開放系技術論 世田谷村日記 制作ノート
石山修武
 12/13
モバイルシアター
モバイルシアター
 地球のスケールでリアルなモビリティの単位はコンテナリゼーション・ネットのそれだろう。
 北京プロジェクトは Mr. 郭から北京後中国の五大都市に動かせるように、とのオーダーがある。それ故、主要構成要素は全て動かせるものになる。栄久庵憲司の道具論や道具寺プロジェクトについて、いささか考えてきた事が、ここで少し計りの関係を持ちそうだ。
12/13 世田谷村日記
 12/12
モバイルシアター
モバイルシアター
モバイルシアター
 北京モルガン七星プラザ・モバイルシアター・スケッチ。産業のパビリオンは巨大な球、精神のパビリオンは空気膜球の中に人間が入りこむのを中心に据える。そのスケッチを続ける。重源の五輪塔をバラバラに分解して再配置する。空気膜の球は、細胞が点滅する人間の脳内世界の如きをイメージする。
12/12 世田谷村日記
 12/06
サイレンスパビリオン
 十一月二十二日
 フィンランドのサイレンスパビリオンの初期スケッチ。二十八日に水に関するアイデアを追記する。
 音の神殿初期エスキース
北京モルガンプラザ
 十一月二十八日 北京クラウンホテル
 一昨日、北京モルガンプラザの日本料理屋の事を Mr. 郭と話した。彼のプライベートレストランを考えてくれというので手を動かしてみる。客は彼の友人だけという事で、何しろ世界一の日本食が喰えるようにしたいと言う。中国大陸の中心にある茶屋をやれと言う事だと思う事にした。
 空間はヴァーチャルな電子技術を最大限に使うか、一部の極小ポイントに組み込むかのどちらかだ。彼の新しいプライヴェートカーはBMW社の防弾ガラス仕様のもので、このオーダーに日本のメーカーは対応出来なかった故事もある。今度は何とかしなくては。
11/22-12/1 プノンペン - 北京 - 福岡紀行
 12/02
世田谷村
(K) 終のすみかとしての塔のエスキス。寝て暮したくないので立ったまんまで疲れないように、内部は家具で埋まっている。
 12/01
世田谷村
(J) 東の塔のエスキス 木造の塔状宿泊施設のエスキス。うんと年をとったら、この塔に閉じこもる予定。全身を使って、よじ登ったり、はいずり廻ったりして暮す。
 11/30
世田谷村
(I) 現二階のストーブと三階デッキの水タンク、及びソーラーウィングのエスキス。建築全体を水と植物で包み込み、全てのシステムを人間の手で操作出来るようにする。
 11/29
世田谷村
(H) 屋上、三階デッキ部の水循環装置エスキス。建築全体に水を循環させる。システムは人間の手で操作できるプリミティブなのが良い。
 11/28
世田谷村
(G) 断面形状は、ほぼコレで。床は四層とする。構造はメッシュでやってみる。地下の工房との連結が難しそうである。世田谷村の土地の広さは百二〇坪少々なので、南の畑をつぶさぬために現二階の下に四層の、こんな形を埋め込まねばならない。
 11/27
世田谷村
(F) E の開口部が良くないので、変更。南の水の反射光を拾う開口部とする。
 11/26
世田谷村
(E) 南側立面のエスキス。少し時間差を施してエスキスをダブらせてゆく。
 11/25
世田谷村
(D) 高く浮いた二階の床スレスレ迄に鉄板で変形葉巻型のケーブを入れてみる。南は池にして、直接壁の鉄が水に触れるように。内は三層より、四層の方が良いかも知れない。水の揺れを、パイプの内に反映させる。
 11/24
世田谷村
(C) 世田谷村地下階、一階部に突込む工房部分のエスキス。大きく、開いたままに残してあるスペースをどう埋めてゆくかは、これから大いに楽しまなくてはならない。工房+ギャラリー・スペースにしようとは当初から考えてはいるのだが、畑の面積も確保したいので、狭い土地に、大変である。
 11/23
世田谷村
(B) エントランス部へのディテール・スケッチ。一階の工房部分の床はすでに極めて有機的なエッジを切り刻んでいるので、その切り刻んだ床の端とこの入口の扉のデザインを結びつける。
 11/22
世田谷村
(A) 地下、及び中二階、一階の工房へのエントランスのエスキスである。世田谷村の全体が理論的構築性が強く出ているので、内部が外部に露出してくるような部分は、生命体を思わせる力を表現したいと考えている。工房部への出入口は、生活の日常性とは少し異なる様相を出したいので、こんな形の板がグニャリと内から延びて出てきて出入口に三次元の空間をつくり出すようにデザインしてみる。一枚の鉄板をゆがめ、切断し、たたきのばして出来る形をさし込む。この板は内へとライン状に連続してゆく。
11/22 世田谷村日記
 11/20
世田谷村
 十一月二〇日 夜半、世田谷村ストーブのスケッチ。最終的には機能優先のものになった。床からの高さ、椅子に座った時の炎の高さをチェックして作図にとりかかる。
11/20 世田谷村日記
 11/17
silence
 音の神殿初期エスキース。
silence
 フィンランドの「静けさのパビリオン」計画は栄久庵憲司の道具寺プロジェクトと対になっている計画である。道具寺が紀伊白浜町の山林に大掛かりに建設されるであろう事とは対称的に「静けさのパビリオン」はフィンランド、フィスカルスの森の中に、川のせせらぎのほとりに小さく、結晶体の如くに出現する事になろう。すでに示した第一次案はいまだ具体的にサイトが決まる以前のプレゼンテーション用のものだった。今はサイトが決まり、規模その他の目星がつけられる様になった。
 私の計画案の中では北海道十勝のヘレンケラー記念塔、そしてプノンペンのひろしまハウスの流れにあるが、この計画は日本フィンランドデザイン協会としての計画であるから、当然その枠組みは守らなくてはいけない。栄久庵憲司やソタマ教授の枠の中を踏み外すことはならない。だから当然、フィンランドの文化そして自然に敬意を払うものでありたいし、栄久庵の道具への考え方にも教示され続けなければならない。
 だから、フィンランドの「自然」と「道具」への考え方から両出発したい。それではあまりにもアブストラクト過ぎて手のつけようが無い。「静けさ」が主題になる事は二年半前からの約束事である。
 手がかりは音だ。静けさという音、抽象性の極みでもある。それでもまだ物体には遠すぎる。私の頭では敵う事極めて小さい。だから、先ず鐘楼のようなものからスケッチを始める事にする。鐘は音をつくり出す道具である。それを納めるのがパビリオンだ。日フィン両国の両地域の「鐘」をどう配置するかからスケッチを始めてみる。
11/17 世田谷村日記
 11/16
鬼沼風力発電塔
 鬼沼サイトに既に転がしているコルゲートパイプ三本の上にスラブを架けて、さらにその床上に二軒の小屋を架ける基本方針のスケッチである。パイプアーチ型コルゲートパイプの上(A)には小さな長い片流れ屋根の小屋を、受水槽二本のコルゲートパイプの上には小さな一軒の納戸小屋を乗せるのをデザインした。(C)は二つのパイプの間に出来てしまうスペースを家畜の為のスペースにする事を考えている。しかし(C)はそのスペースにも明かりが必要だろうと考えて、明かり採りを設けた。この明かり採りの下の空間で、ブタ、牛、ニワトリ、チャボ等が生きてくれると良いナと考える。パイプ上の小屋はインドのハイデラバードの有名な風の塔の如きスタイルを持たせて、出来得ればその吸排出の口の方向は回転できるようにデザインする。
鬼沼風力発電塔
 鬼沼風力発電塔は一基に三台の小型風車をセットし、屋上プラットホームはソーラーパネル設置、パネルはメンテナンス可能なレイアウトとする。又、屋上ルーフは天水受になるように。ルーフ内にウォータータンクを内蔵する。発電量は2メーター・ブレードで 1.5 kW 〜 2.0 kW 欲しい。全ての造形が、鬼沼の位置、標高等の地理的性格と風、光(太陽)、雨水等の受容的生産能力と関係するように。ただし標高六百米の山並みのシルエットを壊さぬように配慮する。
 内部機能は宇宙船地球号の如くに。地球環境図書館、メディテーション・スペース、天文観測スペース、給水タンク、インバーター等のスペース。
 二〇〇七年夏迄に設置点までの道路を造るので、社長室、鬼沼ブレインの機能をここに持ち上げる事も可能である。社長室を上の室(山の上)と下の室に分けて(世田谷村の上の菜園と下の菜園のように)考えるのも良いかもしれない。フラーの富士山頂のフラードームが時代遅れになった宿命を考えなくてはならない。
 鬼沼の風の塔、天水受のアイデアは世田谷村でもすぐに出来そうだ。聖徳寺観音堂そのままのシステムを空に上げれば良いのだから。
世田谷村
 世田谷村の水循環について再考してみる。上の畑で受けた天水は土に濾過されて、今は下の地面に垂れ流されている。大きなオケを置くか小さな池を作って、これをプールして、晴れの日に循環させたい。又、三階テラスに小さなタンクを設置して、集水樋の水の一部をここに抜くと、三階テラスに容易に水が得られる。屋上にもう少し、集水の受皿を設置する。世田谷村全体の水と土(作物)の関係を明快にする。井戸の生かし方はもう少し考えたい。
11/16 世田谷村日記
 11/11
 伊豆西海岸松崎町岩地集落を六千米の高度から撮った航空写真を大事に持っていた。今ならばグーグルで簡単に得られるものかも知れない。しかし、それだからこそこの写真はなおさら貴重なものになった。
 JASの羽田ー高松便だったかに乗ると、飛行機は西伊豆の松崎町西伊豆の松崎町上空を飛ぶ。松崎町牛原山に航空機管制施設が設けられているからだ。岩地集落は約百五十軒ほどの家屋がある。その屋根の色を黄色系に塗れないかの相談は、元町長であった依田敬一から受けた。西伊豆は、伊豆・箱根国立公園のエリアであるから景観条例があり、赤、青、黄色の原色を使う事は禁じられている。しかし、多くの商業施設はケバケバしい看板その他を掲げ続けており、この条例は基本的にはザル法である。抜け道だらけなのだ。依田敬一はそれを知りながら、なんとかならないのかと強く言った。黄色系がどうしても良いのだと言い張った。
「東洋のコートダジュールと呼ばれるようになるぞ」
と彼は目を輝かせた。私はこれはチョッと怪しいなと眼を伏せた。
「モノトーンに静かにまとめるのが常識だが、それでは五〇%を民宿が占める、岩地の衆の生活の足しにはならないのだ」
つまり、依田は集落の屋根の黄色を宣伝・広告・メディアとして考えようとした風がある。
 私は依田敬一に言われて、色んな色彩を検討した。そして、航空路が真上を飛ぶのを知って、ここに黄色の巨大な鳥を出現させようと試みた。岩地集落は鳥が羽を広げたような地勢を持つから、黄色の色付けが上手くゆけば自然にそうなるだろうと思ったのだ。黄色は“うこん”色になった。幾つかのグラデーションも用意された。もう一息のところでうこんの巨大鳥が岩地に出現するところまでは、こぎつけた。もう四半世紀も昔のことだ。依田敬一も世を去り、岩地は穏やかに静まり返り、町供給のペンキの屋根も錆が浮き、鳥は飛ばなかった。今度、依田博之の依頼で松崎町温泉ホテルの仕事を始める事になった。あの、飛ばなかった、うこんの鳥を何とか飛ばしたいと考え込んでいる。
 静まり返った、松崎町伊豆西海岸に、夕陽に輝くうこんの、黄金の鳥を飛ばそうとする
11/11 世田谷村日記
 11/10
 友人達にそれぞれのオリジナル椅子をデザインする計画が中座している。椅子のデザインはやってみる積もりなのだが、あんまり自信がない。スケッチは進めているが、とりとめもなく散逸するばかりだ。
 それで、もっと小さなテーブル・ウェアのデザインをやってみた。松花堂の幕の内弁当サイズの皿だ。幕の内弁当をバッサリ、そのまま皿に開いたらどうかのアイデアである。テーブル・ウェアーは森正洋のものを愛用していて、もうこれ以上のものはいらないのだけれど、どれ位自分に極小のモノをデザインする力があるのか知りたい気持ちもあってやってみた。皿の裏に構造的な骨組みが出てくるところが愛敬である。日本の典型的なダイニングテーブルの寸法に合わせて、食卓上に食のランドスケープらしきが出現するように考えてもみた。食のランドスケープなんていう、スケールアウトの言葉を思い付くところが、我ながら幼稚である。
 食卓に風景を、日本の小住宅のなんの取り柄もない食卓上に食の美の一端がフッと出現すれば良い。食べ物を喰う時とクソをする時の人間が一番平和で民主的な生き物になる。六本木ヒルズの金満家も郊外のバラック住宅の消費生活者たちも、実にそれ程の違いがないのだ。
世田谷村
世田谷村
11/10 世田谷村日記
 11/9
世田谷村
 テーブル上のランドスケープづくりの基点づくりの為に食器の寸法取りを行う。松花堂弁当の寸法に近い米国製の皿をサンプルとして、これを展開してゆくデザインを考え始める。
11/9 世田谷村日記
 11/3
世田谷村世田谷村
 自分のストーブを作ろうと思っている。そのスケッチの進化過程である。
 規格寸法のスティールパイプを切り刻む、あるいは当初アイデアの、規格品をほとんどそのまんま使用する事から、だいぶ変化してきた。レディメイドをベースとした〈A〉の系列と突然出現した〈B〉の系列の双方を進めてみる。進めるのにはどうしても進めるための意識が必要だ。意識すなわち言葉である。〈B〉の螺旋状の何者かは、ときの忘れものでのチベット・インスピレーション展に出展したアンモナイトシリーズからやってきたのは間違いない。そのアンモナイトは何者なのか今の自分にはハッキリまだ解らない。近いうちに解るようになりたい。その螺旋フォルムと煙突の性格へのイメージが、ストーブという機能のステージで出会ったのであろう。
 この事はスケッチしながら気附いていた事ではあるけれど、こうして、そのスケッチのメモを言葉に置き換える作業をすると、より明快になる。つまりメモ、記録、日記の類は批評なのだ。〈A〉と〈B〉とは融合させるのは難しい。どちらかを主軸にしなくてはならない。Bは、ざっくり言えば芸術だろう。Aは技術的(これには経済が含まれる)考えが優先された考え方である。
 ここでどちらを主軸にするか決めなくてはならない。そうしなければ前に進めない。ここに「開放系技術」という価値観の体系が出現する。と言うよりも決めるための道具として頭の中に現われる。そして、やはりAにするべきだと促すのである。又、同時に現われた世田谷村西壁のスケッチは、こちらはBを主軸を置いてやれと、決定を促す。
11/3 世田谷村日記
 11/2
世田谷村
 二階西壁三角の開口部に世田谷村工房の表札をかねたシグナルをつける事にして、そのデッサンがほぼ決まった。ステンドグラスとスティールの組み合わせでマテリアルが相互貫入しているのを表したい。工房入口ドアとスティールをたたき曲げた曲線でつなぐから、ドアのデザインも同様なモノになるだろう。
11/2 世田谷村日記
 10/31
世田谷村
 世田谷村の一、二階西壁に三角の窓がある。父の遺品の本を収納している書庫と一階は工房の応客スペースになる予定だ。二Fの三角窓には色ガラスをはめ込もうと考えていたが、それも芸がないと思って今は透明ガラスが入っている。
 幻庵では色ガラスを多用した。パウルクレーの絵やら密教への関心やらが入り混じったものだった。リアスアーク長八美術館の増築棟では型板ガラスの切断面中に在る色素を使ったデザインを試みた。宮崎の現代っ子ミュージアムで初めて色光を発生させるマテリアルと開口部とをそれぞれ離して自立させてみた。窓に眼鏡をかけてやるようなものだ。
 このアイデアは昔、長八美術館の食堂増築の際、空に色光のフラッグを浮かせてからのものなのだが、今度自分の世田谷村の西壁で、ささやかではるが、より進化したものとして試み、遊んでみる事にした。マ、遊びですけど、色々考えての事でもあります。「眼鏡つた」と名付けようと今は思っている。西の光は清々しいものではないが、時に現実よりも美しく輝く時がある。伊豆西海岸程に水平に差し込む光は期待できぬが、世田谷村にも西の光は差し込むのだから、それを楽しみたい。
10/31 世田谷村日記
 10/30
世田谷村
世田谷村
10/30 世田谷村日記
世田谷村日記 制作ノート
石山修武 世田谷村日記
ホーム

ISHIYAMA LABORATORY
(C) Osamu Ishiyama Laboratory , 1996-2006 all rights reserved
SINCE 8/8/'96