the Opening Ceremony
北京セブンスターモルガンプラザプロジェクト

BM Mobile Theater
二〇〇八年北京オリンピックに合わせて、日中友好を主題としたミニ博覧会を、オリンピックゲート部分で開催しようという計画である。
北京モルガンオーナーの Mr. 郭は、そこで使用する全ての展示機材をオリンピック修了後、上海をはじめとする五つの中国の都市に巡回させる事を望んでいる。
それ故に、あらゆる装置は可動性を求められる。建築スケールのパビリオン、六百メーターのコリドールを使用する展示ブース他、全てに徹底したモビリティーを追求する。
開放系技術の展開例である。
石山修武 世田谷村日記 プノンペン - 北京 - 福岡紀行

北京編

 十一月二十六日
 八時間の飛行時間を経て北京時間十五時北京着。
 すでに広州で入境手続きを終了させているので、プノンペンからの客は空港内で待たされ、バスで国内便ターミナルに大移動させられる。コレは多分、李祖原の方に何か手違いが発生しているぞと思いながらゲートを出る。案の定、李祖原の姿は無い。彼のことだから必ず来るさと待つ。しばらく経って顔なじみのモルガンセンターのドライバーが現れ、次いで李が現れた。やはり国際便ゲートの方で待ったという。マ、そんな事はどうでも良い。これも又、中国なのだ。
 ヤアヤァ大変だったなと、デッカいリムジンで北京市街へ。クラウンプラザホテル、チェックイン。十一階の部屋からモルガンセンターを眺めれば、どうやら工事は動いている。シャワー、着替え、十七時半過ぎロビー。李祖原とすでにモルガンセンター内に移った Mr. 郭のオフィスへ。
 先ず、モルガンセンター内の李祖原オフィスへ。沢山のスタッフが追込み作業中であった。二十四時間態勢だという。工事も二十四時間態勢だから自然にそうなるのだ。
 ファイナルデザインを見る。凄くセンセーショナルなフォルムである。七月に決めた案の通りに動いたという。李祖原の強さだ。 Mr. 郭に再会。モルガン会長室内のプライベートレストランで夕食。休みなく話しが続く。昨日眠っていないなんて言えずに、なんとか付合った。食事は大変美味。ワインも最良。
 モルガンセンター工事再開のオフィシャルな報道資料の提供を求め、すぐに対応。北京市、政府との協定書も。全て問題はクリアーされた。ハハア、これで今度は私の方が大変な重荷を背負ったことになる。二〇〇八年九月までアト二年である。しかし、彼等と話していると色々なアイデアが湧いてくるから不思議だ。夜中になって、一度歩いてモルガンセンターを廻ってみようと Mr. 郭が言い出し、夜中のボディガード付き大名行列となる。日曜の夜だというのに、工事は進行している。三千人の労働者が入っているという。
 工事現場を夜中に一周するだけで疲れた。何KM歩いたかも知れず。モルガンセンターは全長七百メートル以上だから、マ、2KMは歩いたナア。 Mr. 郭は鉄骨まで入念にチェックする。この人はやっぱり異常な何かがあるな。会長室に戻り、又、実に様々な相談。二十二時、石山が疲れてるみたいだと同情されて、ようよう修了。
 二十四時ホテルに戻り、ベッドに倒れ込む。カンボジア以来もう何時間起きたママなのかも解らなくなってしまっている。明日も大変そうだ。
 十一月二十七日
 プノンペンの習慣が乗り移っていて五時に目覚める。
 窓から北京オリンピックメインスタジアム、水泳競技場、そしてモルガンセンター改め、北京モルガン・セブンスタープラザの巨大な姿が間近である。全部が工事中、しかも不眠不休だ。
 オリンピック・メインスタジアムよりもモルガン・プラザは巨大に視える。良く中国政府が許可したなと、 Mr. 郭も大変だったろうと思う。中国が国家の威信を問う北京オリンピックに、もう一つの新中国のシンボルが出現している。面白いナア。六時過ぎメモを記し、又眠る。
 九時頃再び起きる。北京モルガン社とのビジネスモデルを考案。無い頭で考えることだから、一般的に言えば途方もない事を考えているのだろう。カンボジアの汚れ物を洗濯。十時半ドライバーにピックアップされてモルガン・プラザへ。李祖原と打合せ。昨夜考えたアイデアのチェック。ランチはモルガン内で。午後打合せ続行。夕方、旧市街を少しばかりドライブ。デッカいリムジンで動いたので旧市街の細い径はドライバーが大変だった。十六時半モルガン・プラザに戻る。 Mr. 郭と打合せ。大方の了承を得た。夕食は再びモルガン内の特設レストランで。十九時半了。二十時過ぎクラウンホテルに戻る。
 十一月二十八日
 七時起床。今朝の北京は気持ち良く晴れ上がっている。モルガン・プラザの向こうに青い山並がハッキリと視えている。北京から山が視えるのを初めて知る。中国は山国でもあるのだ。モルガン・プラザもオリンピックスタジアムも夜通しの工事で、今朝も双方共に溶接の青い火花が星のように光っている。
 昨夕の Mr .郭との打合せで、今回の北京の目的は大方果たした。一週間ぶっ続けに動いたので、今日は少しのんびりさせてもらおう。
 北京モルガンプロジェクトは、カンボジアのひろしまハウスとは異なり、建築の形式から大きく踏み出した計画だ。政治経済の世界での仕事になる。大きな枠組みの構想と、小さな具体的な仕掛けの双方を同時に動かさなければならぬ。身を捨ててやってみましょう。
 十時半発、モルガン・プラザへ。李祖原打合せ。 Mr. 郭打合せ。李と昼食後、眼の前の北京オリンピックサイトへ。メインスタジアムと水泳競技場を見る。共に仲々のモノだと実感する。脱構築的構造の新傾向はこれでとどめをさされるな。全て、これに包括されるであろう。
 十六時モルガン・プラザに戻る。
「どうだった」と Mr. 郭が問うので、モルガン・プラザは残り一年半を頑張らないとならない、と答えた。外装を石に変えたのは良かったと思う。ハイテクで軽い感じはオリンピックの二つの代表的建築とは抗し得ない。特に内部が良い。モルガン・プラザは外のフォルムはOKなのだが、内部はどうか、李の頑張りどころだろう。空が澄んで遠くの西山が美しい。
 夕食は近くのレストランで李と。あわびと上海ガニ、そして海老、チンゲン菜、ホウレン草。世田谷村のチンゲン菜とホウレン草はキチンと育っているだろうか。二十時モルガン・プラザに戻る。 Mr. 郭と最後の打合せ。この人物とは長い付合いになるであろう。二十三時迄。二十三時半ホテルに戻り、メモを記し休む。明日は福岡か。
 十一月二十九日
 五時四十五分起床。荷造り。図面その他が少々増えたが軽い。三日間の北京モルガンでのミーティングはタイミングも良くマアマアの出来だった。
 さて、今日から九州だ。七時過ぎ北京空港。七時五〇分ラウンジで中国国際航空福岡便を待つ。八日目の旅だが疲れも無く、何とか元気だ。八時前機内に。半過ぎ離陸。十二時頃福岡空港着。良く眠った。
 只今、十三時前キャナルシティのグランドハイアットでひと休み。夕方迄時間が空いている。福岡オリンピック計画作り以来5ヵ月振りのハイアットである。
 櫛田神社にお参りして、福岡オリンピック敗退とこれからの更なる戦いの祈願。ソバの昼食。部屋で休む。福岡地所の青山君より連絡あり、空港迄迎えてくれたそうだがスレ違ったとの事。十六時過藤氏と会う。平塚氏とも再会。チョッとした相談する。夕方、市役所の若手、日本設計の方々、福岡オリンピックチームの面々と会食。その後藤氏と深夜まで話す。久し振りの酒で、何を話したのか忘れてしまった。
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北京モルガンセンタープロジェクト再始動
  2008 年北京オリンピックメインサイト・北京モルガンセンタープロジェクトが再始動する。
 ほぼ一年間北京モルガンセンタープロジェクトは休眠していた。北京の新聞その他でその間のいきさつは大々的に紹介されていた。オリンピック開幕まで丁度2年になった。先月北京モルガンセンターに出掛けた。センター前のオリンピックサイトはメイン、諸スタジアム、スウィミング・プール等の諸施設が工事たけなわで、選手村の工事も開始されていた。
 北京モルガンプロジェクトが休眠していたお蔭で、磯崎チームの一員として「福岡オリンピック招致計画」に参加する事が出来た。幸運であった。
 ところが、日本の 2016 年オリンピック招致も、福岡と東京との合戦模様がキナ臭い状況になってきた。一触即発の状態(八月十日現在)なのである。それはそれでオリンピックなんだから仕方無いのである。
  2008 年の北京オリンピックは、北京モルガンセンターの大騒動に立会った体験からして、21 世紀のアジア(東アジア)での中国の力を徹底して象徴するものになりそうだ。それは実感として解る。
 中国政府の力の入れようは凄惨な迄である。21 世紀の世界をアメリカと並び、方向づけようとする意志が表れている。それはおいおい述べる事として、 2008 年の北京オリンピックは現代世界史の大きな節目になると思われる。北京モルガンセンターのオーナー Mr. 郭は、事はそんなに単純ではない、EUも、ロシアのオイル・ガスは脅威になるだろうと考えている。
 しかし、日本はどうなるんだろうというのは極めてあやふやであると言う。アメリカ、中国、ロシアに囲まれて、実に不安定極まる状態になる事は間違いない。
 しかし、日中関係は非常に重要だと、彼は言う。私もそう考える。

  2008 年北京オリンピックの重要な背景となる北京モルガンセンタープロジェクトはそれ故に、勿論それだけではないが、重要な計画なのである。福岡オリンピック計画と関係づけられれば、それにこした事はないのだが、どうなるか。
 いささかのホラ(大言壮語)を吹いたが、プロジェクト自体は時代に合わせてキチンと小振りなものになる予定だ。
 石山修武

 北京より
 プノンペンより
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