設計製図のヒント 3
石山修武
東北大学建築学科四年石山スタジオ 1

担当坂口大洋 TA加藤拓郎

協力結城登美雄

課題東北地方のしかるべき土地に、農と食の 21 世紀的モデルとして、ある種のスクールを設計しなさい。

愛子地区をセレクトしたグループ

阿部一仁

まちへ農をばらまく、が計画のキャッチフレーズである。愛子地区の時間を追ったリサーチは良かった。しかし、その歴史的な変化の読み取りがどう計画案に反映されているのかが不明なのが残念。近頃の学生の製図の典型でもある。リサーチはある程度キチンとやってそれを図化できるのだが、リサーチはリサーチ、計画は計画で分離してしまう。

リサーチにエネルギーをかける、よく土地の歴史を調べるという事は、要するに固いだけかも知れぬ自我を出来るだけ消去してゆく事、歴史や土地を敬する事を学ぶという事です。その点で阿部君の設計製図は過度なデザイン、自意識の過剰が見られないのは好感が持てた。

計画案はC・ムーアのシーランチ風の片流れ屋根棟とほぼフラット・ルーフの、平面計画に内外の貫入が試みられた棟の組み合わせである。シーランチ風の建築棟の断面には、風の流れを組み込むというアイデアの他にささやかではあるが新しい機能の発見への姿勢が見られたが、本人はそれを自覚しているか不明である。

しかし、キチンとした誠実な模型を作る努力はとても良い。

キム・ハンソク

広大な土地を、マスタープランを斜めにフレデリック・キースラーのエンドレスハウス状の有機的トンネル状空間が横切っている。ハッキリと途方もない案である。が、しかし途方もないというだけでイケナイと言ってはならない。この案には若い学生にしか表現し得ぬある種の普遍性を私は視たい。キム・ハンソクの問題点は近代建築、すなわち現代建築への基礎の歴史が良くは勉強されていない事にある。計画学は建築史学をも包含した文化的領域に属するものであるのだから、基礎的な教養としてそれは必須なのである。彼の場合は母国韓国の近代史をも含めて、日本と同様に複層的に近代史を学ばなくてはならぬ問題もある。

それ故に可能性も大きいのである。

キム・ハンソクの感性=総合的な知性はとても良いものがある。それが何処かで韓国の文化史に根を張り得る類のモノに育つ事を望みたい。

小松秀鴨

キム・ハンソクの設計製図案と同様に、ある意味では途方も無いものである。

この若者にも何処かに過剰なモノが潜んでいるのであろう。

当初のマスタープランに現われていた人間の骨格を思わせるストラクチャーは最終的は影も潜めた。全体に得体の知れぬ国籍不明なバナキュラー建築群の風景の如くになっている。例えば、それはトルコのカッパドキアの中世的バナキュラー風景への闇雲な憧憬の如きになってしまっている。

小松君の如きの才質に関心を持つのは、この彼の趣向が何処から発生して、三ヶ月を超える、年令的には人生最良のデザイン学習の時期をかいくぐらせたのかという、その一点につきるのである。要するに、彼が内発的な情動から、やむにやまれずにこのようなアイデアを提示したのか。つまり、本来、内発的な才質からのアイデアなのか、それとも異る因を持つものなのか、なのである。

この若者にもキム・ハンソク同様に指摘できるのは、近代 - 現代建築史への基礎的な素養の不足という事である。基礎的な近代建築の認識抜きに、かくの如き案が出現してきても全く、意味が無いのは明白である。キャラクターもそれ程悪くはない、むしろ良質なモノを持つ人材であろうから、今夏は死にもの狂いで近代建築史を勉強したら良いのではないだろうか。四年生になったら、それを知らないではすまされないのは確かな事でもあるのだから。

しかし、良いこだわりを持つ人材であるのやも知れないと思った。四年生で、こだわりを持つ事の不可能性に考えを及ばせなければならぬ現実を、さておいて。

上野達郎

荒井のサイト(フィールド)のエッジに、ささやかな、散在的計画を試みたものである。フィールドのエッジの価値に着目したのは良いと考えたが、総じて、表現のエネルギーが不足していた。

本来的に大学4年生の設計製図のトレーニングに最も必要なのは、総合的なエネルギーの表現なのである。その意味では上野君の制作は少々というよりも、自己のエネルギーの表現という事に関しては物足りないのである。

ついやすエネルギーの総体が建築設計能力の総体、全体とも呼び得るくらいのモノでもある事は確かだからなあ。

上野君の努力は少し計り、薄味なのだ、要するに。かくの如きは一生つきまといかねぬから、呉々も御用心と忠告したい。

人生は短い。

以上、四作を先ず、クリティークの対象とした。

東北大学建築学科四年石山スタジオ 2

愛子地区

眞霜孝裕

最終プレゼンテーションまでの取り組みはいささか感心できかねたが、最後はまとめてきた。でき得れば前回の中間発表の時にこれ位の案が提出されていれば、より良いアドヴァイスが出来たかも知れぬと、残念である。

眞霜君はもう少し建築を好きになる努力をした方が良い。これは簡単なようで実はむずかしい。でも、それに集中してみて、好きになってみると、日々の関心に中心が発生して、アイデアの引出しの数が増えてくる。

そうすると課題が提出された、その日のうちに、こんな考え方で先ずはやってみようかのスピードが生まれる。学生時代の設計製図は建築を好きになる、どんどん好きになるそこから生まれるエネルギーの表現につきるのではないか。

山日康平

良質な感性と思考力を持っている。東北地方の農と食を中心とするスクールを設計せよという課題を抜きに考えれば、良い答えであり、思考でありデザインであった。しかしながら、クリティークは良いモノであればある程に厳しいモノにならざるを得ない。彼の感性、趣向は実に都市的、しかるが故にスタンダードな類のものである。

原宿のブティック設計、デザイン等に表われる消費的とは言い切れぬだろうが、それに近い傾向を同時に嗅ぎ取るのである。

キム・ハンソクや小松にあって、山日に無いものがあるとすれば、内発的で野性的な力の如きものかな。まだまだ4年生だから、これは掘り起こしてみる必要があるかも知れない。長い目で見れば。まとめる才はあり余る程にある。まとめ得ない程の想い、力が不足している。無いモノねだりではない。二〇代では全て基礎体力の養生期間であると割り切って取組んでみたらいかがか。

農と食という主題は将来君が設計家として活躍するであろう 20 年後には実に自然な時代の主題となっているでしょう。恐らく、君の感性を持ってすれば、すでに君はその事を感じ取っているだろうと予測します。君達の時代は日本人の人口減少時代の真只中なのです。当然、建築デザインの中心的命題も変革せざるを得ない。

折角、東北の中枢に居るんだから、その利点、チャンスを最大限に生かすべきでしょう。

朴真珠

二本の小川状の流れをマスタープランの基幹構造として設定する興味深いものでした。君の場合は、むしろ東北大で基本的なモダニズムのデザイン、設計方法を学ぶべきだろうと思いました。後に触れるソン・チュヒョン君の計画案のような、バランスの取れた、過不足の無いモダーン・デザインの標準を先ずは身につけるべきでしょう。

記憶に残る風景をつくる、という様な高度な観念は(私はこの言葉にとても感じ入りました)基礎的な標準を得た上に築かれるべきではないでしょうか。

佐々木良岳

当初の極めてプリミティブな案から、いきなり考え過ぎてしまうモノに飛躍した。佐々木君はどうやらグレイゾーンの大事さ、文化的価値をまだ視界に入れていないようで、両極に飛んでしまうきらいがあるようだ。

しかし、余りにもハッキリとし過ぎる図形的認識の沼にいる事は間違いない。その単純さに陥らずに、あいまいな、グレイなエレガンシィの重要さに早く佐々木君は気付くべきかも知れない。

佐々木崇之

野菜の成育スケジュール、タイムテーブルを綿密にプログラム化しようとした点では大変、独自で、この課題に真正面から取り組もうとした意欲はとても良かった。

その、野菜の生育の謂わば人間の側から見られる劇場性、時間と植物(野菜)の成育、変化の多様性自体を主役にしようと考えた事は、正しいと思う。それ故、建築としては中心に農の劇場を設定しようとした、第二次案は可能性を有していたのだが、最終案ではそれが散乱してしまった。残念である。

ソン・チョヒン

マスタープラン、個々の建築デザイン、他に関して、とてもバランスのとれた良い成果であった。ほとんど欠点の見受けられぬ案で、同時に、強い魅力、力が見受けられぬ案でもあった。ソン君は将来どのようなポジションに立とうとしているかが一番の問題なのではなかろうか。

かくの如き才質は、みずから計画を創りあげ続けるというよりも、創られた案を冷静にチェックする、コントロールするという立場の能力がすでに顕在化しているように思う。冷静で、客観性を内在させる才質である。

大橋秀充

明快な意志のようなモノが良く表現されているが、その明快さが余りにも単純過ぎて、それ故にリアリティに欠けるきらいがあり過ぎる。もっと複雑に自分の考えた事をチェックする才覚を持つべきではないか。自分の考え方を見据えるもう一人の自分の眼が必要でしょう。

しかしながら、かくの如き強いイメージを持つ才質は大事でもあるのです。上手く、複雑になって下さい。

田名部香織

とても興味深い案でした。しかし、このアイデアが出現してくる由縁がよく解らないきらいも強くありました。

柔軟な受容力を持つ人材であると見受けましたので、今夏は図書館にこもって、近代建築史のほぼ全体を見渡す努力をされたらいかがでしょうか。きっと気に入った建築作品、作家に出会う事ができるでしょう。まだ、実物を見る、その体験は必要ありません。写真、図面他の間接的な資料に濃密に触れるだけで良いのです。まだまだ、とてつもなく若いのですから、先ずは帰依し得る、好きになり得るモノ、あるいは作家に出会う事が重要でしょう。

それが無ければ、何も始まらないとさえ言いたい。

とてもキャパシティの大きな受容力が君には備わっているのを直観しました。その受容力が大きな財産です。その個性を大いに生かしたいものです。

小さな私よりも、それは大きな才能だと思います。

東北大建築石山スタジオ講評 3

朴沢グループ

長坂光

建築デザインとしてみれば良くまとまった案である。しかもモダニズムデザインの規矩からも少しばかりの自由を目指しているところに現代性も見てとれる。

農と食を主題とせよという課題に対して、彼はその様な形式を出そうとする事で応えようとしたのであろう。

無いものねだりを承知で言えば、更に建築単体のデザインのみならず、マスタープランのデザインに迄エネルギーが及んでゆくと良かった。でも、これは仲々困難な事でもある。無いものねだりをしたいというのが私の直し様が無い習性なのだけれど、一度、学生時代に自分に可能な限りの遠投を試みてみるのも人によっては必要だろう。それが実に才質の中枢だとも思う。

乙坂譜美

「大きな家」というコンセプトというか、掛け声の如きはとても好感が持てた。とても柔軟な感性の持主だと思う。学生時代に最も重要な受容力も大きい。

初回の報告、二回目のプレゼンを見て、正直なところもっと延びるかと期待していたが、最終プレゼンテーションでの、延び、飛躍力が少々弱かった。

恐らく設計・デザインの基礎体力が少々不足であったのが因である。とても良い受容力と感性の持主であるから、夏休みにじっくり諸々の歴史的な計画案を図書館で一人眺め入ったりすれば、そして好きなモノを発見してコピー(自分でスケッチ)したりする努力をすると、一気に花開くかも知れない。

今のままでは少しばかりもったいない。

遠藤真哉

漫画、アニメーションへの自分の傾斜を表現しようとした。面白いねと、この感じでやってみたらと言うのは簡単なのだけれど、私にはそれは言えない。

自分の漫画への趣向を一度、冷静に計測した方が良ろしかろう。

建築学科で自分の漫画趣味を顕示するのはそれなりの独自性、個性が認められようが、これを漫画、アニメの専門科、専修科の学生として眺めれば、どれ程のモノであるのか、一度相対的に自己評価してみたらいかがか。

誤読を恐れずに言えば、自分の漫画好み、趣向を皆にさらすよりも、一人でこっそり楽しんでいる様な、そして、それをオクビにも出さぬ類の人間、学生の方が私には好ましい様な気もするが・・・あるいはコレは言い過ぎであるかも知れぬ、でも折角出会ってしまったのだから申し上げてもおきたい。

少々、劇画風の講評になってしまった。

真田菜正

面白い自由さを持った案である。が、しかしその自由さは多くを知らない故の産物であるやも知れない。

聞けばアントニオ・ガウディやカタロニア・モデルニスモ等には殆ど関心が無いとの事であったが、自分で自分の作ってしまった、特にプランをチェックしてみたらどうか。

アイレベルのパース、スケッチはとても健全でまともな感じです。プランと自分のフィーリングが離れ過ぎている。

どちらが君の地なのかな。

赤垣友理

この学生が私のみるところでは、この課題期間中に際立って伸びたように思う。

高学年の学生の設計製図の成果は突きつめるに、その学生のその時点の伸びである。

夜の竹ヤブの竹ノコの如くにグイグイと伸びた。乙坂さんと同様にとても受容力の大きさを感じさせる人材であったが、最終プレゼンテーションで辿り着いた水準は、その水準さえも超えようとしていた。

愛子地区グループの山田君の感性のある部分は外から入って作られたモノであるようにも感じられるが、赤垣さんは恐らく内発的なモノを自ら鍛え上げて、ここ迄辿り着いたと言えるだろう。

彼女のスタディを一言で要約すれば、生活感、等身大の想像力の発露である。今の時代の学生に最も必要なものだろう。ゆっくりと成長して下さい。楽しみにしています。

内海康也

モビリティから大地の家へとテーマを変えていったプロセスに潜在的なポテンシャル(可能性)を感じた。

学生時代の努力の形式はそれで良い。先は実に、気の遠くなる程に遠いのです。

土間への着眼といった具体的なアイディアがもう少しふくらみを持つようになると素晴らしいモノになっただろう。

以上早足でクリティークをしてみた。

私にとっては「農と食」と建築・環境・生態系への関心という今の時代のテーマとして重要なモノを課題にした事で、とても大きな体験になった。一度だけでも設計製図を介して、東北大建築学科の4年生諸君と附合えたのは良かった。この十八名の学生は私の学生でもある。

人生は短いし、世界も狭い。又、いつか何処かでお目にかかる事もあるでしょう。その時はキチンと声を掛けてもらいたい。

さようなら、又、会いましょう。

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