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 福岡・九州オリンピック招致推進委員会による
 オリンピック招致計画

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 オリンピックを博多湾に
  > 福岡オリンピック計画案
fukuoka olympic
制作総指揮室
磯崎 新
2006年3月

オリンピック会場は、国威発揚をねらう首都〔20世紀型〕でなく、
世界からアスリートが集う地域の拠点〔21世紀型〕へ

1.   2016年にはオリンピックを初心に戻そう
2.   九州は<東アジアコモンハウス>の東隅
3.   博多湾全域を主会場に編成する
4.   日本建築の伝統的特性である可変性、補設性をもつ競技施設
5.   サテライトとブロードバンドでひとつの村となった世界と直結するシステム
6.   アスリート、役員とそれを上回る報道陣のための村。海へ、船へ
7.   <まれびと>をむかえてひらく饗宴。全都市をあげての祭りと交歓
8.   博多・福岡の内陸軸を海にむかってひらく、未来の大コンベンション都市へ
  1.   2016年にはオリンピックを初心に戻そう
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これまでのオリンピック開催都市の80%以上が、首都または準首都である。オリンピックを最初に構想したクーベルタン男爵が望んでいたのは、世界の片隅にあるひとつの都市に全世界からアスリートが集合し、自らの肉体の限界に挑戦しならが互いに技を競うことだった。このコンセプトに大きい変化が起きたのが1936年のベルリンオリンピック大会。このときヒットラーは、オリンピックを民族の祭典と位置づけて、国威発揚の場に仕立てる。これが20世紀を通じてのオリンピック大会の型になってしまった。戦後の復興、新興国家のデビューとテーマがあったとしても、ひとつの国家が首都または準首都をその威信をかけて押し立てた。そのためパスポートを発行した国が国旗をアスリートに背負わせて、メダルの数を競う闘技場のようになってしまった。次回を準備中の北京は、20世紀型オリンピックを究極の完璧さで実現するだろう。そのあとのロンドンは後追いをしているに過ぎない。今21世紀のオリンピックが問われている。まずはヒットラーによって軌道が変えられたオリンピックを、その初心に戻すことである。世界の片隅にある福岡・九州のような小さい拠点が、全世界のアスリートを受け入れるホストたりうる意思表示をするのは、21世紀には国家や民族の枠組みを超えたオリンピックが求められていることを知っているためである。21世紀のオリンピックは博多湾に始まる。
  2.   九州は<東アジアコモンハウス>の東隅
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歴史的には東シナ海を中心にして、ひとつの文化圏がつくられてきた。近代になってその沿岸はいくつかの国家に分割されているとはいえ、政治的経済的さらには観光催事を含む文化的交流は盛んになされている。このような関係の組み立てられている領域は、地政学的に<東アジア共同の家(コモンハウス)>とよばれる。中央は海、その沿岸に重要な港のすべてが位置している。日本列島の中にあって、九州はこの<東アジア共同の家>の領域に所属し、その東隅にある。当然ながら、経済的文化的交流がさかんになされている。九州はこの<東アジア共同の家>の一員であることを強く意識して、沿岸諸都市とも協力しながら、各種予選会場をこれらの都市と共催し、2016年のオリンピック招致の準備をしたいと考える。10年後には、共同の家中心の居間である海上に、観光リゾート、さらには、新型の催事船の就航も予定されている。予備選を沿岸諸都市で行い、催事船では練習を続行しながら航海し、博多湾の停泊埠頭に到着することさえできるだろう。<東アジア共同の家(コモンハウス)>の一拠点としての博多湾の地政学的な利点が、こんな海を手がかりにする企画によって可能になる。
  3.   博多湾全域を主会場に編成する
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主競技場を含む24の競技種目用の施設、選手村、メディア関係者の宿泊施設、大会本部オペレーションセンター等、総観客数の90%を占めるすべてが博多湾岸に配置され、博多湾全体がオリンピック主会場になる。卑弥呼の金印が発見された志賀島、数々の伝承を持つ能古島を含む博多湾は多島海的な風景の特徴を持ち、絶妙のスケールにまとまった内海であり、外洋からこの湾に入ると海面は穏やかになり、不思議な安堵感さえ与えてくれる。南岸の内陸に市街地が東西に広がり、高速道路が陸と海を区切りながら周遊している。2キロ四方に収まるメインクラスターを中心とし、オリンピックのためのすべての施設は、この高架路沿いに海に向って配される。すなわち陸と海の閾上に置かれている。海側からは船のみにより、陸側からは地上の交通路で、車または歩行によるアクセスとなる。こうして、既存の都市に接していながら、もっとも効率のいいセキュリティーシステムが確保される。湾上より3つのクラスター施設のすべてを見晴らすことができる。その前景には水、背後には緑あふれる小山の頂やゆるやかな丘、そしてスモッグのない空。大都市では決して得られない完璧な自然環境。そして、その自然環境に配慮し、また生かした会場施設も大きな特徴である。アスリートたちが、それまでに鍛えた実力をのびのびと発揮するには理想的な環境条件を備えている。その最大のポイントは、博多湾を主会場に充てることである。
  4.   日本建築の伝統的特性である可変性、補設性をもつ競技施設
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これからのオリンピック競技施設には、従来型の固定観念にとらわれずに、新しい工夫を持ち込むことが要請される。国家主導の首都におけるオリンピック施設は、大げさでモニュメンタルなものが多かった。数週間だけ催される大会の終了後、廃墟同然になっている施設も多い。つまり、施設の保持可能性<サステイナビリティ>が問われている。将来にわたって、オリンピック施設が使用されていくには種類の違う競技への転用、さらには、異なるイベントにむけての再編が考えられねばならない。従来型の建築技術では、競技場も観客席も固定されたまま、壊すことしか対処できなかった。
日本の建築的伝統の中に、間仕切りを取り替えたり、別な道具を運び込んだりして、空間を異なる用途に再編する知恵や工夫が見出される。オリンピック用の施設にも対応可能な建築技術が生み出された。大型の観客席を移動伸縮させ、イベントの大きさの変化に対応すること(可変性)、競技面をそっくり移動したり模様替えすること(補設性)、これらのアイデアを日本の伝統的手法に学びながらデザインに取り込む。新規の施設には可変性を取り込み、利用可能な既存施設には、補設性を加えて対応する。このような工夫を積み上げた会場は、従来とはまったく違った姿となることであろう。
  5.   サテライトとブロードバンドでひとつの村となった世界と直結するシステム
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オリンピック会場では、競技するアスリートの何倍もの数の報道陣がつめかける。空間的な臨場感の味わえる観客数がせいぜい10万人単位であるのに対し、地球規模で報道されスクリーンを見る視聴者数は10億人単位になるであろう。そのために、今では観客の視線より、カメラの位置が優先して決められる。こうなると、競技施設の型までが変化する。アスリートの表情の細部までをカメラに収めるために、競技場はテレビスタジオのように編成されるだろう。このとき、アスリートはドラマの主役になっている。サテライトが世界同時中継を可能にしたのと同様に、ブロードバンドは、複雑で膨大な情報を世界中に送る。この両システムが結びついて、全地球の視聴者はさまざまな方法でバーチャルな臨場感を味わうことになろう世界へ、瞬時に伝達を可能にするメディアの要請を満たすために、会場全域に伝達網が張り巡らされると同時に、巧妙に構成されたメディアオペレーションセンターが必要となろう。全世界のメディアがリポーターを送り込む。オリンピックは全地球を巨大なドラマの舞台へと転換する。カメラの位置と動き、インタビュー席、身軽に移動ができる報道席、オペレーションセンターのキャスター、さらにはホスト都市の表情、なによりも美しい自然環境の放映、そんな背景としても博多湾は最高の舞台を提供することができる。
  6.   アスリート、役員とそれを上回る報道陣のための村。海へ、船へ
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会場には総計数万人に及ぶアスリート、役員、報道陣、大会関係者、世界各国のVIPが集う。彼、彼女たちは数週間の滞在の後、故郷へと戻る。ごく短期間にひとつの街がインスタントシティーとして出現し、蜃気楼のように消えていく。それがオリンピック会場の現実である。その数週間に全員は充実した生活を営まねばならない。アスリートには完璧な身体的コンディションを保たせる。その整備をするのがホスト都市に課せられた過酷な使命である。博多湾という地の利を生かして彼らの生活の場を海上へ、船上へと押し出す。完璧なセキュリティーシステムによって保護され、かつ快適な生活を営まねばならないオリンピック村は、かつての海上、今は桟橋と、そのバックヤードになった広い敷地に収められる。それに倍する報道陣は、東アジア共同の家の海を通って、主会場に接岸し、停泊する数多くの大型客船や催事船に宿泊する。ここにはインフォメーションセンター機能も設けられる。大会が終わって後、オリンピック村は、都心に限りなく近く快適な住居施設に改変されよう。一方、大型客船や催事船は船出する。東アジア共同の家の次なるイベントが待ち構えている。
  7.   <まれびと>をむかえてひらく饗宴。全都市をあげての祭りと交歓
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古来、日本の村落には、異国からの訪問者<まれびと>を歓待し、新たな文化を受容することを通じて、自らを再活性化するという習慣があった。オリンピックを開催することによって多くの人々が会場を訪れることは、ホスト都市にとっては<まれびと>を迎えることと同義でもある。神の代理者とも考えられた<まれびと>と、その村落共同体の成員は饗宴を通じて交流した。さながら歓待することにぴったりの祭(博多山笠、どんたくなど)を、長い間つちかってきた福岡の街を見ると、オリンピックが招致されれば、全市あげての祭りと交歓がただちに用意されることは自明のことである。すなわち九州全域を通じてみられる人情、古代より、朝鮮、中国、南蛮の文化が、日本列島のいずこよりも早く到着し、それらの地よりの移住者もあり、あげくに新たな文化が創造されてきた長い歴史と経験に由来する。21世紀になっての新たな<まれびと>には新しいメニューが用意される。身体の科学に関するあらゆる施設、情報、医療、その東洋の英知に基づく独自の展開もそのひとつである。単なる機械や情報の技術が越えられているだろう。
  8.  博多・福岡の内陸軸を海にむかってひらく、未来の大コンベンション都市へ
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オリンピックの会場計画は福岡の既存の骨組みを21世紀にむけて大きく編成変えをしていくことになろう。会場の大部分を海陸の閾上に置くことは、内陸にむけてのみ展開していた市中心部の活動を、博多湾にむけてひらくことになる。そのとき作られた施設が、新しい拠点になっていく。歴史的に東の町人の街・博多と、西の武家の街・福岡という2極の構造をもっていた福岡市は、その両地区が交差する那珂川に浮かぶ中州の両側に、海と内陸を結ぶ軸線があったとしても、須浜地区、博多埠頭の物流基地のため、海側が閉ざされたままになっていた。そこの2キロ四方のウォーターフロントに、オリンピックのメインクラスターを配置し、物流施設をアイランドシティーに移動するならば、博多大博通りおよび福岡天神地区の活動が、海にむかってひらかれる。それは博多湾全体の将来構想を前倒しに実現するに過ぎないが、福岡市の21世紀像を先取りするに違いない。このたびのオリンピック招致は、このように福岡市の将来像の構築に必須である。同時に、まだ難問を抱えている<東アジア共同の家(コモンハウス)>の実現の最初のステップであることにも注目したい。新しいアジア像が、ここから生み出されていくであろう。
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