石山修武 世田谷村日記

2006 年9月の世田谷村日記
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 八月三十一日 昨日新高輪プリンスホテルで福岡・東京の二〇一六年夏季オリンピックの最終プレゼンテーションがあった。十三時から十六時迄。休憩を挟んで五十五名による投票が行われた。結果は皆さんの良く知るところである。三十三票対二十二票で福岡は敗けた。大方の予想通りの結果だった。私も予想通りになるだろう事を予想していたので驚きもなかったが、余りにも予想通りの筋書きであった事に、その事実の明らさまな露出に失望せざるを得なかった。JOCは日本社会の縮図であった。ナショナリズム発揚の前の段階の意識水準である。この一年程の社会的ドラマの筋書きはJOCの幹部によってデザインされたものだった。そのデザインはリアリズムそのもの、すなわち「JOC商店」振りを良く示していた。指摘しておきたい事は余りにも多くあるが、今は負け犬の遠吠えになる。

 プレゼンテーション会場で東京のプレゼンテーターを勤めた安藤忠雄に会った。勝者東京のグランドデザインを担当する安藤忠雄は二〇一六年オリンピック開催地が決定する二〇〇九年秋までこのJOCの連中と附合う事になる。「ケッタイな社会やで」と笑い合ったが、安藤もこれから三年苦労するだろう。いい苦労になるのを祈ってこの八カ月の対JOC戦の幕を閉じる。

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 明日三〇日は芝高輪プリンスホテルで二〇一六年オリンピック招致国内予選の投票による決定が行われる。大方の予想は東京優位である。しかし選挙である。何が起こるか解らぬ。最後まで、つまり今日迄手を抜かずに出来るだけの事をしたい。
 この一年弱(正確には八ヶ月)福岡に加勢してきた。その中で実に多くの事を、実体験を介して学んだ。六〇の手習いである。
 「正論」とは何か。正論を最も良く表すものはスポーツの世界である。国体競技であれ、個人競技であれ、スポーツ選手の身体を介した競技の実体はあらゆる政治的思惑、経済的指標から離れて、明快を極め尽くし歴然たる結果を示す。
 しかしながら、それ程事は簡単ではない。競技の質が上がる程に、スポーツは政治的、経済的な世界に限りなく接近する。
 小学校の運動会には政治、経済は介入する事はない。しかし、現代は小学生の身体能力の高い子供の日本の競技会がある。その競技会を観察するに、子供のスポーツの世界も高度な世界には当然すでに経済が入り込んでいる。競技施設、スポーツ教育には金がかかる。高度な身体能力を磨くのには多額の金がかかるのだ。日本新記録、そして世界記録を達成し得るが如き身体の育成には金がかかる。
 それでJOCの如きスポーツ政治団体が必要となる。それは必然である。
 フィギュア・スケートの大器、浅田嬢がトレーニング場、コーチを変える為にアメリカに渡った。卓球の福原愛嬢は中国大陸でのトレーニングを一時中断して早大人間科学部に受験を決めたようだ。
 これ等の逸材の外国でのトレーニングの方法に対する志向は大事だろう。
 ジャイアンツの松井秀喜選手のニューヨークヤンキース入り、イチロー選手のシアトルマリナーズ入りと同様に、これ等の高度なアマチュア選手は、その志が、つまりオリンピックで勝利するという明快な目的に対する意志が高ければ高い程にその目的に対するプロセスを国際化してゆく事になるだろう。すでに野球と同様にフットボール(サッカー)もそうなっている。ヨーロッパのクラブチームに属せない選手は明らかに二流であり国際戦では役に立たない。今春のワールドカップの当然至極の惨敗振りが良くそれを示している。JOCはオリンピックの為に組織された団体である。名は体を表す。オリンピックの為に選手団を組織し、そしてその選手育成に力を尽くす団体である筈だ。繰り返すが、スポーツそのものは正論を表し易い。国境を越え、肌の色を越え、優劣、勝負が解りやすい。要するに極めて個人の能力の表現色が強いものである。そして国を越えて、一気に世界と結びつく可能性を持っている。
 オリンピック・ムーブメントを総体的に客観視すれば、これは公共投資であり、同時に官民一体の投資の総合的運動体である。JOCはその総合的投資の受け皿であろうか。又、公共投資的性格を持ちながら一番公民(国民)の眼に触れ難いものである。
 「オリンピックは参加する事に意義がある。」
 それ故、四年、あるいは冬季オリンピックを含めれば二年毎に大量の選手団、役員団、メディア団を日本はオリンピック開催地に送り込んできた。それだけではない。その為の準備他に巨額の投資も行っている。今も北京オリンピックへの準備で大きな金が動いているだろう。JOCおよびそれを助成する団体、企業の仕事である。
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 八月二十六日 日本経済新聞夕刊より
 二〇一六年夏季五輪、ゴールドマンサックス福岡に投資か ロンドン発
 二十六日付の英フィナンシャル・タイムズ(FT)は米証券大手ゴールドマン・サックスが二〇一六年の夏季五輪開催の国内立候補都市を東京と争っている福岡市の計画に投資する方向だと報じた。同証券日本法人社長が明らかにした。
 五輪の国内立候補地選考は三十日に五十五人の選定委員による投票で決まるが、日本オリンピック委員会(JOC)は二十五日に評価報告書を発表、福岡の開催計画の用地取得などに「懸念」を示していた。
 八月二十五日付 FINANCIAL TIMES
Goldman may fund Fukuoka's Olympic bid
By Michiyo Nakamoto in Tokyo and Peter Thal Larsen in London
Published: August 25 2006 20:00 | Last updated: August 25 2006 20:00

Goldman Sachs, the US investment bank, is planning to put its own money into a bid by the south-western Japanese city of Fukuoka to host the 2016 summer Olympic games.
Goldman, which is advising Fukuoka on the commercial viability of hosting the games, said it was prepared to commit its own funds to help pay for the infrastructure development and was confident the project would pay "sizeable returns".

 以下、FINANCIAL TIMES "Goldman may fund Fukuoka's Olympic bid" をご覧いただきたい。
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 朝日新聞夕刊に連載中の「五輪ドリームズ 福岡・東京 十六年大会招致合戦2」にこんな事が紹介されている。
『・・・こうした選挙運動の成果か、JOC評価委員会は今月二十五日、東京有利との報告を公表した。ある都幹部は、「どちらが世界で戦える都市なのかは、東京が名乗りを上げた時点で明らかだった。福岡と争った期間も、国際オリンピック委員会(IOC)委員に働きかけた方が、よほど効率的だった」とうそぶいた。』
 とある。
 一方、西日本新聞には同日、こんな記事が。
『(JOCが)二十五日公表した評価報告書について、福岡市幹部は「思っていたよりも評価してもらった」と安堵の表情を浮かべたが、勝ちにこだわる山崎広太郎市長は「東京の評価が甘い」と不満をもらした。』
 この記事のささいに見える相違、このギャップには現代日本の縮図が浮き彫りにされている。親しい取材記者に対した気のゆるみはあるだろうが、かくの如き発言をする、東京都幹部職員のおごりとは何か。
 福岡市役所幹部の、必要以上に謙虚な、発言も問題ではあるが。
 格差社会への具体的提案としての性格は福岡のプロポーザルの基本の一つである。格差社会の痛切な現実が両都市の幹部発言から読み取れる。東京都幹部は地方都市の現実を突き放し、地方都市の幹部はそれに従順だ。福岡のプロポーザルにはこんな現実をどうにか打破したいというアイデアがある。オリンピック招致戦を戦い、そして東京に勝ってみせる事でそのモデルを示そうとしている。日本の現実に対して極めて大事なプロポーザルなのである。
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 福岡・九州のオリンピック招致案はIOCが三年前に打ち出した。現ロゲ会長の新路線を、そのまま正面から受け止め計画としてまとめたものだ。前IOC会長サマランチの商業化、拡大化路線の見直し、路線変更こそが現IOCの旗印でもある。しかし、その理想と現実はまだ融合していない。二〇一六年にはそれが合体したプロポーザルをそろえたいと考えているに違いない。
 ここ一年程を共にした九州・福岡人は誠に生一本である。そうか、そういう事ならば取り組む価値がある。どんな困難に面してもやり遂げようと考えた。政治的であるよりもスポーツ人の精神により近かったのだ。  福岡案はIOCの現在の路線をそのまま、ハッキリと具体化しようとするものだ。IOCがヴィジョンとしながらも実現できぬものが計画案として示されているものだ。だからこそ、福岡・九州は自信を持って世界戦に通用し、勝ち抜けるモノを提出した。これはIOCロゲ会長のヴィジョンを肩代わりした、そういう計画案である。
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 八月二十六日 新聞各紙は再び一斉に五輪招致問題をとり上げた。二十五日のJOCの評価報告書公表、及び記者会見を受けてである。各紙共に東京の優勢を伝えている。全国紙、地方紙(九州)共に読破。又、公表されたJOCの評価報告書も全て精読した。

 JOCの評価報告書は矛盾と苦渋に満ちたものである。詳細・精密・客観的に書かれた大部の評価報告部分と最後の数頁のまとめ、総括に明らかなねじれが視てとれる。要約すれば大部の評価報告は福岡を支持し、まとめは東京を支持している。どんな政治的力学が動いたかは知らぬ。しかし明らかに何かの力が動いた。
 ほとんど全ての新聞、メディアが計画概要書は圧倒的に福岡が良しとしている。しかし、その良しを東京の財政力が覆い尽くして視えぬモノとする力が働いている。その力を都市力、都市の底力なんて居直っているのが東京だ。
 朝日新聞が社説で正論を述べている。
 asahi.com :朝日新聞今日の朝刊-社説(2006年08月26日(土曜日)付 )をご覧いただきたい。

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 福岡・九州オリンピック招致案にすでに示してある東アジアコモンハウスのヴィジョンによる東アジア・スポーツ文化圏構想を更にかみくだいて言う。
 この考えは世界戦に出た時の大きな武器になる。武器というのも物騒だが守る平和ではなく、創り出す平和への道具だ。これがオリンピック本来の大義であろう。正論中の正論だ。国内予選の計画概要書に於いて、福岡・九州は東アジア各地の競技場、トレーニング場をオリンピック本戦の練習会場として位置付けた。
 日韓共同開催であったワールドカップサッカー世界選手権大会の先例もある。地政に恵まれれば、二国、三国共同開催の実現も将来はあり得るかも知れない。平和のシンボルとしてのオリンピックであるならば、その方が自然な成行ではないだろうか。福岡・九州の計画案にはそのような可能性への展望も埋め込まれている。
 二〇一六年オリンピックに立候補はしなかったが、二〇二〇年オリンピックの開催都市として韓国の釜山が出るようだ。誠に喜ばしい。釜山の立候補には福岡のそれが力になったと思われる。東アジアコモンハウス構想はすでに動き始めているのである。
 福岡・九州が世界戦に出てからの戦略はすでに出来ている。磯崎新は世界海洋都市連合構想を今秋(二〇〇六年)にも発表する予定だし、二〇〇八年の北京オリンピックには〇八年五月から七月まで、福岡・九州のアジアコモンハウス博覧会が、オリンピックサイト内で開催される事の中国側の了解も得ている。
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 このハンデ付レースの考えを突き詰めてゆくと、こうなる。
 日本にオリンピックを招致する都市は首都東京しかあり得ません。他都市は立候補などもっての他ですぞ。この考え方そのものを福岡、九州は二〇世紀型のオリンピックとして過去のものと見なし、本来の都市のオリンピックとして広く世界に敷衍化しようとしたのである。つまり、オリンピックを原点に近づけようと願った。巨大化、商業科、利権化の方向へ流れかねないというIOCの危機感に賛同し、共感し、それで福岡・九州なりの二十一世紀型オリンピックモデルを提出したのだ。
 更に。
 福岡・東京いずれの都市が世界戦に、つまりIOC選考に出た場合を想定しなければならない。国内選、つまり今の招致合戦はあくまで予選である。
 世界戦では両都市とも大きなハンデを背負う。北京オリンピックサイトの友人達に福岡オリンピックで福岡に加勢しているぞ、と言ったら笑われた。何故、そんな無駄な事するんだと、二〇〇八年北京の後は二〇一二年ロンドンでその次はアメリカ大陸の順番だ。
 このようなオリンピック開催都市五大陸ローテーション説は正しいが、二〇一六年の世界状勢を見誤ってもいる。又、当然オリンピックそのものの意味も変化するだろう事の予測が欠けている。
 二〇一六年オリンピック、世界各都市の立候補状態が浮かび上がった。
 アメリカはシカゴ、サンフランシスコ、ロスアンジェルスから一都市。南米はブラジル・リオデジャネイロ、チリ・サンチャゴ、アルゼンチン・ブエノスアイレス。カリブはキューバがハバナ。ロシアはプーチンの都市サンクトペテルブルグ。ヨーロッパ、ドイツからベルリンかハンブルグ。スペイン・マドリッド。ア ジアはインドがニューデリー。アフリカはケープタウン。イスラム圏からドバイ。
 福岡・東京両都市はこれらのキラ星の如き都市達と競争しなければならないのだ。
 当然、各立候補都市は先ずヨーロッパ票を狙ってくる。ロンドンの後に再びヨーロッパは無いだろうから。それ故に東京都知事石原慎太郎は春にロンドンに出掛けたのだろう。福岡市長山崎広太郎が北京に出掛けたのと同様に正しい表敬訪問先であった。馬の頭程の知恵の持主でもそれは解る。
 これからの世界戦の情勢を客観的に見れば、日本代表都市は先ず東アジア・東南アジア票を基礎票にしなければならない。アフリカとインド、そしてイスラムが立候補したから必然的にそうならざるを得ない。イギリスはEUと金融政策において一線を画しているから、ロンドンは独自に自立してしまった都市だ。ドイツがベルリン、ハンブルグのいずれかを出すのもその考え方からであろう。EUは一つの共同体であるから、これでヨーロッパ票を頼りにする事は出来ない。今の情勢を眺めれば、アジア、アフリカ、イスラム諸国の民族ナショナリズムへの志向は当分やみそうにない。それ故に、アフリカはアフリカに票を投じる。イスラムはイスラムに。そしてアジアは、残念ながらインドに票を投じるのは必定であろう。アメリカはアメリカ大陸に票を投じるかは不明である。アメリカがこれからの近未来で欲しいのはオイルだ。オリンピックよりはオイルだと考えるのは至極当然だ。だからロシア、そしてアラビアへ接近するだろう。
 この状況下で日本の両都市の世界戦略やいかに。
 当然、それはすでに考えられている必要があり、そのアイデアが計画書に反映されているのが当然である。
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 八月二十五日。昨二十四日新聞各紙は一斉に二〇一六年オリンピック招致競争は東京優位の報道をした。二度目の東京優位報道である。最初は十日程前。これはJOCの評価委員会での討議の内部事情を一部委員が新聞にリークしたものである。この件に関してはJOC評価委員長でもある林JOC副会長が謝罪したと公にされた。しかし今や情報戦の模様を呈する迄になった福岡対東京戦ではこの一回目のリークによる報道は大きな効果を及ぼした。
 七月末での福岡優位の状勢が逆転されたのである。七月末の福岡優勢の根拠はパラリンピックを含めた三〇競技団体の評価が福岡に傾いていたからだ。これは二十四日の報道でも明らかにされている。一八五点満点の採点で四ポイント強の差をつけて、福岡が優位に立った。福岡良しとした競技団体の数も福岡が上廻った。イーブンとした団体が少なくなかったのも特色である。何故特色かと言えば同点票は謂はゆる白票と同じに、この競争の方法、形式に対する根強い批判票である事が多いからだ。物言わぬ批判票である。
 二十四日の各紙新聞報道の東京優位説(あくまで説である事が重要だ。)、その根拠を要約すれば、財政と都市の総合力に於いて東京が優位であるという事だ。更に言えば東京は四千億円の積立て金を用意できるであろうという事と、飛行場の問題、ホテル数の問題等、都市自体のグレードの問題であるが、その基盤になっている。
 四千億円の積立て金に対しJOCは評価するとした。この件に対しては日を改めて述べる。この四千億円という「絵に描いた餅」が実に不思議な存在である事は重要である事を指摘しておく。東京都の財政事情は他に山積している問題を残して、まさかオリンピック関連事業に多額の予算を費やす態勢になっているのか。都民はそれを監視してゆく必要があろう。一千億円/年を積み立ててゆく使途は当然公表されなければならぬ。  次に、都市のグレードについて、これは猫程の頭の持主でも理解できる。首都と市である。その力の差は歴然としている。それを承知で福岡市はこの招致合戦に手を挙げた。今更文句を言う筋合いではない。
 問題なのは、その都市のグレードの差が招致競争の開始時に明らかにされていなかった事だ。そしてグレードの内実に対する考え方もだ。この様に例えれば解り易い。  オリンピック開催都市選考レースを開始します。これは国内予選です。二百米の短距離走で決めます。福岡は都市のグレードに於いて、又、財政に於いてハンデがあります。それ故、東京はスタートラインを福岡よりも三〇メーター前にします。それで良ければレースに参加してスタートしなさい。
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 昨日十日は福岡市がJOCに公的な申し入れを行った。基本的には東京都の石原慎太郎知事の発言に対する抗議だけではない事が大事だ。JOCの対応に対して、不公正ありと申し入れているのだ。今朝の新聞各紙にそれが報じられてはいるが、扱いは軽い。
 十時半稲田堤星の子愛児園。園長先生とメンテナンスの打合わせ。その後厚生館でK理事長と会う。バルセロナの外尾悦郎の話しが出た。西調布N先生に会い、午後遅く研究室へ。
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 午後、シュトゥトガルトのカイの両親と会う。二〇分程であったが、素晴らしい大人達であった。家系は数学者が連綿として続いている。二十八才のカイをこよなく信頼し、愛している。しかもつかず、離れず、見守っている。このスタイルは日本の今にはない。ドイツに帰る前日に夕食を共にする事を決める。軽井沢のOさん来室。打合わせ。大まかな方針を決める。十七時、ときの忘れもの、Wさん夫妻、S君来室。十月六日から個展を開く事を決める。やってみようか。内容迄色々打合わせする。二〇時頃、スタッフと新大久保の韓国料理屋へ。二十三時迄。二十四時頃世田谷村に戻る。今日は福岡市がJOCに正式な申し立てを行ったと聞く。
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 十日朝杏林病院定期診断。ここ三ヶ月病院にも来れなかったので懐かしい様な感じ。待ち合いスペースで、つれづれなるままに思いを巡らせるに、ジャーナリズム自体も又弱体化しているという現実である。個人の責任と気概で動いている記者が今世間に存在しているのかな。少し残念ではあるが、仕方ないものは仕方ない。文句は言わない。
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 午後研究室雑用。X氏よりJOC組織のレクチャー受ける。聞いてみれば自明の理ではあるが、余りにもハッキリしているところが笑える。しかし、かくの如き政治的状況は福岡オリンピック招致に関わる時にすでに本能的に知っていた事であるから、今更、何も言う事は無い。
 夕方新大久保駅前近江屋で一息ついている時にアレヤ、コレヤ動こうとするのも東京の街中に納まるだけだ、と、これも又、自明の理の理屈を聞き、成程と思い、研究室に戻り、考え直してみる。考えた事は発送。明日リアクションがあるだろう。二十三時過世田谷村に戻る。台風は通り過ぎ、月が程々に美しい。程々というところが惜しい。
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 大阪のA氏より、Wカップの際の賭けの件連絡いただく。シェリー酒を送って下さったそうだ。そうだった、そう言えばあの賭には勝っていたなと嬉しく思い出した。A氏には笑って再会したい。
 台風が南方海上に幾つも発生し、とんでもない天気図状態になっている。まるでオリンピック招致合戦の様だ。九日午前は休む。
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 ダムダン竹居氏と打合わせ。竹居は蜷川幸雄が旗上げした劇団ゴールド・シアターのオーデションを受け、見事千人以上の中から四十数名選ばれた中に入ったそうだ。何才以上の劇団かは聞きそびれたが、一番年長者は八十一才との事。つまり高齢者ばかりの劇団なのである。彼いわく、今や時の人なんだそうである。週五日の厳しい稽古にも耐え抜いていると言う。来年は第一回の公演、いずれロンドン興行なのだそうだ。会社の事をキチンとしながらの事だから、矢張りこれは快挙である。昼食を共にし、研究室に戻り、幾つかの打合わせ。十六時半磯崎アトリエ、打合わせ。十八時過神田岩戸で馬場昭道、毎日新聞T氏、スポーツニッポンS氏と会食。T氏には佐藤健の企画していた阿弥陀の来た道の幻の最終回の件を聞きたかった。二十一時過別れて、再び六本木へ。S氏等と打合わせ。二十四時半迄。深夜世田谷村に戻る。
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 六日午前、思い立って上野の国立博物館で開催されているジョー・プライスのコレクション展へ。伊藤若冲を中心とする作品群を見に行った、というよりも、ジョー・プライスの人間を知りたくて出掛けた。十四時迄ゆっくり観た。
 若冲の作品そのものよりも、その価値を直観的に見抜いたジョー・プライスの眼に驚いたというべきか。アメリカの中部、西海岸にはまだ一般的なヨーロッパ的教養から自由な個人が居たと言う事だろう。
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 夕方葉山ヨットハーバーの月光荘訪問。N氏にお目にかかる。高等学院の大先輩である。石原慎太郎氏のヨット・コンテッサの艇長等、スタッフも合流。二十三時過世田谷村に戻る。五日の出来事であった。
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 二日前の詳細を鮮明に思い出せぬ程になっている。大沢温泉ホテルの打合わせがあったり、磯崎アトリエで打合わせたりがあった。オリンピック招致合戦は遂に馬鹿っぽいブラックメールが飛び交う迄になっている。東京サイドの大混乱振りがしのばれる。今、記したい事は山程あるが、終ってからにしたい。昨四日は夕方古谷誠章先生の父君が亡くなって、その通夜に出掛けた。父君には一度お目にかかった事がある。端正なたたずまいの背骨がシャキッとした風格のある方であった。一度お目にかかれば、当然知己である。それで通夜に出た。御冥福を祈る。
 翌五日土曜日、夏だ。暑い。しかも我家、世田谷村は冷暖房無しときている。風通しが良いので大丈夫と理屈を通しているが、正直暑い。NYは今、猛暑らしい。娘の部屋は冷房が無く、大丈夫かと心配する人が居るらしい。娘は私の日本の家には冷房が無かったから、こんなの平気だと、意地を張っていると、風の噂で聞いた。その意地の張り方は間違っている。日本の私の家には冷房が無かったけれど、アジア・モンスーンというシェルターがかかっていたから、NYよりはズーッと過ごし易かったと言い直してもらいたい。
 高階秀爾氏の若沖に関するエッセイを読んでいて、ジョー・プライス氏という稀代のコレクターの存在を知ったが、多分、このプライス氏は私がガキの頃愛好し、修士論文まで書いたブルース・ガフのプライス邸のオーナーであるに違いない。再び何かが一巡りしているのを感じる。フランク・ロイド・ライトの系譜はその浮世絵コレクションの世界にとどまっている訳ではない。
 アメリカンエクスプレッショニズムの系譜はどうやらフランク・O・ゲーリーに今のところ、とどめを極めているが、ライトとゲーリーをつなぐモノがブルース・ガフやH・グリーン等であったのだろう。
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 新聞を読んでいたら、葛飾区の一人暮らしの老人が丹精を込めて育てた月下美人が一度に六〇輪咲いたという記事が出ていた。うちは、五、六輪で豪勢だなんて思っているのだから、初心者だ。月下美人はメキシコ、グアテマラ産のサボテンの一種だが、森林・ジャングルに棲息している種らしい。花は見事だが、それと比して葉が貧弱なのが惜しい。老人は十鉢も育てていたらしいが、花の咲かない日々の風景を想像すると、鬼気せまるものがあるな。月下美人の家だが、三六四日はあの異様につまらぬ葉を見て暮らさなければならないんだから。
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 変なものでチベット、ラサ、ジョカン(大昭寺)から来た釈迦牟尼像に時々、お泉香をあげ、花を絶やさない様にしていたら、生活のリズムが少しばかり、良くなってきたような気がする。笑わせるね俺も。外尾悦郎「ガウディの伝言」光文社新書読む。外尾はキチンと年をとって大人になったな、これも笑わせる。彼はもう当然日本に帰る気持はサラサラないだろうが、同じように日本に帰らないプノンペンの小笠原さんと比べたら、石を彫りたいという具体的な対象があるだけに輪郭がハッキリしているぶん充足している。人間は無名有名の区分をするのは意味がないが、無名でも堂々たる人間は居ないでもない。例えば松崎町の森秀己さんみたいな人だ。八時過小休。
 261
 八月一日十四時鈴木了二来室。オープン・スタジオGのプログラム他について相談。大阪の中谷礼仁にも声を掛けてみる積もり。社会人中心のスタジオになるだろうが、良い人材の集め方が第一の問題だ。十七時渋井修さん来室。プノンペンのひろしまハウスの件。大方の状況は呑み込めた。対応する。八月二日十一時より学部レクチャー補講。昼食をはさんで十九時迄。福岡オリンピック作業の為、レクチャーが出来なかった分の補講である。学部生相手のレクチャーは張り合いが無いことではあるが、一人か二人、真剣に聞いている人間がいるかもしれないと思って話した。十九時過より卒論ゼミ。玉石混合だなゼミ生は。修了後二、三のプロジェクトの打ち合わせ。二十一時過修了。八月三日六時起床。大沢温泉ホテル図面チェック。
2006 年7月の世田谷村日記

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