TOPページの山口勝弘さんの石山ドローイングのページに随時書き継いでゆこうと思います。編集ものんびりでよろしいですよ。エッセイとも言えず、コラムでも無く、作家論でもない。
いささか暑さにへこたれて、しばらく世田谷村に沈澱していました。ボーッとしているのがどうしても出来ず、手近にあった本を読み狂いました。まさに狂夏というべきか。
面白いもので、次第に読みたいと思う本が少なくなってくるのに気付きました。皆、一度ならず読了した本の数々です。でも何かが鼻についてくるのです。書いている内容うんぬんと言うのではなく、その文体そのものが鼻についてくるものが余りにも多い。そして、どうやら文体そのものの方が各種作家、随筆家、思想家、創作家達の内実を露骨に表現してしまっている事に気付いたのでした。
勿論このような事はすでに多くの人間が言ってきた事です。
代表的なのは小林秀雄でしょう。本居宣長について書かれている事は大方それに近い。と、こう書いてしまうとボロ批評風になってしまうし、山本夏彦のコラム群の価値も文体そのものに昇華されていたことは言うまでも無いでしょう。
小林秀雄の膨大な著作の中では小片の「徒然草」がそれをコラム風に言い切ったものです。
そんな事を考えている中で、ただただ流れる如くに描き、書いてみたいなの気持が自然に湧き出たのでした。
そのきっかけは多くの読書に疲れて、フッとのぞいた石山研究室のページの、日記は再読しませんでしたが、冒頭にひいた山口勝弘さんの似顔絵とも言うべきに眼がとまったからです。
くたびれて宿借る頃や藤の花、の心境だったのかな。
正直に言えばそれに近いし、より気取って自意識を少し混ぜれば、余りにも暑さ疲れで横になり過ぎて、する事もなく読書三昧の小さな旅の涯に辿り着いた境界線、率直に言えば峠のようなもの、その峠からのぞいたのが自分自身で描いた山口勝弘さんの肖像であった。
以前、石山研のトップページ他の背景色はブルーでした。
コンピューターでは本当に好ましい色を表現するのは不可能です。
本当に好ましい色はやはり手で作るしか出来ない。
以前使った背景の青は編集の丹羽太一さんの発案でした。
でも彼は身体的条件で絵の具や色鉛筆他で、本当に好きな青を作る事ができなかった。その無念さがあのブルー(青ではない)に表れていたと思います。
丹羽太一さんのブルーはわたしにはとても物悲しいブルーとして眼に映ったのです。丹羽さんは山口勝弘さん同様に車椅子の人です。失礼な言い方になるやも知れませんが、その身体の哀しさがブルーに表現されていた様に、今は思います。
しかも、コンピューター時代の選ぶしかないブルーです。
作る青ではない。
勿論、作る青と言っても、基本は絵の具と筆ですから、これも又選んでいるに過ぎないのですが、でも人体の小宇宙の一部である手と、気持により細妙に関係しているのは確かでしょう。
あまりにも平坦なブルーの物悲しさが辛くって、何年か前に赤にしてくれと丹羽さんに頼みました。丹羽さんは少し悲しそうな顔をしましたが受け入れてくれました。どうやら丹羽さんは自分の境遇と川の流れをアナロジーする意識を持っていた。川の流れはよどみもあるし、浅瀬もあると言うような。ミラボー橋の下のセーヌを詠んだフランスの詩人や、日本の川の流れを、利根川みたいな流れを唄った美空ひばりのようなものでしょうか。
どんな川でもよいのかも知れませんが、やはりその川は時間との類似という人間のそこはかとない無常の諦念、あきらめの気持の中に流れている川のように思いました。
本能的に変えた赤でしたが、2011年7月3日付のサインがある山口勝弘さんの肖像画、漫画と言っても一向に差支えありませんが。これがページにONされて初めて、ブルーから赤への変化が功を奏したと解る事ができました。
つまり、ああそうだったのかと心底知ったのでした。
今の背景の赤もそれ程良い赤ではありません。
本当ははもっと渦巻くような、そうですね不動明王の背負う炎の赤の如くが欲しいのですが、その色を出す努力にはそれ程の意味はない。不動明王の背負う炎といったってそれぞれが違いますから。
ここで不動明王が登場するのは、わたしの山口勝弘さんや丹羽太一さんへの一方的な思い入れからでしょう。イメージなんて洒落たヨーロッパ産のものではない。思い入れで結構。
つまり、お二人共にそれ程自由に自分の意志では動けない身体です。そのような体は今に特有なものではない。昔から無数にあったでしょうし、我々も常に刻一刻そのような現実に投げ入れられるやも知れない。
彼等の身体内の川、神経と呼ばれる小宇宙状の川はそれこそ神秘としか呼びようの無い大河です。
つまり、山口さんも丹羽さんも今の傷ついた地球の似姿として生きていると思われます。
実に現実の不動明王なのではありますまいか。
そんな気持もありまして、今秋から冬にかけて考えている、山口勝弘展(私も参加するつもりですが)にはお願いして丹羽太一さんにも参加してもらいたいと考えました。二人不動明王とは豪華極ります。
何をどのようにしてお願いできるのかはまだ不明です。
大体、一関ベイシーにはエレベーターが無い。あの二人の不動明王を2階に運び上げるのは困難です。階段が狭くて曲がっているから。
とすれば、作者不在の展覧会になってしまう。これはあり得ない。何とか、あの2階に山口不動、丹羽不動他の来迎を得たいものです。