設計製図のヒント 2
設計製図のヒント
石山修武
58 時間の倉庫・照明
OP

自然の陽光と人工の光(照明)の違いを良く考えるように。自然光には太陽の光、月の光、星明り等がある。これ等は動く、と言うよりも回転する。人工光は動かない。

「時間の倉庫」の朝から夕方まで、光は建築の内外で回転を続ける。夜、北極星が視える頃、建築の内部は一切の光は静止したものとなる。死の世界である。アドルフ・ロースが述べた如くに、建築の始原は墓である、とそのまんまの世界が出現するだろう。

東南の二枚の壁は、コンクリートのテクスチャーは荒目でザラザラさせる。北東の壁はツルツルな光沢を持つ壁とする。

それ故に、東南のスロープに貫入させる木材を主とする照明器具のテクスチャーのコンセプトを先ず考えることをすぐ始めなさい。形はその後で良い。

照明器具はこの建築には本当は必要ではない。無い方が良い位なのだ。ただし、最低限の機能性、夜も歩けるように、トイレや洗面の便利さを確保できるように、の配慮は必要です。

できるだけ控えめなデザインにしなさい。

形よりも大事なものがある。足許を最低限どうボンヤリ明るくするか。そして必要な時には中心の大空間の明るさの度合いをどう設定するのか、それを考えなさい。

もう一つ、中央の大空間の南側寄りに 3.3m X 3.3m の小空間が将来生まれます。その中の光が夜の内の光の主役になります。だからスロープの照明はつつましく。実に控え目にする事。

ただし控え目なデザインの中に、静けさと、動きの二種類の性格を持たせる事は必要でしょう。

木の種類の選定も大事です。肌目だけで、二種類の性格を表現する事すら可能です。

光源のランプの光の性格の方がもっと大事ですけれど。

57 時間の倉庫・照明

四月十二日の「時間の倉庫」起工式での打合わせの結果四月二十四日迄に、照明(電気)給排水他のシステムを決め、施工図製作チームに渡さなくてはならなくなった。

それ故、スタディの速度をいささか早めなくてはならず。M1M0への与件を更に明快に限定したい。

一.はっきりした機能を持つサービス部分は単純に便利さと使いやすさだけで照明を考え、配置しなさい。これはスタッフの仕事。

二.サービス部分以外の大きなVOID空間は便利さ、使いやすさを超えた抽象性を持つ、照明配置の為のグリッドを平面、断面共に設定しなさい。その際に、前に伝えたように 300 の倍数あるいは3の数字を念頭に寸法を設定する。

三.らせん状スロープを内包する外の箱は 3m のグリッドで割り、らせんの内側の寸法は 3.1 で割ってみよ。

らせんのコーナーはそれぞれ 50@ づつ、内にグリッドを追うと、きれいな格子が出現する。

三タイプの微差を持つ寸法の三重のグリッドを平面に、そして、出来れば断面にも設定して、グリッドを立体化する。

先ず、その作業を集中的にする事。

寸法を決定する数字に先ず取り組む事。

四.その次に、それをベースに器具の形を決めるシステム作りにかかる。

これは、器具は木工大工の技術、技能だけで製作可能な事と条件を与えているので、自然に形は出来るでしょう。

56 時間の倉庫・照明

猪苗代湖鬼沼、時の谷の倉庫を「時間の倉庫」と名付けます。名付けるとデザイン可能になる。石山研修士ゼミ生はこの倉庫の照明システム、及びデザインを試みなさい、が研究室ゼミのスタートでした。

出題第一回の仮発表を経て、少しばかりスピードアップしなくてはならないので、私の考えているアイディアを少し計り伝えておきます。大事な順から。

一、時間と名付けられた倉庫である事を考えなさい。

二、木工大工さんが無理なく製作できるデザインである事。

三、全ての照明が連続した形を持つ事、同時に落ち入りやすい平明な均質化・標準化の中に収容されぬようにする事。

三は一を考え詰めると自然に出る答えですがそれこそ時間を省略する為に与件とします。前回のミーティングで君達から二つの案が出て修正され、M0は回転する(つまり時計のアナロジーです)、M1は絵巻物、のキーワードから出発する事が決まった。

ラセンのスロープの南面、西面と北面、東面を二辺に明快に分けて、立体化への気持ちをより強く表示する事もヒントとして示しました。

このカギ型の二辺を使い、先ず、照明器具の配置の数から考えなさい。数を考えるのにはルールが、仮説がどうしても必要になります。石山研のあらゆるとは言い切れないが、多くの創作物は3の数がキーになっています。

この時の倉庫のケースでは 3X9=27、及び 3X8=24(これは時間の解りやすいアナロジーです。)です。27 と 24 の間にある3のギャップを意識しなさい。それから、北への軸と、建築の軸とのズレも上手く使えたら良い。

日時計の如くになったら、余りにも安手で安直です。でも時間のアナロジーは使わざるを得ない。「数字が立体化」されていると良いな。

絶版書房交信 6 より 難波和彦さんとの討論

二月三日、昨日の鈴木博之先生の東大最終講義は実に立派な物であった。感銘を受けた。その大方の内容は、世田谷村日記に記した。あくまで、私のメモで、鈴木先生のレクチャーそのものではないのは断っておかなければならぬ。それと比較すると私と難波和彦先生との、絶版書房「アニミズム紀行1」を巡るやり取りは、ネット上のやり取りの形式内の限界はあると思うが、いささかの上滑りの感はいなめない。その大半の責は私の方にあるだろうとは思う。反省せねばならない。このままではいけないだろう。何故ならば、現今のペーパー建築ジャーナリズムにはキチンとした批評精神の発露が見られない。この体たらくが日本の住宅デザインの低調振り、特にそのデザイン風潮自体を支えるべき骨格の無さによるものでもあろう。それが全てではないにしても。

そこで、一つ提案がある。難波先生の箱の家、他の試みを私はその持続性とスケールに於いて評価する。難波先生のプロトタイプ志向に関しても理解したい。それが無い設計家、デザイナーはその成果(作品)の美醜に関わらず、うたかたな存在でしかない。ここ迄の認識らしきは恐らく表現の仕方は異なろうが共有するものであろう。前向きな議論をしたい。日本の近代史の中で、難波先生の箱の家シリーズ他の仕事に比較し得る素材を検討、研究してみようではありませんか。

例えば、藤井厚二の試行及び作品としての聴竹居の如き、あるいは、難波先生の師であった池辺陽のナンバーシリーズの如きを。そして、時には、作品としてのファッション住居群の批評も交じえてみてはいかがでしょうか。

絶版書房交信 10 より 難波和彦さんとの討論

難波和彦さんから呈示されたエピソードについて。(青本往来記2009年02月04日)

セキスイハイムM1(オリジナル)生産の論理からの産物。箱の家、生活の論理からのプロトタイプ呈示の主張である。エピソード紹介の手始めどころか、いきなり問題の中心の一つが示された。

難波さんから具体的に呈示された問題にも私なりの意見はあるが、その前にセキスイハイムM1に於いて大野勝彦が考えていた事を紹介しておきたい。難波さんの言う生産の論理の枠組みを考えてみたいからだ。

大野勝彦さんは箱形のスペース・ユニットを開発するにあたって、こんな事を考えていた。

「箱は本当はね、住宅の為に生産されるべきではないんだ。もっと広範な社会的産物として生産されるのが理想なんだ。」

つまり、オフィスにも商店にも病院にも、勿論集合住宅にも、あるいはそれ等の基本的な骨格を構成する細胞の如くとして、スペースユニットを考えていたのである。つまり、社会的総空間のインフラストラクチャーとしてのスペースユニットである。

一九六〇年代内田元享氏によって「住宅産業論」が提唱された。その要旨は、日本の将来に育成すべき産業の形態へのヴィジョンとでも言うべきものであった。当然、まだ当時は今の如くのコンピューターエイジへの転形は強く大きく予測されてはいなかった。それ故に今から思えば少しばかり古めかしい産業論であるかに視えるけれど、それは時代そのものの転形からくるもので仕方の無い事ではある。内田元享の住宅産業論の骨子を私なりの記憶を掘り起こしてみれば、自動車産業と同様な産業形態を持つ企業を育成すべきだというモノであった。自動車会社と同様に数社に絞る形での大住宅企業をリーディングカンパニーとして日本に育成すべきだというのが骨子だ。

大野勝彦さんの箱形住宅と内田元享氏の住宅産業論との関係は知らぬ。しかし当時を振り返れば大製鉄会社であった八幡製鉄が東方洋雄氏のアイデアによる人工地盤に箱形スペースユニットをセットするYNSUと呼ばれるプロジェクトを進めており、経済成長の後押しもあり、住宅産業論が現実化への可能性を持つものとしても考えられていたのである。大野勝彦さんの箱形住宅、スペースユニット構想もその様な時代の後押しがあってのものだったと、今にして思うのである。

時代は変わった。それは確かな歴史そのものだ。しかし、生産の論理というのはその様なスケールでも考えてみたいというのは今の時代でも何の変わりも無いと考えますが、いかがでしょうか。

絶版書房交信 14 より 難波和彦さんとの討論

難波和彦先生

二月十日付の先生の日記(青本往来記2009年02月10日)に書かれた議論を読みました。YNSUと池辺陽研究室の関係、さらには難波先生との関係も良く解り興味津々たるものがありました。

私が何故大野勝彦を知ったのかもう定かではありませんが、雑誌「建築」の仲介があったように、しかしうろ覚えです。東大内田研のまだ博士課程に在籍していたんじゃないかな彼は。良く議論して、良く呑みました。夜九時から呑み始めて、翌朝の七時迄ウィスキーの角ビンを二人で三本開けて、おたがいにケロリとして、又仕事に戻ったという馬鹿な日々を送っていました。住宅の話しばかりしていた。先日、鈴木博之先生の最終講義にも大野勝彦、難波和彦の名が記録されており、胸のつまるような気がしたものです。当時の内田研、池辺研の競い合いは、今想えば歌舞伎の大舞台の如くで、難波先生が池辺研に入室した頃が戦後の住宅の時代の華だったのではないでしょうか。

あれからたかだか 40 年の歳月です。内田研の伝統は松村秀一先生が継承され、池辺研の伝統は難波先生が確実に継承されている。「工業化の道」を書いた建築史家渡辺保忠先生と「住居論」を残した吉阪隆正先生の遺伝子は僕の中に確実に在ります。

ところで、今朝の新聞TVは一斉に小泉純一郎元首相が麻生太郎現首相を「怒るというよりも、笑っちゃう、ただただあきれるばかり」と痛烈に批判しています。このタイミングにこの発言は恐らく大きな波紋を呼びおこすのでしょう。

僕が難波先生にネット上で真っ当な議論をしませんかと、持ちかけたのも、おおそれながら、小者の私だって「笑っちゃう」としか言い様のない日本の住宅の現実があるからです。

「幻庵」「開拓者」の家の作家石山と、一九七五年アメリカからの住宅部品輸入、コンテナを物流ユニットとして使用した実行者としての石山が矛盾そのものの存在としてあります。それを自覚したうえでの先生への問いかけでもあるのです。長い時間が、だからかかりそうです。急ぐつもりは全くありません。

いずれ議論は住宅の価格に踏み込むべきか、どうか迷っています。それが私の住居論の根本に在るからですが、これは簡単な答えは得られる筈もない。ただ先生が言われるように「世界の物流システムを根底から再編成した」コンテナについての現状を申し上げると、世界中をそれこそ細胞の如くに流通しているコンテナの殆どが中国の上海で生産されていて、北京オリンピックの鉄材高騰のピーク時に於いても、40 フィート( 12 メーターロング)のフルコンテナ、つまりスペースユニットは日本円で一ユニット 56 万円〜 60 万円であった事実だけは申し上げておきたいと思います。

秋くらいにはその議論に辿り着けると良いなと考えているのです。

「部品の巨大化・スペースユニット化と多様化をめざした工業化は一九六〇年代の発想である。むしろ部品のサイズを人体に合わせ、高性能化し、その組み合わせによって住宅の多様性に応えるのが、これからの住宅工業化のあり方ではないか」と言う、先生の考えに同意します。

私はスペースユニット化を今更支持する者ではない。内田研出身の剣持れい(日に令)氏の規格構成材方式については、それではどのようにお考えでしょうか。

六〇年代当時部品のオープンシステムか、セキスイハイムのスペースユニットのクローズドシステムかの議論が一部にあった記憶があり、最近では磯崎新が二〇世紀の住宅はチャールズ・イームズの自邸ケース・スタディハウスにとどめを刺すという指摘もありましたが。

二月十三日 石山修武

(追) 内田元享氏の「住宅産業論」は本にはなっていません。調べることはしませんが、当時の文芸春秋か中央公論だったかに発表されたものでした。石山研の卒論で取り上げた学生もいました。

絶版書房交信 17 より 難波和彦さんとの討論

二月十五日付けの難波和彦先生のコメントに対して。

十六日付の世田谷村日記に私なりの難波和彦さんの議論を要約して記した。その問題に入る前に、少し気付いた事があるので記しておきたい。ネット上でのやり取りである。手許に資料を持たぬままに不正確な数字年代その他を述べる事もあるだろうが、その点は許されたい。

先ず、第一にイームズ・ハウスの土地に並ぶユーカリの樹列に関してだが、ユーカリの樹列を光のスクリーンとしてとらえるか、太陽光のエネルギー制御装置としてとらえるかに考えがゆく前に、イームズ・ハウスの土地の広さに想いをいたす事も必要なのではあるまいか。ユーカリの樹列を配す事を考えられる事自体が可能な敷地が、一般的なものであるとは日本では考えられぬ。住宅のプロトタイプを考えようとする建築家であればその事にも当然眼がゆくのではないか。

これは大事な事だと思う。プロトタイプそのものの形式に考えを巡らせるならば。住宅と車の最大の違いは、それが土地に結びついているか、それから自由であるかであろう。しかし、思考そのものは、特に思考自体の普遍を目指す時(思考する事自体が常に深くその性格を内在させているように思うが)は、それが住宅についてであれ、建築についてであれ、表現についてであれ、土地との関係は、時に自由であり、時に密実に結びつくものだろう。

難波和彦さんの箱の家シリーズの土地の広さを詳細に検討してはいないが、恐らくその大半がユーカリの樹列どころか、複数の大型樹木を植える事も出来ない土地なのではないかと憶測する。恐らく、それは広義に住居というよりも、都市型、あるいは郊外型住宅の一種なのではないか。しかも、日本に余りにも固有な土地の値段の異常振りに左右された、日本的固有、日本的特殊性に立脚したものでもある。

それ故に、かつての最小限住宅の試みと同様に、その価値は、やはり日本の土地の固有性に枠付けられたものであろう。日本の土地の固有性の枠内でのプロトタイプ志向なのではあるまいか。

この様に考えるようになったのは最近の事で、自分を振り返ってみるならば、古今東西の住居を思い浮かべ、考えるに土地の枠をあんまり意識してはいなかったナアと、つくづくと思うのだ。そんな事、当り前じゃないかと一蹴される前に、どうなんでしょね。特に我々は、洋モノの影響を受け続けているし、又、それを教育し続けてもいるから、その辺り迄遠廻りして議論すると、面白いんじゃないだろうか。

ちなみに、幻庵の土地は千八百坪強。開拓者の家は二万坪だったかな。川合健二の自邸は千八百坪です。全て今の日本では特殊です。与件自体が。

私がコルゲートチューブの連作を中断したのは、幻庵、開拓者の家でやれるところ迄やってしまったと自覚したのと、これは広い土地に孤立していて、はじめて価値があると気付いたからでもあります。アレがゴロゴロ郊外や、都市内に密集した風景は考えられなかったのです。流石に、我ながら。

絶版書房交信 18 より 難波和彦さんとの討論

二月十六日付けの世田谷村日記で要約した、二月十五日付けの難波和彦さんのコメントに関して、入り込んでゆきたい。

二.のライフスタイルはデザインできるか、に関してと、三.のDIYについて、は僕にとっては実のところ同一の世界である。あるいは卒直に言えば、同一の世界でありたい。

アメリカ人は何故、自分でモノを作りたがるのかに対して難波、松村両氏は職人(大工)の労賃が高いからだとまさに唯物論的に納得している。

私もそう思う。しかし、それだけではない。

自分のモノは自分で作ろうとする趣向はアメリカ人の気持ちの中に奥深く息付いていた。例えば、それは「ウォールデン森の生活」の作家、ヘンリー・デービット・ソローのDIYによる小屋作りを思考のプロトタイプとして、脈々と継承されてきた。

R・バッキー・フラーのドーム理論もその最良の部分は誰もが自分で出来るようにと言う考え方であったし、恐らく、チャールズ・イームズのモノ作りへの姿勢にも色濃く反映しているに違いない。

僕は、当然の事ながら戦後(第二次世界大戦、対米戦争)敗戦によって移入された民主主義教育を色濃く施されている。ウォルト・ディズニーの「砂漠は生きている」や美しいアニメーションは小学生の頃、学校の授業の一環として映画を視た。

戦勝国のアメリカは光り輝いていたのであった。少なく共一九五九年のヴェトナム戦争迄は。

本当に光輝いていたのはモノをキチンと作っていた時代迄である。グローバライゼーションの渦の今のアメリカは病んで崩れている。モノを作らずに、マネーゲームにうつつを抜かしているアメリカに、可能性を視る事は今のままでは出来ない。

初期アメリカのモダニズム・デザインは、ヘンリー・デービッド・ソロー、ホイットマンの思考モデルを強く帯びていて、それがヨーロッパのバウハウス・スタイルのモダニズムとは異なる、アメリカン・プラグマティズムの骨格のプロトタイプである。

ライフスタイルに引寄せて言えば、そこには実に健全な精神が存在していたのだ。

デザイン史に於いてはバウハウス流のモダニズム・デザインとアメリカン・モダーンは異なる世界であったのではないかと、僕は考えたい。

僕自身がヘンリー・デービッド・ソローに接近したのは遅れて一九七〇年になってからだ。住宅用の材木を買付けに西海岸に行っていた頃、サンフランシスコの本屋で、ドーム・クック・ブックやシェルター誌、ホールアースカタログ等に触れて、その背景にヘンリー・デービッド・ソローの思想が在る事を知った。そして、僕にとってのライフスタイルという概念は以来そのようなものであった。

少なく共、私が受けたデザイン教育は色濃くバウハウス的なものであった。アメリカン・プラグマティズムの根はソローの森の小屋作りだ。そして、それは東海岸のマサチューセッツから西へ西へ、つまり、フロンティアとしての西部へと、今の西海岸へと開拓されていったのである。

まだ言葉が足りぬ感もあるけれど、二.のライフスタイルについてと三.のDIYについての僕の考えを少しばかり述べてみた。要するに僕は、理念としてのバウハウス・タイプのモダーンを教育されたけれど、それに余り馴染めなかった。それでアメリカン・モダーンの中に自分の趣向のプロトタイプを求めていったのだ。

一.の僕自身の固有の作品とプロトタイプへの志向の分類の矛盾についても、僕の矛盾は、極度のプロトタイプを志向するが故の矛盾であると、いささかの自負と同時にそうせざるを得ぬいらだたしさをつぶやきたい。

難波和彦さんが「箱の家」「無印住宅」に託そうとしているライフスタイルの内実をうかがいたいと思います。

絶版書房交信
設計製図のヒント 4 東大・早大共同設計製図課題 '09
設計製図のヒント 3 東北大学建築学科四年石山スタジオ '09
設計製図のヒント 1 東大・早大共同設計製図課題 '08
設計製図のヒント
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