12 Architectual Visions

『建築がみる夢 - 石山修武と 12 の物語』
 2008. 6.28 〜 8.17 

 世田谷美術館日記 

  建築がみる夢  石山修武と12の物語
世田谷美術館
 
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Design Channel インタビュー
Design News Flash 7/17
 
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散歩写真 2008 / 7 月号
8 月 15 日

ガレージの市根井君の工作作業を見る。面白いモノが出来た。ミュージアム・ショップに並べるか、作品展示室に出展するかいささか迷う。

石山修武
8 月 14 日

九時半美術館着。今日の夜会レクチャーの準備をする。十一時半修了。明日の「ウィリアム・モリスとコンピューター」の準備を始める。来館者多し。

石山修武
8 月 13 日

朝早くから、来館者多し。昨夕、新しく知り合いになった角田啓君からもらったペインティングをしげしげと眺める。連続レクチャーをずうっと聴いてくれてる若者だ。

 

昼食は例によって青果市場の食堂へ。禁断のカツ丼に挑戦してしまう。コレワ、不美味であった。おまけに腹にもたれた。昼の楽しみを失った如し。

石山修武
8 月 12 日

十七時四〇分、毎日レクチャーを聴講してくれている浪人生K君から絵をいただく。抽象画である。私より上手いね。

石山修武

ウィークデイだが朝から沢山の人が来館している。昼食後、台湾のOGが夫君と共に来館した。午後来客二件。その他用件多し。

石山修武

市根井君と、これからの事など少し話す。市根井、木本一之のラインを再確保できたのは大きい。何か出来るだろう。

石山修武
8 月 11 日

休館日

8 月 10 日

すぐにドローイングにかかる。世田谷村の改変に良いアイデアが生まれたので、紙に移す。これが出来れば世田谷村は生まれ変わるな。

 

入ってすぐのゲート部の、世田谷村コーナーとひろしまハウスのコーナーが完成し切って生き生きとしていなかったが、昨日から手を入れたので一変してスペースとしても生命力を持った。スレスレのすべり込みである。

 

十一時四〇分大方の作業を終了。連続レクチャーの準備に入る。子供達が模型作りをジィーッとみつめている。大人も見つめている。面白いなあ。

石山修武
8 月 9 日

スケッチ三点、ひろしまハウスの展示にキャプションと次の目標をつけ加える。昼食をブラジルからの客T氏家族とゆったりと美術館レストランで。レストランで多くの知己に出会う。一日中かなりの仕事をした。大変な数の来館者であったが、全く気にならなかった。

石山修武
8 月 8 日

十時大筆でドローイング二点。本当はこの形式のドローイングは他人に見せたくないのだが、東急バスが遅れ過ぎて到着したので、何人かに見られた。残念なものがある。

早速出来たてホヤホヤのドローイングを展示した。少々、音を立てざるを得なかったがお許しいただきたい。

 

十五時前、都下K・Tの劇場計画のドローイング二点作成する。

石山修武
8 月 7 日

昨日は沢山の人が来館された。渡辺豊和の件は世田谷村日記に記した。九時五〇分世田谷美術館。Visions パビリオンのスケッチを進める。福岡地所のH氏来館。PAOS・N氏来館。

 

昼食をいつもの青果市場食堂で。外は暑い、カンカン照りの夏の陽光である。

 

一ノ関ベーシーの菅原正二来館。レストランでジュースを飲む。

石山修武
8 月 6 日

「それぞれのヴィジョン」パビリオンのスケッチに取りかかり、三点描き、早速分室スペースに展示する。渡辺、模型をつくり始める。

石山修武

九時半、館内を一周してから、今夕のレクチャーの準備。明日、明後日のレクチャーの下準備にとりかかる。スタッフ、院生のコンピュータ検索能力が高いので助かっている。

 

第十四講、第十五講のシナリオを決め、第十六講「悪夢とユートピア」シニシズムを抜け出すために、にとりかかって、つまづく。

石山修武
8 月 5 日

十一時半新潟市長篠田昭氏来館。昼食後ミュージアムショップ横のベンチで休む。先日のTVで木本一 之氏製作の「立ち上がる伽藍」がかなりの時間紹介されていたので少しは人の目をとまらせるようになるかと期待していたのだが、それは砂糖のように甘い幻想だった。

 

誰も作品であるとも思はずにサッと通り過ぎてゆく計りである。

 

それ故に「立ち上る伽藍」のリングネームを変更して、赤コーナー「立ち止まらぬ伽藍」とする事にしたのである。来館の折は是非立ち止まって見ていただきたい。作品としては本当に良く出来たものだと思う。

石山修武

九時四〇分、GAの記事を再読し、杉田氏に送附。

石山修武
8 月 4 日

休館日

8 月 3 日
12 Architectual Visions


8/3 NHK教育 新日曜美術館
シリーズ・創作の現場ドキュメント(2)
建築家・石山修武 〜建築家がみた夢〜 放送

8 月 2 日

開館前、メモを附す。今夕のレクチャー、ルイス・カーンのブリティッシュ・アート・ミュージアム「光について」のレクチャー・シナリオに手を入れる。十時GA杉田君来館インタビュー。十一時中国より来客。

石山修武
8 月 1 日

「未完」の醍醐味を見てほしい。

8月3日放送 新日曜美術館 鬼才・石山修武「建築がみる夢」について
ディレクター 代島治彦

石山修武は番組のなかで「未完が好きだ。考えて考えて、 変えて変えている時がいちばん楽しい。言葉は悪いが、 完成品は死んだもののような感じがする」と語っていた。

たったいま番組を完成し、放送センターの送出窓口に登録してきた。 これで大地震でもおきない限りは放送できるとほっとすると同時に、 帰り道に石山さんの冒頭の言葉を思い出すのである。

番組も完成と同時に制作者の中では死者となる。 毎度、番組完成時に実感することだが、これはテレビの宿命である。 完成したテープは放送システムというブラックボックスに入っていき、 その瞬間に制作者と無関係になる。 あとは見た人の内で、社会の中で生き残っていくことを願うばかりだ。

今回は番組づくりで石山さんに大きな刺激を受けた。 猪苗代鬼沼計画の依頼主のT氏はインタビューに答えて、 「石山さんは自分にとって刺激の強いスパイスだ」と言っていたが、 その言わんとすることがよくわかった。 石山さんとのカンボジア・プノンペンの旅は格別だった。 映像を編集しながら、何度も「ひろしまハウス」の記憶が甦り、 現地ではわからなかった石山さんが「ひろしまハウス」に こめた想いが少し理解できるようになった。

今回の前半のハイライトは「ひろしまハウス」だ。 石山さんの話がとてもいい。奥行きのある思索の海が広がっている。 ぼくの三脚なしの手持ちで撮った映像もなかなか味があった。 (プノンペン空港で三脚が行方不明になり、結局帰国する日に出てきた 話は石山さんの「世田谷村日記」にも出てくる) そして、後半は坂田明さんと石山さんの掛け合いに移っていく。 美術館での坂田さんの即興サックス演奏は最高だった。 どんどん興に乗り、盛り上がっていく。結局4曲吹いてもらった。 番組の中では、そのうちの2曲を使っている。

いつものことだが構成をたてないで取材しまくった。 だから編集にも苦しんだ。不自然なつなぎもあるだろう。 実はぼくも、石山さんと同じように「作っている時がいちばん楽しい」人間だ。 たぶん、石山さんの完成嫌いとぼくの完成嫌いがミックスされて、 今回の番組は「未完」かもしれない。破綻すれすれかもしれない。 いつもの新日曜美術館の視聴者を混乱に陥れるかもしれない。 でも、それが石山修武の世界なのだ。もう仕方がない。

ぜひ見てほしい、「未完」の醍醐味を。

 
番組名 新日曜美術館 シリーズ・創作の現場ドキュメント2
    鬼才・石山修武「建築がみる夢」
放送日 8月3日(日)午後8時〜8時45分 NHK教育テレビ
    ※雨が降って甲子園の高校野球が中止になれば
    朝9時〜9時45分の放送あり。

十時過美術館着。雑用を少々。早稲田実業の学生が十名程先生に引率されて来館する。建築学科進学希望の高校生達である。

石山修武
7 月 31 日

美術館に来たら、丁度藤森照信が来てるというので、レストランに行ったら、居た。久し振りに元気な姿の彼と会う。聞けばシリアの砂漠でギックリ腰になってしまったのだとの事。何しに砂漠に行ったの?と聞けば、キリスト教聖堂の初源を見たかったのだ、との事。

 

アハハ、それは本格的な好奇心だね、ギックリ腰くらいで良かったと笑った。

石山修武
7 月 30 日

十時半世田谷美術館着。ミュージアム・ショップの様子を眺める。

石山修武
7 月 29 日

十六時より本日夜の連続レクチャーの再点検をする。イギリス型ハイテクの話しは、話し慣れてはいるが、工夫をこらしてみたい。

石山修武
7 月 28 日

美術館内に研究室の分室を作ってもらったので、必然的に展示空間の中で日常の仕事をしている。来館者の眼は気にならないと言えば嘘になる。大いに気になる。時々席をたって、館内を見廻り、来館者の入り具合、どの辺に人が集中しているのかを見て廻る。昨日は流石に展示室内分室には居られなかった。余り来館者が少なくても寂しいし、多いと仕事が手につかぬという、誠に妙な状況に落ち入っている。自業自得である。

 

宮古島市渡真利島月光 TIDA 計画には少しづつ手を入れているので、ようやくにして人が集まるようになった。見る人は敏感だ。手を入れると、キチンとそれに反応する。特に子供の反応が凄い。

 

昨日は一人凄い子供と出会った。

五才位かな。全ての模型をじっくりと見て、ドローイングとの間を行ったり、来たり。この考えが、どこから来ているのかを知ろうとしている。好奇心に眼がキラキラ光っている。全てをニ、三時間かけて見て廻った。余りの熱心さに、感動して、木の制作物の断片をプレゼントした。あの子は、うまく育てれば何者かになるな。変な教育をしない方が良いだろう。

 

昨日、休んでしまったので、3Fのテラスの朝顔、ニガウリに水やりをする。烈日の陽光にさらされていて、さぞかし辛かろう。八時小休。新聞を読む。

 

昨夜の坂田明の展示会場内ライブには百名強の人が集まった。多くの人に床に小さな座ブトンを敷いて座っていただいたが、十名位の方々には椅子が必要だろうと察して急拠対処した。最初に会場に急ぎ足で入場した方が足が少し悪い人であったので、すぐに椅子の必要性を感じる事、対応の不可欠を痛感し得たのは幸いであった。あの足が少し悪い人に感謝したい。坂田明はああいう立派な読者というか、愛好家を持っているのだな。足が少々悪くても、先頭切って入場する気持を持つ人は立派である。

 

昨日展覧会場に古い友人が訪ねてくれた。北海道に水の神殿をつくりたいと言う。私の 12 の計画案中、音の神殿のネーミングに触発されたようだ。面白そうなので、出来れば八月末に北海道に同行する事になった。鳴子から帰ったら展覧会場で構想をねる。

石山修武
7 月 25 日

昨日はモデラーの宮本茂紀さんや、アーティストの岡崎乾二郎さんが来館された。今日はどなたに会えるか、又、他人の眼を意識しながらも、それを外して仕事が出来るようになったのが不思議と言えば、不思議である。

 

又、山口勝弘さんの作品イカルス・シリーズと具体美術の方々の作品展示も退去していただいた。本当に御苦労様でした。跡には「それぞれのヴィジョン」パビリオン計画が生まれ、育ちつつある。最終的にパビリオン内に実験工房山口勝弘、具体のアートがクロスする概念を映像として出現させる予定である。

 

今日はチリ計画のスケッチを渡辺君に渡し、展開させてもらう予定。浅草の一号モバイルのモデルを作り上げて、積算作業に入りたい。

 

サンクトペテルブルグに美術館からメールを入れなければ。美術館でやらなければならぬ事は多いのだ。世田谷村から近くて本当に良かった。

石山修武
7 月 24 日

九時四〇分美術館着。D氏エントランスの「立ち上がる伽藍」を一人で撮っている。

十二時過、K理事長より依頼されている鬼子母神像のアイデアがまとまりかかってくる。四点のドローイングを得る。

十三時四十五分、広島の木本一之さんに通信を入れて一段落とする。

石山修武

石山研世田谷美術館内分室がようやく見られる様になってきた。又、日々、作品にキャプションを付け加えたり、作品の手直しを繰り返しているので、会場のポテンシャルはオープン時の一二〇%位になった。多くの人間の眼にさらされてのWORKは仲々にシンドイものだが、これが現代そのものだと思って、さらし続けたい。たければ、たけよ、となり久し振りに一句詠む。

さらしても さらされてもまた サラセン帝国

我ながら壊れているな、コレワ。季語が入っておらん。

夏の夜 我身さらして 蚊のえじき

イカン、イカン、ともう一句 詠もうとすれど 恥を知れ

と、これでは人生そのものが駆句シリーズになってしまうではないか、と反省しつつ、美術館へ行こう。

石山修武
7 月 23 日

バスを乗り継いで、九時半美術館着。山口勝弘先生のドローイングをほぼ半分以上撤去して、私のドローイング、立体模型と差し変える。十二時迄に立体エスキスモデル二点作成して展示する。昼食は青果市場食堂。今日は、おじいさん、おばあさんが多いナア。渡真利島の、一度倒れて再起したヤシの話しをしてさし上げた。これにはキャプションが必要だな。

石山修武
7 月 22 日

休館日

7 月 21 日

渡真利島計画、まだスタッフが誰も来ていなかったので、崖っぷちの家(クリフ・ハウス)を、一人で島の大きな模型に新たにセットする。八月三日に宮古島市長、Nさん他が展覧会に見え、再プレゼンテーションする予定なので、その時迄に考えをすすめ、モノに置き換えておきたい。

 

今のところ、宮古島の計画が一番来場者にわかりにくいようで、滞在時間も少ないので、何か問題があるのだろう。クリフ・ハウスを新たに設け、そのためのドローイングも第一室に移した。

 

十時開館。今日は朝から人が多い。この頃は人の動きで大体来館者数が読めるようになった。今のところ、マスメディアには鈴木博之、赤瀬川原平両氏の論評しか紹介されていない。しかし、夏休みになり、親子連れが多い。私の顔なんか知らない人達が多いのは良い傾向である。宮古島の展示に人が集まり始めているのが嬉しい。手を入れると、すぐに反応してくれるのだ。

 

昼迄の人の動きは、これ迄で最も多いような気がする。ちなみに、昨日、私が我孫子に出掛けて、美術館を休んだ日はオープニング・レセプションをしのぐ人が集まったとのこと。

 

ミュージアム・ショップの品ぞろえも、展示に合わせて大きく変えてもらった。宮古島の塩、浅草のせんべい、そして私の研究室のオリジナル木工品までとりそろえてある。夜会のレクチャーという過剰とも思える試みや、向風学校の力までも傾注してもらっている。

 

昼食は近くの青物市場の食堂で、N氏、渡辺と。話題はやはり、お客さんの動きの事である。今日、人が動かないようであれば、又、何かを考えねばならない。

 

午後も人の流れは止まらず、分室での私的な作業が不可能になったので、ミュージアム・ショップ裏のベンチに脱出する。今迄に無い人の動きである。夜に予定されている、イシヤマウンテンオペラの中高生によるワークショップの出演者まで入場して、白塗りの顔で、会場は面白い熱気に溢れた。十七時半、人の姿が潮を引くように消える。

 

結局、今日の入場者数は五〇〇名弱、正確には 473 名程のようだ。ようやく、ある程度人々の知るところになったようで、正直ホッとした。ようやく、展覧会の体をなしてきたのである。

 

夕刻には、チーム象の先輩達や、富永譲氏も来館された。「石山、こんな事やってたら死んでしまうぞ」が象・樋口さんの言。「こんなにドローイング描いていたの」が富永譲氏の言であった。

 

今回の展覧会は、ことさらに意識して、いわゆる、今の建築界からの離脱が演じられている。しかし、これは私なりの建築界らしきの批判の現れであって、冷たい無視ではない。熱い批評でもあるのだ。建築家諸兄姉はその辺りの事を読み取っていただければ良い。

 

しかし、私の読者、私を見て下さる中心の人々の顔はいまだに視えない。若い人々、子供達の姿が予想以上に多くて、これは私の未来にとっては明るいが、明日のメシの種にはならない。でも、展覧会が終わる迄にはその顔のりんかく位は見つかるかもしれない。

 

夜のダンス・パフォーマンスを少しだけのぞいて、七時過美術館を後にする。

石山修武
7 月 19 日

十五時前、大学より美術館へ。連続講義の詳細をつめて、チラシを作る。明日の土曜日に来館する人達に先ず知っていただく必要がある。なにしろ、今の自分の考えている事を出来るだけ多くの人々に直接伝えたいのだ。十八時前、NHKチーム来館。あいさつ。十八時過、エントランスの遠視力点検孔の仕掛けから撮影開始。檀ふみさん、あの仕掛けを見て笑いころげる。良い感度してるなと安心。二十一時過迄撮影。密度の高いパフォーマンスだったと思う。カメラ二台の取材で、その一台は古い知り合いのカメラマンであった。随分昔に民放のTV番組を作った知り合いなのであった。お互い歳を取りましたナと、つぶやき合う。

終了後、石山研分室の展示構成を大幅に変える作業に入る。世田美のN氏、M氏に手伝っていただく。二人には明らかに、理不尽な位の助けをいただき続けている。何とか報いたい。

何とか、模様替えを終了させ、用賀経由で世田谷村へ。

石山修武
7 月 18 日

十四時過学校より副都心線田園都市線、用賀よりバス乗り継ぎで美術館着。

明日は夕方より向風学校のレクチャー。河合美果さん( 1971 年生)スマイル・ワールド主宰。世界中の孤児院を周り、子供達の笑顔を撮り続けている女性である。向風学校は長らく休眠していたが、安西直紀の努力もあり、ようやく再開される事になる。第一回のプロレスラー西村修とは全く異なる世界が美術館展示会場で繰り広げられる事になる。

 

山口勝弘、具体美術の面々の作品の展示も、もうすぐ会場から去り、跡には「それぞれのヴィジョン」パビリオンが残る事になるのだが、向風学校の講義も山口勝弘の展示も私にとっては同じなのだ。それぞれのヴィジョンがパビリオンに展示される事になる。明日は向風学校 in 世田美石山研分室が出現するのでちょっと見物だ。

石山修武

今日は遠方からの来訪者が複数予定されているので午前中に美術館に入る予定。美術館での作業がようやく軌道に乗り始めたところで、連続レクチャーを始めてしまい、我ながら突っ込み過ぎていると自覚するが、この展覧会は自分にとって特別な意味があるので、やれるところ迄やるのだ。

石山修武
7 月 17 日

朝、第四講(七月二十三日)の構想を練り直す

石山修武
7 月 16 日

ワァッと子供達が来てくれて、ワァーッと去った美術館でメモを記している。昨日午後新聞取材の後、六時過から始めた連続十二講、第一講地球を漂流するモノと住宅、伴野一六邸異聞は約二時間。我ながら、無料でするには勿体ネェなと思う位に気合が入った。話していて面白かった。今日はもっと面白く話せるだろう

 

一関ベーシーの菅原正二より美術館のNさんにFAXが入り、ベーシーは二十七日店主気分すぐれず休店にしようかとの事である。二十七日は坂田明のライブが美術館展示会場で行われるからね

 

十二時十五分前、今夕のレクチャー準備にかかる。

石山修武
7 月 15 日

昨日の十三時過よりTV録画取り。坂田明美術館来訪。十七時頃迄、作品を見て廻り対話する。分室で坂田と対話して、彼の展覧会の印象を、サックスで吹いてもらった。今日は本格的なカメラクルーが入り、入念な撮影であった。その後坂田明と世田谷村近くの栄寿司で食事して二十二時頃別れた。

今日も、午後から美術館で色々とやる

石山修武
7 月 14 日

朝、明日からの「石山修武・真夏の夜の夢・連続十二講」のうち六講を世田谷村日記に記す

石山修武
7 月 13 日

九時二〇分美術館着。ドローイングにかかる。十時Mさんのオペレイションで地下のワークショップ室へ。十三時半からの、子供達に苔庭と天水受けを作ってもらうワークショップの準備。小学校四年以下の子供達が二〇名参加なので、自分も楽しみたい。朝から来館者多い。十二時過向風学校安西君分室に来て、打ち合わせ。十九日の向風学校レクチャーの概要、および四回にわたる向風学校行事を決める

 

十三時過、地下のワークショップルームで子供たちと「苔アート」「天水受けアート」づくりを楽しむ。研究室院生四名手伝いで参加。難波先生御夫妻、山田脩二氏等来館。

 

宮古島計画を少しづつ手直し続ける。ドローイング展示追加。こうして書くは手易いがやるのは仲々ハードだ。十八時半作業修了。

石山修武
7 月 12 日

昨日、世田谷美術館ミュージアム・ショップの品ぞろえが一新された。明るく華やかな感じになって良かった。

又、都内書店に講談社バージョンの「建築がみる夢」も並び始めたようで、ようやく態勢が整った感がある。

 

十九日、南青山「ときの忘れもの」ギャラリーで私の新作銅版画展のオープニングがある。こちらにも寄ってみて欲しい。

 

昨日夕方、学芸出版社の井口夏美さんが美術館を訪ねてくれて、本を書け、ただし他人の本を読むすすめだぞ、と妙なそそのかしをした。私にとっては何の得にもならぬ企画で、イヤだと言えばそれで終りなのだが、余りにも得にならぬところに心が引かれて、ついつい考えて見ますとか、言ってしまった。先ず十冊程読ませたい本をあげてみて、ついでに、これだけは読んで欲しくない、読むな、の本もリストアップしてみる事にした。

 

今日は前橋の大工・市根井君が新作の美術館グッズを持ち込んでくれる予定で楽しみだ。

石山修武
7 月 11 日

九時前今日の午後から美術館で、「それぞれのヴィジョン」パビリオンの模型を作り始めるので、その段取りを少し計り。今週末から世田美分室の作業が本格化する。

石山修武
7 月 10 日

十二時美術館。N、M、副館長と昼食。十四時雑務。十五時二〇分ドローイング、「それぞれのヴィジョン」パビリオン計画。文字体のヴィジョンの動きを固定させようと試みる。

 

吉田は市根井君向けのミュージアムショップ製品のモデル作り。仕事がようやく進むようになってきた。何処に居たって、見られていようが、無視されようが全然平気状態となってきた。今、三時四十五分、メモを記し研究室に送附。

石山修武
7 月 9 日

十時過車で美術館に移動。石山研究室でインタービューを受ける。十一時頃修了。子供達の見学会がにぎやかであるが、一般の人はチラホラ。上海から戻った大住広人氏、杉全泰氏と来館。昼食を美術館レストランで共にする。他、知り合いの姿も見かける。十二時過赤瀬川原平氏来館。新聞連載の取材である。一つ一つじっくり見て頂いた。赤瀬川さんの目は別角度から射すので油断大敵である。

 

十五時過坂田明来館。赤瀬川さんとは別の意味で油断できぬ人物であり、同様に手を抜かずに説明した。TVでの話し相手、ギャラリートーク、ライブ等が予定されている。

坂田明の演奏にしんみりと、他人が居なけりゃ、泣いたな

七月二十七日、日曜日、夜七時に予定されている、坂田明ライブのリハーサルを、十八時人気の失くなった展覧会場で行った。観客は四人。誠にぜいたく極まるライブ・リハーサルであった

ベーシーの菅原正二から「坂田明の音は凄く良くなったよ」と聞かされてはいたが、一人、サックスを静かに吹く音はまことに心にしみた。忘れられぬ音の記憶になるだろう。こういう事があるから、人生仲々捨てたものではないのだ。広い会場は、バジリカ様式の聖堂に転じたのである。人間がいて、何かをなす事で初めて空間が生まれ、生き始めるのを実感した。坂田明とのトークもうまくゆくだろう。ほぼ完全に近く感性は同行しているからな。

石山修武

明日から書店に講談社の「建築がみる夢」が並ぶぞと、S氏より連絡があった。本の方の事も気にしなくてはならない。気が小さいから、やっぱり販売促進に力を出さなくちゃと思うのだ。全く小物だ俺は。

 

広島の木本君とはここ二、三日連絡できずじまいである。私の方の混乱が原因であるが、木本君にも小物を作ってもらえないかと考えている。美術館のミュージアム・ショップにアジア衣料、手さげ袋、そして市根井君製作の木製品、浅草壱番屋のせんべい、私のカタログや本と並ぶようになっているのだが、まだまだ不充分である。宮古島の計画もある事だから、宮古島の何かも並べたらどうだろうか。

 

と、考えはミュージアム・ショップの品ぞろえの方に傾くばかり。やっぱり、こういう事が好きなんだなと思うね。

 

南青山の「ときの忘れ物」ギャラリーで七月十九日から二十六日迄新作版画展が開催される。これにも力を入れなくてはならないのだが、どうやって力を入れれば良いのか全く知恵が浮かばない。D氏も、私が銅版画を彫っているところを撮りたいと言うのだが、ドローイングはとも角、銅板を彫っているのはさらすのは、いささか心が痛むな。しかし、やってみせちゃうか。こうなりゃ、やぶれかぶれだ。

 

六時五〇分、ドローイング、「それぞれのヴィジョン」パビリオンにとりかかる。七時半空腹となり小休。

石山修武
7 月 8 日

夜、今日は休もうと思ったけれど、何となくテーブルウェアーのデザインを始めてしまう。今日浅草の壱番屋さんで世田谷美術館向けのミュージアムせんべいを提供してもらう事になったので、皿をデザインするような気分になったのであろう。もう頭は海綿状にフニャフニャになり、正常な思考力は0に近いなコレワ。せんべいと皿と何の関係があるんだ。しかし、とにかく、4点のデザインを作成した。明日、市根井君に送ってみる。

石山修武

昨日は休館日、私は終日鬼沼の前進基地へ

しかし、白髪一雄、藤野忠則の作品が今日昼頃美術館に着く予定で、2人の作品のレイアウト等はN氏にお任せするしかない。美術館内美術館なんて試みをするとやっぱり他人に迷惑をかける事になってしまう。

 

前橋の市根井君、広島の木本一之さんにも明朝連絡をとる予定。石山展美術館グッズも毎週毎に品数が増えそうで、コレは楽しい

 

七月十日に本屋さんに講談社版のカタログ・物語、合本版が並ぶ事になる。美術館に足を運ばないでいる人も本屋には足を運んでもらいたい。一度、本を手にすると、美術館に足を運びたくなる仕組みと、本の出来上りになっている。

 

若林奮「犬になった彫刻家」みすず書房少しづつ、読み続ける。次第に記憶がよみがえってきた。この作家の作品は若い頃に随分写真で眺めていた。その記憶があるという事は印象深かったと言う事であり、少なからず好ましいとも思っていたのだろう。かくの如き作家には随行者、観察者、批評家が必須なのだな、が今のところの感想である。

石山修武
7 月 7 日

今日は美術館は休館だが、宮崎の藤野忠利さんより白髪一雄と彼の作品が届く筈である。これで具体美術の作家五名の作品が、世田美内石山研分室に集結する事になる。

 

実験工房 VS 具体美術の、いささか図式的ではあるが、展示の試みを世田美内石山研分室で試みる事ができる。「それぞれのヴィジョン」パビリオンの設計は進まないでいるがすでにドローイングは展示開始している。会期中には完成させるつもりだ。

 

昨日宮古島渡頁利島月光 TIDA 計画のディスプレイに、トンボを舞わせた。海の生物、島の生物、昆虫やめめずとのコスモロジーを表したいのだが、まだ工夫の余地があるな。農作業小屋のデザインはやり直そうと思っている。

 

今日は一日中鬼沼の現場で美術館には行けない。休館日に色々と手を入れたいのだが、残念である。

 

昨日昼前、前橋の市根井君が、分室でデザインした美術館グッズを作り持ってきてくれた。休日は一時間半でこちらに来れるそうだ。この木製品が評判良くって、スグに売れちゃう。マア、破格の値段(八〇〇円〜千六〇〇円)である事は確かなんであるが、我ながら面白い。美術館内の倉庫で市根井君がサンドペーパーで仕上げて、それをすぐショップに持ち運び、すぐ売れるという流れである。これも開期中に二〇点位迄バリエーションを展開させるつもり。今のところ、四点、昨日三点のデザインが出来たからあと十三点のデザインを作りたい。研究室の諸君もトライしてみてくれ。

12 Architectual Visions

12 Architectual Visions

石山修武
7 月 6 日

昨日は少し計り入場の客足が延びた。開催以来最大の入場者数であった。

 

具体美術の方々からの作品が届き始める。石山研分室の壁には、今、山口勝弘のイカルスの飛行の夢。そして杉並の中瀬幼稚園の「お母さんと子供達の天の川」の夢をクロスして展示しているのだが、来館者にはまだうまく伝わっていない。

 

美術館分室で小ドローイング開始する。「それぞれのヴィジョンがクロスするパビリオン」イメージドローイングだ。この作業を進め、なおかつモデル(模型)を作り始めれば、この部屋は充実するだろう。「お母さんと子供達の天の川計画」がとても人気があるので、もう少し華やかな場所に移したい。今朝やってしまおう。

 

十時半研究室スタッフと美術館内で今日する事の打ち合わせ。九時半より若干のレイアウト変更。完全に会場全体の人の流れを把握したので軽微な手術をした。

石山修武
7 月 5 日

昨夕、ミュージアムショップに石山研オリジナルデザインの小物を二点並べる事ができた。前稿の市根井くんとのコラボレーションである。展覧会開幕と同時に始めたものだが、これから一ヶ月半程、どれ位品ぞろえを延ばせるのか楽しみにしたい。

今日も、できれば一点の新作デザインを試みる。美術館内分室での打ち合わせの合間になんとかやってみよう。

 

今日は昨日から集まり始めた具体の方々の作品をどうレイアウトするか考え、なおかつ美術館内美術室である第一回企画展、山口勝弘イカルスの飛行の夢とお母さんと子供達の天の川の夢、に次ぐ第二回の企画展示、実験工房 VS 具体の、火花散る和気あいあいの考えもまとめなくてはならない。  

イカロスの飛行の夢に対して具体の夢とは何か。堀尾貞治氏の空気美術館の思い付きは良いのではなかろうか。夢そのものを展示する美術館のデザインが一番だろう。それを美術館内分室で行い、最終日、八月十七日にモデルをほぼ完成させてみよう。

第一室がイカルスの飛行の夢、第二室がお母さんと子供たちの天の川の夢。第三室が具体の西の夢、かな。

関西の夢では織田作之助だし、実験工房の強者山口勝弘がやっぱり抽象のノマドである、つまり場所性の放棄を貫いたのに対して、具体は西としか言い様が無い。

銅版画展示室前の前室、つまり石山研分室での作業は、分室内の壁面展示を全て内包するパビリオンのデザイン、つまり内外逆転させてしまう事をやってみよう。

 

具体からの作品送附に対する、あるいは命名は「西からの夢」にする。山口勝弘のイカルスが抽象への飛行、つまり場所からの離脱をヴィジョンとして持つに対して、具体の余りにも明々白々な場所性を、第二回企画展のテーマとしたい。

石山修武
7 月 4 日

十二時レクチャー修了。四谷経由で十六時世田谷美術館着。研究室へメモ送附。まだ美術館日記が本調子ではない。千村君からの展評掲示するように依頼する。

 

十六時十五分、市根井君(大工)来館。三日程前にデザインした美術館グッズを持参。

石山修武

6/28 に行ってきました。

私は、スケッチがいちばん良かったです。もともと、先生が描く風景や特に人物像は好きだったのですが、各計画のアイディアを描いたものが模型の隣にあることによって、「そうなのか!」と分かったのが良かったです(先生にはそんなに単純ではないと怒られそうですが)。グアダラハラ計画でしたか、いくつものリングが連なった不思議な回廊ですが、ホームページで見させていただいたときは正直「なんじゃこれは!」でしたが、会場で人体のスケッチや循環器系のイメージを見たときに、回廊が脊椎に見えて、何かわれわれに訴えかける「脊髄への憧憬」を感じました。ひととひとがつながり中枢神経系となり世界が動く。われわれは何かの間違いで脊髄がおかされ動けなくなり、そして脊髄に憧れる。ミクロには動けなくても、マクロには大きな脊椎の輪の中心で活かされる。そんな夢、そんな幻想を見させてもらいました。

(勝手に)脊椎回廊や宇宙服ハウスの展示の仕方も良かったです。下から覗きあげることによって、中に入っているような感覚を味わえました。

千村文彦

明日は「建築がみる夢」オープン一週間となる。ようやく開幕の様々から自由になり始めている。世田美内石山研分室主催の第一回企画展は山口勝弘の「イカルスの夢」と杉並区中瀬幼稚園のお母さんと子供達の「天の川の夢」の展示であった。第二回の企画展示は実験工房 VS 具体とする。予定では今日迄に具体美術の方々からメールアートが美術館に届く筈で、今日は夕方その確認に美術館に足を運ぶつもりだ。キチンとレイアウトして本当は実験工房、具体派の小レクチャーでも試みたいのだけれど、これはいささか荷が重い。

 

向風学校のレクチャーを3回程美術館内で予定しているので、その具体化を安西氏とつめたい。

 

明日、中谷礼仁氏と会い、「磯崎新の都庁舎」を巡る小集会の企画を相談するが、その際に世田美内での連続講義のアイデアも話してみよう。折角の機会であるから出来るだけの事はしてみたい

石山修武
7 月 3 日

只今、十一時過、仙台への汽車の中で昨日のメモを記している。十三時前、李祖原TVインタビュー。新日曜美術館の「建築がみる夢」は八月三日放映で、北京オリンピックは八月八日八時開幕である。

胡錦濤国家主席が李の北京モルガンの建築デザインを大変気に入った事は重要で、巨大な公共建築は李風なスタイルがこれから流用される可能性が大いにありそうだ。

 

川合花子さん来館。私の師川合健二夫人である。歳をお召しになってはいるが、元気で自分で歩いて熱心に見て廻って下さった。「石山さん、この展覧会やって良かったと思います。とても良い。これから先、何をやろうとしているのかがハッキリ解ります。川合健二が実際にはやれなかった事がキチンと示されていますよ。川合も喜んでいるでしょう。お目出とう。」私もその言葉で肩の荷が降りた。川合さんから、これでは旧建築ではないか、なんて怒られたら、それでおわりなんだから。

 

李祖原、安藤忠雄両氏にも川合花子さんを紹介する。何となく、広大な地理と歴史を実感する。

 

会場はようやく人が集まり始めた感がある。オープニングレセプションでの皆さんの印象、その風評が伝わり始めているのだったら嬉しい。

 

難波先生の弟さんが倒れたの知らせが入る。又、先生のブログでの石山展の評(青本往来記 2008/6/27 )も手許に来た。難波先生の評は、極めて直観的にこの展覧会の骨格をとらえてくれている。私は本格的に覚悟して一線を踏み越えたのである。それを表明する為の展覧会である。

過去の作品はほとんど出さずに、未来、明日にだけ焦点の方位を決め込んでいる。

 

この表明は益々自分を一本径に突き込ませる事になるのは当然自明の理である。

金が欲しくて、営業広告の一部としての展覧会じゃない。私はもうこの方向に行くと決めた。それは自分で切り拓いていかねばならない。失敗したら野垂れ死にだろうの覚悟である。

 

この展覧会はもう一つ大きな仕掛けがこらしてある。カタログとTV番組作りと展覧会場のMIXメディアの初歩をデザインしている。幸いにしてNHKの新日曜美術館でドキュメンタリーを作ってもらえるので、それにも力を尽くしている。カタログは美術館売りのカタログ、物語り編の二分冊箱入り、と七月十日書店発売の講談社版合本の二つを作った。担当の野田氏、講談社の園部氏共に大変なエネルギーを費やしてくれた。これは面白いですからね、本当に。手に取って読み、かつ楽しんでいただきたい。

 

カタログ、物語りを読んで展覧会をみると又、別の世界が拡がっていると思う。

又、八月三日のTVを見てから展覧会を見てもらうと又又、異なる世界が拡がるだろう。三回位楽しんで貰えるように作り込んでいますから、一度ではわかりませんよ。

石山修武
7 月 2 日

烏山から千歳船橋迄バス。乗り換えて世田美着十時。浅草のIさん他に連絡する。GKのIさん来館お話しする。

石山修武

今週末に企画している「実験工房 vs 具体展 in 建築がみる夢」展は石山研世田美分室の入って右側の壁にある山口勝弘のイカルスの夢に対して、左の壁に、具体派の三名の画家より作品を送ってもらい展示しようという試みである。金曜日には美術館着の予定なので、キチンと展示したい。

説明不足のきらいが全体にあるので、これに関してはある程度の説明が必要であろう。

 

昨夜の夕食時に磯崎新と話し合った件で、その準備会を世田美で開催する事を思い付いた。

 

向風学校の安西直紀代表が元台湾総統李登輝に会いたいと言うので、李祖原につないだ。今日、李登輝に渡す手紙の件、他で世田谷美術館で会う予定。午後になるだろう。

石山修武
7 月 1 日

偶然の如き、奇跡的タイミングで美術館で会った上山大峻前龍谷大学学長に、プロジェクトを説明しながら又、良くプロジェクトの本性に対する理解が進化したように思う。明日から、何人かの人にこのような説明をしてみようかと思った。

 

磯崎新よりほとんど初めて「コングラチュレーション、あれは大変だったろう、ドローイングは」と言われた。磯崎氏とはロンドン、ヴェネチアと大きな展覧会を共にしたが、こんな事は初めてなので、いささか驚いた。

ドローイング五百数十点をゆっくり絵巻物を見る様に眺めて動いてもらうと面白いだろうに、とは実ワ私も考えていた。

 

エントランスロビーの砧山石山寺縁起図も実はその伏線として展示してあるのだけれど、やっぱり説明不足なのかも知れない。

 

しかし、会場では日々、ビックリする様な出会いがある。やって良かった。

石山修武

「建築がみる夢」新日曜美術館取材で山口勝弘先生を訪ねるスケジュールが組まれている。昨日、李祖原の話しを聞いた限りでは、北京オリンピック開幕とNHKでの「建築がみる夢」の放映が間近なので、北京モルガンプロジェクトを番組の中に、何か入れ込みたいと考えた。北京のプロジェクトとプノンペン、そして浅草計画とうまく 40 分の流れが作れれば良いのだけれど。

石山修武
6 月 30 日

八時起床。今日は休館日であるが、新日曜美術館のハイビジョン撮影があるので九時二〇分世田谷村を発つ。九時五〇分世田美。TVクルー4名も同時に世田谷着。早速準備にかかる。プロのチームだ、私が居ても役に立たぬので、十一時過世田美発。十二時過研究室に。雑務。十三時李祖原来室。

石山修武
6 月 29 日

エントランスロビーの展示、特に左手の階段室へのアルコーブに設けた「立ち上がる伽藍」があんまり、うまく立ち上がっていない。表示がうまくいってないので対策を講じたい。折角の木本一之制作の力作が、かわいそう。500 点以上のドローイング絵巻の大きさ表示、例えば 2007 年 7 月〜 2008 年 6 月というような、が欲しい。多くの人が絵巻物(ドローイング)を見物する気持の準備ができないでいるようだ。

N氏より、宮古島の渡真利氏と市長さんにカタログを送るように依頼された。第一室に展示した月光 TIDA 計画がうごめき始めている。

 

帆に風をはらんで走り出すといいな。

 

十時前美術館。流石に本展担当のN氏、疲労の極状態のようだ。それはそうだろう、「建築がみる夢」の為に走り続けだったからなァ。今日は雨で来館者も少ないだろう。

 

十二時、佐賀より故森正洋氏弟さんとU君来館。神戸より冷水氏来館遠くから雨の中良く来てくれた。藤沢のTさん一家来館。十八時閉館。今日は 135 人の入館数。これ迄 680 名程のようだ。

 

疲労がどんよりとたまった。

石山修武
6 月 28 日

昨日は十四時頃から、台北の李祖原夫妻を皮切りに続々と人が集まり始めた。栄久庵憲司、山口勝弘、宮脇愛子各氏も車椅子でかけつけてくださった。

十六時レセプションをホールで。酒井館長、磯崎新、山口勝弘、栄久庵憲司各氏よりスピーチをいただく。私はスピーチに代えて、会場に来て下さった12の進行中のプロジェクトのクライアント、関係者を一部御紹介させていただいた。

 

月光ハウスのN、Z両氏から北京モルガンセンターの李祖原、浅草のIさん親子等。昔の作品を代表して松崎町の森秀巳氏、そしてハンマ、トシちゃん、小林さんもかけつけて下さった。

 

展示会場は作品も視えぬ位の人で溢れてしまった。意外や意外、銅版画のコーナーの人気が良かったのは、これはアート関係の人によるものだろう。柄谷行人夫妻と久し振りに再会する。

展示を見てから、レストランで、外のテラスで談笑する。

その後、館長、副館長、Nさん等と控え室で話し、二十一時過世田谷村へ戻った。今日も十時には美術館に出る予定。どんな人に会えるか楽しみである。カタログも大変面白く、中身の濃いモノになった。多くの方に読み、体験していただきたい。

 

九時半美術館。十時過正橋孝一さん(開拓者の家)と久し振りに会う。息子さん連れであった。ひろしまハウス・レンガ積みツアーの常連であったSさんにも会えた。Oさん(O邸)も訪ねてくれた九州から。美術館で旧知の人に会えるのも良いものだ。

 

十二時過青物市場で昼食。午後市根井君(大工)来る。木片による世田谷グッズらしきを提案される。今日明日で何かアイデアが出たらやろうと決めた。

 

十五時半一日が長いようで短い。

石山修武
6 月 27 日

十一時半世田美着。宮古島市渡真利島月光 TIDA 計画のモデルに山羊、ブタ、ニワトリの模型を入れこむ。研究室の連中が沢山作ってくれたので、渡真利島は一気に精気が満ちてきた。大きなトンボも作っていたのだが、アレは飛んで何処かへ去ってしまったのだろう。

 

一人で美術館内分室でメモをつける。

昨夜、展覧会の作り込みは夜に終了。最後は照明の作り込みで、これは職人さん達が頑張って能力をフルに発揮してくれて、上手くいった。ドローイングのキャプションも付け加えた。

 

美術館内分室の壁は、山口勝弘先生のイカルス・シリーズと、杉並N幼稚園のお母さんと子供たちの天の川計画の、老人と子供の対の夢、飛行の夢と、天の川を作っちゃう夢の対の展示とした。子供達の生き生きとした動きの写真が山口勝弘のペインティングに充分渡り合っている感があり面白い。

 

台北から李祖原夫妻が昨日到着した。向風学校の安西直紀代表に彼等の今日のピックアップ他を依頼したので、全ての準備は完了した。

 

会場に一人立つ、森閑としている。

石山修武

かつて近代合理主義の都市計画は、都市の未来像を示そうとした。しかしやがて、生活の場としての都市を、合理性のみを掲げて制作することの不自然が露呈される。都市はすでに制作者の想像する速度を超えて社会生活の中に生成され、建築デザインは都市を牽引する役目を放棄せざるを得ないまま、その大きな流れに飲み込まれてしまった。

もはや建築家の描く未来像は新しい形態を模索するだけで、都市に機能を生み出さない。あるいは今の建築はコマーシャルのメッセージぐらいの役には立っているのかもしれないが、消費するばかりの都市の生活に、新たな社会の機能をつくり出せないままでは、その創造はまだまだ無為である。

 

都市は本来そこで生きる生活者のものだ。生活の中で見、聞き、動き、話し、つくり、交換するためのシステムが、都市を表現する。

都市の生活はこれからどのように成長したいのか、それは生活する私たちがどのように生活したいのかの意志が決めていく。何をして、何を食べ、何を学び、何を楽しむか、それを考え、自分の生活をつくることがそのまま都市をつくることにつながっている。

12 の建築のヴィジョンがそのための、みなさんのヴィジョンにもつながってくれることを願っている。

丹羽太一
6 月 26 日

世田谷美術館内石山修武研究室分室、及び過去の作品の室を残して、大半の作り込みは終了した。何とかなるだろうと甘く考えている処と、過去の室だけが最後迄取り残されている。今日はその部分の作り込みに入る。

只今早朝五時前、木本君は広島からトラックで作品を運んでいる筈だが、八〇〇 km 余りの距離を一人で大丈夫かなと心配している。昨夕十八時前にこれから発つとのFAXが入っていたが、もう美術館に到着して仮眠しているかも知れぬ。九時半には会えるだろう。

 

木本一之製作のメタルの存在感があってこそ、会場は引き締まる筈だ。今は全て、リアルな模型でも材料は架空のイミテーションだからな。しかし、木本一之製のリアルなモノでも、それは何かを型取っているのは間違いのないところなのだから、深いところではイミテーションであり、具象と抽象はグルグルと涯の知れぬ堂々巡りの環の中にからみ込んでゆく。

 

展覧会とはそういう堂々巡りの切断面であるな。今日の夕方に全体がようやく視えてくる筈で、その時に何を記す事になるのか自分でも楽しみである。

石山修武
6 月 25 日

十時より、最後の壁にドローイングを貼り込む。正午前完了。これで全てのドローイング四百点程を貼り込んだ。この一年の成果でもあり、感無量である。

午後、浅草計画の大モデルを立ち上げる。高いヴォールト天井の上まで届こうかというモデル2体がキチッと大空間をしめくくっている。

 

宮古島市、月光 TIDA 計画、無人島の大モデルに樹木を沢山生やした。建築が見え隠れして大変良くなった。

 

会場全体の印象としては想像していた以上に、エレガンシーである。闇雲なエモーションに弱い構造が与えられ、全体の風景としても美しいと自画自賛する。自賛できぬような展覧会は意味がないから、自信をもって多くの人々に見ていただけるモノになっていると確信する。

石山修武

全長六十五メーターの展示室の片面に貼り終えたドローイングの総数は五百二十八点になった。

石山修武

もう少しだけで良いのだが、会場に言葉が欲しい。

エントランス、ロビーの装置の名前は変えるか、名前を外した方がよいな。あるいは観念的な距離のメジャーに言葉を附すか。思わせ振りは厳禁である。

 

左手のオブジェの名は「立ち上る伽藍」で決まり。木本君の仕上げに期待したい。

 

世田美内石山研分室は石山研の企画展示室、つまり美術館内異形美術館としたい。何をもって異形とするか、もうそれはクダクダしく考えまい。私がやれば異形になるのだ。

 

第一回の企画展示が「山口勝弘の飛行の夢」展である。出来れば三回位の企画展示としたい。飛行、浮遊がテーマかな。今日中に考えをまとめたい。こういう事を考えて追いつめられるのは楽しいよ。

老アバンギャルド、メディア・アーティスト山口勝弘の展示がイカルス、冬の花火、砂時計とミイラ、の流れのコンセプトだから、この思考の上に積み上げられるようなのがいいな。

 

あるいは、その先を探求するか。

絶対の死の先を形にできる人間がいるのかね。

 

石山研分室は版画の小室の前室になっている事も意識しなくてはならない。

銅版画「電脳化石神殿」シリーズの部屋は全会場で最も静寂に満ちたスペースになっている。長い長いドローイングが脳内開放絵巻ならば、ここは洞穴である。昨日の仕上がり具合を見れば、一番奥深い部分だろうと思った。

 

チョッと横になって考えよう。

 

横になっても、タテになっても良い考えは出ない。

石山修武
6 月 24 日

美術館での作り込み三日目である。昨日、ようやく空間が立ち上がってきて、ホッとしている。

美術館展示室内の石山研分室のコーナーで雑用をしていると、すでに落ち着く感があって不思議だなと思った。美術館は石山研の建て込みスタッフ用の控え室を館長室の隣に用意してくれているのだけど、どうもあそこは落ち着かない。

貧乏性からなのか、根っからのオフィス風嫌いなのかは釈然としないが、やはり、現場というか、モノが作られつつある場所がすきなのだろうと思う。

石山修武
6 月 23 日

十二時前、第一室のヨットの帆を吊すのに予想通り手間取る。原案は変える。やはり今日は一日中美術館暮らしになりそうだ。一年かけて作った模型の数々が美術館に露出され始めた。生気に満ちた会場になりそうだと直観する。上手くいったと思う。

十二時美術館近くの青果市場の食堂へ。十三時迄小休。世田美内石山研分室で木本君への連絡状を作成する。

 

十三時半まだヨットの帆の吊り込みに苦労している。プロのチームでも仲々大変そうだ。

石山修武
6 月 22 日

月光ハウスでのN、Z両氏と打合わせ雑談風景をカメラが収録したが、両氏共に全く普段と変わらず生き生きとして、平然たるものであった。月光ハウスより、二点月光五世号のモデル他を借りた。風景に使いたい。

石山修武
6 月 21 日

昼過から始めたドローイングのレイアウト作業は予想通りのハードな作業となった。建て込み作業担当のT社スタッフとあいさつ。美術案展示専門のスタッフのようで、掃除の仕方その他にプロのたたずまいがあり、頼もしい。

 

N氏のアドヴァイスもあり、ドローイングのレイアウトを変更する。一階扇形の第一室、島宇宙の室、入って右側の壁に月光 TIDA 計画のドローイングを全て納めた。左に、中国でのコンペ案、及び月光号がレイアウトされて、観る人には大変解りやすくなったろう。

月光 TIDA 計画のドローイングもボリュームがピタリと納まった。

 

第二室大部屋のドローイングは当初の予定通り日附け順にドライに並べる。代島氏のアドヴァイスもあり、日付にあった世田谷日記よりキャプションを引出して、展示を読みやすくする事にした。上手くゆけば面白そうだ。世田谷村日記がオーバーラップすることになる。

 

小さい葉書サイズのドローングが全体のレイアウトの流れの中で破調を作り出して面白そうだ。まだ床の上でのレイアウトなので、立体感が無いので何とも言えないが。

小ドローイングを多くやっておいて良かった。

入り口から、出口迄を予定通り絵巻物風のドローイングで流し切る事が出来た。昨年の六月二十八日から一年分のドローイングの絵巻物である。

 

照明の当て方が大事だ。

 

石山研世田美分室は予想以上に大きくて、いささかあわてた。なんとかなるさ、と思っていた所に穴が出来そうで、奮気しなければならない。月曜日にじっくり現場で考えたい。山口勝弘先生の絵イカルス・シリーズが十二点程ここに展示されるが、それへの対応よりも研究室の空気をどんな風に作り上げるかの方が大問題である。

 

コンピュータの作図、月光 TIDA 計画を廃棄した。これは見るに値しない。私のドローイングだけで行く事にする。他のコンピューターによる作図が急に心配になる。

 

三百九点の手描きドローイングは大きな空間に並べて見るとそれぞれの強さが消えてくれて、空間に馴染んでいたのでむしろ安心した。意外とこれが今風なんだな。

 

扇形の部屋は外の公園が視えるようにシャッターを外す事にした。これは冒険であったが、今日、成功するだろうの確信を得た。緑の美しさが格別な季節でもあるから、自然との結びつきを主題にした部屋・島宇宙のコーナーはこれで良い。月曜日の帆の建て込みが楽しみである。

石山修武
6 月 20 日
山口勝弘先生より

12 Architectual Visions

七時半世田谷村でまだ世田谷美術館の未整理の室、石山研究室世田谷美術館分室の構想をあれこれと思い悩んでいる。残された日は一週間となった。

藤野忠利氏を最年少とする具体派の芸術家達と実験工房の生存者、老アバンギャルド山口勝弘のスピリッツをここに衝突させてみたいという夢も、まだ決して失くした訳ではない。その具体策が仲々見つからないままなのだ。何とか最後迄粘ってみよう。

会場の全体がようやく頭の中に筋道立てて浮かび上がってきた。猪苗代鬼沼の光風水塔、グランモールエネルギー装置、中国の都市計画、エネルギー変換施設の配置計画が工学的意味合いが濃厚であるが、他は自助計画と農業色に塗りつぶされている。それが特色である。

石山修武
6 月の「建築がみる夢」準備日誌
5 月の「建築がみる夢」準備日誌
4 月の「建築がみる夢」準備日誌
世田谷美術館「建築がみる夢」準備録
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