079 屋台 モバイル 場所
ウーンと昔、だけれども、たかだか十五年位昔の事だったかな。タイの首都バンコクで、死んでしまった毎日新聞の佐藤健とカメラマンの杉全泰に会った事がある。杉全はまだ元気に生きている。
何月何日頃にバンコクで会いましょうかね、位の実に、何の約束にもならぬ予定らしき、であった。
これは本当の事。会うべき相手のホテルも解らず、アテもなかった。しかも家族を連れていた。皆、私を取り敢えず信頼している。お父さんなんだから、間違いはない位のものだ。勿論ケイタイ電話はまだない。
私も別に、心配はしていなかった、というのは嘘で、何とかなるだろう位の何ともならないバカな状態でTOKYOを発ったのだ。マ、バンコクの何処にいるか知らないが、会えるに違いないという、ルーズさだけ、それだけが頼りなのだった。途中ははしょるが、結果、バンコクの名も知れぬホテルで二人とは会ってしまったのだった。何故、会ったのか、遭遇し得たのか今でも謎だ。しかし、深夜に着いたバンコク国際空港から、私はそのホテルを探り当てた。三千分の一位の確率だったろう。しかし、別に驚かなかった。到着したバンコク空港の案内で、無数のホテルから私は一つだけ選び出し、それはドンピシャリだったのである。コレも本当の事です。ホテルのロビーというか、場末の食堂みたいなところで再会した二人と私の家族も別に大騒ぎしなかった。当然再会したのだという位のものだった。
佐藤健は記憶力が人三倍すぐれていて、美空ひばりの唄は、六十曲位、歌詞も何もかもそらんじていた。同時代の唄は皆、ハッキリ憶えていた。それで、彼は、唄の歌詞の意味のようなモノから、時代を語る事ができた。そんな記憶力を元に、彼はバンコクで泊るであろうホテルの感じを何がしか、私にしゃべっていたのだろうと思う。
「チャオプラヤ河から遠くない。出来ればオリエンタルホテルの近く。安宿が望ましいが、いかがわしい女性はたむろしていない。安宿だが、ホテルのレストランは在る。そこでいつでも、チャプスイ等麺類位、スープ位は喰べられる。」
そんな記憶が私の方にもあったので、実ワ、ホテルを特定するのはそれ程困難な事ではなかった。
そのホテルは今は無い。取り壊されて、大きなホテルに名を代えている。しかし、周辺の屋台やら、の群れはそれ程の変わりが無いようだ。私の印象ではバンコク随一の飲食街、ヤワラート(中華街)よりも、味は良く、値段も安い。
東南アジアの屋台街、今風に言えば、モバイル商店街には不思議極る、存続、変転の定理があるように思う。
何を言いたいかと言えば、アジアの屋台に代表されるような小資本による商売の、集団動向には、グローバルな大資本による都市の形成よりも、強い運動の持続力があるのではないかという事だ。
グローバルな金の力に対抗し得る場所の力があるとするならば、それは小さく変転し続ける人間の生活の道具とも呼ぶべきモノの性格の集合から生成されているのではあるまいか。
バンコクで佐藤、杉全に会えたのは、彼等の場所を特定する力、つまり、場所のイメージの伝達力が私を呼び寄せたのではないかと、思う事仕切りだ。場所は記憶とその伝達力とも不即不離なのである。
石山修武
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