近代能楽劇場 
 


 
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近代能楽劇場 37 渡邊 大志

「能面2」

山口勝弘「顔曼荼羅」
山口勝弘「顔曼荼羅」

「能面をつける/外す/入れ換えるだけで精神的なイメージが立ち現れたり、消え去ったりする。すなわち役者も観客もまぼろしの姿となる。」

「The spiritual image appears or disappears as just putting on/off the mask to change.  The actors and audience will become the illusory figures.」

近代能楽劇場 36 渡邊 大志

「能面1」

能舞台 能舞台

「能面は人間の表情を初めてモデュール化したものである。人間の表情は一見複雑かつ多様なものに思われるが、能面は一つの固定されたカタチで移り変わる人間の表情の本質をうまく表現したメディアであった。そのような建築ができたら良いと思っている。」

「The mask of Nou is the first module of the human’s expression. We think that it is very complicated one, but the mask of Nou is the media that is able to express one’s  changing expression by the one fixed shape. I would like to make that kind of architecture.」

近代能楽劇場 33 渡邊 大志

「能舞台17」

能舞台

能舞台

「以前は金閣寺の松に終わりのない松を考えていた。全体を把握することができないため、頭の中でしかイメージすることができない、ひたすら続く松であった。近代能楽劇場inひろしまハウスはウナロム寺院全体を使うが、ここではメコン川がその役割をしている。」

近代能楽劇場 32 渡邊 大志

「能舞台16」

NASA

能舞台

「技術の発達のおかげで、我々はどこにいても自分や他人の存在を知ることができる。しかし圏外になった途端、自己の存在は地球上から消え去る。そのとき始めて個人は自己の想像力によって空間を創造するようになる。我々は既に絶えず点滅するインビジブルなロボットになっている。」

The development of technology made it possible to search your own or someone’s existence, wherever you are. However, at the moment you go outside of communication range, your existence will disappear. Only after that, you come to create your own space with your imagination.

Now, you’re the invisible robots that  never stop their blinking.

近代能楽劇場 30 渡邊 大志

「能舞台15」

2001年宇宙の旅

2001年宇宙の旅
『2001年宇宙の旅』より

「『2001年〜』は1968の映画である。そこに描かれた未来のインテリアでは真っ白な床の上にオリビエ・ムルグの真っ赤なDjinn chairが置かれている。均一に光を放つ天井とパースの効いたこの真っ白な床はユニバーサル・スペースの域を出るものではないため、今見れば非常に古典的な印象を受ける。しかしコンピュータハルの目に映し出された空間はそれとは明らかに異なる光が描かれている。」

「『a space Odyssey』 was made in1968. The red ‘Djinn chair’ were put on the so much white floor in the scene of future interior. It was just universal space surrounded by the flat light ceiling and the perspective floor. So, now we think it was the ‘old future’. However, clearly, the different light was in the eye of ‘Hal’ computer.」

近代能楽劇場 28 渡邊 大志

「能舞台14」

Star Wars
1980 年『 Star Wars 帝国の逆襲』より

Star Wars
2002 年『 Star Wars クローンの攻撃』より

「今になってみれば『なぜデス・スターは同心円状に建設されなかったか。』という疑問は1980年当時に流行していたデコンスタイルをアイロニカルに批判している。同様に2002年には光が揺らいで描かれていることもまた表層という現代のスタイルに強く影響を受けたものであろう。見えないものの方が見えるものよりもより時代の感覚を表現することがあるのだ。」

「『why wasn’t the Death Star built as a concentric circle?』 Now, this question criticizes the de-construction style in 1980’s ironically. Also , the swinging light in the movie in 2002 is so much influenced by the modern style , the surface of the architecture. What cannot be seen expresses the sense of the age better than what can be seen. 」

近代能楽劇場 27 渡邊 大志

「能舞台13」

能舞台 能舞台

「三島邸の庭に置かれたビーナスとホテルの屋上に置かれたビーナス。置かれた大地が場所性を失なうとき、この等価な2つのビーナスはどこへ飛び去るのであろうか。」

「One venus in  Mishima’s garden and the other on the top of the hotel in the city. Onece their field lost the meaning , where would they go ? 」

近代能楽劇場 25 渡邊 大志

2006年2月14日、「能舞台12」

能舞台
『2001年宇宙の旅』ディスカバリー号
‘Discovery’『a space odyssey』

能舞台

「楽天的な未来は次第に暗鬱な未来へと変質していった。外の世界への旅が内側への旅に他ならぬという自覚がそうさせた。海がモノリス的メディアであるとするならば、私が描く海洋演劇はまさにメディアの上の旅なのである。」

近代能楽劇場 24 渡邊 大志

2006年2月6日、「能舞台11」

能舞台
スタンリー・キューブリック監督作品『2001年宇宙の旅』に登場する絵画
fotostill of the movie 『2001 - a space odyssey』

能舞台
三島邸エントランスの陶板
drawing on the entrance to Mishima’s house

「この2つの絵画は共にある空間のエントランスに置かれている。どちらも視線が抜けた先の最初の美であるが、今日では共に懐疑的にならざるを得ない。」

"These both drawings mark the entrance-space of different worlds. They are the first icon of the beauty set at the end of our view connecting to the new atmosphere. However, we cannot believe in that today."

近代能楽劇場 23 渡邊 大志

2006年1月31日、「能舞台10」

能舞台

能舞台 「旅とは時間を体験することである。その間に私が察過する環境もわずかながら時間を内在する。時間を内在するとはすなわち記憶を持つことである。そうした土を体験し、森を体験し、鉄を体験することが旅である。誰しもが常に旅をして生きている。
 私は時々その時間という仕上げを少しだけ剥がしては隠された美を発見し驚くのだ。金閣もまたそういった類いのものである。」

A "trip" makes us have experience about the "time". While the trip, some atmosphere arise including the time owning some memories. We are going through these materials like Earth, Forest, Steal and so on. Thats the "trip" and we all are always having trips.
I am wondering about the secret beauty of those materials when I take away that surface, named "time". I guess "Kinkaku-ji" is also like that. Kinkaku-ji: "The Golden Temple" is a novel written by Yukio Mishima and the name of a temple in Kyoto completly covered in Gold.

近代能楽劇場 22 渡邊 大志

2006年1月30日、「能舞台9」

能舞台 能舞台

「暗闇のトンネルを進む。ひやっとした風とともに何とも言えぬ違和感に指の先から全神経を絡めとられていく。まさに今、私の精神は身体というフレームから自由になって暗闇の中へと旅立つことができたのである。」

近代能楽劇場 21 渡邊 大志

2006年1月27日、「能舞台8」

能舞台 能舞台

(監視する男に監視される男。しかし監視する男もまた監視されている。)
「かつて箱男は言った。『見る側には愛があるが、見られる側には憎悪がある。見る側は見られたとたんに見られる側に廻る。誰しもが本当は見る側に廻りたいのだ。』と。このことこそが君が立っている大地を薄っぺらな舞台へと変容させているのだ。つまり君の日常を。」

近代能楽劇場 20 渡邊 大志

2006年1月26日、「能舞台7」

能舞台

「気がつくといつもと何ら変わらぬ風景が、これも当たり前のように繰り返されている。あのとき私の身体を飲み込んだ暗闇の正体は何だったのか、そしてそのとき感じた何とも言えぬ違和感は何だったのか。それもまた肥大化した金閣の姿であり、私という人格そのものであったのか。」

近代能楽劇場 19 渡邊 大志

2006年1月24日、「能舞台6」

能舞台

「この地球を覆い尽くす薄皮一枚を剥ぐだけで、深淵な暗闇を覗き込むことができる。その暗闇はたちまち地上の現実を浸食し、あるいはそれと気がつかない間に私自身が暗闇に飲み込まれ、その中にまたしても金閣が現れたのである。」

近代能楽劇場 18 渡邊 大志

2006年1月21日、「能舞台5」

能舞台

「君はこの穴をのぞいた事があるかい?」
「真っ暗だな、どのくらい深いんだい?」
「わからない。でも、今君はどのくらい深いのかって聞いたね。すると、君はこの下に地下世界があると信じているわけだ。今僕たちが歩いているのはさしずめ人工の大地だな。つまり、舞台だ。でも信じない人にはやはりただの地面でしかない。」

近代能楽劇場 17 渡邊 大志

2006年1月20日、「能舞台4」

能舞台

「元来舞台とは役者自身の肉体と精神が現実と明確に区別するためにある。決して看客のためではない。しかし有能な役者ほどその区別が曖昧になり、今度は自己の確保のために演技し始めるのだ。」

近代能楽劇場 16 渡邊 大志

2006年1月19日、「能舞台3」

能舞台

「君はここが地面だと信じているだろうが、実際は君の知らない間に底の見えない地下世界が作られていて、君はいつ間にかその遥か上を歩いているんだ。それは始まりも終わりもない極めて退屈な日常の中の出来事に過ぎない。」

近代能楽劇場 15 渡邊 大志

2006年1月18日、「能舞台2」

能舞台

消費都市におけるテンポラリーな舞台。この巨大な空間が瞬時に立ち現れ、同一単位の増殖をくりかえす。こうして現実空間にいくつかの穴が空けられていく。

近代能楽劇場 14 渡邊 大志

2006年1月17日、「能舞台1」

能舞台

 今、自分がいる空間を把握するとき、主に2つの方法による。すなわち、共有のネット(通信記録)から生まれた電子都市と極めて個人的な記憶から生まれた(個人的な偏見に満ちた)脳内都市。

近代能楽劇場 13 渡邊 大志

2006年1月16日、「役者の顔2」

能舞台

この舞台に於ける役者の顔は観客達の顔の写しである。つまり主役はいない、もしくは全員が主役である。

近代能楽劇場 12 渡邊 大志

2006年1月12日、「役者の顔1」

iMac

例の「演技」が私の組織の一部と化してしまった。それはもはや演技ではなかった。自分を正常な人間だと装うことの意識が、私の中にある本来の正常さをも侵食して、それが装われた正常さに他ならないと、一々言いきかさねばすまぬようになった。(『仮面の告白』)

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