カバーコラム 石山修武 
 


 
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近代能楽劇場 in ひろしまハウス

105 近代能楽劇場 in ひろしまハウス

 ひろしまハウスが完成間近となった。平岡敬前広島市長から言われて、オープニングセレモニーの事など頭に思い浮かべ始めた。何年も前の上棟式にはウナロム寺院のテップボーン僧正、カンボジアIOC委員、プノンペン市長、日本大使等が参会されてにぎやかで、和やかなものになった。
 今度はどんな儀式にするか、以前に全館花飾りで埋め尽くすという計画を作った事がある。
 渡辺大志がひろしまハウスで近代能楽プロジェクトをやりたいと言い始めた。面白いじゃないか、計画立てて広島の人たちに相談してみろと答えた。
 そうか、あそこで演劇仕立ての儀式をプランするのは面白そうだ。登場人物は、ポル・ポト、クメールの王、仏陀、バイヨンの神々、ドラゴン等。バイヨンの神々の一人には山口勝弘を当てたい。山口勝弘の顔は大きくて、ほていさまの如くであるが、良く良く見ると、バイヨンの神の顔でもある。そもそもアンコールワット遺跡群の最も建築らしい神殿であるバイヨンのスタイルは謎に包まれたものである。アンコールワットが世界の中心の山ヒマラヤを形どったものであるのは確かなようだが、バイヨンはどうやら、もっと複雑である。そこで行われた儀式の形式と密接な関係があるらしいことは解るのだが、儀式は形が永遠ではなくすぐに消えてしまうメディアそのものだから、骨組みをつかみにくい。バイヨンは凍結した儀式の形式だと私は思い込んでいるのだが、その先が霧の中だ。
 カンボジア仏教の総本山でもあるウナロム寺院全域を使い、その西の門にあるひろしまハウスを舞台の一つに使えるような、儀式、演劇が構想できたらさぞかし面白かろう。
 私はただただ最上階のテラスから遠くメコン河の光り輝く流れを眺めているだけで良い。
 石山修武

 近代能楽劇場

 

Visions of Japan 1991Visions of Japan 1991
Visions of Japan 1991 の音の神殿 その後淡路島の世界環境芸術祭に移設された

097 −コラム的連載 今、噂の「近代能楽劇場」について 6

 近代能楽劇場の名を聞いたのは丹羽太一からだ。その名を口にする丹羽君の表情が妙に楽し気なしかも哀切に満ちたものなのを僕は見逃さなかった。
 丹羽君は隕石の地球衝突程の確率の事故みたいな病に遭遇し、今の車椅子の生活になった。その前は活動的なミュージシャンでもあった。建築の仕事はあんまり気乗りしない人だった。
 一九九二年、淡路山勝工場落成式を期にして山口勝弘は淡路島を舞台に世界環境芸術祭をたち上げた。一宮町いざなぎの丘を中心に様々な催しが繰り拡げられた。丹羽君も参加した。多くのミュージシャンと共に。その中のヴォーカリストの一人に女性が居た。ヴォーカルと言っても唄やメロディーを唄うのではない。もううろ覚えだが、叫びともつかぬ、音だけを発するミュージシャンなのだった。丹羽君はドラムスをたたいていたから、二人がもしコンビを組んだら面白いアートシーンが生まれるかも知れぬと思った記憶がある。その女性には淡路島で一度スレ違っただけの事だ。
 丹羽君が僕に渡辺が今度たち上げる劇場の名は近代能楽劇場です、と言った時、その間合の一瞬何故だか淡路でのその女性の影が思い浮かんだ。
 山田脩二がいざなぎの丘に山口勝弘が現れたと言うのと同じ伝である。
 僕は「近代能楽劇場」という名前に、一つの演劇を観て、二、三秒すでに楽しんだのである。名も知らぬ、アノ女性ミュージシャンの声は明らかに能謡曲の音声発生法をベースにしていた。時に叫ぶような、たゆとう如く、そして一切意味も無い。リズムだけの、それに人体を楽器として生まれる最短の音。川のせせらぎ、雪の降り積もる音に近附いてゆこうとする音声の試みであった様に思われる。今ではもう知りようが無い。
 ただ、丹羽君はいささかの想いを込めて、劇場の名は近代能楽劇場と言うんですよ、と僕に伝えてくれただけの事。ただ、伝え、伝えられた時、その一瞬に砂をかむような日常の時間にサッと亀裂が入り、その割け目から淡い紫の花が咲き出でただけのこと。
 丹羽君は開演前の近代能楽劇場にすでに三島由紀夫の「卒塔婆小町」の老婆を見ていたのだろう。三島由紀夫の劇作は多い。「サド侯爵夫人」「朱雀家の滅亡」「鹿鳴館」等々。しかし、その真骨頂は「近代能楽集」にある。「葵上」「道成寺」「熊野」「邯鄲」などである。

 まだ近代能楽劇場の旗上げ興業の場所はつかめていない。誰もが口が固い。
 石山修武

 近代能楽劇場

 

山田脩二
窓光でスライドを組む山田脩二氏

095 −コラム的連載 今、噂の「近代能楽劇場」について 5

 幻影という脳内にチカチカと生まれる生命体の神秘に人間が気がついたのは、人間が直立猿人として地面を歩く四足動物から進化して間もない時であった。直立して、二本足で大地に立つようになり、当然脳の位置はそれ以前の状態から比較すれば、大地からズーッと離れた。何がそうさせたのかは知らない。脳が自発的に大地から離れたいと指令を出したのか、身体全体の欲求であったのかは解らない。ここら当りは神学の王国であろうか。脳が大地から離れて、その働きは自然に抽象性、観念性を帯びるようになった。バリ島の人々の音楽が、素足で大地を歩いていた時と、ゴムぞうりやサンダルを身につけるようになって、次第に様変わりし、要するに近代化されたのと同じである。

 現代の幻影の最たるものは各種兵器の有り体だろう。最終兵器の一つであろうと思われる原子力潜水艦の性能内部世界はほとんど誰も知る事が出来ぬ。長距離ミサイルの発射基地も地中深く埋蔵されている。超高度な機能を集約されrた兵器は皆、水中地中に埋め隠されている。人類にとってはすなわち幻影である。世界はこの幻影によって今や成立し支配されている。
 超大国となりおおせたアメリカの背骨もこの幻影である。高性能な原子力潜水艦、原子力空母、大陸間長距離ミサイル、そしてステルス戦闘機。皆、幻影の形なのだ。
 だから、いざなぎの丘に山口勝弘先生が現れたとという話しだって、あって当然しかるべきである。車椅子の老芸術家が東京、淡路に同時に出現しないという現実原則らしきは、それが成立している世界の幻影状態に比すればいかにも弱々しい現実なのである。シュールレアリズムとブルトンが宣言するまでもなく、今やとっくのとうに世界は超現実主義の只中に漂流している。
 さすれば、といささか大仰につぶやく。
 さすれば、山田脩二はアンドレ・ブルトンクラスの直観に満ちた瓦屋なのであろうか。失礼ながら、アルチュール・ランボーならぬ、アルコール・乱暴と名付けたタダの酔払いではなかったのか。
 山田の酒呑みとしてのキャリアは筋金入りである。多くの友人、知人が酒に倒れ、又倒れつつある最中に、一人悠然といまだに酒を呑み続けている。しゃべらなければ超一流の風格だろうにと思う。お地蔵さんが飲んでる風が良いのだ。
 マ、それはそれとして、山田の酒は何の為の酒であるのか、少し考えてみる。超現実への逃避ではないのは述べた。山田に逃げるに足る現実などはあり得ない。それ程間抜けな男ではない。逃避しようにも何処にも逃げるべき場所もないのを山田はすでに知っている。ただただ浮かれたいのか。それも無い。ただただ山田はさめざめとしたいのだ。酒を呑んで、さめざめとしたいのである。酒は涙か、ため息か、この世の憂さの捨て処♪とは全く逆のベクトルを山田は酒に求めている。そこが面白い。
 だから、山田は何処にでも車椅子の山口勝弘の姿を視る事が出来る。夢想とか、イメージとしてとかの怪しいものではない。さめざめとした願望として、そこに視るのである。
 石山修武

 近代能楽劇場

 

山口勝弘

093 −コラム的連載 今、噂の「近代能楽劇場」について 4

「馬鹿な事、言うな。俺は先週、多摩プラーザで山口勝弘先生に会ってるぜ。淡路島のいざなぎの丘に現れるわけがない。」
「そこが、石山、お前が時代遅れになってる証拠だ。やっぱり現役引退しろ。」
「この会話はどういう会話なんだ。いくら酒呑みでも、言葉の現実には必ず意味があるだろう。馬鹿な飛躍が持てはやされるのは志ん生みたいな落語家だけだぞ、阿呆。」
「石山ね、哀れな奴よ。俺はネ、淡路で瓦焼いてたって知ってるんだよ。
 お前が、山口さんに変な事、持ちかけて、古臭い、意味やなんかの世界にゃ、附き合えないって断られたの。」
 何で、この男はそんな事知っているんだ。確かに、つい先日そんな事もあったけれど、あれは多摩プラーザの箱のような密室での事。山口先生と僕の二人だけしか居ない時の会話だった。それをこの男が知っているとは、山口先生がそんな話しを山田にする筈もない。オヤ、待てよ。あの会話の記録は渡辺が整理した。おまけに小さな本にして、身近な人に頒布してるって話しだ。とすると、僕がこっぴどく、こんなシノプスじゃ俺はのらんよと山口先生にはねつけられたのを知っているのはすでに何人も居るって事だ。何処でどう山田のところにその話しが流れているかわかりはしないぞ。この男カメラマンやってたから変な情報には妙に敏感なところがある。ただの淡路の酔っ払いとなめてかかると大変な目に会う。何しろベロンベロンに酔い続けて六十六才まで、車にもひかれず、河にも落ちず、生きのびているんだから。それだけは偉い、立派なのだ。とり敢えず話しは聞く必要があるだろう。
 「わかった。脩ちゃん。話しを聞こうじゃん。その、いざなぎの丘に現れた山口勝弘らしきの話、もう少し詳しく聞かせてよ。」
 「ハナからそう大人しく聞こうって態度が非常に大切なのよー。お前、大学のバカ教師になってからそれが無くなった。評判悪いよ。」
 「わかった。わかった。反省してるから、そのいざなぎの丘の話し、してくれ。」
 「ヨシ。そう率直になってくれれば話しは早い。石山、お前、山口先生のいざなぎの丘結婚式会場計画っての知ってるか?」
 ギク。この男、その話し迄知ってるのか。用心、用心。山口先生は淡路山勝工場の将来は結婚式場への改築が良いかも知れないと考えていた。でもそれはズーッと先の話しで、勿論、山口先生も僕も山田だってこの世に居なくなってからの話しの筈だ。どうして、ウーンと先の話しの筈が、明日の計画のように山田の口から話しが出るのだろう。全く、世の中狂気の沙汰である。ゆめまぼろしと現実の境目が定かじゃなくなってる。
 石山修武

 近代能楽劇場

 

淡路島山勝工場いざなぎの丘
淡路島いざなぎの丘の山勝工場

092 −コラム的連載 今、噂の「近代能楽劇場」について 3

 福岡市の建築現場で会った山田脩二も、そう言えば変な事言ってたな。屋根の上のソーラーバッテリーまで登ってきて、こう言った。
「石山、オマエ、そろそろ引退しろ。生き恥さらすな。」
「何、いきなり言うんだよ。出会い頭に、いくら屋根の上だって、言っていい事と、悪い事があるだろう。いくら酔っ払っていたって、失礼じゃないか。」
「可哀そうにナァ。今、お前はとんでもなく時代が動いているのに体がついて行かなくなってる。」
「淡路の瓦屋から、そんな事、言われたくない。」
「淡路、淡路と馬鹿にするなよ。東京から離れてるぶんだけ、面白い情報だって入るんだから。
 つい最近、一宮のいざなぎの丘周辺で流れてる話ってのを知ってるか?」
「いざなぎの丘って山口勝弘先生の工場があるところだろう。
 今、先生は都下、多摩プラーザに居て、あそこはもぬけのカラだろう。周辺たって、民家がポツリ、ポツンとあるだけじゃないか。」
「それがな、石山。先週あの丘に山口勝弘らしきが現れたらしい。」

 山田脩二は知る人ぞ知る、知らん人は全く知らん酒呑みである。昔はカメラマンとしてかなり有名であった。日本村の写真集もある。カメラマン時代の山田はカメラを忘れて撮影に行ったり、フィルムを忘れたりとかの奇行がうわさで流れる、マア、変人であった。印画紙焼くのも瓦焼くのも同じだの、捨てゼリフを残して東京を去ったが、今は瓦だけでなく炭焼きで最後は死ぬと、大言を吐いているらしいウワサが時々、耳に入ってきていた。
 引退しろ、なんて唐突な冗談でも許さんような事平気で言う、山田は勿論行儀のいい人物ではない。この人物を誉めねばならぬ程、僕は屈折してはいない・・・が、正直なところ、こんな時代になって、山田の酒呑みとしての存在感は何処か急上昇してきてる実感もある。
 俗に言えば、山田は風狂の人への本格的な道の最終工程を歩き始めている。風狂の人とは何者であるかと言うのは難しい。ザクッと言い切れば、とことん覚め覚めと、さめた眼で現実を視てる人間かな。僕の今の力量ではそれ位の事しか言えぬ。カメラのレンズのように現実を視てる。何の私情も交じえない。観念も入り込まない。レンズが対象と向き合い、途中に何の意味、解釈も入り込まぬ。しかし、報道写真家とは異なる。近いのだけれど違う。
 マア、この辺りの面白い話しは、二〇〇六年二月に開催される、「山田脩二全軌跡展」兵庫県立美術館のカタログに書くので酔狂な人は読んでほしい。話をもとに戻す。
 石山修武

 近代能楽劇場

 

近代能楽劇場

091 −コラム的連載 今、噂の「近代能楽劇場」について 2

 多摩プラーザに自らを幽閉中の芸術家山口勝弘氏からも連絡があった。
「今度の鎌倉の近代美術館での展示なんだが、どうしても能舞台をやりたい。あの池の上に舞台を作りたい。もう演者の衣装のスケッチもあるんだ。
 君のところの若いひとにも見せた。」
 そう言えば、そんな事も確かにあった。
 山口勝弘の「金閣寺」ドローイングはすでに、サイト上に現れてもいる
「山口先生、それで、その池の上の能舞台ってのは、ウチの渡辺がお手伝いしてるんでしょうか?」
「石山さん、FAX送りましたが届いたんでしょうか。」
 先生とのやりとりは、接続、不接続の具合がまことに幻妙で、それこそ現代芸術的なんである。
「イヤ、届いてませんよ。いつ送られましたか。」
「いつと聞かれても、そんな事に興味無いから、もう。」
「どんな、用件でしたか、先生」
「舞台の件だったかな。」
「それは、私の手許には届いていません。」
「変だナァ、確かに送ったんだけれど、アッ、君じゃなかったかも知れない。」
「先生、イヤだナァ、舞台の件は誰のところに送ったんですか。」
「僕のところのFAXは何処に着くのかわからん時があるんだ。送られたい人のところに自然に向かう習性があるらしい。」
「先生、冗談よして下さいよ。機械が間違う意志なんて持つわけ無いじゃありませんか。」
「でも、スペースオデッセイのディスカバリー号、そのコンピューター、ハルは気持ちを持ち始めたじゃないか。」
「先生、あれは映画の中の事ですよ。今の話しは映画の中の話しではありません。」
「では、何故、石山さんは私を箱の中のスーパーGiGieと呼ぼうとしてるんですか。」
「イヤ、それとコレとは話しが・・・」
 山口先生は時に素晴しくロジカルな会話をするから、答えに窮してしまう事もある。
「僕、もう疲れた。話したくありません。では、又、」カチャリ。
 山口先生とは今、不思議な事を一緒にやり始めている。
 どうやら、その件と、渡辺がコッソリ、すすめようとしている、劇場計画らしきは、何処かでつながっているのかも知れない。
 知らぬのは、私だけなのかも。急に、不安になった。
 石山修武

 近代能楽劇場

 

近代能楽劇場

090 −コラム的連載 今、噂の「近代能楽劇場」について 1

 そうか、芸術はやっぱりゴミだったのかと実感して横浜から帰った。堀尾貞治さんの百円アートだけが面白かった嘘寒さの只中にある。月並みだが木枯しの季節なのである。

 最近、研究室の空気もはなはだ嘘寒い。ブルブル、ゾクーッとする位だ。何故なんだろうと考えてみた。背後霊がまといついたわけではない。そんな霊がまといついてくれる程に研究室は湿り気も、人間臭も今は稀薄だ。でも、確かにゾクーッとする位に寒い。

 ハッキリとした寒さには原因がある筈だ。暖房機器が故障しているとか、馬鹿が空調の温度設定をミスったとか。しかし、この寒さはそんな合理的な原因から来ているものではない。いかにも、いわく言い難い不可解さの気配があるのだ。
 クンクン、匂いを嗅ぎ廻る野良犬の振りで辺りを見廻してみる。マア、今は野良犬の如き高貴な存在は絶無ではあるけれど、昔懐かしい記憶の中からその風体を思い出しつつ気配を探る真似をしてみた。

 すぐに原因はわかった。私もそれ程ひどいボケ方はまだしていない。
 渡辺の奴メがその寒さの素、味の素だった。スタッフの渡辺は最近、何故か私の目をフッとそらす事が多い。そらされると、それだけこちらは気になる。何かこの人間は隠し事をしているなと確信するにいたった。  それが、どうやら、演劇活動にコッソリ夢中になっているらしい。並大抵の、のめり込み方ではなくって、建築の設計作業なんて、上の空状態で、私の指示だってハイハイといい返事だって演劇状態で、ハイハイの返事の裏では何やら、コッソリ、夢中になってやっている事があるらしいのだ。
 それが、研究室の空気を氷河期のように嘘寒くしているのだ。

 四方八方探りを入れてみたら、何と渡辺は劇団作って旗揚げ興行寸前なのだと言う。まずい事に、驚いた事に、研究室の連中の大半とまでは言わずとも、幾たりもの人間がそれに巻き込まれて、演劇活動の準備中なのだと言う。これでは研究室の空気は変なモノになってしまうのは当り前である。
 これは、我研究室のクーデターではないかと遅まきながら気付いた。気付いたら、善後策を講じなければならぬ。
 それで講じた。  先ず渡辺が旗揚げせんとしている劇団の名を突きとめた。
 「近代能楽劇場」という名であった。
 更に探りを入れた。
 旗揚げの演目は、何と、三島由紀夫の「金閣寺」らしい。らしいのではない、もう、舞台ゲイコまで始まっているという。
 石山修武

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