1942年生まれ。早稲田大学在学中、「ハイソサエティー・オーケストラ」のバンドリーダーとして活動。「チャーリー石黒と東京パンチョス」のドラマーを務めたのち、1970年に岩手県一関市にジャズ喫茶「ベイシー」を開店。オーディオへの探究心から生み出される「音」を聴くために全国からファンが通う、ジャズ・サウンドのあこがれの地となる。カウント・ベイシー本人から"Swifty"のニックネームをもらう。
独自のジャズ、オーディオ論で書籍、新聞、雑誌などへの執筆多数。ジャズ・アーティストたちとの親交も厚く、イベントプロデュースほか、ジャケット写真等も手がける。著書に『ジャズ喫茶「ベイシー」の選択』(講談社)、『聴く鏡』(ステレオサウンド社)がある。