も受け取めたのである。

わたくしはデリーのナショナル・ギャラリー・オブ・モダン・アートの館長Rajeev Lochanの口から今年(2013年)、岡倉天心の名を敬する気持と共に聞かされた。岡倉天心の今のコスモポリタニズム(フィーリング)に通ずる、民族主義からアジア主義への流れの生々しいモノを聞いて驚く自分に驚いたのだ。

インドの現代美術の中心で触れて驚いた。

イヤー自分はすっかりとは言わぬが、いかにもな日本の太平楽の渦の中にプカプカと立泳ぎしていたなと恥じたのである。

それはとも角、高度なインテリジェンスを持ちながらの素朴画家タゴールの画題には天空動物人間生活が溢れ返っている。素朴画家だから絵を描くテクニックは貧しいものだ。しかし絵には恥しながら、言うにはばかる生物への畏敬が溢れている。

タゴールはインドの知識階級に通じるものだが、ラジギル等のインドミニアチュール絵画への知識が大きくあった。恐らくイギリス植民地時代からの鬱屈した伏流でもある、インド古代芸術への信奉が強く在った。

それは、頭で考えざるを得ない知識階級のインド人民のアイデンティティーへのゆらぎからも生れたものであったろう。イギリスの鉄道に乗り、イギリスの車を使い、イギリスの政策の下敷きでもあったインドの国家政策の基に生活した人間が必然的に持たざるを得ないモノでもあった。

それ故タゴールはインド古代のミニアチュール絵画に多く描かれた宮廷生活、王や王妃、王宮の風景に変えて、普段のインド人民の日常生活を多く描いた。

小さな絵が多い。ミニアチュールと同様である。

そして王や王妃に代えて、多くの身近な生物を描いたのである。

鳥や犬や牛や猫等々、ラクダや、ロバも描いた。

そしてそれ等生物全てに大きな愛情、より正確に言えば畏敬の念を降り注いだのであった。

ここには現代美術の標準であるヨーロッパのメランコリアに通じるアイロニーの一片だに無い。

佐藤研吾はまだそれを充分に自覚していないから、時に平板なモダニズム風がドローイングに顔をのぞかせたりもするが、それはまだ愛敬と呼んでしかるべき範疇に属する位のものだ。出発は色々な雑多煮があっても一向に差し支えない。

が、中心は必須である。

「ヒマラヤの女性」「森の人々」のドローイングに見られるモノ。あるいは見たいモノ。希望という名の許に見たいモノはこれはタゴールの絵に通底するアニミズムである。

大方の現代人により解りやすく言えば、グローバリズム=インターナショナリズムとは近くて遠いコスモポリタニズムでもある。コスモポリタニズムは万国共通で民族を超えるが、その核にはアニミズムが在る。ミクロネシア、メラネシアの海洋民族のマナイズムが元になっていると思われるが、生物、物質に共に通じる、繰り返すが畏敬の念に発するうごめく心の奥に在るモノである。

フェティシズムとは画然と異なる。フェティシズムはヨーロッパ人に特有なものである。それはファシズムの径に通ずる。

話が急ぎ過ぎているけれど、戻して、佐藤のドローイングの良質な数点に表されているモノは実にマナイズムに通じるのである。

「ヒマラヤの女性」の根底は、これはルオーの「郊外のキリスト」ではないかといぶかしんだこともあった。ルオーの絵(ドローイング)は全てイエス・キリストへの信仰に通じる。その意味ではヨーロッパ発のモダニズムに深く関係するが、これはニーチェの思想まで振り返らねばならず、今はまだしない。

佐藤の筆使いのストロークは油絵とは異なる。日本の水墨画やその基点でもある宋時代の中国風景画、文人画にも通じるストロークの産物である。

しかも左手のストロークの産物であるから、我々には異形を感じさせるところがある。

2013年12月10日 石山修武

藤野忠利さんの飾りのついた箱2点について 何故10万円と2万2千円という値付けにしたか。

[2013/12/03]

「飾りのついた家」組合

石山修武


「飾りのついた家」組合の作品リストに掲示されている値段は全て作者と組合事務局で相談しながら決めています。

この藤野忠利さんの作品番号50と作品番号51の値段に同じ作者の作品ながら随分大きな開きがあります。

それについて公開しておきたいと考えました。

具体派は戦後現代美術を一方で切り拓きました。

もう一方が山口勝弘等の実験工房です。山口勝弘先生もこの組合のメンバーです。

藤野忠利は具体派の最年少アーティストでした。

具体派は今年(2013年春)N.Y.グッゲンハイム美術館の具体展で大ブレイクしました。

評価が急騰し、作品の値段も日本とは桁外れに高騰したのです。

でも、残念ながら我々のこの組合はまだ島国日本の小マーケットを相手にしている現実があります。

NYもLondonも我々を知りません。ですから、いくら具体派の作家とは言え、藤野忠利さんの2つの小品の値段はベラボーに低いものとさせてもらいました。

特に、いかにも具体派の作品らしい作品番号51は、いかにも安い。藤野さんも憮然としている事でしょう。でもそうさせていただきました。現代美術の大方は日々の我々の生活とは無縁です。それは美術館や画廊に納まって初めて値打ちが出る類のものでもあります。

わたくし達の組合は日常生活の中の美そして特に装飾を標榜しております。

普段の生活の中にフッとあり、あるいは入り込んでくる美、装飾を目標にしています。

そして実のところ、折角コンピューターで値段も何もかも公開してしまっているので、値段はですね皆さんにつけていただきたい位のものなのです。いつかそれも試みてはみたい。

しかし、今は時期尚早なのです。

それでこの、いかにも具体派の絵画作品らしい小箱の値段は石山が一方的につけさせてもらいました。

藤野忠利さんとしたら20万円くらいつけてくれと考えたでしょう。

でも、わたくしの日常感覚、生活感覚がそれを許しませんでした。それで2万2千円となりました。

でも、これはいかにもNYで大ブレイクした具体派らしい作品なのです。NYのグッゲンハイム美術館のミュージアム・ショップで売りに出したら20万円($2000)くらいかなと思います。

勝手な言い分ですけれど、ですからこのたった2万2千円の具体派の箱の名前は

「具体的な箱」と名付けたいと思います。

そして、もう一方の10万円の箱です。アフリカのサバンナの動物達を想わせる奴です。「サバンナの動物園」と名付けます。

この箱につけられた絵は実にキレイでバランスがとれ、近代絵画、そしてグラフィカルな趣きがあります。

我々の日常生活と、日常の人間の感性には合いそうです。

良い意味で我々の日常の鏡像とでも言えましょう。

アフリカの動物達を遠く夢見るような、そして決してそんな動物達と草原で出遭うことも決してない我々の平凡で小さな生活の枠の中にあるように思いました。

つまり、これは具体派の芸術とは一味ちがう種族に属していると思われます。

つまり、アフリカのサバンナを自由に駆け回ることが出来ないわたし達のいじましさが良く表現されています。

だから、我々の「飾りのついた家」組合のポリシーにはピッタリなのです。

ですから、これは芸術作品よりも格上の装飾作品だと断言できるでしょう。

それで10万円の値段をつけました。

実に仲々に考え込んでの末のことであります。

このあたりのことはおいおい再び理屈ばらずに述べてゆきたいとも思います。

是非ともお買い求め下さい。