近代能楽劇場 11 渡邊 大志
2006年1月6日、「三島由紀夫の散歩6」
主人「・・・ところで僕の代表している生活は、精神生活であって、実際生活ではない。昔の看客が実際生活を以て生活を代表し、演劇に様式の規則を要求したように、僕たちの時代は、精神が生活の無秩序に対して抵抗していなければならぬ時代だ。・・・」
客 「それでも世間じゃ君の脚本を歌舞伎くさいと云ってるぜ」
主人「それはそうさ。書いているうちに、僕は時々看客席へ行って坐っている自分に気づいて、おどろくんだ」
客 「因果なものだね」
主人「因果なものさ」
(『文学的人生論』)
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近代能楽劇場 10 渡邊 大志
2005年12月28日、「三島由紀夫の散歩5」
老婆「(傍白)それを仰言ったら命がないわ。(言わせまいとして)何が不思議なの。あたしの顔が?ごらんなさい、こんなに醜いでしょう、皺だらけでしょう、さあ、しっかり目を見開いて。・・・ああ、言わないで。私を美しいと言えばあなたは死ぬ。」(『卒塔婆小町』)
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近代能楽劇場 9 渡邊 大志
2005年12月27日、「三島由紀夫の散歩4」
私の近代能楽集は、むしろその意図が逆であって、能楽の自由な空間と時間の処理や、露わな形而上学的主題などを、そのまま現代に生かすために、シテュエーションのほうを現代化したのである。(『近代能楽集あとがき』)
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近代能楽劇場 8 渡邊 大志
2005年12月26日、「三島由紀夫の散歩3」
わけても「葉隠」は、それが非常に流行し、かつ世間から必読の書のように強制されていた戦争時代が終わったあとで、かえってわたしの中で光を放ちだした。(『葉隠入門』)
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近代能楽劇場 7 渡邊 大志
2005年12月23日、「三島由紀夫の散歩2」
金魚の置物が泳ぐ姿はどこか金魚よりも金魚らしいところがある。
思い出の中のリオはますます燦然として来るので、たとえ機会があっても、私は二度と現実のリオを訪れようとは思わない。(『小説家の休暇』)
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近代能楽劇場 6 渡邊 大志
2005年12月22日、「三島由紀夫の散歩1」」
今私が赤と思うことを、二十五歳の私は白と書いている。しかし四十歳の私は、又それを緑と思うかもしれないのだ。それなら分別ざかりになるまで、小説を書かなければよいようなものだが、現実が確定したとき、それは小説家にとっての死であろう。不確定だから書くのである。(『小説家の休暇』)
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渡辺の新しい劇団は三島由紀夫の金閣寺を戯曲にしようと画策しているらしい。聞いたところでは脚本を書くのが、これもたまたま渡辺君という青年らしい。その劇団で彼は舞台美術を考えているようで、どうやらあれこれ作って並べているのは舞台の模型だかなんだかのようだ。
彼が私に「インターネットでは演劇ってどんなものになるんでしょうね。」と聞いてきた。ああこれはあの噂と関係があるな。「じゃあ一つ、週刊建築のところでインターネットで観る劇場を考えるというようなページをつくってみたらどうか。」ちょっとした好奇心である。
早速原稿が送られてきたので、ここに掲載することにする。
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編集人 丹羽太一
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近代能楽劇場 1 渡邊 大志
2005年12月12日、「三島由紀夫の表札」
快晴。
馬込のバス通りから一本入った住宅街を歩いているとインターホンが 3 つ付いている少し薄汚れた白い家があった。よく見てみると平岡、三島、Tという名前が1つずつインターホンを持っているのであった。
どうやらここは三島由紀夫が住んでいた家らしい。やっぱり三島は「三島由紀夫」を演技していたんだなあ、と我ながら青臭いことを考えていると隣の犬がこっちに向かってやたらと吠えて馬鹿にしてくるのであった。
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