カバーコラム5 石山修武
 

友岡さんの開放系技術論建築友岡さんの開放系技術論建築
045 友岡さんの開放系技術論建築
 世界の特にアジア、アフリカの民芸品、衣料品の日本有数の大問屋であるトモ・コーポレーションの社主、友岡さんが、猪苗代湖畔に二十五haの土地を求め、アジア工芸村の構想を育てている。縁あって、その構想作りの手伝いをしている。事業を一代で興した人間に特有な、何かから何まで自分の眼を通さぬと気がすまぬ悪いクセを社長は持っている。マ、しかし、そんな事を言っても仕方ないのである。好きな事を好きな様に、リスクを背負って成し遂げている人に何をか言わんやなのである。
 友岡さんの猪苗代湖畔のアジア工芸村建設は十年がかりの計画だ。その大きな計画の実現のための、ヒマラヤ登山で言えばベースキャンプの役割を果すのが、我々が昨年から建設を進めている、猪苗代鬼沼前進基地の建設だ。友岡さんとは設計業という私の商売を離れても色んな話しを交わしてきた。学ぶ事の方が多かったけれど、私も本音を時に話した。土をかぶせて、地中に埋めた形のコルゲートパイプによる一期計画を終えてから、友岡さんは、これくらいの事ならば、自分で設計できるぜと考えるにいたった。自分の住まいや、自分の身の廻りのことくらいは素人としての自分でやってしまうのが本当なのだと、開放系技術を念仏のようにとなえ始めている私にとっては、まさに理論を実践していただいているようなものだ。
 本社社屋の建設をおえて、久し振りに会った友岡さんは私に数点のスケッチを得意そうに見せた。コンテナとコルゲートパイプを組み合わせた、猪苗代に作りつつある前進基地の倉庫のプランだ。マ、デザインとしてはイマイチである事は否めない。かなり良くない。しかし、私の開放系技術論の実践としては画期的なモノであると言わねばならないのである。設計者、デザイナーの類は明らかに表現する人である。しかし、考えてみるに私達が死ぬ程に面白くて止められぬ表現=デザインは、実は誰でも本来持っている意欲、情熱でもある。つまり、誰でも人間であるならば、生きる事の自由=権利と同じように当然、万民が所有している意欲なのだ。人間は全てデザインする人である。それはデザイナーだけの特権ではない。というのが開放系技術論のプリミティブな根底にある。昔、なつかしい、自己の特権的な職能の解体こそが人間の真の自由の解放につながると言う論理につながる。
 それで、友岡さんのスケッチを見せられて、私は何の批判もしなかった。俺に任せれば、もう少しマシなモノになるのになデザインは、という正直な感想と、おれに任せれば、あなたが全てデザインする事になるのだ、と言う論理の間でいささか揺れたのだ。ここんところは誠に微妙なのである。
 石山 修武

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銀河鉄道計画銀河鉄道計画銀河鉄道計画
044 銀河鉄道計画6 北京
 二〇〇八年北京オリンピックのサイトの隣に李祖原が北京Mセンターを設計し、現在建設中である。台北に五〇八メーターの世界一の高さを持つ台北101ビルを完成させた李祖原としてはとして普通の大きの建築だ。それでも高さ百八十メーター、長さが六百メーターある。万里の長城が理想の彼としては小さなモノに過ぎない。その長城を電子装置化するのを今、共に進めているのだが、この長城にテンポラリーな巨大劇場と美術館をつけ加えるのをプランする事になった。北京に出かけて現場を実見しリサーチするに、今のままだと、いかにオリンピックだとて若い人が集まり難いと考えたからだ。オリンピック一年前に開設し、長くて5年、短くて3年の仮設建築にしようと言う事になった。
 サイトは長さ七〇〇メーターほど。高さは百メーターに抑えようと考えている。先日香港であった北京M社のオーナーは並の人間では無かった。何しろ何でも世界一でありたい人物である。香港にシーザー・ペリのハイライズを必ず抜いた世界一のハイライズを建てる野心を固めている。
 で、仮設とは言え、世界一でなければならない。高さは望めない。李祖原の建築が百八〇メーターでそれより高いのはまずい。マア、せいぜい百メーターだろう。高さでは世界一になり得ぬとしたら何があるか。話題性しかあり得ぬ。正攻法のセンセーションを巻き起こすしかない。こういうのは嫌いではない。で、焦点をデザイン、ファッションそしてアートに当てた。強大な北京モードの基地になり得るような小屋をつくれば良いのだ。百メーターの高さの小屋。ロシア構成主義のレオニドフがお上品でヤワに見えてしまう位のデザインでなくてはならない。
で、本格的にスケッチを始めた。
 中国大陸を走る銀河鉄道のデザインは宮沢賢治の北方志向だけでは似合わない。風水とブッディズムが混然としたドラゴン状にどうしてもなる。あるいは激しい法華経信者として花巻の街を太鼓たたいて歩いていた異形の人としての賢治世界か。いかに反日の心情ぬぐい去り難い中国だと言えども、北京だったら、どんなに鐘太鼓を打ち鳴らしても誰も眼くじらなんて立てぬだろう。南下する銀河鉄道である。
 石山 修武

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木本一之君の仕事
043 木本一之君の仕事
 広島の木本君と協同している仕事の一つが出来上りかけて、その写真が送られてきた。稲田堤の厚生館愛児園近藤理事長から依頼されていた子供の像である。当初案はもっとリアルな子供像を考えており、その原寸大のマケットまで作り終えていたのだが、途中経過をクライアントに見せたら一蹴された。こういうモノなら彫刻家に頼みますよ、と言われてしまった。厚生館愛児園には木本君製作の「ざくろ」がすでに納められていて、それが気に入ってお願いしたのだから、とたしなめられた。完全な私のディレクションミスだった。近藤さんは岡本太郎の大ファンで、それで私に星の子愛児園、厚生館増築等を任せてくれた。その事を忘れていたわけではないが、クライアントの好みの強さを、いささか脇に置き過ぎていた。失礼な言い方になるが、クライアントの好みの強さを見くびっていたのかも知れない。どうも、色々と経験んを積んでくると、ワケ知りの小ざかしさにまみれるようになる。反省した。木本君には、どうやらもっと自由にやった方が良いみたいだと、当り前の初心に戻る事にした。木本君と何回かのやり取りがあって、こんなモノが出来上がってきた。私のディレクションはもっと自由にやり直そうと言っただけの事。木本君らしさが良く出ているモノになった。まだ実物に触れてはいないが、写真を見た感じでは木本君の最良のモノになったと思う。
 上海のワークショップで共に過ごした木本君はもっと抽象的でモダーンなモノを志向していた。
 でも、木本君の人間の温もりや、今の世の常識を超えた誠実さがそれには反映されていないような気がした。今は、勿論抽象的な思考がそのままモノ化される傾向が、デザインのトレンドだ。その方が商売としても上手くゆくのは知っている。
 でもね。やっぱり木本君は木本君なのだから、と自分の事はさて置いて、他人の事は良く視得るような気もするのだ。
 岡本太郎の作品のなにがしかは、接すると唖然とするしかない、でも自然に笑わされてしまうという何者かがあった。モダーン・デザインに最も欠けていたものだ。
 木本君の、この子供像にもそれがある。
 良い作品である。見習いたい。
 石山 修武

 

銀河鉄道計画銀河鉄道計画
042 銀河鉄道計画5
 イアン・フレミングの創り出したヒーロー、ジェームズ・ボンドの宿敵スメルシュはもうそのヴァーチャルな影さえ去った。映画スクリーンでのボンドは初代のショーン・コネリーから何代目かに代わった。今は誰がボンドを演じているのか知らない。スメルシュはKGBとなり、そのKGBはロシア政権の中枢であるプーチン大統領の現実のバックボーンでもある。モスクワで眺めたKGBの本拠、及びその研究所はモスクワ大学のたたずまいよりは余程普通な、当たり前に視える、少々重いが民主主義的な感じがあった。赤の広場の中に作られているブランドショップを集めたデパート程ではないけれど。
 赤の広場近くのプロジェクトと同じ時期に北京のプロジェクトが動き始めているのも巡り合わせだ。北京のスケールは大きい。だから、こちらも天安門に程近いと表現したいところだが、十数 km 敷かれたナンバー4リングロードに接したサイトである。天安門には面,していないが二〇〇八年の北京オリンピックの巨大な会場にはダイレクトに面している。中国人の好きなグレートウォール(万里の長城)程ではないが、七〇〇メーター程の長さを持つサイトである。盟友李祖原が巨大な建築を設計し、施行中だ。私の役割はその巨大建築を電子装置化する事だったのだが、この程機会を得て七〇〇メーターの長さのコンテンポラリーなシアターとミュージアムをプランする事になった。長ければ良いというものではないが、銀河鉄道計画の呼称にはふさわしい。
 石山 修武

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世田谷村の小屋作り
041 世田谷村の小屋作り1
 二〇〇五年五月十五日、この日は日曜日だった。フト思い立って世田谷村の屋上と一階部分の庭に自力で家を作り始めた。一階部分には、もともと建っていた木造平屋建を解体した廃材と呼ぶのがふさわしい古材その他のガラクタが山の様に積み散らされていたので、その整理から始めた。
 もともと私の自邸である世田谷村は築五〇年の古い平屋木造住宅の屋根の頂部をカットして、その上に 二枚の鉄製の床を、四本マストの構造から吊りおろしたものだ。今考えれば惜しい事をしたが、築五〇年の木造住宅は物理的に寿命が切れていたと判断して、離れの座敷と木棟を結ぶ部分にあった便所だけを残して他は全て取り壊した。ただ、昔の家は何らかの形で再現したいと考えていたから、屋根瓦の全てと主構造の木は保管していた。

 鉄製の中空に浮いた二層、コンクリート製の地下一層の今の世田谷村に私は非常に満足しているのだが、私を除く家族は皆不満である。不満を通り越して批判の嵐だ。予測はしていたが、やはり身内からの批判は痛い。勿論、私としては主義主張の固まりとして自分の家を建てたのである。当然、私は今の社会のあり方と、その社会の典型的産物としての住宅を批判し続けてきた。これは変わるわけもない。だって私の方が正しいのだから。造反有理だ。だから私の主義主張は徹底した少数派である事なんて当初からわかっていた。当たり前である。多くの人から容易に受け容れられようとは望んでもいない。マ、いつか解るだろうさと私は考えている。しかし、家内をはじめとする家族までが、味方にならぬとは意外だった。何が不満なのか良く解らないのが辛い。要するに夏暑く、冬は寒いのがイヤらしい。

 ずいぶん昔、吉阪隆正から、吉阪自邸の雨もりを直すのがとても難しくて、結局、コンクリートの家の雨もりは屋上にもう一軒家を建ててしまうのが一番なのだという話しを聞いた事がある。かって新宿新大久保百人町にあった吉阪隆正自邸には何度かうかがった事がある。内部はもう無茶苦茶に本その他が積み重なって乱雑で、とてもインテリアなんて感じの小ギレイさは無かった。記憶は定かではないが階段に手すりも無かった。ル・コルビュジェは弟子の吉阪の家を訪ねて、フーンと言ったとか、どうとかの話しも聞いたが、詳細は忘れた。コルブだって彼の地中海を眺めおろす自邸は空間とかデザインなんて、そんなものは何も無い素寒貧なものであった。
 世田谷村を要するに、コレは中空に浮いた人工の土地である。その人工の土地に、ガラスや金属をはめ込んで家としてのスペースを作り出している、その冷暖房が快適じゃないと言うのは解るが、だってこれは自然のまんまの土地を浮かせているんだから、それは仕方の無い事なんである。しかし、余りに暑い寒いと家族が言うので、私は家の状態のまわりにもう一軒家を作ってしまおうと決心したのである。
 石山 修武

 

銀河鉄道計画銀河鉄道計画
040 銀河鉄道計画4
 モスクワに計画中の「日本文化センター」は名前とは裏腹に核になるのは商業施設である。ソ連邦崩壊以後のロシアには関心がある。一国の、あるいはより広く文化圏が作り出した構造(体制)はそんなに簡単に崩れ去るものではない。壮大なファンタジーでもあったらしい共産主義イデオロギーは崩壊したかに視えるが、根深く何かが残っているに違いない。昨年、ロシアを訪ねて、勿論、表面の理解に過ぎぬが、その感を改めて深くした。大学教授達のビジネス感覚。(これは中国と同じなものであった。)モスクワ大学の相変わらずのアナクロニズムと急激な進取の気概。セキュリティ情報に関する体制の強い意欲。 etc 、 etc 。それなりの理解でしかないが、ロシアの現在は共産主義中国の沿岸都市部の極度の資本主義化(拝金主義)とは微妙に異な る何かがあるように感じた。
 レーニン等が主導したソビエトの革命は二〇世紀最大の革命であった。最大級に多くの血が流された。それに引き換え、革命の、又革命とも呼ぶべきエリツィン等による革命はアッケラカンと呼ぶべきだろう位に穏やかで、静かなものであった。無血革命であった。体制というものの転形はこんなに穏やかで、モロいものなのかをTVの実況放送やらで実感させられた。その謎を知りたかった。
 クレムリン宮殿、赤の広場は今や世界最大級の非世界性の顕在である。世界性とは今や無機性であり、資本の自動記述性である。今の建築のスタイルの移行を眺めてみると良くそれが解る。
 モスクワの中心、ロシアのシンボルとも言うべき赤の広場、クレムリン宮殿に表現され、維持され続けている非世界性。天安門広場、人民大会堂のスタイルにも通じる非世界性は何か。
 国のシステム(体制)等にそれを感じたのではない。例えばボリショイサーカスの案内係のおばさんの物腰とか、サンクトペテルブルグ交響楽団のオペラと観客の不思議な対応の仕方。赤の広場に並んだ、シカゴマフィアの大会を思わせる超大型リムジンの行列、それは実に庶民の結婚式の為のものであった、とか、繰り返すがダーチャの実態。モスクワ市民の住生活。巨大な秋葉原感覚の建材マーケット。日本食レストランの行列と繁盛。学生達の異常とも思える村上春樹愛好熱。エリツィン前大統領幽閉状アパートメントハウス。モスクワ計画で試みようとするのは、その非世界性を意識したデザインだ。北京で試みようとしているのは徹底した世界性、すなわち資本主義的スタイルである。電子の速力で建築そのものの形式を解体する試みだ。それを世界最大級の電子装置で試みる。
 モスクワの計画は北京の計画とは趣向のグレードが異なっている。そうさせているのは赤の広場である。  双方の計画共に銀河鉄道計画のステーションである。
 石山 修武

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銀河鉄道計画
039 銀河鉄道計画3
 ロシアに三つの計画をすすめている。二つはコマーシャル建築で一つは小さな農村計画である。ロシアの小さな農村計画が、日本の東北の相互扶助、自給自足農園計画と関係づけられれば、そこにパイプラインならぬ考えの鉄道を敷ける事だと考えた。視たり、触れたりは出来ぬが、頭の中にはハッキリ関係づけられている、そんな計画である。パイプラインはオイルとマネーを運ぶ。現実のラインである。私がデザインするラインは建築における視えぬライン、すなわち軸線のようなもので、視えないけれど、確実に存在する頭脳の中の軸線である。
 十勝原野にヘレン・ケラー記念塔を実現させた時に、この視えぬラインを具体的に意識した。ヘレン・ケラー記念塔は視覚のおぼつかぬ人々のための建築である。視力の無い人にフォルムは意味を持たぬ。意味があるのはフォルムよりも情報である。別の言い方をすれば視覚よりも知覚が重要視される。ヂュシャンの絵と同じであり、それはいささか乱暴に言い切れば情報の時代の意味そのものでもある。
 ヘレン・ケラー記念塔は五〇 km の遠くに遠望できる幌尻岳に向けて建てられた。幌尻岳はアイヌ神話ではカムイの山である。その山に様々な神話が作られた。神話は視えぬし、触れる事も出来ぬが、人間の想像力の中に明らかに実在する。ファンタジーと現実を結びつけるモノの在り方を示している。アイヌ神話の山、幌尻岳と、ヘレン・ケラー塔に同義の意味を付与すれば、そこに五〇 km の長い長い視えぬ建築を出現させる事ができる筈だ。
 クリストのランドスケープアートは大きなスケールを持たねば意味がうすい。そこに視覚に頼らざるを得ぬ限界が露呈されてもいる。現代の特質の一つは 距離という概念そのものの消失である。その消失はコンピューターによってもたらされた。
 二つの地点の距離の存在がすべての経済活動の素である、とドイツ・イデオロギーでフェニキア人の交易の事例を引きながら説いたのはカール・マルクスだった。まだ、地球上に距離というモノが厳存した時代の考えである。遠く離れた場所間の距離が作り出す、文化文明の差異が交易を産み、経済活動を作り出した。シルクロード(絹の道)は特異な商品が流通する道であり、その場所間の差異は交換を産み出し、差異は金銭を産み出した。
 インターネットは距離を消した。遠い距離はネット空間には存在しない。そもそもネット上には空間が存在しない。空間は距離が作り出す。透視図法が距離に関する認識の方法である様に。
 石山 修武

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銀河鉄道計画
038 銀河鉄道計画2
 北海道十勝に作ったスノーフィールド・カフェは余り沢山の人に知られる事が無かったけれど、私には面白い仕事だった。ビニールハウスのフレームに似せた骨組みを農機具メーカーに製作してもらい、窓その他も同じメーカーに任せた。オーナーの後藤氏がこの雪原のレストランと北海道の農業、食文化の未来を何とか関係づけたいという強い意欲があったからだ。農機具みたいな建築がいいのだ、という注文であった。スノーフィールド・カフェが生まれる前の秋、後藤氏達十勝環境スクールの面々はフィールド・カフェの試みを行っていた。十勝の風景が最も美しいのは小麦畑がたわわに実って、はるばる地平線まで続く時だと彼等は考えていた。その麦畑のド真ん中にお客さんを招いて、共に北海道の食を楽しんでもらえたら、どんなに良かろう、それが十勝のホスピタリティーの真骨頂であると考え、実行した。
 海のような小麦畑の真中のフィールド・カフェの体験は素晴らしいものだった。車椅子の丹羽太一君も東京から出掛けて、彼は麦畑の海に大きな耕運機のアームに持ち上げられて踏み込み、切り分け、海原を進む船のように移動した。その風景は仲々に良いものだった。その時、小麦畑に印された耕運機の跡が強い印象として残った。
 車椅子の丹羽君を運んだ跡が広大な麦畑に印され、それはかすかなモノではあったが、これからの、いささか気負うが、世界の姿を暗示している様にも思えたのだった。
 先ず、そこに何かがあるべきだという形式が在るのではなく、人間の意志と、動きがあり、それが様々なスケールの世界と関連を持ち、すなわちコミュニケーションを得て、その記録、痕跡が形になってゆく様な形式である。
 麦畑の中にしつらえられたいささか建築的な装置やバイオトイレの工夫が大事なのではない。装置が主役で麦畑が背景なのではない。装置を扱う人間が主役で他の全ては背景であるというわけでもない。その全てが緊密な相関性を持ち、その相関性がいかにそれぞれに意識されているかといういわばデザインの問題として浮かび上がってくる事が大事なような気がする。つまりその相関性が人間にいかに知覚されるかという事である。眼が美しいと感じるのも大事だが、知覚が直接にその相関性を捉えられるようなモノのあり様である。暗示的であり誘引力を持つという事である。それでは何に向けて誘おうとするのか。
 宮沢賢治が法華経の信仰者である事は良く知られている。岩手をイーハトーブと名付けたり、イギリス海岸と命名したりの洋風ハイカラ好みは作品の随所に噴き出てはいるが、その全体は明らかに仏教徒としての世界観に根差していたのは間違いない。
 不勉強でまだ明晰に考える事ができぬが、仏教的世界観はキリスト教的なそれと明らかに異なるモノがある。全ては変化する。輪廻のサイクルの中で動くという自我そのものが消え去った世界の観念である。
 十勝フィールド・カフェはたった一週間の催事であった。小麦畑が黄金色にたわわに映えるのは一週間程のアッという間の事だ。その一週間の小麦畑の成熟の風景だけの為に、これはしつらえられた野立ての趣向でもあった。
 銀河鉄道計画の時空に敷かれる視えぬ鉄路の大事な通過ステーションであった。
 あらゆる考えには始発点があるようにも思うが、それは必ずしも正しいとは限らない。始発点とはオリジナル信仰に近いものだ。銀河鉄道計画は始発駅と終着駅が同一の堂々巡りの計画になってしまう可能性だってあるだろう。
 石山 修武

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銀河鉄道計画
037 銀河鉄道計画
 阿武隈鉄道が何処から何処まで走る鉄道だったか、宮城県丸森から角田を通って仙台までであったか、気仙沼線や大船渡線との区別すら定かではなくなってしまった。宮沢賢治の花巻と釜石を結ぶ釜石線や日本海に抜ける北上線が「銀河鉄道の夜」のモデルになったのだろうかと突然想ったりもするし、現実を走る鉄道がそのまんま幻想の世界に走り込んでゆく姿に視えたりもする事も確かにあった。そんな気もするし、若い感傷の産物に過ぎぬと思ってみたりもする。東京に住み暮らしていると遠くの風景を眼を細めて眺めやる事はまず無い。超高層ビルの上階から日没の富士山を眺めたりはあるが、あんまり心をときめかせるものではない。富士山には月見草が似合うと言われたのんびりした時代もあったが、富士山は二百KMをこえるスピードで走る新幹線の車窓から眺め、過ぎるのが一番だし、なんだか富士山には高層ビルや「のぞみ」やらが一直線に走り過ぎるのがピッタリな様な気さえする。
 煙を吐かない火山が作り出す風景の意味は要するに巨大な仮死体を眺めているようなものではないか。あるいは問いを発する事のないスフィンクスが飾りもののように在るだけの世界。もしも富士山が今でも噴煙を吐き続け、時々小爆発を繰り返していたら、首都東京はもう少し別の姿になっていたのではないか。人々が心の底に、何かを恐れていたり、畏怖したりの何がしかがあれば都市の姿は今のようなものではなかったろう。

 春まだ遠かった某日、丘の上から阿武隈鉄道の古びた紅色の車輌がゆっくりと連山のさざ波の中に消えてゆくのを視ていた事がある。雲の動きよりもゆっくりとした紅色の車輌の動きは、停止状態の様でいてジワリジワリと滑るように動いていて、宇宙の時間の運行をそのまま眼のあたりにしている風があった。
 固定されているように視えているあらゆる物体は、当然ではあるが動いている。地球が自転しながら公転している事象を想像するならばそれは真理なのだ。宇宙は凄い速力で膨張しているらしいが、そこまで想いを飛ばす事をしなくても、森羅万象、道路も鉄道も建築も都市も宇宙の時空を動いている。
 宮沢賢治は岩手の自然の中にそれを感得していた。西や東にオロオロしながら百姓の営みを共にしようと試みたのも、百姓の営み自体が森羅万象の変転、動きと密接な関係を持つ事を直観していたからだ。だから、花巻の高利貸しの、つまり質屋の息子だった賢治は岩手の空に銀河鉄道の夜を構想した。どうしようもない生い立ちの矛盾の彼方に視えぬ鉄路に仏教のゆるい速力の観想を走らせたのである。
 建築も又、ゆるい速力で動く観念である。現実に拡がる仮死状態の廃墟から、動き、ゆっくりと離脱しようとする意志そのものでもあるだろう。
 「銀河鉄道計画」と名付ける、現実と廃墟の狭間をゆくプロジェクト群をしばし走らせてみる。ゆっくり、ゆっくり走らせて、フワリと車輌が空に浮くか、都市の闇の中に沈んでゆくか、行方は定かではない。
 石山 修武

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