新 制作ノート 2013

石山修武研究室

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130926

星の子愛児園の増築計画について03

制作ノート02を展開し、主題を絞ったスケッチである。

円形の窓は考えをつめる(整理する)必要がある。

室内展開、及び天井のデザインはほぼこれで良かろう。

15mmから20mmの途中途切れることのない色光のスリットを大事にしたい。

ガラスの断面を透過する光はガラスという物質を介する。それは決して無色だったり、透明であったりはしない。

世田谷村の玄関(エントランス)にはコーニングの分厚いガラスの断片が貼め込んである。市根井立志制作の落し掛けの木片壁に貼め込んだ。

朝夕、誰見ることもなく緑色の色光を内にしみ込ませている。

リアス・アーク美術館のエントラントにもこのアイデアは、それこそ貼め込んだ。

そして、この計画に於いてはもう少し建築全体を律する構造として組織化しようとしている。

ようやく建築の全体の骨格へのアイデアが固まりつつある。

2013年9月25日

石山修武

130918

星の子愛児園の増築計画について02

星の子愛児園増築計画(2013-)の第一次案は、先に述べた通り二つの異なる質を持つ造形の組み合わせでまとめることを試みたものであった。保育園にとって非常に重要である園庭を最大限に確保するために、保育室その他の機能諸室を上階に上げ、既存の園舎の上に被さる形で片持ちの構造を採用している。子どもたちの遊び場でもある地上の園庭に近い部分には有機的な表情と造形を持って上昇する半屋外階段を配置している。螺旋状に上がっていくその階段をカンボジア産のレンガが覆っている。子どもたちおよび保育に携わる大人が直に触れるであろう階段の手すりと、階段自体の造形を一体のものにしようという意識がある。一つのいきものの如く、グネグネと上がってゆく階段の中を子どもたちが通り抜け、あるいはその姿をまたべつの子どもたちが眺め見て、まだ幼い彼らの記憶の何処かにその驚きと楽しみの経験を刻み込むことができれば、などという一つの夢想があった。ただし、その夢想が直接的かつ単一の造形によって表現され、造形的明快さもまた持ってしまったことに一つの限界があったのやもしれない。

そこで第二次案においては、第一次案で考えられようとしていた子どもたち(もちろん大人たちも)の身体体験、および知覚経験を一つの基軸としたデザインをより深化させようとしている。この建築内の保育室に入るのがまだ歩行することもままならない0-2歳程の乳児でもあることから、特に彼らの知覚に対するデザインのアプローチを検討している。つまり、2002年に建てられた既存の園舎から2013年の第一次案を経て、デザインの主眼が外部の造形からより内部の微細なモノへの傾注へと遷移しつつある、と自らのデザイン検討の方向性を見出すこともできるだろう。

2013年9月18日

佐藤研吾

130912

星の子愛児園の増築計画について01

1.2002年、星の子愛児園(神奈川県川崎市、石山修武研究室設計)

2.象を丸呑みにしたウワバミの絵、Le Petit Prince

(http://www3.sympatico.ca/gaston.ringuelet/lepetitprince/chapitre01.html)

3.星の子愛児園増築 第一次案(石山修武研究室、2013)

2013年9月現在、神奈川県川崎市の保育園、星の子愛児園の園舎その他の増築計画を進めています。今後その進捗を本ウェブサイトにて公開していきたいと思います。




星の子愛児園の敷地内に既に建つ園舎は、2002年に石山修武研究室が設計したものである。全長約50m程で東西に細長く延びる建築である。南側には広い園庭を備えている。1階2階は各保育室があり、比較的機能的に明快な平面配置と、水平垂直の直線の組み合わせの造形で構成される。3階はピンク色の表面の有機的な造形のシェルターとプールが架けられ、下階とは造形ニュアンスが著しく異なる。

そもそもこの建築の設計依頼を受けた際、クライアントであるこの保育園の経営者からは「コルビュジェとサン・テジュクペリを組み合わせたものを」という希望があった。そこで、近代建築の構成原理を土台として、サン・テジュクペリが描いたような子どもの想像力の物語をその上に展開することが試みられた。

サン・テジュクペリの小説『星の王子さま』の中で、象を丸呑みにしたウワバミの絵の話がある。主人公の子どもが、「象を丸呑みにして腹がそのまま膨れたウワバミ」の絵を大人たちに見せても、彼らはそれを「帽子」としか見ることができず、主人公の言うこの絵のおどろおどろしさを理解出来なかったというエピソードである。ウワバミはその獲物を噛まずに丸ごと呑み込み、その獲物をじっくりと腹の中で溶かし(こなし)ていく。子どもである主人公はウワバミの腹の中のその恐ろしい世界を想像したが、その感覚は大人たちには理解されず、彼らの表面的に役立つことばかりを考える世界の枠の外にあるものであった。主人公はその時大人たちとの間の壁を実感するが、次第に彼もまた大人たちの一員となっていくのである。

子どもの想像力は大人たちの固まった価値観の枠外を容易に飛び越え、またそれは先の物語のように純真なものだけではなく、素朴さ故の残酷で狂暴なものでもある。星の子愛児園の建築では、物事を何かに決めつけ統一させてしまわない、バラバラとしたざわめきのような子どもの想像力の助長を、その建築の姿に託したのである。四角い箱の上に載せた、彎曲した自由曲面からなる得体の知れない造形によって、子どもの怪物如き想像力の居場所を見つけ出そうとしたのであった。

そして、これからの増築においてももちろんその主題は通底しており、2002年に考えられていたことの延長線上の展開の先にある。子どもの想像力の居場所をいかにして作るか、またそこで働く大人たちも含めた子どもと大人が共に居る姿は如何なるものかを構想している。第一次の増築計画案はその考えを立体的な構成を取りながら、半ば直截的な表現によってまとめたものであった。けれども、想像力という不可視の実感というものを採り込んだ建築の姿としては、まだまだ未成熟なものであることもまた認識している。とは言え、この未成熟さを消しきらずにいかに今後飛躍できるかが、大人になろうともする危なげな子どもの想像力の未来と同様にこの建築においても重要な核になるだろう。

2013年9月12日

佐藤研吾