2つの資質

石山修武研究室

130813

2つの資質〈11〉 

もう一方の資質、仮にBとする。この資質の特色はおおいに若いという事。

Aと同様に受容的資質に富んでいる。

まだ若いから吸収力があるというような馬鹿を言っている訳ではない。これからの時代は奥深い受容力が必須である。

抽象論は好きではないが、超抽象を装ってみよう。つまり演技してみる。

グローバリゼーションの波は個人の意志の均一性を旨とするシステムであり、これは強い。

それに対してネガティブでなければ生きてはゆけない。

受容性というのはかくの如きの大芝居も含めて、実に幅広い。

 

比較するのが簡明である。

スケッチの断片の数々からその才質を観るという愚はしない。

その思考の大河の如き流れを観たい。その資質をわたくしには彼等は求めている。意識できずとも本能的にそうしている。

だから、それには応えなければならない。少くともそう振舞う必要がある。

Bの資質の特色はまとまり難いという事だ。これは資質の大きさにつながる。馬鹿であるが故にまとまらぬのとは異なるのだ。

少くとも、スケッチや模型では、今のところ常にその類のモノ、それが才質の形式であるが、それを出してくる。

率直に言えば、これをまとめるには何年もかかりそうだと直観する。

何故なら、スケッチや模型に対面して、それに対して何かを言うは最大最強の喜びでもあり、教育なんてレベルではなく一つの芽を育てているという快楽にもつながる。

 

出してくるモノはわたくしを受け容れてはいるが、本人は知らぬだろうが常に要求とは大いに異なる世界に属するモノも出してくる。

若いわたくしであったら、ムカーッとするだろうが、それはそれすでに白髪三千丈である。

だから、ハハア何とか自分を出そうとしてるなあと笑うのである。

この笑いが、いつかヤバイ、これはヒタヒタと来てるなと思う日もあるだろう。

Aはモダニズムの洗練という多くの人間がやっている事の、外に脱けた、しかし洗練としか言い様のないモノを追うしかないであろう。

Bは発想の出発点の枠を広げる努力をした方が良い。大仰だが誰にも無いモノを持っている。発想の自由を方法化とは言わず、あんまり良い条件でない時には、それでも何がしかが発見的に出せるようにしたら良い。


130813

2つの資質〈10〉 

同一敷地に2つの資質に、それぞれ小建築を担当させることにした。

一方の資質は今大きな壁に対面している。馬鹿ではないからそれ位の事は自覚していよう。この人間の資質は今、受容的である事の初歩的な通例が典型的に吹き出ている段階だ。要するに経験主義的実務家の才質である。今、ほおって置けば、それで固まってしまうのは眼に視えている。

本質的な自由さが無いからだ。

恐い事を書いている。本質的な自由を言っている。

でも造形のみならず、生き方でさえ根本は自由への意志の大小で全てが決まってしまう。DNAとは異なる。トレーニングで獲得し得る自由だってある。

 

仮にAとする。Aの資質は、繰り返すが受容的でその受容性が柔軟ではないが持続性を持つ事である。

恐らくその受容性を生かす事しか将来はない。

しかし、その受容性のキャパシティが小さいのが自覚されていない。

受容性の巨大なのはシェイクスピアであると言われる。

千人の才質を持つカメレオンだとされる。

Aはシェイクスピアとはかけ離れている。芝居は好きらしいが、その好きさが実に小市民的であり、好きなモノが下らない。

もう少し芝居という見世物のカテゴリー自体を考えてみたら良い。考える資質はある。

演劇とか劇場性とかの馬鹿なレベルにとどまらず、見世物、芸能の深さに測鉛を降ろす必要がある。

で、この模型スケッチはいささかの芝居小屋らしきを想定してやってみせた。

スケッチだって一人芝居のイヤらしさの域にとどめないやり方がある。他人の眼を大いに意識して、そしてその他人の中には子供やら、障害者やら、つまらぬ風をした小市民だっているのだ。


130805

2つの資質〈09〉 

04.シンガポール計画の第一次モデルが出来た。

最長6年最短4年の仮設コマーシャル建築である。

今、手掛けているWORKの中では一番現代的な性格を持たざるを得ない計画である。

プロジェクト自体も2つの資質を内在させていると考えたら良いのか?

「2つの資質」08 送信した屋上の群体造形はまだ反映されていない。

09のモデルに示されている造形は実に生硬なものである。

08の群体造形に修正したものがどのような姿を見せるのか、それを見たい。


130806

2つの資質〈08〉 

1日1便送信すると決めたので、実行する。

先程贈ったスケッチは、04.シンガポールの屋上、マンメイド・ツリーのスケッチである。

このMAN-MADE NATUREは今のところのわたくしがたどり着いた考えの8合目くらいかな。8合目とは富士山の途中みたいで我ながら情けないが、マア仕方ない。

今日の昼、見たシンガポール計画の模型は必要条件だけ満たしていて、それ以上のものが何も無かった。

神は細部に宿るの例えは真理であり、我々デザイナーはキモに銘じなければならない。

 

屋上の、カンバン(ブランド・ボード)を持つ造形物が魅力に欠けている。以前、わたくしが宮古島計画に付随して、太陽光マントの如きをスケッチしたが、それを思い起こしてくれたまえ。太陽光(自然)エネルギーの装置は、やはり何か生命力を持ったアナロジーの輪郭が必要だろうと思う。

これは早急に簡潔にまとめて、山形のN社長に送附して下さい。


130806

2つの資質〈07〉 

06のスケッチは左上の図が始まりである。

星の子愛児園の旧棟、計画中の新棟が並列された図が描かれている。

旧棟は小むずかしい事を言うが、実はモダニズムの箱に封印された宝物、つまりタブーとされてきた、おぞましいモノ、それ故に崇高なモノの関係を表現しようとした。

クライアントからサン=テグジュペリとル・コルビュジエを同居させよと謎を掛けられたからだ。この時クライアントはスフィンクスであった。

このクライアントの許で幾つかの子供と先生方の建築を手掛けた。

わたくしも少し計り経験を積んだ。

佐藤研吾には旧棟に面した、裂目の如くのスペースに留意したらと簡単なヒントを与えた。そこに面する新棟部分は、身体の切断面がのぞけるようにしたら面白いとも。

07のスケッチは、06の左上、佐藤のスケッチをベースに積み上げた。

箱の中に封印された「子供」を再び別の形で表現してみたらと考えた。

07中段に旧棟断面と新棟平面をX軸(平面)Y軸(断面)を回転させてみたら良いと考えた。そうすると旧棟、新棟の間に力のある回転する空間が出現するだろう。

 

新棟の旧棟側にはパクリと大口が開いていて、そこから大きなベロがニョロリと出ていて子供達と先生がそのニョロリの上を渡って旧棟の屋上に出ることができる。

この大口のデザインをどうまとめるか、楽しんで、そして苦しんでもらいたい。

先日、クライアントが我々の手掛けた乳児院を、この形はライオンなんですかねと言ってくれた。そういう感性を持つクライアントに出会えるチャンスはそれ程多くは無い。


130805

2つの資質〈06〉 

恐ろしく不恰好な案が、今進めている稲田堤の乳児保育園の案で提示されてきて、久し振りにビックリした。担当は佐藤研吾である。こんなモノは想定していなかった。しかし、面白くなる芽はある。充分にまだ歩行もままならぬ、でも意識はある乳児と、彼等を守り育てる保母先生達のための建築だから、可能性はゼロではない。

しかもアルチの旅で得たであろうアイデアと、何処からやって来たのか知らぬ、それこそイースター島のモアイ像みたいなのが合体している。これをねじ伏せられたら面白い!と直観する。

どんな風にねじ伏せるかと言えば、抽象化を極力自制して何かの具象へもってゆくしかないだろう。すなわちモダニズム建築とは異なる出発点を再び想定する必要である。

だって図に示されている左側の星の子愛児園の形が象を呑み込んだウワバミの姿をファースト・イメージとして出発したのだから。

再びそれに近い出発をする必要がある。


130731

2つの資質〈05〉 

2つの資質にわたくし自身の資質に対する視差が入り込み、実は3つの資質が正しいテーマの雑文様式になってきた。でもタイトルを変更するまでの事ではない。ただ、この雑文のサイトでの位置を今のような位置取りではなく、インデックスに於いては最尾から二番目あたりに引き下げてもらいたい。何故なら読者の大半は身内とも言うべきへの、身内向け雑文であると受け取められていようから。実際にそのような形式を持たせて始めたけれど、その下らなさにはすぐ気付いた。それで2つの資質に対するわたくし自身の資質らしきを相対化させてのトライアングル構造に変更した。この形式の変更で少しは読む価値も生まれたのではなかろうか。

 

4のドローイングは繰り返すが、わたくし自身の手になる。打合わせの最中にこんな風にしたいと描いたものだ。こんな風にしたいとは、すでに2つの資質の片割れに担当させてこの梵鐘のデザインは進めていた。それが面白くなくって、つまり不満でこんな風にしたいとスケッチした。それ故にある意味では攻撃的な姿勢であり、今風に気取って言えば批評的な姿勢でもある。そんなスケッチだ。Wから提出された模型には見るべきモノは何もなかった。ただ、梵鐘の頂部の吊り手だけが面白かったが、これとて当初案は輪がいくつか連なった、アウディのマークみたいな図形がチョコンととって付けられていた。コイツ、才能全くネェなとガックリするわたくしがいた。人は誰でも創作者たらんとする者こそ一層に、他人の資質には敏感なものである。 決して小さくはない梵鐘をデザインするという、普通に考えればテーマの特殊を除いてこのデザイン対象は実に特殊である。高さ2メーター程の吊り鐘のデザインだ。日本の吊り鐘にはほぼ定型らしきがあり、それは守りたいと考えた。吊り鐘の音を響かせる場所はベトナム中部のダナン、五行山であるが、その音も形も日本風の定型の枠内にしようと考えていて、これは変らないだろう。何故なら、この鐘の製作に関しての資金は日本の仏教界を中心にして集めたいと考えているからだ。すでに少し計りの資金も集められ始めている。日本風が好いのではない、それでなければ勧進の金が集められない。勧進事業には核が必須で、その核はここでは日本風の音と姿形である。Wは日本で最も音の響きが良いとされる京都妙心寺の梵鐘をモデルにして鐘の肉厚、そしてプロポーションの大方を決めようとした。この辺りのことは近々、五行山計画の勧進のお願い共々、絵巻物のように物語として順次発表するので、後に廻す。

近代の鐘のデザインではやはり画家岡本太郎のモノが有名である。普通の鐘の形体にニョキニョキ角が生えたような、異形のものである。形としたら面白いが、岡本太郎の限界もすでにここに露呈していた。


画像引用:http://okuromieai.blog24.fc2.com/blog-entry-129.html
130724

2つの資質〈04〉 

若さが特権であるは今は死語だろう。自分自身の老化の現実を受け容れざるを得ない事を引き算しても、それは歴然として言える。つまり、2つの資質という主題の書き方も又、すでに主題自体が死に体ではある。

2つの資質との遭遇は今に始まった事ではない。ズーッとこれ迄も類似の体験はくり返し、そしてくり返されてきたのである。

スパッと言い切れば、2つの資質という考え方にはその資質を眺める自分がすでに上位の視線として外に在る。

勿論、わたくしの場合にはクソ長い期間ヘボ教師も務め上げてきたので教えるのは義務でもあった。

でも教えるは作る、ましてや創るにはつながらない。

もうすぐヘボ教師生活は脱出できるので、勿論作る=創るの一本径に戻る。その準備のためにもこの「2つの資質」の主題は必要である。

この2つの資質はわたくしの20数年にわたる教師生活の成果である事は確かな事だ。又、そう考えねば20年間も何やってたんだと言うことにもなる。

ともあれ、これは成果なのだ。

で、わたくしである。その成果のコレからを視ようとするわたしの資質らしきをもう一つ立てる必要がある。

創作論として、どうしてもである。

それで「2つの資質」に参入する、あえて参入することにした。

2つは3つの同義語である。

2つの資質の拡大、あるいは爆発は望ましい事ではあるが、そんなに生やさしい事ではなかろうも、すでに始める前からわかってもいる。

で、わたくしとしてもすでに長々しい「作家論 磯崎新」にとりかかり、中途である。

このWORKに対しても、わたくしの位置を立てねば何のためにやり始めているのか解らぬきらいがある。

なぜならわたくしは批評家ではなく創作家であろうと必死であるから。

だから、少し計り急いで結論を言えば、この随想の形式をとる「2つの資質」はわたくしの、作家論 磯崎新を鏡像とするもう一つの創作論でもある。少くとも、そうありたいと考え始めている。

 

それで、参入について。

今のところ「2つの資質」は2つの対極的とも思われる資質を論じ切ることで、もう一つの資質であるわたくしを論ずることにしたいと思うのだ。

当面の論考は作ろうとする物体の、強い憧憬の先のテーマである物体の内と外、そしてそれを論ずるに必然とも考えられる他者とわたくし、大仰振りを装って演ずれば世界とわたくしに煮つまることになってしまう。

わたくしはそう考える。

 

ここに、いきなり出すラフなスケッチはわたくしが2つの資質らしきとの打合わせの最中になしたスケッチである。

ベトナムの五行山の梵鐘のスケッチだ。

この梵鐘のデザインは渡邊大志に担当させている。

彼はやはり、日本の音色が良いとされる鐘の事例を探し、それに近いプロポーションと肉厚等を想定した。

マア、予想通りである。が出来たその模型はやっぱりつまらないのである。

それで、その模型 (2つ目に制作したモノで1つ目は俳句の金子兜太さんのところに置いてきた) を前に、こんな風にしたらどうかのスケッチを描いた。

話しながら、五行山は昔海の底であったんだから、その記憶をひとつテーマにしたらどうかと海の底の風景やら、隆起する海底のアニマらしきを絵にしてみた。

つまり、この絵は何を隠そう、わたくしであり(その資質であり)同時にこれは他者への批評でもある。

その中身については、つまらぬ解説になるからしない方が良いだろう。

2つの資質に対して、一方にはこの模型はとても面白いからこの中身をロジェ・カイヨワの石の本を手掛かりにして考えてみたらとわたくしを言いつのり、もう一方には五行山の梵鐘はこんな表面の装飾にしたいと表明したのである。


130723

2つの資質〈03〉 

飛躍力、あるいは沈降する想像力について。あながち空を飛ぶが如きの想像力への幻想あるいは妄想の類ばかりではない。東京での日常は頭脳すなわち身体の自然とも呼ぶべきをそれ程に自由に浮遊させてはくれない。少くとも、わたくしの場合は。むしろ沈鬱に沈ませてゆく。日常は物体の表面、表皮をすべり続けるのだ。

2つの模型は割れるところが味噌である。そう、脳味噌の味噌、グニョグニョで視えにくい脳髄の内の原子の融合集散と電子的火花の姿かたち。古くはくるみの殻に包まれた固い核のようなモノがイメージされたが、今はそれは徹底的に解体された。すなわち科学されている。そして拡散しつつある。大宇宙の膨張の姿のように。

 

ところが、ほとんど全ての超一級の科学者は、ニュートンが明らかにそうであった如くに神秘主義者であり、それ故に神秘の底に降りてゆく深い性向を持つ。

佐藤研吾の模型は4つに割れるようになっている。そして割ると内はうごめくアニマがそこにある。少くとも、作者本人はアニマらしきを模型の中に視ようとしている。渡邊大志の模型は2つに観音開きの如くに開くように割れる。するとそこに小じんまりとした舞台装置状が出現する。つまり機巧(からくり)である。その先は無い。今のところは。その機巧の動きそのものの連続の中に人間本来の好奇心の傾き、すなわち傾(かぶ)くを視ようとしている。

一方の佐藤研吾の模型は、例えばこれは極めて西欧的な理知をも表現しようとしている。西欧といってもヨーロッパの周辺である。例えばスペインの知性でもあるロジェ・カイヨワの石への夢想の数々を想わせる。石あるいは固い結晶体の内部への好奇心である。

バルセロナのアントニオ・ガウディの聖家族協会の建設現場の石工から、石を掘っていると時に石の内にナッツやらの種が化石になって入っていて、それをかむと実に神かと思わせるモノを味わう事ができると聞いたことがある。石の中にはそれこそ時間が埋め込まれているのだと言うのだ。

つまり、この模型は石というマテリアルを構築しようとするモデルではなく、それを割って内をのぞき込もうとする好奇心の発露が表現されているのである。


130723

2つの資質〈02〉 

ここに2つの模型が示されている。双方共に北インド・ラダック地方の旅で多くのストゥーパに触れ、触発されてのモノだ。

共にストゥーパに多く触れ、東京での人間の生死とはほとんど無縁な生活とは異なる感覚を得て、それをこの模型づくりの出発点にしているのが透けて視える。

この模型には内と外という物体の造形の原点が内在している。

けれども作者は双方共にこの模型を作るにあたっては、その事が充分に意識されていたとは思えない。が、それで良いのである。

常に本格的な製作の動機はこれも又、外からやってくるのが自然なのだ。ここで言う自然は無作為であるという事。

佐藤研吾の模型はその無作為である事に本格的な創作の資質を見てとる事が出来る。

渡邊の模型は無作為がある意味では封じられたので、解釈学的手付きの影が視える。ここでは渡邊は創作家であるよりも、むしろ言語による解釈の楽しみの径に入っているのを知るのである。

しかし、共に受容的能力が大である。

大であると断じるのは勿論、わたくしの他者の資質に関する多大な関心から来る、自他の相対的な関係への視差から来るものである事はいう迄もない。

この2つの模型はアルチ村への不思議な旅の最初の産物であるが、2つのスケッチも共に添えた。

スケッチの旅とも呼ぶべきは我々が方法として手中に入れ始めたものなのだが、ここに見ていただくスケッチは旅で得た総計200点以上のモノの一部である。

スケッチの息使い、好奇心のさんざめき、そして無作為に対象に没入してゆくアニミズム的姿勢が明示されている。又、そう思う、考えなくては事は始まらないのである。


130722

2つの資質〈01〉 

わたくしにとっては第二のインナーヒマラヤの旅でもあった今夏の小旅行で、ひとつのキッカケとも言うべきを得た。

何のためのキッカケと言うと、物事の始まりらしきを視るキッカケとでも言いましょうか。まだハッキリと意識できているわけではありませんが、これから次第に明らかにしてゆきたいと思います。

アルチ村に滞在していた時に、同行した二人の若者に、わたくしは一つの課題らしきを課しました。目的があるような全く無いような旅のこれも又役得でありましょう。

課題というのは「このアルチ村の三層堂をひとつのモデル(模型)として作成せよ」というものでした。

二人の若者は解らないなりにそれに従いました。

解りっこないのです。出題者のわたくしにだって直観はあれど五里霧中であったのですから。

二人は30代そこそこの渡邊大志と20代半端の佐藤研吾です。まあ、密室状態のアルチ村でそんなコト言い出されて良くそれに従おうとしたとは思います。

でも、わたくしと彼等の年齢差は半世紀弱もあるのです。

それ位の長い長い時間差があるのですから、マア、それ位の事は言い出しても良いかと思いました。

すぐに彼等はその夜、作業に入りました。これが関門の第一でした。

関門とは、長く作り続けるために必ず襲来してくるハードルの如きものです。

そのハードルは両名共にくぐりはしたのです。

それで、しばらく時が経ち、ここに見ていただくのは、それからしばらくしてから、東京に戻ってきてからの、その第一問に連続する問いであり、彼等の答えです。


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