2つの資質〈11〉
もう一方の資質、仮にBとする。この資質の特色はおおいに若いという事。
Aと同様に受容的資質に富んでいる。
まだ若いから吸収力があるというような馬鹿を言っている訳ではない。これからの時代は奥深い受容力が必須である。
抽象論は好きではないが、超抽象を装ってみよう。つまり演技してみる。
グローバリゼーションの波は個人の意志の均一性を旨とするシステムであり、これは強い。
それに対してネガティブでなければ生きてはゆけない。
受容性というのはかくの如きの大芝居も含めて、実に幅広い。
比較するのが簡明である。
スケッチの断片の数々からその才質を観るという愚はしない。
その思考の大河の如き流れを観たい。その資質をわたくしには彼等は求めている。意識できずとも本能的にそうしている。
だから、それには応えなければならない。少くともそう振舞う必要がある。
Bの資質の特色はまとまり難いという事だ。これは資質の大きさにつながる。馬鹿であるが故にまとまらぬのとは異なるのだ。
少くとも、スケッチや模型では、今のところ常にその類のモノ、それが才質の形式であるが、それを出してくる。
率直に言えば、これをまとめるには何年もかかりそうだと直観する。
何故なら、スケッチや模型に対面して、それに対して何かを言うは最大最強の喜びでもあり、教育なんてレベルではなく一つの芽を育てているという快楽にもつながる。
出してくるモノはわたくしを受け容れてはいるが、本人は知らぬだろうが常に要求とは大いに異なる世界に属するモノも出してくる。
若いわたくしであったら、ムカーッとするだろうが、それはそれすでに白髪三千丈である。
だから、ハハア何とか自分を出そうとしてるなあと笑うのである。
この笑いが、いつかヤバイ、これはヒタヒタと来てるなと思う日もあるだろう。
Aはモダニズムの洗練という多くの人間がやっている事の、外に脱けた、しかし洗練としか言い様のないモノを追うしかないであろう。
Bは発想の出発点の枠を広げる努力をした方が良い。大仰だが誰にも無いモノを持っている。発想の自由を方法化とは言わず、あんまり良い条件でない時には、それでも何がしかが発見的に出せるようにしたら良い。