DIARY TO THE WEST

OSAMU ISHIYAMA LABORATORY (English)

石山修武研究室(日本語)

- NEWS -

2013.09.05 RENEW!
・SSM1世田谷(烏山)ストリートミュージアム(仮称)
・SSM2

SSM2[13/09/05-2] 世田谷(烏山)ストリートミュージアム(仮称)の出展作品について

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そういう訳で、中村さんに出展を私から正式に依頼し、添付した絵のような提案をいただいた。それは、石森さんの家の前の塀を使って裏の5丁目の原っぱから草木を少々拝借してその標本を展示しようという企画のようである。

標本という行いは、小難しいことを言えば18世紀ヨーロッパのC・リンネの分類学、あるいは19世紀イギリスで隆盛を極めた博物学のフェティッシュにまでその背景を視ることもできる。が、とろりと日頃を過ごす世田谷の人びとはそんなことに興味も湧かない。ではなぜ今烏山でそんなことをするのかと考えてみれば、それにはちゃんと理由がある。実は、5丁目の原っぱの土地で今高層マンション建設の計画があるらしいのである。どうやら来年あたりからその建設が始まるらしい。マンションが建てられるとなれば当然その地にボーボー生えていた草木の殆どが土とともに掘り返され、消えてしまうのである。それを知った中村さんはおそらく、ならば今彼らの存在を残そうと標本化を企てたのである。さらには標本化ばかりではなく、彼らの種や球根なども取っておけば、少しは彼らの本望に適うかもしれない。いわばお金要らずの実践的ナショナル・トラスト運動である。植物たちは大地に根を張り、それから一生その地を自力で離れることはできない。けれどもいざその大地が奪われるとなれば、他の動き回るいきものが力を借し、その生命を、しくは次の世代を引き継がせようとするのが自然の理である。それで、他のいきものの代表として中村さんは立ち上がったのだ。

そうであれば、その辺りを動き回ることのできる中村さんは、彼らの枝葉を拝借した後に、それらをしっかりとした丈夫な標本として納めなければならないし、彼らの種その他をしかるべき場所へ避難させなければならない。それにはいくつかの工夫が必要でもあるので今後考えを深めていかなければならないだろう。さらに、作品が丈夫でなければならないのは当然このミュージアムのオーナーでもある石森さんへの最低限のマナーでもある。野ざらしで、雨にも負ケズ風にも負ケズ、昨今の異常気象にも負ケナイ頑丈な作品を制作しなければならないのだ。所謂通例の現代アート作品は、直射日光も当らない温度も湿度も一定に保たれた部屋の中に置かれるだけの、モヤシの如くの軟弱者ばかりである。それに比べれば、このストリートミュージアムに出展される作品は必然とはるかに強靭なガタイを持たなければならないのだ。強いガタイとはまた作品自体の質においてもビシリと筋の通った有様も示すのである。それに、この場所では雨や風が当っても気がつきもしないようなまさにノー天気なくらいの作品が似合うのである。中村さんの絵の中には、なぜか子どもたちが作品の前を駆け回っているが、そんな彼ら(犬猫たちも前を駆け回るだろう)がばたばたと走って巻き上がる土ぼこりが作品に付いて初めて作品に成るような、そんな感じである。土っぽさこそが路上の醍醐味でもあるのだ。

2013年9月5日(水)

佐藤 研吾 Kengo Sato



SSM1[13/09/05-1] 世田谷(烏山)ストリートミュージアム(仮称)いよいよ開演

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世田谷烏山にて、仮称・世田谷ストリートミュージアムプロジェクトがいよいよ動き始めた。日本語で言えば「世田谷”道“美術館」である。なかなかに野暮な名前で良いではないか。場所は世田谷区南烏山5丁目に住む石森彰さんの家の前の門と塀である。いちおうミュージアムという大それた名も意図的に背負わせてみたが、これほどまでに町に向かって開けたミュージアムも無いのではないかというほどにあっけらかんとしたその姿を狙ってもいるのだ。

このミュージアムの仕組みは簡単である。石森さん宅の門と塀を展示台として、所謂「芸術家」が、自分のために、そして町のために(!)創作表現を展示するだけである。観客は道行く人びと。料金は勿論無料である。もしそれらの作品に価値を見出そうというキワモノがいればそれもまた勿論交渉に進みもする。「何かのために!」といっても、そんなに気張って展示したって道を歩く鑑賞者たる人びとはウウっと構えてしまい、脇に目も振らすことなくそっと逃げ出すばかりである。少なくとも始めは、ノー天気に陽気に実行に移した方が良さそうだ。(そして、このインターネットページも全く同じであると自戒せざるをえない。いささか仰々しいタイトルを前に困り果て、まるで「DIARY」の呈を成していなかったことを反省しております。)

この日常から一歩だけ抜け出ようとも、ちょっとした事件になろうともしている、あるいは寸劇とも言えようこの試みに関わる演者たちが今のところ5名ほど(5つの生命体と呼ぶべきか)いる。

一人目はもちろん、このミュージアムの要である門と塀を所有する石森さんだ。石森さんにはまたミュージアムのオーナーにもなっていただく。石森さんは「チイ」と呼ぶ確か6歳になる猫(♂)を飼っている。猫チイと石森さんは、毎日ふたりで5丁目を散歩し、町では猫好きのおじさんとその猫のコンビとして今まさに人気急上昇中の方々である。本人曰く、どうやら猫チイを連れて5丁目の空き地の原っぱを歩く石森さんは、なんと女子大生にもキャーと声をかけられるほどに人気らしい。石森さんと猫チイは朝夕の2回程5丁目あたりを散歩している。私も幾度かそれに遭遇した。そして二人は毎日同じ布団で眠るような仲でもあるらしい。純朴であり、ある種謎にも満ち満ちた、種族間を越える石森さんらの暮らすその家の前で今からちょっとしたコトを起こそうとしているのである。

次に、この寸劇には実は仕掛け人と言うべき人がいる。それは毎日仕事場へと向かうべく石森さんの家の前を通る石山さんだ。石山さんは5丁目から歩いて数分の所にあるまるで空中に浮いたような家に住んでいる。家が浮いているのであるから地上の石山さんの庭は広々と、草木は元気に文字通りのびのびと人の背丈などすぐに追い越すほどに育っている。まるで植物たちのために家が宙に退いてやったような感じの場所に住んでいる。

その石山さんがどこでオーナーの石森さんに出会ったのかというと、やはり5丁目の原っぱで散歩している石森さんと猫チイたちに声をかけたのだそうである。(ちなみに石山さんはこの5丁目の原っぱを昔から「モヘンジョダロ」と呼んでいる。)それで、石森さんの家の向いの蕎麦屋「宗柳」にて酒を少々飲む交わすうちに(猫チイは酒は飲まない)、途中はとりあえず割愛するが、石森さんの家の前を蕎麦屋の中から眺めながら、ストリートミュージアムに変えてやろうと思いついたようである。

その突飛な計画に私、佐藤研吾も面白半分、真面目半分(実は結構2:8位の割かもしれない)に賛同し、このプロジェクトの運営に本格的に取りかかろうと意気込み、今ここに事のあらましを記しているのである。ストリートミュージアムという暢気なニュアンスの如く、このインターネットサイトのページも今後ミュージアムの展示に関して、あるいは展示自体を展開出来やしないかといった先端的企みもあるにはあるが、一寸先は闇状態である。とは言え、「ストリート」、「道」とくれば「路上」などと言ってアメリカ好きのカルチャー論者たちはJ・ケルアックの『オン・ザ・ロード』のような放浪と遍歴に世界を彷徨い果てる刺激に囲まれた姿を想像するに違いないが、このミュージアムプロジェクトもまた何処へ転がり向かうか分からない“刺激的”な旅ともなり得るだろう。

ちなみに、ミュージアムの実施場所である石森さんの家には立派で鬱蒼とした竹藪がある。普通の住宅の庭ではあり得ない程に立派である。道から見ると展示場所である塀はその竹の塊の下に位置する。その塀と竹藪には現在ブリキでできた烏の絵馬が飾ってある。(添付した写真を参照。)この三匹の烏たちが飾られてから既におそらく4ヶ月が経過したが、風が吹かれようが雨に降られようが、まったく落ちずにユラユラと揺れている。そしてこれら3匹の烏は皆何故か揃って西を向き、何処かに向かおうと隊列を成しているのである。この、風に吹かれて微かに揺らめきながら西を向くこの烏達を見て、オーバーにも、三人の妖怪を連れて砂漠を渡った三蔵法師の旅を創造的に綴った中国の長編伝奇物語『西遊記』を思い浮かべてしまう人は何処かにいらっしゃらないだろうか。まあいらっしゃらなくても構わないが、この「DIARY TO THE WEST」ページがそうであったように、世田谷‘道’美術館もまた彼の壮大な空想の旅に見立てて進めやせぬか。『西遊記』が「西に遊ぶ」と書くように、このミュージアムの寸劇物語もゆらゆらと群景を描きながら徒然と進めてゆくことになろうか。

さて、それでそろそろ、このストリートミュージアムに最初に出展する「芸術家」である。記念すべき第一回の出展者は、地元烏山生まれの女性作家・中村未歩さんだ。中村さんは、私佐藤が少々関わっている高山建築学校に参加している友人でもある。とは言え、中村さんの日頃の芸術的と呼べる活動、さらには日常の生活が如何なるものなのかを私は存じ上げない。しかしながら悪意の欠片も無い素朴な人柄であるのは確かである。その悪気の無い姿が今回のミュージアムの出展をこちらからお願いした理由でもあるのだ。常に下心が見え見えの人間には到底引き受けることのできない仕事なのである。中村さんのような軟体の蛸の如くの、柔軟極まる行動力をこのミュージアムもまた必要としているのでもあろうか。それはやってみなければ分からない。

2013年9月5日(水)

佐藤 研吾 Kengo Sato



12:[13/08/22] Cattle, Stupa, Villager and Mani in Matho village

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11:[13/07/19] Many stupas are dotted around this area

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In front of these two stupas, which are located in a conner of DRUCKLING GOMPA(temple) not far from Archi village, lots of firewood limbs are piled up.

In here, many stupas are dotted around this area.



10:[13/07/17] The night of Archi village

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The night of Archi village which has a height of 3000 meters is covered by shape of mountain and stars all over the sky.

The icon, which is the combination of sun and moon, was painted on the stupa. The icon means that in 11th centery, people here might be already knew that the circulation of birth, aging, sickness, death of human being and the movement of the universe are somehow connected.



9:[13/07/10] The image of “Goman・Chorten” in the morning

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The image of “Goman・Chorten” (=stupa) in the morning lined up in the front of sumtseg in Alchi Monastery Village, Ladakh was spectacular.

Several people were pilgrimaging around the area of the temple while turning their Mani wheels. And this might be a sort of daily task to them.



8:[13/07/07] View from the hill of LEH, Mt.Stok Kangri 6153m

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There are also grades for mountains. In the perspective of Himalayas, which is over 6000m high, 3000m is sort of little hills.

I am now watching form the hill of LEH at the greet stupa which was built by Nichiren sects of Mahayana Buddhism among those mountains climbed only by foot by Tripikata.

2 July 2013



7:[13/06/28] the object with the solar energy system in the site of the Master Tripikata Memorial Hall in Nalanda, India.

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the object with the solar energy system in the site of the Master Tripikata Memorial Hall in Nalanda, India.



6:[13/06/17] We showed Mr. Tota Kaneko our plan of the Japanese Temple in Five Elements Mountains Area, Da Nang, Vietnam.

We showed Mr. Kaneko our plan of the Japanese Temple and the bell tower as the first plan of Japan Vietnam Cultural Center located in Five Elements Mountains Spiritual and Cultural Park, Da Nang, Vietnam.

Mr. Kaneko’s haiku (Japanese poem) will be engraved on the bell. The haiku will be accepted in this autumn.

Mr. Tota Kaneko is one of the most active post-war authors.

He also made a great contribution in respect to the internationalization of haiku poetry, by visiting China and some western countries to promote haiku and by establishing an international department within the Modern Haiku Association. Mr. Kaneko remains a vigorous front runner in the world of haiku.

We already have received some contribution for the construction of the bell and the bell tower.

We will do our best.

June 17th , 2013

Osamu Ishiyama

金子兜太さんにベトナム・ダナン五行山日本寺計画を見ていただく。

ベトナム・ダナン五行山精神文化公園、日越文化交流センター第一期計画の日本寺開山、鐘楼計画を見ていただいた。

鐘楼の梵鐘に金子兜太さんの句を鋳込みたいと考えたから。

今秋には句をいただけることになった。

すでに何がしかの御寄進が内外より集まり始めている。

力を尽くしたい。

6月17日 石山修武



5:[13/05/31] Master Tripikata in Nalanda

Recently, I went to Nalanda in India and visited the building plot which will be used to construct several architecture in the site of Nalanda University. Of course, this site was used to be the Grand of Master Tripikata at the same time too. I admired this Grand tour, faced the magnificent Master Tripikata Memorial Hall, which is also built in Nalanda, used as a commemoration of this grate Master.

On the back of the sculpture of Master Tripikata, there is a large sack with a small sunshade shelter inside. And there is even a lamp hanging on his hat for the night too.

Not only his spiritual strength, but also, he must be well developed on his physical strength, so I wondered.

That is why I have to be prepared for the tour to the west, both Spiritually and Physically!

29 May, 2013

Osamu Ishiyama

5:僧玄奘inナーランダ

つい先日、インド・ナーランダに行きました。建設される予定のナーランダ大学のキャンパス予定地を見てきました。当然、三蔵法師のGrand Grandツアーの姿もおがんできました。玄奘三蔵記念堂がナーランダにはあり、その壮絶な旅姿らしきと対面しました。

凄く背の高いバックパックを背負い、その背の荷物に日除けの小さなシェルターまで着け、更にそこから恐らく夜のランプまで吊り下げられているという姿でした。

気分ばかりではなく凄絶な身体力の持主でもあったのでしょう。

西への旅は考えも体力も充実していなければなしとげられぬのを覚悟しました。

2013年5月29日。

石山修武



4:[13/05/24] --1: Image of the Bell Tower in Japanese Temple in Five Elements Mountains, Vietnam

Image of the Bell Tower in Japanese Temple in Five Elements Mountains

--2: About Economic development and promising in the future of Danang

MAI DANG HIEU

I am not only a tourist, but also, I am thinking about letting corporations and companies of Japan to get in to the market of Vietnam. Now, there are only 87 Japanese companies, or about 200 Japanese working stuffs are staying in Vietnam. That is why in my opinion, it is very important and necessary to join these two counties together, throughout a deeper and better communication of economy. Today we are constructing a Japan-Vietnam communicating center at the bottom of the “Five-Elements Mountain”, which is a serial of mountains located near the beach, in Vietnam. Approximately 7,000 square meters of the land will be used to construct this architecture, as well as a museum is also planed in this area. Professor Osamu Ishiyama of WASEDA University is contributing this project now. And we are wholeheartedly hopping that you can make a great help for us! The history of the communication between Japan and Vietnam is more than 400, even may be 500 years long. From now on, let us do it together and begin a new era of these 2 countries!

MAI DANG HIEU

Vice-President of Department of ambassador to Japan

-Da Nang Project



3:[13/05/21] We will bring "Karakuwa Shichifukujin Theater" from Japan to Da Nang, Vietnam

-Da Nang Project

Karakuwa Shichifukujin Theater Project

Kosaba Bay, a small bay located in Karakuwa Town, Tohoku, Japan, had suffered great damages from the 3.11 East Japan Great Earthquake. Two years have passed from this disaster, but the reconstruction of this bay does not seem to make much progress.

Wishing for people to have hope for their port town’s reconstruction, this project proposes to grow a forest by planting cherry trees and to reconstruct Karakuwa Seaside Thaeter as Karakuwa Shichifukujin Theater by designing its stage – the unique festival of the town.

“The dance of Shichifukujin” is one of the programs in this festival.

This is a traditional dance performed by the fishermen’s wives who are left on land represents their pray for the safe journey of their husbands.

Shichifukujin (The seven gods of good luck) are the Japanese gods that carry happiness from far ocean by the treasure ship. We are expecting to make the reconstruction of this performing art a symbol of the town’s reconstruction, together with planting of plants.

When Japan was stricken by the East Japan Great Earthquake in the spring of 2011, the Guanyin Temple at the foot of the Five Elements Mountain have made financial contribution to the disaster areas, making the quickest reaction than anyone.

We will bring the Theater from Karakuwa, Japan, to Da Nang, Vietnam. We give it in return for the temple's great kindness, and make the start of the revonstraction in Karakuwa.



2:[13/05/16] Master Plan of Japanese Temple in Five Elements Mountains Area, Da Nang, Vietnam

Master Plan of Japanese Temple in Five Elements Mountains Area, Da Nang, Vietnam.

Da Nang Japanese Temple

-Da Nang Project