絶版書房交信 68
アニミズム周辺紀行7号 物語 #057
エルビスのトラックがゆくハイウェイの荒野に、突然直線の道がクロスする。
エルビスのトラックがゆくハイウェイの荒野に、突然直線の道がクロスする。
エルビスのトラックはゆくアメリカの砂漠を。
階段はピラミッドであった。頂に目玉が描かれている。
ほお帯は風に吹かれてマフラーになった。
ナイル河にはワニもいる。
アラアラ指を持った杖は、拍車らしきも身につけたがる。
松葉杖はどうやら指になりたいらしい。
モゾモゾしてやがる。
アニミズム紀行7に関するドローイング042について
最も避けたいと考えていたペダントリーらしきを、どうしても記さねばならない。わたくしの能力の限界を示しているとお笑いいただければ良い。
042のドローイングに関して、世に最も応しいと想われる言説は以下の通りである。
荘子の夢
荘子は自分が蝶になった夢を見たが、目覚めた時、自分が蝶になった夢を見た人間なのか今人間になった夢を見ている蝶なのかわからなかった。
—ハーバート・アレン・ジャイルズ『荘子』
ファラオの夢、そしてお足のエルビスが共に見た夢の、その中に現われた鳥が、見られた夢の中の主人公なのか、あるいはその鳥が、つまり、今朝も世田谷村に現われて、梅のつぼみの残りをついばんでいった鳥の夢の中に現われた、ファラオやナッシュビルのハイウェイなのか区別のつかぬ、無意識の底らしきを描いたのだと強引に言い切りたいのである。
ほとんどの、何等かの形式で、文字であろうと落書きであろうと、無意識を形にしたいと意識した中の落書きの全てには、確然たる無意識界の「比喩」がある。
2012年4月2日 石山修武
お足のエルビス、ファラオは共に鳥になる夢を見ました。
まったく同じ鳥の夢。
世田谷村にはTVが無いぞ、と長崎屋で叫んだら、まだそんなに貧乏な人が居るんですかと心配され、お彼岸に食べる事が出来なかったオハギをごちそうになった。
庭の梅の花はすでに散った。隣に建設中であったマンションは完工し、全て満室ではないが人がポツリと入居し始めている。東向きの室の大型TVが世田谷村からかろうじて視認できる。余程TVを視る必要があれば双眼鏡でこのTVを眺めれば良かろう。
遠くからのぞき視えるTVの画像は室内で視る映像とは異なり、何処か遠い異国の出来事が写し出されているようである。夢のようだ。
わたくしの通信もコンピューターの画面の中に、そんな風に眺められているのだろう事を知るのである。
2012年3月30日 石山修武
ピラミッドをまたいでロックンロール。
玄室までひびきます。エルビスの声。
船は巡るよ、黄泉の国、おあしのエルビス、ピラミッドと一緒の旅になる。
闇にはまだまだ五ツ星。
変化するのに疲れはて、お足のエルビス眠りに落ちた。
お足の正体あらわにして五ツ星の夢を見るのでした。
足のエルビス、足に遠めがねを金にあかせて買いました。
もう足のそこら中が遠めがねだらけ。
そうだ、オレはオレの足の裏をのぞきたかったのだ。
でもそれだけはできません。
大きく開けた口の中に高い高いマイクだって呑み放題。
さすがおあしのエルビス。
お足のエルビス、ギターだって、とっかえひっかえ、やりたい放題。
部屋から飛び出し自由の身。
のどちんこの足がブルブルふるえ出し、ついに声までつくり出した。
パックリ、お足に穴を空け、のどちんこまでつくり出した。
お足のエルビスついに口に変身を試み始めーる。
お足のエルビス、ついには自身をふたまたに変身させようとする。
お足のエルビスがエルビスらしくなってしまう。
遠眼鏡は足の裏をどうしてものぞきたい。ついにグニャグニャ自分を曲げる。
可愛そうにデブのエルビス、足の裏と世界の涯をまちがえている。
何故こんな風な絵柄になったのかの意味を考えても、それこそ意味がない。
なにしろ222点を描き抜かなくてはならない、が第一である。
それで速力、同じモノは描けない。手描きであるから222点全てが異なる。
その手描きのズレ、手のブレの表現はともかく、それ以上に自分自身で標準化くり返しがイヤになる、アキないようにするためにも少しずつのひそやかな展開が可能でなければならぬ。つまり、アキぬためのシステムが必要だ。恐らく今日からそのWORKが始まるだろうから一点一点の短い報告も始めてみたい。つまり、個々の方々との交信の始まりでもある。
2012年2月23日 石山修武
アニミズム紀行7に入れるドローイング、描き始めのアイデアらしきを決めた。何処まである程度の速力をもって描き続けられるか解らない。 速力が才質の要だろうな、この場合は。
まず5冊5点程やってみて様子を見てみようと思っている。
様子というのはわたくしの才質の姿形でもあるのは知るのだが、いかにも酷薄なゲームでもある。
2012年2月23日 石山修武
アニミズム周辺紀行8をICUの松浦武四郎他、9を高尾山、10を浅草寺庭園とする。
これで決まり、あとは頑張るだけだ。
2012年2月17日 石山修武
浅草浅草寺の庭園も面白いし、我々のプロジェクトとも密な関係が発生しそうなので、実利も含めて取り組みたい。
浅草寺、及び周辺でほとんど常時催されている浅草寺の催事、祭りと都市生活とは密接な関係があるに違いない。
特に植木市やほおづき市、盆栽展や盆景展の運営の実体と郊外の問題は興味深いであろう。
2012年2月17日 石山修武
高尾山はこれも又友人であった名記者、佐藤健が「石山、あそは面白いところだぞ」と頻りにつぶやいていたのを記憶していて、日本で一番大都市に近接した山岳霊場であるのが面白い。
これは比較的容易に近付けそうである。
2012年2月17日 石山修武
ICUの土地は不思議な土地ではないか。
松浦武四郎の稀代の一畳敷、あれは利休の待庵のマルセル・デュシャン版なのだが、あんな高度な物体が先ず落ち着いた先であった。
アニミズム紀行7で書いたわたくしの本当にガキの頃に遊びまくっていた東京郊外の鎮守の森の闇の彼方に一畳敷は落ち着いているが何故なのかを知りたい。
今、わたくしの研究室のデザインモチーフの一つになりつつある、オープンテックシェルターのプリミティブ版である。掩体壕があそこには幾つも残っていた。そりゃそうだろう、府中飛行場が今でも働いている。
2012年2月17日 石山修武
東京郊外三大聖地巡りにするか。絶版書房推奨郊外三大聖地。
1はICU周辺の松浦武四郎の一畳敷と周辺の掩体壕跡、調布飛行場、東京天文台土地内部。
2はやはり高尾山であろう。これは長崎屋のオヤジと共に歩く。
3は浅草寺境内の秘められた庭園。これは郊外ではないけれど秘匿されたという意味では聖地だろうな。
これをたたき台に考えを進めたい。
2012年2月17日 石山修武
アニミズム周辺紀行ならぬ絶版書房推奨三つの壮麗美窟ってのはいかがか。でも洞穴は本来美しいモノではない。グロテスクが身上なのだ。大船の田谷の洞穴、秩父の橋立寺の洞穴、大谷の洞穴を三穴と言うでは嘘っぽい。嘘でも良いが嘘は一度言ったらつき通す根性が必要で、今のわたくしには自信がない。日本百名山(深田久弥)くらいならともかく、東京三名山では話にもならない。どうも上手く頭が廻っていないようだ。
2012年2月17日 石山修武
三つ又がどうも入り難ければ三重ってのはどうか。
三重の塔の命名コンセプトを借りるとか。そうだやっぱりアニミズム周辺紀行7でそしてアニミズム周辺紀行5で実験した場所を巡る旅にするのが率直かも知れない。巡る、巡礼に非ず、しかし巡るを主題にするのも良いかも知れぬ。
奥多摩に高水三山だったかがあったし、二子山は妙義山の北にある美しかった集落坂本から登ったところにある特異な岩山でもあった。
小栗虫太郎の『白蟻』の舞台になった八ヶ岳山麓の裾野を望む風景は日本離れした広大さがあった。広ければ良いというものでもないし。
2012年2月17日 石山修武
三部作となれば、三つそろって一組の何かを思い起こす事から考えたらどうかとも思う。これも又、思いつきである。
松、竹、梅とか、ホップ、ステップ、ジャンプとか、三人官女とかダルタニャン、アラミス、ポルトスの三銃士とか。上、中、下とか、何だか段々水準が下がってゆくな。三又蓮華という地名、あるいは山らしきの名があったような気もするが恐らく間違った記憶だろう。
横尾忠則さんの三叉路へのこだわりは一部に良く知られているが、アレはわたくしには何が面白いのか良く解らぬままだ。
2012年2月17日 石山修武
作家論磯崎新はわたくしの一生に一つの作家論である。これは何枚位迄延びてゆくのか自分でもまだ解らない。今日で65枚位迄積み重なった。
アニミズム周辺紀行も又何号まで続くのか自分では解らないまんまだ。
当初はアニミズムなんて誰が考えたったて負け札なのに、我ながら何故なのかと考え込んだものだが、今はそれは無い。しかしながら、まっしぐらに行く旅では無さそうである。アッチに行ったり、コッチにもどったりの繰り返しなのだろうが、これも又号数を重ねる毎に色々な事が少しづつ解ってきたり、新しい問題に突き当たったりするのだろう。
今、こんな事を書きながら、8号、9号、10号はゆるやかな関係を持つ三部作にしてみようかと思い付いた。
2012年2月17日 石山修武
アニミズム周辺紀行8について概要を決めてしまおうと、意を決して長崎屋に来た。世田谷村で磯崎新論を9迄書いて頭はすっかりその色に染まってしまっている。こんな時は短いのを書いて頭脳のリズムを強引にカットしてかかるしかない。それには書く場所を変えるのが一番なのだ。頭脳はそれ程に抽象的に動くものではない。やはり何処かに夢を産むアニマが棲息してその精霊の気まぐれに左右される事が多い。
TVに一番近い席に陣取って、後ろに常連の客達の大声での会話を耳にしながらインクペンを動かし始めた。
2012年2月17日 石山修武
アニミズム周辺紀行7は目指しているウィリアム・モリスのケルムスコット版にほんの一歩だけれど近づいているなと自覚している。
わけのわからん自覚じゃないかと言われるだろうが、わけがわからん事にしか今は価値はない。
考え抜いて意識できていればそれで良い。
でも何号くらいから本格的なケルムスコット版を世に送り出せるのか、それは何冊くらいで版形は、そして値段はどうなるのかと夢想するのは楽しい。読者の皆さんもわたしの手描きドローイングがもうすでに1500点以上世に出廻っているのを想像して下さると、わたくしの夢想がすでに幼稚なレベルであるにせよ実行され始めているのを知っていただけやも知れない、と砂上の楼閣の上に更に一層を重ねるのである。
2012年2月16日 石山修武
今度のアニミズム周辺紀行7のドローイングは222点全てを記録しようと決めた。デジカメならばそれは容易だし、一点一点全てが異なるのが当然なのだから記録しておけば何かの意味も発生するだろう。
手許に置いて下さる人にも、自分に送られてきたのが222分の1。つまり全体の中でどんな意味合いのモノなのかも考えて楽しんでもらえるやも知れぬではないか。
2012年2月16日 石山修武
アニミズム周辺紀行5、6へのドローイングはこれ迄通りのやり方でする。でも一方で別のやり方を始めて、別の手でこれ迄のやり方でという器用さがわたくしにあるかどうかは定かではない。
一日中手を動かさねばならぬ日もきっと来るに違いない。
もう絶版したアニミズム周辺紀行1のドローイングが作業がそうだったのを懐かしく思い出す。
アニムズム周辺紀行1のドローイングの大半はキルティプールの風景であった。
2012年2月16日 石山修武
アニミズム周辺紀行7に描き込むスケッチの骨子を決めた。
小さな正方形の紙片にインキと水溶性の色鉛筆で描き込み、その紙片をページに貼り込む事にした。銅版画の小片を一点一点手描きで描くのと同じだ。
大変だろうがそうするのが一番だの結論に達した。
紙を別に用意しなくてはならないが、それ程面倒な事ではない。
2012年2月16日 石山修武
先日世田谷美術館の野田さんにドローイングをお渡しする際に、今サイトに発表しているドローイングやらをそのまんま建ててくれと言うクライアントが出現したらどうします?と言われてポカーンとしてしまった。でも本当はポカーンとしてたりしたらいかんのだろうな。どんなモノでも、こんなのを作りたい、建てたいと考えているからこそ描いて、こうして発表してるに違いないのだから。
真当な質問に答えられなかった自分が恥ずかしい。
「そんな事あり得ませんから」と答えた自分が情けなくもある。
「頑張ります」と答えていたら馬鹿だけれど。馬鹿が一番かな。
2012年2月16日 石山修武
一度思い切って、じっくり時間をかけてみようと思い始めている。出版部数を222部に限定したので、一つに20分かけても全部で4440分、つまり1日1時間半かけると56日チョッと2ヶ月余りを要する事になる。休みを挟むと3ヶ月かかる。3月少し前からWORKを開始したとして5月一杯になる。
丁度良い時間の使い方になるのかも知れない。
でも、これ迄の様に和筆の使い方効果の偶然性に頼る事はできなくなる。ストレスは倍になるだろう。工夫を要するところだ。
2012年2月15日 石山修武
アニミズム紀行7の紙質に少しばかりの問題が発生した。
どうやら今度選んだ紙に絵の具がしみ込み過ぎて他のページを犯してしまうようなのである。これは困ったが何とかしなくてはならない。全て紙は用意され印刷にかかるばかりである。今更の無理はいけない。印刷屋さんの苦労は計り知れない。
前から読者の声の一部にドローイングを本の本体から独立させたらどうか、気に入ったモノを本当は別に飾って眺めたい、があった。
そうするのが良いか、色鉛筆かインキで描き込むのが良いか思案中なのだ。いずれにしても時間はこれ迄の数倍はかかりそうだ。
それも辛いが・・・。
2012年2月15日 石山修武
アニミズム紀行7に描き入れるドローイングの事が頭を占領し始めてきた。当然色は茶系に少し汚れた感じのある黄色を主色にしようとは考えている。でもそれに形を与えられるかはいささか心許ない。
それにアニミズム紀行5、6にだってこうなれば昔のまんまのヨーロッパ系の色で描き続けるのは出来そうにない。
絶版書房は色で苦しむ事になりそうだ。
2012年2月12日 石山修武
サイトギャラリーROOM3。前室ROOM2から、まだROOMナンバーは決めていないネパール、キルティプールの丘のわたくしの終の棲家も含む、三つのギャラリーに移動するのが中々に難しかったのだが、ROOM2に動物達の姿が登場する事で、その移動は容易になるだろう。
トルコの水中宮殿はボスポラス海峡を望むアヤソフィアの地中にある。よく知られる地政学の骨組、ボスポラス海峡を挟んでアジアとヨーロッパが対峙するの現実は今に続く。
インドのデカン高原への移動も動物達の登場で一筋の径が浮かび上がってきた。
アトは、アニミズム紀行5に多く登場した、宇宙を視続ける目玉が動くストゥーパが林立するヒマラヤの国ネパール迄は近い。
2012年2月12日 石山修武
日記(世田谷村日記)の700番にも書いたが、アニミズム紀行7の本のデザインを変えたら、その考え方が同時に進めているサイトギャラリーのROOM3に飛び火した。更にはROOM4の開設までそそのかせた。
ROOM3の前室でもあるROOM2の一大改変工事を試みることにした。
建築本体はそのまんまに、そこに沢山の動物や鳥やアンモナイト、そして大好きなトンボまでを動員することにした。勿論影男も登場する。そうする事にして、ようやくドリトル先生動物病院倶楽部のタイトルにいつわり無しの状態に近づく事にもなるだろう。ただし登場する茶色の牛の姿は、わたしはピカソのミノタウロス、画像担当者は宮沢賢治の描いた牛をモデルにしたいと考えは割れている。いかがなりますやら。
2012年2月12日 石山修武
モノには形があるモノと無いモノがある。水や空気や火について考えるのはとても短時間ではできない。でも身の廻りに溢れ返る道具類や生活用品の類、大は建築物にいたる迄多くのモノには形がある。しかし形以前に色や感触らしきが在るのは見過されがちである。特に近代以前から存在するような物体の大半はモノの形以前の色や感触がそのモノの存在の大半を占め続けているように思う。
こんなプリミティブな感想を今更述べるのは、勿論アニミズム紀行7の表紙、及び本体の紙質、色合いを一変させたからだ。
アニミズム周辺の旅を標榜しておりながら、その考えを伝えるべく製作してきた本というモノが一向にアニミズムらしきを表現していなかった。 これは明々白々な片手落ちである。早速少し計りの修正を試みたのはすでに述べた。
アニミズム紀行7の本(モノ)は茶系の淡い色として、感触も少しザラザラした手触りの紙を選んだ。 まだまだ不十分なのは自覚しているが、その変更、更新自体の気持自体を楽しんで頂ければ幸いだ。
2012年2月12日 石山修武
さて、交信21で書いた茶色である。当然眼の高い読者であれば内に描かれるドローイングも茶色系になるだろうと予測されるであろう。
勿論そうするつもりである。
そうする為には絵の具をていねいにセレクトして用意しなければならない。
これ迄使用してきた、つまり6号迄のドローイングに使った絵の具のベースはヨーロッパ系のネーミングが与えられた絵の具であった。あれは今度は使えないなと考え込んでいる。伊豆の長八さんが使ったと言う岩絵の具(顔料)か彩磁器の絵付けに使用する顔料が望ましいのだろう。
段々、自分で自分を困難な方向へ追い込んでしまうのは、これはクセだからもう直らないし、直そうとも思わない。
どなたか、東アジア系の良い茶色の絵の具、顔料をご存知だったら教えて下さると嬉しいが、そこまでの親切は望むまい。バチが当る。
2012年2月7日 石山修武
イタリアの北部中部で良く人々が身につけているジャケットの色。典型的なのは茶色系だろうが、この布地の色が日本では仲々見当たらない。つまりは人々にそれ程欲されていないのだろう。この茶色に関しては言葉では仲々表現できぬ。恐らくはローマにも通じるのだろう。イタリアの都市の色とも微妙に関連している如くの色である。日本の近代の都市文化からは決して生まれてこない色である。
この実に独特な茶色。しかも一種だけではなく多様な茶色はイタリアの都市が胎生させてきたアニマ(精霊)が生み出したものだ。布地と染料、共に近代の産物であるにもかかわらず、何故こうまで際立った良質なローカリティーを表現し得ているのか、その秘密を知りたいものである。
アニミズム紀行7の表紙の印刷で出そうとした茶色の色は、わたくしなりに考えた東アジアの農村が生み出している茶色である。
2012年2月7日 石山修武
滝見川(袋田)のほとりの大樹、特にその根廻りの凄さにひかれてスケッチした。川にはカモが泳いでエサをついばんでいた。樹木と水と鳥が清澄なバランスの光景を作り出していた。又、温泉の湯気がもうもうと渦巻いて風を写し出していた。アニミズムが顔をのぞかせた一瞬であった。こんな光景は写真では記録できぬ。
必死のスピードでスケッチするしか無い。アニマを視るのは人間なのだから、その頭脳と手を動員するしか無い。
2012年1月31日 石山修武
袋田の滝が氷結して氷瀑となったのを視た。水も凍ると形のあるモノになる。気温が低いだけで随分な事が発生するものだ。
薬師寺の五重塔西塔を見て建築は凍れる音楽だと言った人物が居るようだが、音楽は決して凍らないから、建築は時に凍れる観念であると言い直した方が良いとつまらぬ事を考える。しかし、音楽は人間のある種の観念がうごめいて先ずは音符の連なりに表現されるのだから、その観念は精霊(アニマ)と呼ぶべきか。
2012年1月31日 石山修武
今日は水戸まで出掛ける。正月以来久し振りに画帖を持って出る事とする。言葉と違ってスケッチは余程構えないと手が付かぬのを今は知る。写生の類でもそうなのだから、何か作りたいもののスケッチなどは大変な準備のエネルギーが必要なのだな。
写生でも小さな紙片にするスケッチは構えなくてもすむので楽に入れるのだが、大きな画帖に描くのはどうしても構えぬと出来ないのだ。
やはり目立つし、他人の眼をフッと気にせざるを得ない。
2012年1月29日 石山修武
アニミズム紀行7の表紙、「記憶の旅」の字体がまだピシャリと決まらない。デザイナーに発注するゆとりはないし、絶版書房のポリシーにも反するので、もう少しねばってみる。
中身は煮詰まってきた。グツグツと魔女の闇鍋状になってきた。
最弱輩の寄稿者の文章をもう一度洗濯させたい。
2012年1月29日 石山修武
アニミズム紀行7脚注について
7号の注釈のレベルは高い。脚注的思考の端々さを実感した。これは本文と独立させて読む価値がある。
本格的な若い世代の思考形式の端緒、つまり芽ぶきかも知れぬと考えた。
注釈の断片が等価に並列されているのは更に拡張をし得る概念であろう。
2012年1月28日 石山修武
アニミズム紀行7の表紙に手間取っている。
紙のテクスチャーはアニミズムの旅らしく少し改善された。
ぜいたくを言えばキリが無いがコストが高くなる。マアマアのモノに決めたは良いが表紙の線描自体の色と紙質がどうもしっくりしない。
又、手描きの諸々の良さがうまく表現できない。
それで線描自体の線そのものに色をつけようとなった。印刷屋さんと値段の交渉は残っているが試みてみたい
次に表紙の字体がおざなりで面白くないので、工夫しようとなったのが昨日。
今日、字体だけは決めたい。
2012年1月27日 石山修武
サイト上ギャラリーROOM3にささやかな手を入れる。
昔、伊豆松崎町で自分で野菜畑を持つ役場の職員から、野菜は畑に来る育て主の足音で育つと聞き、感じ入った事を思い出す。
沖縄の100何才かの老女が春になったら、又畑に出て、畑で死にたいと言うのを聞いて、大地と食べ物と人間の結びつきの並々ならぬ結びつきを教えられた。
M.エリアーデの『大地・農耕・女性』といった著作を読むよりもはるかに人間の生の奥の奥を感じた一瞬であった。
知恵ある者の肉声は時に大小の宇宙の切断面を見せてくれる。切断面は内と外を結ぶことだろう。
大地は生を育むのは解る。
サイトを耕すのは何を生むのか?
2012年1月24日 石山修武
動画ROOM3・エローラの窟内に棲みついた影の部分が少し時間を延ばして長くなったのでとても良くなった。五月女くんは良くポイントを把握した。これからがROOM3が面白くなるところだから知恵を巡らせましょう。
さし当たっては来週「5つの塔」のドローイングを掛け変えたい。すでに渡してある「視えない都市のそれでも視える建築」を展示したい。ポイントは展示の終った「5つの塔」をどのように窟院内に残すかでしょう。この2つのドローイングは実にストレートに連続しています。
2012年1月25日 石山修武
名古屋城旧本丸御殿障壁画、17世紀「松楓禽鳥図」の大版の写真が国立劇場での歌舞伎のパンフレットになっているのが家に転がっていて、とても気になった。ねじれにねじれ切った根まわり、そして枝振りの怪奇さ。
これは昨年暮の韓国旅行で神木の如くに愛でられ大事にされている樹木の姿に酷似している。
歌舞伎の美学も又韓半島の大地から生むそれこそ根付いた樹木の姿への愛好も又流れ込んでいるのだろうか。
歌舞伎の顔創りの華でもある隅取り他の固有な特色も又、河回村の仮面博物館の農民劇の仮面コレクションに酷似しているではないか。ここに表現されているのは老松のアニマそのものである。
2012年1月22日 石山修武
交信9で触れたが、わたしのインターネットサイトはようやくにして外形としての、全体としてと言うべきか、有機体の表情を持つに至った。少なくともその意図に接近はしている。第3室はこれから先も、その外に対する内の意味の中で機能させ、つまり表現するつもりだ。
第3室に展示する作品はわたくしの内に建立するべく構想される建築であり、理念としての伽藍なのである。
非力な時にはストレートに自画像が一瞬架けられるだろう。
2012年1月22日 石山修武
作家論磯崎新を書き進めている。わたしのインターネットサイトの「日記」に割り込むインフラストラクチャーになればいい。又、動画サイト「ドリトル先生動物園病院倶楽部ギャラリー」も先週第3ギャラリー(サイトではROOM3)を開設した。春には第4ギャラリー・キルティプールを開設する予定である。
このギャラリー群は英文でONする。和文での解説等では妙な伝わり方をしてしまうに違いないと考えたからだ。
ギャラリー3・エローラは第4室・キルティプールが開設されても存続させる。そして更新を続けるつもりだ。インドのデカン高原のエローラ窟院群体験はわたしの創作の基底とも言える。アジャンタではなくてエローラだ。
それで第3室をエローラの未完の僧院、僧房に設けた。
僧房の内部には一点のわたしの創作物が展示される。
それは時々展示替え、すなわち更新されるだろう。
2012年1月22日 石山修武
橋本平八の『純粋彫刻論』を読みたいと考えたのは自分の仕事は純粋建築とでも呼びたいモノを考えているのかと、子供じみた思いを抱いているからでもある。
平八の日本古代のハニワの造形を極めて近代的な論理性のうちに把握している(物体の内外の通路としての彫刻と言うような)解りやすさに対して、恐らく装飾古墳内部の文様の線描も又、日本彫刻の資源であると言うのは、まだ少し解らない。解りたいと思う。
わたくしの「幻庵」の文様(装飾)は装飾古墳のそれから引っ張り出したものでもあり、開拓者の家の冬の暖炉室の上の壁には壁画を描きたかった。
2012年1月22日 石山修武
昨日宴会場で池原義郎先生にお目にかかった。
先生は御自分でほとんど耳が聴こえなくてね、歩いていても全部風の音なんだと、不思議な事をおっしゃる。
池原義郎には「星をとる男」のオブジェ(彫刻)作品が西武遊園地内に人知れずある。
この作家の中枢は詩である。
詩の本体は必ずアニミズムに到達する、せざるを得ぬとわたくしは思う。
アントニオ・ガウディの建築の中心はカトリックが内在させるアニミズムである。
2012年1月21日 石山修武
昨夜、銀座で見聞きした気仙沼八幡太鼓の演技は素晴しかった。
八幡神社の神様へ奉納する
ありとあらゆる伝統芸能、武道は神を祀る為であるのを再び知った。小さな子供達の必死な演技には、やはりギターや洋楽器によるモノとは異なるアニマが宿ってる。
スペインのアンダルシアのギターの音、それが流布して中南米のギターの演技にもやっぱりその根の如くが宿るのであろう。
2012年1月19日 石山修武
アニミズム紀行7に関して今朝目次を固定するから、すぐにその固定案をサイトにONしたら良い。
印刷屋さんとの諸々の打合わせがあるだろうがページ数の表示がまだ出来ないのなら、目次の各章、各段の言葉だけでもそうした方が良い。せっかちで急ぐばかりではない。
大地は地べた
舞台は地べたから浮く
表情は地べたのアニマ
仮面は地べたから動く
小さいポイントで演劇の根
露地は距離について
にそれぞれ変更したい。次のアニミズム紀行8の構想が浮上しつつあるので、紀行7を整理しておきたい。
紀行8は恐らくは今日ONされて動くであろう「ギャラリー・3」エローラのワンショットを表紙にしたいのだけは決めている。
全ての部分がうまくからみ合って動くようになったら良いと思う。
2012年1月18日 石山修武
明日1月18日午前中にアニミズム紀行7の目次の最終決定をしたい。若い人と私の言葉の好みの落差がいささかあるのを知るからである。
言葉の好みの違いは実に大変な事でもある。
私の父親は漢文の教師であった。祖父はどうやら偏屈な漢学者であった。その血を少し引いているのだろう、若い頃はやたらに漢字を好んだものだ。座右に漢和辞典を置いて難しい漢字をまさぐったものだ。今の若い知性は(バカはさて置くが)むしろひらがな趣味、カタカナ趣味かなと思う。その違いが1冊の本の中に混濁すると実にただの間抜けた混乱になる可能性がある。大いにある。
それで目次の言葉立てだけでも充二分な工夫をこらしたい。
2012年1月17日 石山修武
念願の作家論・磯崎新を書き始めたので、とても気が楽になった。
書く事の中心が出来たからだ。
一方で各種スケッチ作業を基点とする設計作業の配布構造も良く視えるようになった。67歳にして再生するの感がある。
わたしは野の天才川合健二を師としたと自分でも言い、又そう思っても来た。しかし、一方に建築史学者渡辺保忠、田辺泰の奥深い影響があるのが歴然と自覚できるようになった。
建築設計なる実行と、建築史学がその極点で追い求めるであろう理念とはそれ程簡単には融合せぬ。融合せぬからこそ面白いのだ。
先ず書き始めはその実行者としての建築家と理念構想者としての建築史学者の、そんなに簡単には融合せぬの、これも又一種の原理について述べようとしている。今のところ絶版書房と作家論は無関係でありたいが、未来は解らぬ。
2012年1月16日 石山修武
フッと思いついたような、前からの考えに巡り会えたような。 つまり思い付きなのだが。
アニミズム紀行8の第2章はドリトル先生動物園、病院倶楽部ギャラリー、第3室エローラ僧院の一室の描写、及び展示作品をピックアップしたものの解説にしようと考えます。
ギャラリー4、キルティプールの3つのギャラリー開設までは、この第3室の展示にわたしの建築スケッチでは表せぬ類の気持らしきの底を探求してみたい。
何にも底なんて無いのかもしれないし、ただの馬鹿げた演技の域を脱せぬモノかも知れない。 でもそれが底なら仕方ないのである。
2012年1月15日 石山修武
アニミズム紀行7の裏表紙について。
裏表紙は表紙スケッチのアップにしましょう。
すなわち通信1で試みたように空の雲や気流らしきのディテールをそのまんま裏表紙にする。
5カットくらい候補を上げてもらって、その中からどの部分のカットを採用するか決めたいので、そのように進めて下さい。
2012年1月14日 石山修武
「表紙について」
河回村で一番興味深い道を描いたスケッチですが、空の風とまでは言わずとも、雲がポカーッと浮いて動いている感じはスケッチを仕上げるのにちょっとばかり苦労しました。
インキの描線が強過ぎるのを白パステルで消したり、消し過ぎを又もとに戻したりで、道や塀や建物の描写に倍する時間をかけた記憶があります。 アニミズムを巡る旅も7度目を迎えました。
表紙の印刷はデリケートに願います。従来背景の如くに描かれていた空、雲、水蒸気の動きを少しでも出せたら良いと考えています。印刷屋さんはいつも良くやってくれていますが今度の表紙の雲(空)は余白ではありませんので、よろしくその旨伝えて下さい。