カバーコラム 石山修武 
 


 
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ナーガの力

116 ナーガの力
 プノンペンは雨期の最中である。街は浸水の如くに水が溢れ返っている。ひろしまハウスの前の通りも川になっている様だ。アジアと呼んでも広い。日本の雨とメコンの雨とは違う。ウナロム寺院の前のトンレサップリバーの水位も大きく上っているだろう。
 アンコールワットの水源であったとされるトンレサップ湖の大きさも、とてつも無いものになっているに違いない。メコンも水をたっぷりと吸い込んで伸縮自在なエネルギーそのものと化しているだろう。
 紫陽花の色合いに梅雨の季節を感じ取ってきた日本のそれとは全く異なる世界だ。
 ナーガ神話はそんな水のエネルギーが形になったものだ。東南アジア全域に今も棲むナーガ。それは寺院の屋根飾りとなり、無数に形にされ続けてきた。屋根そのものがナーガとなり、動く形になってきた。
 アンコールワットは水の制御形式に意が配されていたと聞く。治水という名の土木工事ではなく、水の伸縮のデザインがそのまま都市の形式になっていたらしい。
 プノンペンはリトルパリと呼ばれた美しい都市だった。しかし、それはトンレサップやメコンの力とは無関係なコロニアルスタイルの都市であった。
 カンボジアはいつの日か、水の力と共にある様な都市の形を構想するようになるのだろうか。
 石山修武

 

風の又五郎

115 風の又五郎
 山田脩二と宮沢賢治を並べ立てて考えようなどとは思ってもみなかった。どう考えてみても似ても似つかぬ異世界の住人であった。
 ある夜の事、酔っ払った山田脩二が世田谷村を訪ねてきた気配があった。草木も眠るうしみつ刻である。そこらにあったダンボールを寝床に数時間眠って、翌早朝去った。残されたのはダンボールの寝床と、枕にしたらしき氷ヅメの袋。その山田の一夜の住まいを眺めて、アア山田は遂に風の又三郎になったのだと思った。
 宮沢賢治の風の又三郎には異人の不在の恐怖が描かれている。東北の小学校にやってきた鉱山技師の子供。都会の男の子。たいくつに流れる実生活の日々に波風を立てて、アッという間にいなくなってしまう、それは異人を演じる役者そのものであった。山田も又、その異人振りを演じ続けるようになった昨今である。山田が東京に出てきているらしい、と聞けば肝臓が弱り都市にまみれた私供は恐れをなして、皆居留守を決め込む迄になった。山田とトコトン附き合ったら肝臓も頭もやられて、廃人同様になるのは眼に見えているからだ。何人かの知り合いがそれで死んだ。
 山田の一夜の仮住まいを眺めて、か空恐ろしさにうたれた。そこには異人の不在の跡が歴然としてあったからだ。
 こうやって山田は今、作っているのだ、と解った。東京のアッチャ、コッチャで居たような、居ないような、不在の空虚さを作り続けているのだ。山田脩二は今、ヴァーチャルアーティストである。
 「又三郎」と呼ぶのには少し計り、年がいっているから、敬意を込めて、「風の又五郎」と呼びたい。
 石山修武

 

船乗り込み
十八代目中村勘三郎襲名披露『六月博多座大歌舞伎』船乗り込み

114 船乗り込み
 六月博多座大歌舞伎、十八代目中村勘三郎襲名披露が六月二日より博多座で催される。そのお披露目の「船乗り込み」が五月二九日に行われた。乗船式典がキャナルシティのキャナルで、その横の清流公園から船に乗り込み、博多リバレイン迄、博多川をゆるりといった。両岸には五万人の人が出た。中村勘三郎の人気は大したもので、「中村ー屋」の掛声が絶えず、紙吹雪が舞った。二艘目の船の舳先に勘三郎が座した。その後に、何故だか私が座らされた。何故かは知らぬが、エイ、オリンピックだーッと座った。小学校の運動会だってこんなに声を掛けられた事は無い。
 勘三郎氏はいかに、千両役者だからこんな事は慣れっこなのだろうと思っていたらコレが驚き。勘三郎も満更ではないどころか、いたく感激していた。後の席だから氏のつぶやきがみんな聴こえてしまう。
「嬉しいナァ、嬉しいネェ」
「これでなくちゃ、イケネェーンだ」
「俺たちゃ、世界遺産じゃないんだから。今に生きてるんだから・・・」
「東京の大川端じゃ出来ネェーだろうナァ。」
 そこで、私は勘三郎に声を掛けようと思った。ジャケットのポケットに持っていた、「2016福岡オリンピック」のバッチも渡そうと思ったが、いい年して臆した。残念である。
 そこでの私の声に出なかった科白はこうだ。
「勘三郎のダンナ、東京、大川端は広すぎて、声も、顔も見えません。あそこはデッカ過ぎてもう歌舞伎の世界向きじゃあございません。」
 オリンピックも同じ事。
 石山修武

 

朱色のメコン

113 朱色のメコン
 プノンペンのウナロム寺院境内に完成間近なひろしまハウス。朱色が揺れる建築になった。ヴェトナム製の床タイル、カンボジア製のレンガの朱の色感が内部に生命感を作り出している。当初使っていたカンボジア製のレンガの精度の悪さが気に入っていたのだが、今はヴェトナム製のモノに駆逐されてしまった。想っていたよりも精度が良くなってしまい、チョット心残りである。
 自然界はムラに満ち溢れている。不規則の連続だ。空も森も水も大地も何一つ均一なものは無い。人間のフォルムも色も同様である。同一のフォルム、色体を持つ事は無い。世界各地で双子は不吉な者という神話流言が残るのはその故であろう。要するに生命体は不連続の集合体なのである。
 ひろしまハウスの内部外部の朱色の集合はそんな事の初歩的な表れであるように思う。
 この朱色は泥を焼いた色だ。ヴェトナム、カンボジアをまたいで流れるメコン河が、ゆっくりと大地をけずり出し、泥となったのを低温のプリミティブなカマで焼き上げたものである。西安から敦煌まで飛ぶ飛行機から眺めた砂漠は実に色彩豊かなものだった。岩石が細分化して砂になり、風によって微細になる。それでも岩石の元素の色合いは無限に残るのだ。砂漠という砂の海も、生命の源と言はれる海洋と同様に、実に多様な構造を持っている。
 そう考えると、ひろしまハウスのレンガの色はメコンの色であるとも言えよう。メコンがけずり出した土の色であるから。
 朱色の物質に囲まれた空間は、だから朱色の水のように揺れ動く。
 石山修武

 

大野一雄の舞踏
大野一雄の舞踏

112 口を挟む
 丹羽太一、渡辺大志の大太コンビがスッテン、バッタンと進めようとしている近代能楽劇場のページにとうとう口を挟んだ。先行を心配したからばかりではない。面白くなる筈なのに仲々面白さの幕が切って落とされぬからだ。面白くなる筈なのに、というのは愚かしい直観からだ。だって、これ程何の役に立ちそうも無い計画は周りを見渡してもない。殆どの若い人の計画らしきは、小ざかしく日常に埋没しており、その埋没の根拠をくだくだとつぶやくばかりである。その点、近代能楽劇場プロジェクトはあきれ返る位に馬鹿馬鹿しい。一体全体何の役に立つのかが全然わからない。何の為に何をやろうとしているのかも知れぬ。不気味である。若書きはてらいに満ち満ちていて当然である。それ位の元気は欲しい。その点でも充二分に二人の計画は気取りに満ち、背のびしている。しかもそのてらいには純なものが感得できる。清々しいのである。これは平成の白樺派か、あるいは病に倒れぬ立原道造かと感ぐった。しかし、どうやら白樺も新感覚派も意識されてはいないようだ。要するに何も意識していない。そんな馬鹿馬鹿しさに満ちている。シナリオの無いルイス・キャロルかと深読みもしてみたが、どうやら、そんなノン・センスにも焦点は当てられていないようだ。
 しかし、不可思議な意志の形はある。あるいはコンピューターに対する物神性か。不自由に視えるのは眼に対する形にこだわりがあるからだろう。その形への、視覚的フォルムへのこだわりから脱ければ、このプロジェクトは大きな成果を生み出すであろう。話し言葉のスピードと持続力で計画が進み始めるのを期待したい。走りながら考えるにこした事はない。直観で始めた事の全てに必ず理は在る。直観を信じて走り切るエネルギーが時に不足するだけなのだ。
 石山修武

 

ひろしまハウス in プノンペン

111 化石
 博物館で化石に対面する時に得る一様な感慨がある。想像力の涯に漂う実物を視ている実感だ。数千年数億年の昔に現存したものが石と化し凍りついている。歴史という概念すら存在しなかった時代が、それでも歴史化されてそこに在るという驚きである。
 プノンペン・ウナロム寺院を拠点に活動する小笠原成光さんは生きた化石である。シーラカンスはしゃべらぬが、小笠原さんは言葉を吐く。その一言一言が化石状なのである。
 ウナロム寺院境内に完成間近の「ひろしまハウス」の一階は渋井修さんの作業所である。木工所として機能していたが、今は地雷で手足を失ったカンボジアの人達の為の手こぎ三輪車を製作し続けている。小笠原さんの仕事だ。人物はすでに百数十台の手こぎ三輪車を作り、その三輪車で生活しているカンボジア人は多い。口先だけではないまさに人道的支援であるが、当の本人はそれを大声では言わぬ。空飛ぶ三輪車協会というのを人物は立ち上げて、様々な協力体制をつくり上げ、ただただ三輪車を作り続けている。人物は不可思議極まる人生観を持ち、時にそれを説く。が、今の日本では、それは仲々通じ難い人生観である。人物の話しを聞いていると時にいたたまれぬ哀切を感じる。その哀切とは、この人物が吐く言葉は余りにもまっとうで、そのまっとうさを自分が率直に受け容れる事ができぬ哀しさである。
 人物は今の日本でまかり通る常識、手続きを一切無視する。カンボジアに困った人が居て、日本はブカブカに豊かなようだ。だから余った金を人物の仕事に廻すのは当然だと考え、手続き抜きで日本の財団に乗り込んだり、自動車会社に金出してくれと頼みに行く。一切の手続きを省く。挙句の果てに、金の無心かと疑われたり、してしまう。それは仕方が無い事だ。手続きが踏まれていないから。しかし、手続きや、人脈や、何やらというのは人物には二の次なのである。こうして人物の孤軍奮闘が続き、それは自己犠牲の様相を呈するまでになる。しかしである、人物の考えはまともである。まともさを直裁に遂行しようとするから、それは悲、喜劇の風を帯びる。
 「ひろしまハウス」の一階で演じられているのはそんな類の演劇である。私のところの渡辺が、近代能楽堂と称して、何やら考えているようだが、そんな現実に早く気がつけば良いのにと思う事仕切りである。
 石山修武

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