世川谷村と呼ぶ我家は冬寒く、夏暑い。冷暖房が無いからだ。天気と共に居心地が良くなったり、悪くなったりする。したがって本を読んだり、スケッチしたり、原稿書いたりする処も天気によって移動する。昔の民家みたいに大きさだけはあるので場所もいろいろと選べる。今日は何日か振りに自分の村に.戻ってきた。それで自分のところが新鮮に見えたので久し振りに、三階の仕事コーナーに上ってみた。寒い冬の間は二階の客間にコタツを置いてそこでゴロゴロしている。三階で原稿書くのも久し振りだ。ようやく春が来たなと実感する。そんな理由で私の読書は実に天気任せ、季節によっても傾向が変化してしまう。地下室を使うようになったら更に勝手気ママなものになるだろう。
四日間福岡に行っていた。何をしていたかと言へば磯崎新と福岡オリンピック招致計画を考案中で、それで福岡にいた。ここは東京である。東京も二〇一六年オリンピックを誘致しようと計画案を作っている筈だ。別に東京に恨みがあるわけではないが、私はオリンピック誘致合戦では福岡につく事にした。何故なら磯崎新が福岡を応援しようぜと、声を掛けたからだ。磯崎新には私は弱い。借金があるわけではないのに、何故なんだろう。不可思議である。
一生に一冊作家論は書きたい。リチャード・バックミンスター・フラーを書こうと考えた事もある。アメリカ海軍の歴史やディテールを知らな過ぎるのでこれは書けぬと知った。鎌倉期に東大寺大仏殿を再建した後乗坊重源はだいぶ資料を読み、書けるかとも思ったが途中でほおり投げている。山岳修験そして仏教の素養、体験が無いと書き切れぬと思い込んだ。作家論を書きたいという希求は我ながら本格的なものなのだ。何しろ書いてベストセラーにして余生を送る予定になっているのである。とどのつまり磯崎新を書くことにして、実は今書きすすめているところだ。半分位までは書けたがそこで筆が止まってしまった。それで一年になる。どうにも展開できない。重源論の二の舞に終るかとあきらめかかっていた。そこへ、福岡オリンピックの話しが磯崎新から来た。磯崎からの話しはいつも面白く刺激的で裏切られた事がない。それに彼についてはいささか調べ抜き考え込んでもいた、壁にブチ当たっていた。福岡という東アジアの小都市を世界に売り出そうとしているのはすぐに解った。日本の首都東京と先ず競争しなければならぬのも気に入った。それにこの福岡オリンピック計画自体が、結末はどうなるか知らぬが、その発端から途中経過を知るに実に磯崎的出来事でもある。これは磯崎論を書くに絶好のチャンスであると直観した。それで一も二も無く引受けたのだ。作家論を書くために計画案を作るというのは本末転倒ではある。非常識だ。でも磯崎論にはどうしても矛盾だらけのカオスが不可欠なのだ。ここ半年程の福岡、東京騒動をドキュメントすれば、それは自然に磯崎論の三章、つまり起承転結の転の章にピッタリと収まる筈だ。シメシメこれで直木賞まちがいなしだと笑いが止まらないのである。
磯崎新の著作は建築家としては異常に多い。ル・コルビュジェはプロパガンダの総量と同じ位の数の建築作品を残した。建築が生産の結果として表現された時代のバランスであった。磯崎はすでに情報の時代を生きている。それ故に情報の時代に見合うだけのメディアをデザインしなくてはならない。それ故、書く量、しゃべる量も膨大にならざるを得ない。コルビュジェは寡黙な田園生活のオッサンだったと思はざるを得ぬ位に磯崎は書き、しゃべり続けている。コンピューターの時代、グローバリズムとの対応とはそうせざるを得ない。熾烈過ぎる。で、磯崎も時にフッと独人つぶやかざるを得ない。『栖すみか十二』(住まいの図書館出版局、1999年刊)はそんな独人言の世界がダイアローグの形式を借りて述べられている。ダイアローグの形式をとったのは大意識家磯崎の衿持である。独人言なんて世にさらせるかの意識だ。しかし、そう考えれば考える程にこの書物には磯崎の独人言が溢れ返っている。意識家がヴェールとして使おうとした形式を破って淡々しみ出している。それが面白い。旅に出て持ち歩く一冊としておすすめしたい。
日本の建築界で今、磯崎と思想、言論において互角に渡り合える者は先ず居ない。建築家は皆小粒だ。かろうじて歴史の世界に数名いる。鈴木博之がそうだ。「GA JAPAN」が出した二人の対談記録は建築的教養の水準がここ迄底上げされたかと驚いた記憶がある。鈴木は処女作「建築の世紀末」(昌文社、1997年刊)の書評を巡って、磯崎と小さな論争をした事がある。その緊張感が今もまだ続いているのが知れる対談である。磯崎鈴木石山で企画監修した『批評と理論』(INAX出版、2005年刊)は磯崎好みの歴史観が強く出た書物だが、あと十年位たって世界が激変した後に再びこんな形式の本が企画されたら面白かろう。鈴木も多くの著作があるが、この一冊を選べと言はれれば迷わず『都市へ一(中央公論新社、1999年刊)を推す。鈴木はすでに鐸鐸たる歴史家であるが、その精神の根底には常に単独者の孤独がひそんでいる。それを想いながら彼の著作を読むと、ページから涼しい風が吹くのを感じる事が出来るだろう。鈴木の建築・都市への視線の根底にはそれを総合的な文化の表われであるという信念がある。そして東京のような巨大都市が得てしてその力の象徴性を表わす事なく変化している現実への深い無念さがある。現在の市場経済の力だけで動く都市の姿が時に悲哀をもって語られる。この悲哀の質はある種の宗教性をさえ感じさせるのだ。
若い頃に『アジアの旅』(未来社、1989年刊)を読みいたく感動した。スペインの碩学ディエス・デル・コラールの著作である。ここに示されている異文化圏に属する思索家の考えは私のいささか単純であったアジア観をぶちのめした。キリスト教が持つ堅固な構築性から視たアジア世界を教示された。イスラム、ヒンドゥ、そして仏教、神道世界がいかに異なる世界を造り出してきたかの一端を知る事ができた。鈴木が描き出しつつある日本の都市への悲哀が別の視角から書かれているのに気付いたのは最近の事である。都市は膨大な死者の記憶の総体でもある。その声に耳を澄ますのにこれ等の書は格好なガイドブックなのだ。福岡オリンピックの誘致案作りに磯崎が執念を燃やすのも、その次元への視線の帰結であろう。アジアの近代化が必然としてもたらした悲哀からの脱出の願いが込められたオペレーション・ブレークのマニュアルになり得ると希望する。
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