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 福岡・九州オリンピック招致推進委員会による
 オリンピック招致計画


2016年夏季五輪招致国内候補都市は東京に決定されました
 二〇一六年オリンピック招致競争
 石山修武
  福岡オリンピック計画案
8/31
 八月三十一日 昨日新高輪プリンスホテルで福岡・東京の二〇一六年夏季オリンピックの最終プレゼンテーションがあった。十三時から十六時迄。休憩を挟んで五十五名による投票が行われた。結果は皆さんの良く知るところである。三十三票対二十二票で福岡は敗けた。大方の予想通りの結果だった。私も予想通りになるだろう事を予想していたので驚きもなかったが、余りにも予想通りの筋書きであった事に、その事実の明らさまな露出に失望せざるを得なかった。JOCは日本社会の縮図であった。ナショナリズム発揚の前の段階の意識水準である。この一年程の社会的ドラマの筋書きはJOCの幹部によってデザインされたものだった。そのデザインはリアリズムそのもの、すなわち「JOC商店」振りを良く示していた。指摘しておきたい事は余りにも多くあるが、今は負け犬の遠吠えになる。

 プレゼンテーション会場で東京のプレゼンテーターを勤めた安藤忠雄に会った。勝者東京のグランドデザインを担当する安藤忠雄は二〇一六年オリンピック開催地が決定する二〇〇九年秋までこのJOCの連中と附合う事になる。「ケッタイな社会やで」と笑い合ったが、安藤もこれから三年苦労するだろう。いい苦労になるのを祈ってこの八カ月の対JOC戦の幕を閉じる。

8/29
 明日三〇日は芝高輪プリンスホテルで二〇一六年オリンピック招致国内予選の投票による決定が行われる。大方の予想は東京優位である。しかし選挙である。何が起こるか解らぬ。最後まで、つまり今日迄手を抜かずに出来るだけの事をしたい。
 この一年弱(正確には八ヶ月)福岡に加勢してきた。その中で実に多くの事を、実体験を介して学んだ。六〇の手習いである。
 「正論」とは何か。正論を最も良く表すものはスポーツの世界である。国体競技であれ、個人競技であれ、スポーツ選手の身体を介した競技の実体はあらゆる政治的思惑、経済的指標から離れて、明快を極め尽くし歴然たる結果を示す。
 しかしながら、それ程事は簡単ではない。競技の質が上がる程に、スポーツは政治的、経済的な世界に限りなく接近する。
 小学校の運動会には政治、経済は介入する事はない。しかし、現代は小学生の身体能力の高い子供の日本の競技会がある。その競技会を観察するに、子供のスポーツの世界も高度な世界には当然すでに経済が入り込んでいる。競技施設、スポーツ教育には金がかかる。高度な身体能力を磨くのには多額の金がかかるのだ。日本新記録、そして世界記録を達成し得るが如き身体の育成には金がかかる。
 それでJOCの如きスポーツ政治団体が必要となる。それは必然である。
 フィギュア・スケートの大器、浅田嬢がトレーニング場、コーチを変える為にアメリカに渡った。卓球の福原愛嬢は中国大陸でのトレーニングを一時中断して早大人間科学部に受験を決めたようだ。
 これ等の逸材の外国でのトレーニングの方法に対する志向は大事だろう。
 ジャイアンツの松井秀喜選手のニューヨークヤンキース入り、イチロー選手のシアトルマリナーズ入りと同様に、これ等の高度なアマチュア選手は、その志が、つまりオリンピックで勝利するという明快な目的に対する意志が高ければ高い程にその目的に対するプロセスを国際化してゆく事になるだろう。すでに野球と同様にフットボール(サッカー)もそうなっている。ヨーロッパのクラブチームに属せない選手は明らかに二流であり国際戦では役に立たない。今春のワールドカップの当然至極の惨敗振りが良くそれを示している。JOCはオリンピックの為に組織された団体である。名は体を表す。オリンピックの為に選手団を組織し、そしてその選手育成に力を尽くす団体である筈だ。繰り返すが、スポーツそのものは正論を表し易い。国境を越え、肌の色を越え、優劣、勝負が解りやすい。要するに極めて個人の能力の表現色が強いものである。そして国を越えて、一気に世界と結びつく可能性を持っている。
 オリンピック・ムーブメントを総体的に客観視すれば、これは公共投資であり、同時に官民一体の投資の総合的運動体である。JOCはその総合的投資の受け皿であろうか。又、公共投資的性格を持ちながら一番公民(国民)の眼に触れ難いものである。
 「オリンピックは参加する事に意義がある。」
 それ故、四年、あるいは冬季オリンピックを含めれば二年毎に大量の選手団、役員団、メディア団を日本はオリンピック開催地に送り込んできた。それだけではない。その為の準備他に巨額の投資も行っている。今も北京オリンピックへの準備で大きな金が動いているだろう。JOCおよびそれを助成する団体、企業の仕事である。
8/28
 朝日新聞夕刊に連載中の「五輪ドリームズ 福岡・東京 十六年大会招致合戦2」にこんな事が紹介されている。
『・・・こうした選挙運動の成果か、JOC評価委員会は今月二十五日、東京有利との報告を公表した。ある都幹部は、「どちらが世界で戦える都市なのかは、東京が名乗りを上げた時点で明らかだった。福岡と争った期間も、国際オリンピック委員会(IOC)委員に働きかけた方が、よほど効率的だった」とうそぶいた。』
 とある。
 一方、西日本新聞には同日、こんな記事が。
『(JOCが)二十五日公表した評価報告書について、福岡市幹部は「思っていたよりも評価してもらった」と安堵の表情を浮かべたが、勝ちにこだわる山崎広太郎市長は「東京の評価が甘い」と不満をもらした。』
 この記事のささいに見える相違、このギャップには現代日本の縮図が浮き彫りにされている。親しい取材記者に対した気のゆるみはあるだろうが、かくの如き発言をする、東京都幹部職員のおごりとは何か。
 福岡市役所幹部の、必要以上に謙虚な、発言も問題ではあるが。
 格差社会への具体的提案としての性格は福岡のプロポーザルの基本の一つである。格差社会の痛切な現実が両都市の幹部発言から読み取れる。東京都幹部は地方都市の現実を突き放し、地方都市の幹部はそれに従順だ。福岡のプロポーザルにはこんな現実をどうにか打破したいというアイデアがある。オリンピック招致戦を戦い、そして東京に勝ってみせる事でそのモデルを示そうとしている。日本の現実に対して極めて大事なプロポーザルなのである。

 八月二十六日 日本経済新聞夕刊より

 二〇一六年夏季五輪、ゴールドマンサックス福岡に投資か ロンドン発
 二十六日付の英フィナンシャル・タイムズ(FT)は米証券大手ゴールドマン・サックスが二〇一六年の夏季五輪開催の国内立候補都市を東京と争っている福岡市の計画に投資する方向だと報じた。同証券日本法人社長が明らかにした。
 五輪の国内立候補地選考は三十日に五十五人の選定委員による投票で決まるが、日本オリンピック委員会(JOC)は二十五日に評価報告書を発表、福岡の開催計画の用地取得などに「懸念」を示していた。
 八月二十五日付 FINANCIAL TIMES
Goldman may fund Fukuoka's Olympic bid
By Michiyo Nakamoto in Tokyo and Peter Thal Larsen in London
Published: August 25 2006 20:00 | Last updated: August 25 2006 20:00

Goldman Sachs, the US investment bank, is planning to put its own money into a bid by the south-western Japanese city of Fukuoka to host the 2016 summer Olympic games.
Goldman, which is advising Fukuoka on the commercial viability of hosting the games, said it was prepared to commit its own funds to help pay for the infrastructure development and was confident the project would pay "sizeable returns".

 以下、FINANCIAL TIMES "Goldman may fund Fukuoka's Olympic bid" をご覧いただきたい。
8/26
 八月二十六日 新聞各紙は再び一斉に五輪招致問題をとり上げた。二十五日のJOCの評価報告書公表、及び記者会見を受けてである。各紙共に東京の優勢を伝えている。全国紙、地方紙(九州)共に読破。又、公表されたJOCの評価報告書も全て精読した。

 JOCの評価報告書は矛盾と苦渋に満ちたものである。詳細・精密・客観的に書かれた大部の評価報告部分と最後の数頁のまとめ、総括に明らかなねじれが視てとれる。要約すれば大部の評価報告は福岡を支持し、まとめは東京を支持している。どんな政治的力学が動いたかは知らぬ。しかし明らかに何かの力が動いた。
 ほとんど全ての新聞、メディアが計画概要書は圧倒的に福岡が良しとしている。しかし、その良しを東京の財政力が覆い尽くして視えぬモノとする力が働いている。その力を都市力、都市の底力なんて居直っているのが東京だ。
 朝日新聞が社説で正論を述べている。
 asahi.com :朝日新聞今日の朝刊-社説(2006年08月26日(土曜日)付 )をご覧いただきたい。

 福岡・九州のオリンピック招致案はIOCが三年前に打ち出した。現ロゲ会長の新路線を、そのまま正面から受け止め計画としてまとめたものだ。前IOC会長サマランチの商業化、拡大化路線の見直し、路線変更こそが現IOCの旗印でもある。しかし、その理想と現実はまだ融合していない。二〇一六年にはそれが合体したプロポーザルをそろえたいと考えているに違いない。
 ここ一年程を共にした九州・福岡人は誠に生一本である。そうか、そういう事ならば取り組む価値がある。どんな困難に面してもやり遂げようと考えた。政治的であるよりもスポーツ人の精神により近かったのだ。  福岡案はIOCの現在の路線をそのまま、ハッキリと具体化しようとするものだ。IOCがヴィジョンとしながらも実現できぬものが計画案として示されているものだ。だからこそ、福岡・九州は自信を持って世界戦に通用し、勝ち抜けるモノを提出した。これはIOCロゲ会長のヴィジョンを肩代わりした、そういう計画案である。

8/25
 八月二十五日。昨二十四日新聞各紙は一斉に二〇一六年オリンピック招致競争は東京優位の報道をした。二度目の東京優位報道である。最初は十日程前。これはJOCの評価委員会での討議の内部事情を一部委員が新聞にリークしたものである。この件に関してはJOC評価委員長でもある林JOC副会長が謝罪したと公にされた。しかし今や情報戦の模様を呈する迄になった福岡対東京戦ではこの一回目のリークによる報道は大きな効果を及ぼした。
 七月末での福岡優位の状勢が逆転されたのである。七月末の福岡優勢の根拠はパラリンピックを含めた三〇競技団体の評価が福岡に傾いていたからだ。これは二十四日の報道でも明らかにされている。一八五点満点の採点で四ポイント強の差をつけて、福岡が優位に立った。福岡良しとした競技団体の数も福岡が上廻った。イーブンとした団体が少なくなかったのも特色である。何故特色かと言えば同点票は謂はゆる白票と同じに、この競争の方法、形式に対する根強い批判票である事が多いからだ。物言わぬ批判票である。
 二十四日の各紙新聞報道の東京優位説(あくまで説である事が重要だ。)、その根拠を要約すれば、財政と都市の総合力に於いて東京が優位であるという事だ。更に言えば東京は四千億円の積立て金を用意できるであろうという事と、飛行場の問題、ホテル数の問題等、都市自体のグレードの問題であるが、その基盤になっている。
 四千億円の積立て金に対しJOCは評価するとした。この件に対しては日を改めて述べる。この四千億円という「絵に描いた餅」が実に不思議な存在である事は重要である事を指摘しておく。東京都の財政事情は他に山積している問題を残して、まさかオリンピック関連事業に多額の予算を費やす態勢になっているのか。都民はそれを監視してゆく必要があろう。一千億円/年を積み立ててゆく使途は当然公表されなければならぬ。
 次に、都市のグレードについて、これは猫程の頭の持主でも理解できる。首都と市である。その力の差は歴然としている。それを承知で福岡市はこの招致合戦に手を挙げた。今更文句を言う筋合いではない。
 問題なのは、その都市のグレードの差が招致競争の開始時に明らかにされていなかった事だ。そしてグレードの内実に対する考え方もだ。この様に例えれば解り易い。
 オリンピック開催都市選考レースを開始します。これは国内予選です。二百米の短距離走で決めます。福岡は都市のグレードに於いて、又、財政に於いてハンデがあります。それ故、東京はスタートラインを福岡よりも三〇メーター前にします。それで良ければレースに参加してスタートしなさい。
 このハンデ付レースの考えを突き詰めてゆくと、こうなる。
 日本にオリンピックを招致する都市は首都東京しかあり得ません。他都市は立候補などもっての他ですぞ。この考え方そのものを福岡、九州は二〇世紀型のオリンピックとして過去のものと見なし、本来の都市のオリンピックとして広く世界に敷衍化しようとしたのである。つまり、オリンピックを原点に近づけようと願った。巨大化、商業科、利権化の方向へ流れかねないというIOCの危機感に賛同し、共感し、それで福岡・九州なりの二十一世紀型オリンピックモデルを提出したのだ。
 更に。
 福岡・東京いずれの都市が世界戦に、つまりIOC選考に出た場合を想定しなければならない。国内選、つまり今の招致合戦はあくまで予選である。
 世界戦では両都市とも大きなハンデを背負う。北京オリンピックサイトの友人達に福岡オリンピックで福岡に加勢しているぞ、と言ったら笑われた。何故、そんな無駄な事するんだと、二〇〇八年北京の後は二〇一二年ロンドンでその次はアメリカ大陸の順番だ。
 このようなオリンピック開催都市五大陸ローテーション説は正しいが、二〇一六年の世界状勢を見誤ってもいる。又、当然オリンピックそのものの意味も変化するだろう事の予測が欠けている。
 二〇一六年オリンピック、世界各都市の立候補状態が浮かび上がった。
 アメリカはシカゴ、サンフランシスコ、ロスアンジェルスから一都市。南米はブラジル・リオデジャネイロ、チリ・サンチャゴ、アルゼンチン・ブエノスアイレス。カリブはキューバがハバナ。ロシアはプーチンの都市サンクトペテルブルグ。ヨーロッパ、ドイツからベルリンかハンブルグ。スペイン・マドリッド。ア ジアはインドがニューデリー。アフリカはケープタウン。イスラム圏からドバイ。
 福岡・東京両都市はこれらのキラ星の如き都市達と競争しなければならないのだ。
 当然、各立候補都市は先ずヨーロッパ票を狙ってくる。ロンドンの後に再びヨーロッパは無いだろうから。それ故に東京都知事石原慎太郎は春にロンドンに出掛けたのだろう。福岡市長山崎広太郎が北京に出掛けたのと同様に正しい表敬訪問先であった。馬の頭程の知恵の持主でもそれは解る。
 これからの世界戦の情勢を客観的に見れば、日本代表都市は先ず東アジア・東南アジア票を基礎票にしなければならない。アフリカとインド、そしてイスラムが立候補したから必然的にそうならざるを得ない。イギリスはEUと金融政策において一線を画しているから、ロンドンは独自に自立してしまった都市だ。ドイツがベルリン、ハンブルグのいずれかを出すのもその考え方からであろう。EUは一つの共同体であるから、これでヨーロッパ票を頼りにする事は出来ない。今の情勢を眺めれば、アジア、アフリカ、イスラム諸国の民族ナショナリズムへの志向は当分やみそうにない。それ故に、アフリカはアフリカに票を投じる。イスラムはイスラムに。そしてアジアは、残念ながらインドに票を投じるのは必定であろう。アメリカはアメリカ大陸に票を投じるかは不明である。アメリカがこれからの近未来で欲しいのはオイルだ。オリンピックよりはオイルだと考えるのは至極当然だ。だからロシア、そしてアラビアへ接近するだろう。
 この状況下で日本の両都市の世界戦略やいかに。
 当然、それはすでに考えられている必要があり、そのアイデアが計画書に反映されているのが当然である。

 福岡・九州オリンピック招致案にすでに示してある東アジアコモンハウスのヴィジョンによる東アジア・スポーツ文化圏構想を更にかみくだいて言う。
 この考えは世界戦に出た時の大きな武器になる。武器というのも物騒だが守る平和ではなく、創り出す平和への道具だ。これがオリンピック本来の大義であろう。正論中の正論だ。国内予選の計画概要書に於いて、福岡・九州は東アジア各地の競技場、トレーニング場をオリンピック本戦の練習会場として位置付けた。
 日韓共同開催であったワールドカップサッカー世界選手権大会の先例もある。地政に恵まれれば、二国、三国共同開催の実現も将来はあり得るかも知れない。平和のシンボルとしてのオリンピックであるならば、その方が自然な成行ではないだろうか。福岡・九州の計画案にはそのような可能性への展望も埋め込まれている。
 二〇一六年オリンピックに立候補はしなかったが、二〇二〇年オリンピックの開催都市として韓国の釜山が出るようだ。誠に喜ばしい。釜山の立候補には福岡のそれが力になったと思われる。東アジアコモンハウス構想はすでに動き始めているのである。
 福岡・九州が世界戦に出てからの戦略はすでに出来ている。磯崎新は世界海洋都市連合構想を今秋(二〇〇六年)にも発表する予定だし、二〇〇八年の北京オリンピックには〇八年五月から七月まで、福岡・九州のアジアコモンハウス博覧会が、オリンピックサイト内で開催される事の中国側の了解も得ている。

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