渡真利島 月光・TIDA計画〈19〉2012年1月18日
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クライアントは日本外洋ヨット界の重鎮N氏とそのヨット月光クルーの面々。場所は沖縄宮古島市渡真利氏私有の10,000㎡程の離れ島である。渡真利氏はN氏のヨット仲間。離れ島と言っても宮古島本島から数百メーターと近い。全島珊瑚礁の島である。一切珊瑚礁を傷つけてはならない。つまり基礎は掘れない。又、当然の事ながら一切のエネルギー、電気、水、ガス等は無い。自分でそれらは作らねばならない。又、ここは台風の通り道でもあり風速90mの風に耐えなければならない。この諸条件はわたしにとっては願ってもないものであった。これ迄、試み幾つかは実現した諸計画の結晶体を考えるチャンスでもある。電気エネルギーは太陽、風、潮位の変化から得る。水は全て天水に頼る。これはすでに富士ヶ嶺観音堂で経験済みである。又、N氏はこの島全体を自分の人生の終の棲家にしようという考えを持ち、島全体が家となるようにとの考えを示された。各種の機能が散在しているのはその故である。中央の円環は太陽エネルギーと天水受けの装置。各構造はカーボンを含めた外洋ヨットのテクノロジーを多用する。この離れ島の家は又、これからの環境問題への一つのプロポーザルが示される。ゴミの問題も含め建築よりも大型ヨットがモデルにされている。多くの宿泊用ロッジは子供達を含め人々に自然の力の巨大さ、それと共に生きるべき作法を体験できるような倶楽部施設として考案されている。
(GA HOUSES 120 PROJECT 2011に掲載)
神奈川県油壺ヨットハーバーに在る、月光ハウスの並木茂士さんの夢の家計画である。並木さんは日本の外洋ヨット競技界の草分けであり、ヨット界に重きをなしている人物だ。どうしても海から離れる事が出来ぬ。それで意を決して、海の中に終の棲家を作ろうと考えた。ヨットは揺れ動き過ぎるので棲まうのにはハードだ。
30年来のヨット仲間である沖縄宮古島の渡真利さんが3400坪の俺の無人島使ったら、となった。それで渡真利さんの船、琉球語でTIDA(日本語では太陽)、月光計画となった。太陽と月が結びついたのだ。実にお目出たい。並木さんは一人だけで暮らしたいと言うが、それは友人が多過ぎて無理だろう。一人が似合わぬ人なのだ。それで住居部分は大型ヨットのサロンのスケールで、それをズッーと連続させて円環状にしようと考えた。円の中は太陽の光、月の光、星の光が指し込む空虚そのものである。第一次案は石垣を積んだ重い壁で円い庭を作ったが、「沖縄の墓みたいじゃないか」と言われて、第二次案は軽い木造にした。ヨットと同様に多くテンション構造を使った。
渡真利さんや宮古島市長は「野菜畑は欲しいよね。絶対」と言うので島に理想的な菜園を計画する事になった。他に天文台や、昆虫観察、読書棚、落日を眺めての風呂場と小さな小屋を散在させる。子供達に、海と島宇宙を体験させるクラブへと発展させる可能性を考案中である。
(世田谷美術館での展覧会カタログ『建築がみる夢』に掲載)
神奈川県油壺ヨットハーバーに面して、並木茂士さんの月光ハウスは建っている。日本の外洋ヨットレースの草分けのオーナーは海から離れられない。月光号もすでに五世を名乗る迄になってきた。年を経て、並木さんは沖縄宮古島に移り住む計画を建て始めた。
巨大なエイの形をした宮古島、その北西の湾に浮かぶ無人島に家を建て、独人で自給自足の生活を送る事にした。絶海の孤島でのロビンソン・クルーソーの追い込まれた、貧しさの極み状の自給自足は並木さんには全く似合わない。若い頃は湘南族の武勇伝で鳴らしてもいた。太陽の光に溢れ、日本で一番珊瑚礁の海の色が美しい海と、ヨットを身近にして、最古の泡盛も友にしての生活を望んだ。
島の広さは3,400坪。これが全て並木さんの家になる。ただし、この島は台風の通り路でもある。観測所の記録では風速104メーターなんてのがあるようだ。風の魔者みたいなのが出現する。風の恐さを知り尽くしている並木さんは、この魔者対策を先ず求めた。設計家としても興味津々の問題である。
川合健二の自邸との遭遇以来、自立した家、エネルギー、汚物対策、そして可能な限りの食料も、私のお気に入りの主題であった。良い依頼主と、これ以上は無いという場所に恵まれて、チャンス到来と、気持は高振っている。大量消費社会の消費的デザインには歴史的な価値の正統性は何もない。B・フラーとイサム・ノグチの庭園、双方のヴィジョンをここに柔らかくランディングさせたい。
(GA HOUSES 103 PROJECT 2008に掲載)
場所は沖縄宮古島市の離れ島、渡真利島。全島珊瑚礁であるこの島全体が一つの家になるような自給自足的生活を構想するこの計画は、これまで考えてきた開放系技術の一つの結晶となるよう進めていきます。
先ずはこれまでの計画案の一部を紹介します。